コ 祝福家庭とこの世の家庭の違う点

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 祝福家庭と祝福を受けていない家庭は、何が違っているのでしょうか? (祝福家庭は神様を中心とした家庭です)。ただ神様を中心とした家庭というだけでは、漠然としていて分かりません。「神様の愛を中心とした家庭と、サタン世界の愛を中心とした家庭が違います」と答えなければなりません。分かりますか、何のことか?

 サタン世界の愛とはどんなものでしょうか? (自分しか知らないものです)。自分だけのために、自分の家庭だけのために生きるのであり、それ以外にはないのです。皆、利用してしまおうとする愛です。利用して、分別させる愛であり、分派をつくる愛なのです。

 また、その次に何が違っていますか? 愛を中心として、何が違うのでしょうか? 祝福家庭はそれをはっきり知らなければなりません。血統が違うのです。血筋が違うというのです。皆さんは誰にぶら下がっているのですか? (真の父母様です)。真の父母様と愛も似ているし、生まれた血統も似ているのです。今まで、そのようなことをはっきり分かっていましたか? 違うということは、どこを指していうのでしょうか? 目も鼻も口も全部同じなのに何が違いますか? 出所が違うのです。真の父母を通して出発したのです。真の父母も、神様を中心として出発したのです。神様の愛を中心とした一体基準において、先生の出発は違うのです。この二つが全く違うのです。

 初めは何でしたか? 神様の愛がすべての中心なのですね。自分の家庭が中心ではないのです。神様の愛を中心にすれば、その中には家庭、氏族、民族、国家、世界が皆、入っているのです。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ」ということは、これが一番初めの戒律だということなのです。そうすれば、万事が「オーケー」なのです。神様の中に皆入っているので、愛の同参者になるのです。愛するようになると、同参権ができるのです。そうではありませんか? 男性を知らなくても、さっと夫婦となって、四日だけでも過ごせば皆、同参者となるのです。あなたのものは私のものであり、私のものはあなたのものになるのです。同参者です。愛の偉大さはそこにあるのです。同参権を同伴することのできる、偉大なことなのです。

 その次には何ですか? 相続権があります。彼が死ぬ時は、私はその相続者になるのです。同じように、神様の愛を受けるようになれば、神様の前に同参することができるのです。神様がおられる所と対等な位置に立つことができるのです。それだけでなく、神様が持っているすべてのことを私は相続することができるのです。驚くべき愛! 愛のみが、それをすることができるのであって、お金や、知識や、権力ではできません。そうです。神様の愛を学び、また、神様の血統を受け継いだのですから、神様は呪うことができるでしょうか? 離れることができるでしょうか? できないというのです。

 そうです。皆さんはどこに属していますか? サタン世界に属していますか、神側に属していますか? (神側です)。ということは、何が違いますか? 違うのは何ですか? 同じなのです。私は神様も愛することができる愛を持っています。また、私の位置は違う血統を受け継いで、その血統を発展させることのできる位置なのです。(一九八六・四・一二)












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