コ 祝福家庭二世たちの行くべき道

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 今から、理想を持たなければなりません。皆さんがリトル・エンジェルス学校に行くようになった時、「ああ、何がああだ、こうだ」と言ってはなりません。そういうことは、全部放っておいて、まず隣にいるすべての人々を愛して、彼らと親しくならなければなりません。「ああ、私たちの学校には、統一教会の祝福を受けた子供たちがいるけれど、目が小さくて、気さくで、友達に対することも一番なので、学校では模範生であり、もしこの学生たちがいなくなれば、私たちの学校はどんなに悲しくて寂しいことでしょうか? そして、どんなに心細くてひっそりとしてしまうことでしょうか?」と言われるような環境をつくらなければなりません。百名の子女たちがいたならば、三百名を心配することができなければなりません。三百名がいたならば、全部合わせて、千二百名を消化できる基盤をつくらなければならないのです。(一九八一・四・一二)

 ヤコブの息子たちは、十二人の兄弟なのですが、その中で、誰が一番祝福を受けたのか知っていますか? (はい)。誰ですか? (ヨセフです)。ヨセフは何番目の息子ですか? (十一番目です)。ヨセフと、その次は、ベニヤミンですか? (はい)。その時十人の息子たちが何をしたのかというと、サタンの業をしたのです。兄さんたちがヨセフを嫌ったのです。なぜ嫌ったのかというと、歴史的に、カイン・アベルを中心にした、このような三家庭形態が東西南北に十二数となっているからです。ですから、そのように十家庭以上が反対する中において、冷遇される立場でも、愛する心を持って越えていかなければならないということを代表的に見せてくれたのです。

 ヨセフは自分の兄弟が、自分を井戸にはめて殺そうとしたり、売り飛ばしたのですが、兄たちが自分を死ぬ位置に追い込んだのではないと考えて、自分のすべての権威とすべての欲望を皆捨てて愛したのです。そのようにヨセフが兄弟を愛したという条件で、イスラエル民族全体が生き返ることができたのです。それと同じような道を、皆さんも行かなければなりません。

 皆さんを祝福してあげたのは、皆さんによい暮らしをしなさいということではないのです。分かりますか? 統一教会に反対し、統一教会を嫌う人々に対しても、十人の兄たちと同じように接して、彼らを救ってあげるために、彼らを抱いて、神様の愛の圏内に入れてあげることのできる責任的使命を負っていく代表として立つことが、ヨセフと同じ位置で祝福を受ける家庭の息子たちなのです。これが、祝福家庭の子女たちの行くべき道なのです。

 それでは、祝福を受けた家庭の息子に置き換えて考えてみるとしましょう。エデンの園の堕落しない息子娘と同じ位置にいるので、皆さんは何をしなければならないのかというと、救世主と同じ仕事をしなければならないのです。イエス様は罪なき息子として生まれて、この世に来て、よい暮らしをしようとしたのではありません。世の中を暮らしよくしてから、後で自分もよい暮らしをするのがイエス様の使命なのです。そのような使命の原則は同じなのです。

 それでは、祝福を受けた家庭の息子である皆さんを、神様が、先生が祝福してあげてよい暮らしのできる環境をつくったとしても、その環境は皆さんのためのものではないのです。世界のためのものであることを知らなければなりません。世界のための祝福を皆さんが引き継ぐためには、平面的に十二人以上の横的な兄弟たちを愛して、その後で、彼らが「ああ、すべての愛の主体よ。私たちのすべての模範的な主体よ。私たちの家庭を相続できる人は、私たちの一番上の兄さんでもなく、二番目の兄さんでもなく、七番目、八番目の兄さんでもなく、ヨセフのような十一番目の弟だ」と、公認を受けるような立場に立たなければなりません。十一人の兄弟全部が、このようにならなければならないのです。

 そのためには、どのように生きなければならないのかというと、何も言わずに犠牲となって、兄弟たちのために生きなければなりません。分かりますか? それと同じ位置に立たなければならないのです。(一九八一・四・一二)










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