サ 兄弟間の友愛 ・ 父母の相続を受ける者

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 統一教会の家庭は、たくさんの子供たちを生むでしょう? (はい)。一番たくさん生んだ家庭は何人ですか? (九人です)。兄弟は多いほどいいのですが、一つ皆さんが喜ぶべきことは、兄弟が多ければ御飯を食べる時も、一つのお茶わんでもって二人が分けて食べなければならないのです。そのようにしなければならないのです。御飯がお茶わん一杯しかないといって喧嘩してはなりません。兄弟が多くて、どんなに暮らしが大変でも、「私は御飯をぬいて、お姉さんにあげなければ、弟にあげなければ」という、そのような愛の心を持てば、いくらでも良くなるのです。皆さんは、良い服は私が着て、悪い服は弟にあげるのですか? 反対なのです。サタンの世界と反対に考えなければならないのです。統一教会の祝福を受けた家庭の子供たちが考えることは、サタン世界と違わなければならないのです。良い物があれば私が食べて、悪い物があれば弟に上げて、兄さんに上げるのですか? (違います)。反対に、良い物があれば、妹やお兄さんに上げて、悪い物があればどうするのですか? (私が…)。

 お互いにそうなれば、どのようになるのでしょうか? 良い物を置いて皆、後に戻っていくのです。互いに嫌だと言うのです。ですから、良い物は皆、真ん中に集まるのです。十二人の息子娘が皆そうなったとすれば、どうなるのでしょうか? 真の父母が通り過ぎる時、それを見て「君たち食べないのか? 私が食べよう」と言うような、無慈悲な真の父母ではありません。「君たちはお腹がすいているのに」と言いながら、全部食べてから、何十倍以上に満たしてくださるのです。その時、「ああ、先生、待ってください。私が食べます、私が食べます」と言ったらだめなのです。先生が全部食べれば、その後に責任が生まれるのです。それで、何十倍も、その息子娘のポケットに、食べても余るように満たしてくださるのです。神様も同じなのです。それは、良いことですか、悪いことですか? (良いことです)。

 皆さん、兄弟たちの中でも、どの兄弟よりも兄弟のためになり、父母のためになり、全体のためになる兄弟が父母の相続を受けるのです。問題を起こして、お父さんお母さんの言うことを聞かず、したい放題にするという人たちは皆、ビリになってしまうのです。

 それでは、サタン世界の前での体面は何でしょうか? お父さんの体面、お母さんの体面が問題なのです。そのようなことが分からなければなりません。皆さん、祝福家庭の暮らし方はいかにあるべきかということが、分からなければなりません。お母さんたちがすべきこと、私たちがすべきことが分からないといけないのです。

 どんなに暮らしが大変でも、どんなに苦しい生活をしていても感謝して、天の前に涙を流しながら、その日を待つのです。お腹のすくのを我慢しながら、「神様、私たちの民族を愛し、私たちの母の願いを成就させてください」と言えなければならないのです。

 そういうことが多ければ多いほど、良いものは全部パンパンと、後ろのポケットに入れておくのです。神様の後ろには、ポケットが数千個もあるのです。分かりますか? そうしておいて、「ほら、君に上げるよ」と、一番底から、一つ、二つと出していくのです。

 それは誰に上げるべきかというと、「おい、君、二十一歳まで我慢しなさい」「十二歳まで我慢しなさい」と言うのではありません。「二十一歳まで我慢しなさい。そうすれば、サタンの前に完全に勝利できます」と言うのです。そのような立場で祈祷できるようになると、一番良い宝物が神様の後ろのポケットから、ひっきりなしに出てくるのです。その時が十五歳ぐらいなのです。「神様が何だ! 十五年間待っても何一つ与えられないなんて、これは何だ! プー」と言ってしまえば、十年間勉強したことがすべて台なしになるのです。

 それでは何に一番価値があるのかというと、幼い時から苦痛に遭いながらも、耐えて祈祷することです。それが一番尊いのです。ですから苦労をたくさんして、精誠をたくさん尽くす息子娘は、お父さんお母さんのすべての相続を受けるのです。どんなに顔が醜くて、いくら背が低くて、いくら知識がなくても、そのような人が、その家の中の相続者になるのです。分かりましたか、分かりませんか? (分かりました)。それは、正しいことですか、正しくないことですか? (正しいことです)。(一九八一・四・一二)












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