ケ 統一家の立場と実体蕩減時代

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 皆さんはどのような立場に立っているのかというと、統一教会の教会員はカインの立場であり、祝福家庭の皆さんはアベルの立場なのです。分かりますか? このような立場なのですが、今まで、長子権争いをしてきたのです。長子は誰かというと、先生の息子娘です。先生の息子娘が侍っているので、カインやアベルも皆、自動屈伏するようになっているのです。統一教会はそうなっているのです。

 ですから、皆さんの中で年のいった人も、「孝進お兄さん」と呼ぶのですね。なぜそうなのか分かりますか? それは、長子権を持ってきたからなのです。世界を代表する家庭的長子権です。堕落した世界では、長子権がサタン側にあったのですが、今や長子権は誰にあるかというと、天の側にあるのです。

 その長子権が現れたので、これからどうなるのかというと、統一教会が蘇生期だとすれば、皆さんは長成期であり、先生の家庭は完成期なのです。この三つが一つにならなければなりません。そこでは誰が中心なのかという時、統一教会の教会員が中心ではありません。初めて入教してきた博士たちは、よく知らなければなりません。年のいった博士だといって、優秀であるからといって通用するものではありません。統一教会の教会員が蘇生であり、祝福を受けた家庭が長成であり、先生の家庭が完成の位置になるのです。

 旧約時代は物質を対象にした物質蕩減時代であり、新約時代は自分の蕩減時代であり、成約時代は実体蕩減時代です。統一教会においては、私が物質蕩減も受けてきたのです。また、興進君も蕩減しました。実体蕩減が最後なのです。ですから、今や実体蕩減時代に入ったのです。法廷闘争を経て進まなければなりません。分かりますか?

 私は監獄へ行っても、すべて蕩減条件を立ててきたのです。人類の残された十字架を父母として完全に清算してきたので、統一教会は孝進からぐるぐると巻き込まれ、その次に、既成教会がぐるぐると巻き込まれ、その次には、何が巻き込まれるのですか? 自由世界がぐるぐると巻き込まれるのです。その次には、共産世界がぐるぐると巻き込まれてきます。共産世界と戦う必要がないのです。統一思想だけを正しく教育すれば戦う必要はないのです。

 神様のみ旨は何かというと、政教分離ではありません。政教一致です。神様を中心とした心情一致世界、一つの世界へと向かって前進するのです。その時には、千年、万年行くのです。分かりますか? 堕落した世界が、神様を中心として、父母様を中心として、長子権を中心として、一つになるのです。それが本来の天国へ行く道であり、天国へ行く原則なのです。

 長子権、アベル権をいくら探しても、父母がいなければ天国へは行けません。父母がなく孤児のように戦っていては、次子が長子から首を絞められることになってしまうのです。ですから、宗教が主権者の前に犠牲になっていくのです。しかし、父母様が現れて本然の位置を復帰してくださったので、今や父母様に侍り、長子と次子が一つになって生活して、天国に入るようになっているのです。原理がそうなのです。この時が最後です。分かりますか? 間違いなく最後の時なのです。

 ですから、昨日、日本の責任者が来て、「いや、本当に不思議です。ただみ言を聞くだけで、ふわりふわりと皆浮かび、何でこうなるのでしょうか?」と言うのですが、なぜそうなるのか分かりますか? 時が来たのです。皆さんはそれを悟って、この時のために準備をしなければなりません。無駄な空想をしてはいけません。

 皆さん、どうですか。嫁入り先を選びますか、み旨を選びますか? (み旨を選びます)。君はどうですか? (み旨を選びます)。聞く必要はありません。不平を選んで行って、敗者となるのですか? 不平を言えば敗者になります。その時は、「何も選びません」と答えなければなりません。分かりましたか? 今はそのような時なのです。(一九八四・七・一九)

 ヤコブも十二人の息子を中心として摂理してきたし、モーセも十二支派、イエス様も十二使徒を中心として摂理してきたのです。ですから、お母様が十二人の息子娘を生まなかったならば大変なことになったのです。世の中がどんなに悪口を言おうと、先生は何としても十二人の息子娘を得ないといけないのです。分かりますか?

 ですから、韓国の宮中において妾制度が生まれたのです。三千官女だという官女法が生まれたのです。天がそれをつくったのです。そうしなければ、終わりの日に合わせることができないからです。そういう悲惨なことが分かりますか? 私たちの時代は、そこが違うのです。

 これからは、誰であっても、地位を据えて責任的王権を渡せるようになった時には、兄弟を代表して渡してあげるのです。だめな兄より、しっかりした弟を立てることによって世界が生きる時は、その弟を立てたとしても兄さんは反対してはいけません。支持しなくてはいけないのです。サタン世界では、このことを讒訴してきたので、カイン・アベルの闘争歴史になったのです。私たちの時代は、それを讒訴してはいけないのです。

 もし、私たちの教会の中で、誰々は何の輩と言ってはなりません。そのような人は、あの世へ行けば引っかかってしまうのです。父母様によく侍り、世界のためになろうとすることなのに、それがどうして輩なのですか? 木でいえば東側の枝であり、西側の枝なのです。見守ってあげて、早く大きくなりなさいと言うのであり、めちゃくちゃにすることとは原則が違うのです。そのようなすべての歴史的な摂理の恨みを、私たちは知っているのです。これらは皆、私たちだけが収拾できる内容なのです。(一九八四・七・一九)











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