ケ お父様の七年路程

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 それゆえ、先生は今までその業をしてきたのです。七年路程で、先生の家庭を中心とした世界的蕩減復帰路程の途上で、先生が祝福を受けてお母様を迎え入れる時、サタンの讒訴があってはならないのです。お母様を迎え入れたその日から、讒訴されてはならないのです。そうですね? 本来、アダムとエバが堕落しないで、祝福の位置に立つようになっていたならば、堕落圏もないし、堕落したサタンもいないのです。

 しかし、一九六〇年に先生が聖婚する時、十四年の間、国家的な基準で何をしてきたのでしょうか? 皆さんは知らないのですが、先生個人を中心として、アダムとエバが堕落しなかった過程から、行くべき伝統的基準を立てなければなりませんでした。その伝統的基準が何かというと、サタンを屈伏させることのできる基準をいかに立てるかということなのです。イエス様当時の、イエス様を中心として国家次元で準備していた基準を蕩減しなければならないのです。それを蕩減できなければ、祝福という位置が出てこないのです。

 解放後十四年が過ぎて、一九六〇年の四月に聖婚式をしたのですが、その時には、大韓民国のすべてが、個人から家庭、氏族、民族、国家全体が反対したのです。イエス様の時代十二使徒が反対したことと同じように、統一教会に従っていた人たちまでも反対したのです。一番親しくしていた人たちの中で、十二人以上が統一教会に、先生に反対する中で蕩減の道を経ていかなければなりませんでした。そのようなことは、皆さんの誰も知らないことです。先生は聖婚式の前日まで、裁判所に出頭して調書を取られる中で、聖婚式をしたのです。それこそ戦いなのです。そのような激戦の中で、今日の基盤を築いてきたのです。

 先生個人を中心として、サタンがありとあらゆる反対をしたのです。個人的にどんな条件を立てても、絶対にみ旨の道を行けないようにすると言うのです。それゆえ、統一教会を信じてきた皆さんの父母たちの背後でも、サタンがすべてに反対してきたのです。その時の状況がどんなだったかというと、自分のお父さんお母さん、子女、夫婦が問題ではなかったのです。彼らが、すべてサタン側に立ったのです。それで皆さんのお父さんお母さんは、自分の家族や氏族に背くことになったのです。自分の氏族に背いて、自分の家族に背いたのです。

 堕落とは何かというと、妻に背いたことであり、その次に、真の子女に背いたことです。さらに、真の父母に背いたことです。ですから、家庭においても、そのような道を行かなければならないのです。聖書にも、イエス様は次のように語られているのです。「誰よりも、私をより愛さなければ…」と。そのように背いたのは、何を立てるためかというと、お金でもなく、社会の名誉でもありません。神様をより愛したという基準を立てなければならないからです。

 自分の父母よりも、神様をより愛したという位置に立たなければなりません。今まで、どんなに父母を愛してきたとしても、それはサタン圏内に立っていた愛だったのです。サタン圏を越えて、父母を愛することのできる位置ではなかったのです。また、サタン圏を越えることのできる、そのように愛することのできる夫がいなかったのです。そして、さらにサタン圏を越えて、子女を愛する道がなかったのです。

 そのために、今日までの宗教の願いが何であったかというと、父母を探し求めていく前に、相対を探し求めなければならないということです。それが復帰路程なのです。それで、イエス様が第二のアダムとして来られて、成さなければならなかったことは何かというと、新婦を探し、新婦と出会って、本然の父母の位置を求めていかなければならなかったのです。イエス様の前には、父母がいなかったのです。

 もし父母がいるとすれば、それは神様でなければなりません。マリヤが生んでくれて、お父さんがいたとしても、彼らが父母ではありません。それは、一時的な、ある一つの条件を立てるための蕩減条件を必要とする、父母だったのです。本然の基準において、アダムとエバを代身して、神様が父母の体を持つことはありえないのです。

 ですから、先生がイエス様の前に、新郎、新婦の位置を探し立て、初めて父母の位置に上がっていけるのです。父母の位置に上がっていくためには、新郎、新婦を策定できなければ、父母の位置を探し出すことができないし、もし父母の位置を探し出せなければ、子女の位置を探し出すことができないのです。それゆえ、蕩減復帰はすべて何を基準にするのかというと、それが愛なのです。(一九八六・四・八)

 先生がいかに一九六〇年代に父母の位置に立ったといっても、蕩減復帰をしなければならないのです。父母の位置に立っているということは、七年路程に向かっていくことなのです。では、この七年路程で何をしなければならないのかというと、「父母の日」を策定して、「子女の日」を策定して、「万物の日」を策定しなければなりません。この七年路程で、お母様もそのような位置まで進まなければならないのです。

 この七年路程を中心として、縦的に主管的主体であるアダムが立てなければならない長成期完成級まで、七年ずつ二回の十四年間の基準を越えて、サタンと戦って、国家基準までの基盤を築いたのですが、お母様自身においては、そのようになってはいなかったのです。横的な位置に立てて、七年路程、七年間で、二人合わせてサタンの讒訴圏を越えていかなければならないのです。何のことか分かりますか? ですから、お母様にも七年路程があるのです。

 そこで、一九六〇年に聖婚式を行い、一九六八年に、「神の日」を定めたのです。「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を心情的な中心とすることによって、初めて「神の日」を設定したので、神様と先生の家庭が通じるようになったのです。神様と先生が通じ合い、その次に父母と子供が通じ合い、父子の関係で万物とも通じることのできる条件的版図が開かれたのです。それは、全体的環境でなく、条件的環境なのです。国家基準に限られたものであり、世界基準ではないのです。ですから、世界基準を立てるために、先生が韓国で勝利した後、一九六八年から世界舞台での蕩減基準を経ていくのです。(一九八六・四・八)












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