ス 二世たちの行くべき道

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 皆さんの中で、出世しようとして勉強する者は、気の狂った者です。皆、記録に残ってしまうのです。そのような人は、大きな峠を越えていけないのです。ヒマラヤ山頂を越えていけないのです。皆つまずいてしまうのです。何のことか分かりますか? 皆さんも同様です。ですから、自分のお父さんお母さんの言葉以上に、先生の言葉を信じなさい。そうでなければ、行くべき地には行き着けないのです。最初は何でしたか? 習慣化されてはいけないということですね。「祝福を受けたので、他人と同じように生きてみよう」と言っても、皆さんには召命があるのです。責任があるのです。カナン復帰をした民族は、イスラエルの国を創建する責任があるのです。国を建てなければなりません。ですから、今年の標語は「天国創建」なのです。

 そして、そのために、私はソウルでの責任を負って堪えているのです。皆は喜べなくても、メンツにこだわることなく、何か月かいたので、今や峠を越えたのです。完全に峠を越えました。そのように、生死の権を懸けて戦っていくのです。先生は一生をそのように生きてきたのです。適当ではだめです。皆さんは皆、適当に生きてきたのでだめなのです。そのことをよく知らなければなりません。習慣化されてはなりません。そこで、神様の愛を中心として探していくのです。私たちは、宇宙の相続権を受けるべき本然の人間として、行くべき道に忙しいのです。その位置で、公認を受けなければならないのです。

 その次は何かというと、イスラエル民族はカナン復帰をしてから滅びたので、皆さんも祝福を受けてから、統一教会の中で滅びるということも起こるのです。なぜかというと、世の中の栄華を望むからです。お金が必要な、知識が必要な異邦人になってはなりません。これは、二つとも滅びる道です。

 その次に、三番目は何でしたか? 最高の苦難の道を行きなさいということです。それゆえ、すべてを捨てて、乞食のような格好で、ふろしきに包んで出ていくのです。そして、国を救うのです。分かりますか? 「夫婦の暗行御使(朝鮮王朝時代に勅命で地方の行政および民情を調査した人)になってみよう」という心が必要なのです。「夫婦の暗行御使」です。いい言葉ですね。

 それで誰が先に立つのかというと、み旨のために生きる者が先に立たなければなりません。「為に生きる者が先に立とう」と言えば、異議はないのです。簡単なことです。これが分からない人は、絶対に成立できないのです。そのような人は、夫であっても、ほおをたたいてでも、引っ張っていかなければなりません。それは、先生も同じです。先生も皆さんと同じなのです。世の習慣性を屈伏させなければなりません。ですから「天宙主管を願う前に、自己主管を完成せよ」という言葉が必要なのです。習慣というのは、どれほど怖いものかしれません。名節(韓国の正月、お盆など)の時になると、よいものを食べたいし、よいものを着たいし、たくさん遊びたくなるのです。

 先生は日本統治の環境下で、勉強して出世しようとして、おうへいに生きる者たちにはついて行かなかったのです。環境には絶対について行かなかったのです。ですから、怨讐の国で獄衣を着て、冷たい監獄に入る身になっても、その道を行こうとしてきたのです。先生の一生は監獄を出たり入ったりすることの戦いでした。先生は苦労の道を自決したのです。それを忘れてはなりません。

 ある日、ある時、先生が「北韓に行きなさい」と言ったとしても、異議があってはなりません。そのような人が必要なのです。そのような人たちがいてこそ、天国創建が可能になるのです。それが、伝統として立てられなくてはなりません。一人ひとりが犠牲になる心が必要です。それは哀れなことだけれども、その人が犠牲になったということで、若い人々に新しい愛国の精神の火をともすようになるのです。この三つを忘れてはなりません。(一九八六・四・一二)











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