セ お父様が歩まれたみ旨の道

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 先生が皆さんと同じ年齢の時には、絶対に話をしませんでした。自分の行くべき道を探していくことにおいて、道理を明らかにできなくて、自分すら立つことができていないのに、何の話をする必要があるというのでしょう? 私はそのような生活をしてきたのです。私が口を開く日には、天下は私を止めることができないのです。そのような自信を育てていかなくてはなりません。分かりますか? 騒いで、彷徨するような位置では、自信を育てることはできません。根にはなれません。深い根になることはできません。

 ですから、そのような人生行路において、誰よりも苦労したのです。先生は乞食の生活から始めたのです。乞食も救われなければなりません。それで、乞食の父親の役もしたし、肉体労働をする現場に行って、労働者の責任者の役もしてみたし、農夫の役もしてみたし、漁夫の役もしてみたし、鉱山の仕事もしたし、ほら穴を掘ったりもしたのです。鉱山の坑木を立てることも、全部してきたのです。炭を焼くことまでも皆、習ったのです。なぜかというと、み旨を成すためには、もし私が追われるようになり、山の中に入っても、天の召命に対する責任を果たさなくてはならないという考えを持っていたからです。

 そのように歩んできたので、今日、統一教会の教主になったのです。それは、悪くなったことなのでしょうか、良くなったことなのでしょうか? (良くなられたことです)。良くなることも、簡単ではありません。私には、大変難しかったのです。本当に難しいことでした。しかし、それを誰かがしなければならないのです。私の息子娘の前に、私たちの民族の前に、そのまま残してはならないので、私は難しくても今日までやってきたのです。それで私は、民族に対して涙をたくさん流し、この世界のためにたくさん涙を流したのです。彼らの前に苦労を残していきたくないので、「私がきれいに責任を執ります」と言って、この業をしてきたのです。そうして、世界統一国の宣布まで成してきたのです。今や、私は死んでも、天の国に行っても、「お前は責任を果たさなかった」と言われないようになっているのです。分かりますか、何のことか? 先生は人間として成功したのです。

 人類歴史は二百五十万年、一千万年と見なされているのですが、堕落したことが分からなくて、今日まで収拾できなかったのです。しかし先生の時代において、四十年の中で四千年の歴史を全部、引っ繰り返して、隅々まで全部つくろって、根源から、心情のその行き違った道まで全部正しておいて、人類の解放圏まで提示しました。そうすることによって、神様がこの地上に君臨されて天国を建設できる、そのような道理を開くことができたという事実は夢のような話なのです。嘘のような話ですが、これが事実なのです。ですから、皆さんはそのような恵みの位置にいるということを、よく知らなくてはなりません。分かりましたか? (はい)。(一九八八・一〇・一六)












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