コ 男性と女性が生まれた理由

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 自分を知らなければなりません。自分が誰なのかというと、縦的な神様を中心とした愛の継承者であり、横的な真の父母の愛を中心とした愛の継承者であり、その結実体として生まれたのです。そういう存在でなければならないのです。しかし今日の人間たちは、体と心が自動的に九〇度の角度で一つになって生まれることができないのです。それは堕落したために、サタンの血統を通して生まれたからです。

 サタンとは、何かというと、アダムとエバを保護することができずに、相対理想を破壊させた存在なのです。神様に反発した存在です。分かりますか? 宇宙力で保護されていたのに、それを侵犯して、奪っていったのです。神様の本質的な愛の前に、また違うプラスとして登場して、二律背反的な立場になったのです。そのために、体と心が永遠の歴史の怨讐となって戦い続けているのです。

 これを除去することが、宗教の使命なのです。宗教はそのような真理が分からなければ、解放されないのです。理論的にすべてのことを悟って、それを解明してこそ、実体的社会環境に存在性を付与できるのです。理論に合っていない存在性は残らないのです。分かりますか? (はい)。ですから、愛の道を探していかなければならない人間であることを知らなければなりません。

 それでは、女性はなぜ生まれたのでしょうか? 誰のために生まれたのでしょうか? 人間とは何でしょうか? 人間といえば、男性と女性がいるのですが、男性は何であり、女性は何なのでしょうか? なぜ生まれたのですか? 皆さんは、女性として生まれたことを嘆いたでしょう。「男性として生まれれば良かったのに、なぜ女性に生まれたのか」と言って、嘆きませんでしたか? それは心配するにはおよびません。

 男性が外に出かけていって、あらゆるものをつかんで帰って来た時に、誇ることのできる対象は誰でしょうか? 平面的に誇れる人は妻しかいないのです。そのように、考えなければなりません。男性は東西南北を歩き回って、春夏秋冬の四季を通して自分が何かを得たり、何かを成したりした時にはそれを妻に全部あげるのです。分かりますか? 男性が収穫したものを守ることのできる主人は女性なのです。あらゆる収穫の後には愛までも持ってきて与えようとするのです。それを女性は受けるのです。

 お嫁に行く女性に、「あなたは、どうしてお嫁に行くのですか?」と尋ねると、愛されるために行くと言うのです。愛するために行くという言葉は、聞いたことがありません。そのような言葉は活動時代をいうことなのです。しかし、女性は愛されると同時に、背後で愛さなければなりません。球形なので、男性がプラスのほうから来たならば、女性は、マイナスのほうから返してあげなければなりません。そのように返してあげれば、愛を中心として生命が回るのです。

 そのために、夫の生死の権を念慮して、「アイゴー、永遠にそのままでいてください。アイゴー、丈夫でいてください」と言うのです。自分は食べなくても、夫が健康であることを願い、背後から支えてあげなければならないというのです。分かりますか、何のことか? 背後から支えていくということを考えなければなりません。

 男性も愛を中心として、妻の背後から支えていかなければならないし、女性も夫の背後から支えていかなければなりません。そうすれば、球形が生じるのです。球形の中で包括された夫婦としてのみ、九〇度を中心として中央線の近くに立つことができるのです。このように見た時、男性と女性が、なぜ生まれたのかという問題の答えは、簡単なのです。男性は女性のために生まれたのです。簡単なのです。

 喧嘩するために生まれたのですか、好きになるために生まれたのですか? (好きになるために生まれました)。好きになるためにですね。では、どれだけ好きになるのでしょうか? 知識とか物質が問題ではありません。環境的な他のことが問題ではないのです。愛する妻のことを考える時は、皆許してあげることができるのです。愛する夫のことを考える時は、どんなことがあっても腹を立ててはいけないのです。腹を立てたとしても、球形を外れてはいけないのです。分かりますか? (はい)。初めて目を合わせた時の因縁を尊重視しなければなりません。そこから外れると、宇宙から追放されるのです。(一九八九・一・六)











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