シ 愛は最短距離を通るもの

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 愛は、神様も好きでしょう? (はい)。好きなのか好きでないのか、分かりますか? そのようなことを感じたことがありますか、体験したことがありますか? 霊的な神様は、愛が好きなのかどうか分かりますか? それを実感しましたか? 例えば、電気の線があるとすれば、電気が通ることが分かりますか、誰にでも分かりますか? (分かりません)。電気の器械で計れば、よく分かるのです。感応で分かるのです。でなければ、分かりません。そのようになっているのです。見えない電気を現象的に感じることができるということは、本性的に通じる刺激を感じることができるということです。愛も同じなのです。もし、皆さんが堕落しなかったならば、神様が悲しまれると、皆さんも自然に悲しくなるし、神様が喜ばれると、皆さんも自然にうれしくなるのです。

 愛が恋しくて泣く人の話を聞くと、胸がじーんとしてくるでしょう? (はい)。それは、なぜでしょうか? 皆さんがそのような要素を持っているからなのです。共通性を持っているのです。それゆえ、愛をかき抱いて、人類に対して神様が泣いておられるのならば、人間はその神様をけ飛ばしてしまうのでしょうか、歓迎するのでしょうか? どうですか、どうしますか? け飛ばすのですか? (違います)。

 このように見た時、神様が愛以外で泣かれれば人々は皆、否定するかもしれないのですが、神様が愛を中心として、恋しくて、愛の目的を達成できなくて悲しく切なく思う時には、あらゆる万物が同情し、そこに皆協助しようとするのです。それは、愛が作用する世界の道理なのです。これは永遠に不変なのです。より大きな愛を中心として、気が狂うように恋しい心を持って喘ぐ人は、その環境を動かすのです。国が動き、家庭が動き、世界が動くのです。(一九八九・一・六)

 私たち人間は縦横の道理を中心として、縦的には天と地を連結し、横的には国から世界へ連結して、全体的に回るのです。先生も同じです。昔、世界まで行く時には反対されたのですが、帰ってくる時には歓迎を受けたのです。そのように循環するのです。ですから、天地の度数に合うというのです。神様がそのように動かれたし、先生もそのように縦横に動いたのです。

 それでは、どこで結ばれるのでしょうか? どこで、そのように括られるのかというのです。角度はどうして九〇度なのかというと、愛は最短距離を通るからです。そこで、男性と女性は横的な代表者であると同時に、互いに行く道は一つだけしかありません。絶対に一つです。二つはありません。なぜならば、愛は最短距離を通るので、九〇度に合わせなければならないからです。そうですか、そうではありませんか? (そうです)。垂直と水平が愛を中心として、最短距離を通るために、九〇度の他は必要ないというのです。九〇度でなければならないということは、理論的にも正しい結論なのです。(一九八九・一・六)

 垂直は、絶対と連結されます。愛の宿ることのできる所がなぜ垂直なのかという、それが問題なのです。ですから、質問することも多いのです。それらを後で皆、処理しなければなりません。

 なぜ垂直でなければならないのかというと、愛は一番近い距離を通るからです。それは簡単なことですが、大切なことなのです。なぜ愛は垂直にならなければならないのかということが問題なのです。なぜ水平になり、平衡にならなければならないのでしょうか? 愛を中心として垂直になろうとすれば、愛は最短距離を通らなければなりません。

 愛する人を訪ねていく時には、隣近所の村を訪ねていくみたいに、そろそろと行きますか? まっすぐ矢のように直行しますか? (直行します)。直行してみたのですか? (笑い)夜であろうと昼であろうと関係なく、春夏秋冬、どんなに歴史が長いといっても、愛は一番の最短距離を通ろうとします。何のことか分かりますか?

 愛は、なぜ垂直なのでしょうか? 縦的に一番近い距離は何ですか? 一番上にある愛が一番近い所になくてはならないので、そのように上下で連結するのです。それゆえ、愛だけは万有において最短距離で通じるようになっているのです。ですから、上にいるものが下に降りてくる時には、最短距離で降りてくるのです。それが垂直なのです。(一九八九・一・六)














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