ケ 統一教会の真なる結婚観

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 堕落した世界において、愛というものは危険なものです。エデンの園では、アダムとエバしかいなかったのです。女性はエバしかいなかったのです。しかし、この堕落した世界には、いくらでも女性がいるのです。その女性たちが皆、夜昼なしに男性たちを誘い出そうとして大騒ぎしているのです。ですから、男性たちは自分の立場を守っていくことがどれほど大変なことでしょうか? また、それは女性たちも同じなのです。

 それゆえ、結婚した後に、男性は他の女性と会うべきではないのです。分かりますか? では、他の女性たちに、どのように対すべきなのでしょうか? キャンキャン騒ぐ隣の犬のように対しなさいというのです。自分の妻は人間であり、他の女性たちは何と同じように対すべきですか? (隣の犬のようにです)。また、女性たちは自分の夫以外の男性は皆、何だと思えばいいのでしょうか? (隣の犬です)。

 ですから、結婚した後は、必ず二人がくっついていなければならないのです。堕落とは、管理を誤ったことなのです。妻が夫を上手に管理できなかったからであり、夫が妻を上手に管理できなかったからなのです。また、自分だけの夫として、自分だけの妻として絶対視することができるような教育をされていなかったからです。そのような愛で愛せなかったのです。

 質問(しかし、個性完成しておいて、祝福を受ける程度であれば、管理をしなくても自律的に全部できなければならないのではないでしょうか?)。

 今の個性完成は、絶対的な全体個性完成になっていないのです。条件完成なのです。復帰過程での条件完成であることを知らなければなりません。分かりますか? ですから、彼らは父母の位置には立っていても、神様の心情圏というものが分からないのです。自分の妻は全宇宙を得ても替えることができないものであり、夫は全宇宙をもらっても替えることができないものであり、二人が愛し合うところに、天地をつかむことのできる偉大な力があるということを、体験できていないのです。

 そのために、今まで祝福してあげた家庭は、この堕落圏を通り過ぎる時まで、条件完成圏内に立っているということを知らなくてはなりません。分かりますか、何のことか? 今までの祝福は、天国完成圏ではないのです。条件完成圏なのです。条件完成圏にいるために、霊界に行く時は、別の手続きをしなければならないのです。その手続きを経て、完成した者がパスポートをもらって天国に入っていくのです。(一九八六・三・二一)












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