サ 責任分担と理想相対

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 皆さんは責任分担が重要なことを知らなければなりません。神様がアダムに対して、責任分担の重要性を、先生のように説明してくださったならば、アダムは堕落しなかったことでしょう。「この者よ。取って食べてはならない。責任分担だ、責任分担だ!」と、夜も昼も人間に対して、責任分担の大切さを叫んだならば、堕落はしなかったことでしょう。

 そうですね。じっと見てみると、あなたは学校に通うのも大変苦労してるようだし、私は体格のよい夫をもらわないといけないと考えているでしょう。夫は体格がよくて、背が高くないといけないと思っているでしょう。けちであったり、背が低ければだめと思っているでしょう。ですから、私は一番背が低い夫を選んであげようと思うのです。それが、蕩減復帰なのです。蕩減復帰するためにもそうするのです。背の低い男性は背の高い女性をもらったら恨みが晴れるでしょう。やせている女性は太っている男性をもらえば恨みが晴れるでしょう。

 東と西とは正反対なのですが、センターがあるので、一致できるのです。センターがなければ、永遠に一致することはできません。センターはお父様です。お父様を中心として、東西南北はいつでも一致できるのです。もし、お父様を中心とするセンターがなければ、永遠に一致することができないのです。

 先生を中心とすれば、男性が東であれ、女性が西であれ、東西は一致しなければならず、南北も皆、一致しなければならないのです。「私は一致しません」と言うことはできません。東西は、センターが決定するのです。

 東西がセンターを決定するのでしょうか、センターが東西を決定するのでしょうか? 原理的に見た時に、どちらでしょうか? (センターが東西を決定します)。センターのゆえに東西ができるのです。センターのために東西南北が生じるのです。センターのゆえに三六〇度が生じるのです。東のゆえに西が生じ、東西のゆえに三六〇度が生じるのではありません。センターのゆえに生じるのです。センターを保護するために生じるのです。その定義を確実に下さなければなりません。センターは一つしかありません。ですから、私が決定しなければならないのです。

 エデンの園のセンターは誰でしょうか? 神様がセンターなのです。その時、そこにはアダムとエバの二人しかいなかったのです。もし、その時エバが失敗をして、片目になったならばどうなっていたでしょうか? 串のようなもので目を刺したならば、目が見えなくなっていたでしょうか、いなかったでしょうか? エデンの園で神様がご加護をくださって、だめにならないと思いますか? 違います。自分の手で目を刺せば、目が見えなくなるのです。串が目に刺されば、当然目は見えなくなるのです。二つの目が見えなくなった時には、盲になるのです。

 そうだからといって、アダムが言うには「神様、本来の創造理想から見た時に、目が二つあってこそ、私の理想的相対なのに、二つの目がつぶれて盲になってしまったので、もう一度創造してください」。それは可能でしょうか? その盲が自分の妹であると同時に妻になるのです。また、アダムはエバに対し、お兄さんであると同時に夫になるのです。ですから、好きでも嫌いでも、盲の妹と一緒に暮らしながら、導いてあげなければならないのが兄の責任であり、夫の責任なのです。    (一九八四・七・一〇)

 この女の子は一番悪いものだけ皆、持っているのです。お父さんとお母さんがとても批判的なので、「これはどうの、あれはどうの、目も格好悪い、鼻も格好悪い、耳も格好悪い。アイゴー、体も格好悪い。アイゴー、乞食よりも悪いよ!」と言いながら、とても批判的なのです。ですから、何を見ても批判的でないタイプの人を選んであげようと思うのです。先生の話が何か分かりましたか? 先生がどんな男性を選んであげても、ちゃんと従っていくことです。

 愛の道は宇宙が歓迎する道なのですが、自分を中心として宇宙が歓迎するでしょうか? 答えてください。皆さんどうですか? 愛の道とは何かというと、宇宙が歓迎する道だというのです。自分を中心とすれば、宇宙が歓迎するでしょうか? それは、権力をもってはできないのです。為に生きる位置に立たなければなりません。男性が一人の女性に会った時、その姿が問題ではなく、何が問題なのかというと、心がけが問題なのです。                           (一九八四・七・八)

 人は、春夏秋冬と季節が異なるように皆、違うのです。北のほうが秋であれば、南のほうは夏なのです。また南のほうが秋になれば、北のほうが夏になるのです。

 ですから、生まれる時、夏の季節に生まれた人もいるし、秋の季節に生まれた人もいるし、冬の季節に生まれた人もいるし、春の季節に生まれた人もいるのです。春の季節に生まれた人は、夏を通らないといけないし、冬に生まれた人は春について行かなければならないのです。行く方向が違うのです。地球が回るので、行くべき方向が違ってくるのです。ある人は昇っていく運勢を行かなければならず、ある人は降りていく運勢を行かなければならないのです。分かりますか? ところが、降りていく運勢の人が、降りていく人と出会えば、二人ともめちゃくちゃになるのです。交通事故が起きて、二人とも死ぬようなことが起こるのです。ですから、降りていく運勢の男性であれば、苦労しないで昇っていくことのできる運勢の女性をもらわなければなりません。

 そのように、出会わなければならないのです。しかし初めは合わないので、約三年、四年かけて合わさなければならないのです。三年、四年の間に春夏秋冬が入れ替わるのです。(先生が黒板を使って説明される)これ(A)が、春から出発したのです。これ(B)がここから出発したのです。これが秋の季節で出発したのならば、これは(AかB)早くついて回らなければならないのです。ですから、二人のうち誰か一人はついて行って合わせなければならないのです。どちらかが合わせなくてはならないのです。そのような過程が皆、残っているのです。

 皆さんは、自分の生まれた天性が何の季節に符合しているか分かりますか? 降りていく季節なのか、昇っていく季節なのか? それでなければ、横切っていく季節なのか、相対型なのか、反対型なのか?  これが全部違うのです。それを初めに合わせて行かなければならないのです。それを合わせることは、数か月ではできないのです。約三年間はつかまえていないといけません。三年の間は合わさなければなりません。そのような運命の道を開拓しなければならない道が残っているのです。皆さんが結婚したからといって、それで済むことではないのです。

 また、動物を見た場合は、ライオンと猪は結婚していいでしょうか? だめなのです。猪は猪と結婚しなければならないのです。猪は地面を掘ることのできる鼻を持って生まれており、山の葛の根を掘って食べるのです。しかしライオンは、くぼみや葛のつるを探していくことはしません。山の頂上に登っていって、行ったり来たりする獣たちを獲て食べるのです。そこが違うのです。それぞれに行く道が違うというのです。

 本当に結婚が問題なのです。結婚を正しくしないといけないのです。何のことか分かりますか? 道端で会った人が、よく見えるからといって、結婚すれば長くは続かないのです。皆さんの目は、全部夏なので青く見えるのです。青い木があり、美しい実があって、カラスやカササギが飛び回っているのでよく見えるのです。誰もその木が、何の木なのか知らずに、接ぎ木してしまえばおしまいなのです。松の木は、松の木同士で接ぎ木しなければなりません。すべてに分科の境界線があるのです。(一九八二・一〇・二〇)












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