シ 結婚後の女性たちの芸術活動について

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(女性がどんなに芸術活動をしていたとしても、お嫁に行けば終わってしまうのですか?)。どうして終わりですか? どうして終わるのですか? (お父様は男性ですから、そう言われるのですが、女性はお嫁に行くと、自分の活動のために歩き回ることができなくなるのです。なぜかというと、家で赤ちゃんを育てたりするのが、女性として当然しなければならないことなのです。どうして女性は芸術活動が続けられるのでしょうか?)。

 芸術とは何かというと、芸術活動をして、世界的に有名になることだけが芸術ではないのです。いかに華麗で趣味に合った生活圏を持つかということが、芸術の目的であることを知らなければなりません。(しかし、私たちの教会で今必要とすることは、世界的人材ではないでしょうか?)。世界的なことは、世界的であり、それは、また家庭的なことなのです。

(しかし、それは努力の差によるのではないでしょうか?)。皆さんが芸術をする時、歌を歌い、作曲をするように、赤ちゃんを寝かしつけるためにピアノを弾いたり、バイオリンを弾きながら、子守歌を歌ってごらんなさい。それは、どんなに芸術的なことでしょうか? そして、天下を抱いて眠っている赤ちゃんを見た時、その芸術がどれだけ美しいかというのです。(だからといって、それでは世界的ではないのではありませんか?)。

 それが、なぜ世界的ではないと言うのですか? 赤ちゃんを寝かしつけるために、世界的な子守歌をつくって歌えば世界的でしょう? 女性が生活を立てていく中でも、世界的な芸術表現をすれば、世界的になるのです。壇上に立って、講演をして、世界の人々に称賛されなければ、世界的にならないのだと思っているのですか? (一生懸命に活動して、早く世界的な人物になってから結婚したらいいのではないでしょうか?)。それはだめです。世界的な人物として、世界に有名になろうとすれば、六十、七十、八十歳にならないとだめなのです。ですから、それはだめなのです。いくら世界的な人物になったとしても、愛を知らなければ、それはかわいそうな人です。(一九七八・一〇・九)

 皆さんは、芸術だといえば、パリのオペラハウスに行って、大衆の前で歓呼を受けて、世界の人々が「ああ、素晴らしい!」と言えば、世界的なことだと考えているのですか? そのように考えてはいけないのです。芸術をすることは、生涯を美しくすることであり、生活を美しくすることなのです。

 そして、勉強することもそうなのです。勉強することも、一生を素晴らしく生きるためなのです。このように考えるのです。皆さんは世界的な先生のような人になったらいいと思いますか? 先生は悲惨なのです。行く先々で悪口を言われ、蹴られて追いたてられるのです。それがいいですか、どうですか? それがいいですか? 女性たちが、そんなことをするのですか?

 文なにがしといえば、ある人は「世界的な人物だ」と言うのですが、それはただ座っていてなれるのではありません。闘争が大変なのです。そのような熾烈な過程を女性たちは、いくら行けと言っても行けないのです。女性たちに行くべき限界線があるのです。そのような限界線を越えて行こうとすることは冒険であり、無理です。

 それゆえ、芸術は、生活化するためにすると考えればよいのです。子女教育において、芸術的な教育をさせるべきだということです。夫に対して、芸術的な感情を持って手厚くもてなすことも知り、かばってあげることも知らなければなりません。それが、もっと素晴らしい芸術であると私は思うのです。芸術をすることによって、愛をもって家庭を美化させ、昇華させることが芸術のより誇りある価値だと思うのです。女性は、どうしても家庭に入らなければならないのです。ですから、お嫁に行かなければならないのです。(一九七九・一〇・九)












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