ス 女権と男権の出発点

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 愛を中心としては、男性と女性は平等です。そうでしょう? あなたは、男性に生まれたらよかったと考えたのですか? (はい)。その必要はありません。女性は女性として半分になるということを知らなければなりません。愛を中心として平等だというのです。今日、女権主義者が、「ああ、統一教会の文先生という人は、女権反対者だ」という噂を立てたと私は聞いたのですが、私の話を聞いてみてください。

 女権運動をする人たちは、愛を中心として、お母さんの女権を守る術を知らなければなりません。愛を中心として、お母さんと娘が一つになったのでしょうか? まず、その一つになった位置に立つ自分にならなければなりません。夫の前に、完全に愛で一つになった位置で、夫を愛することのできる女権を持ったのでしょうか? その次に、息子娘に対して愛することのできる女権を持ったのでしょうか? そのような女権が、先に出発しなければならないのです。

 この愚かな女たち! 政治風を吹かせて走り回り、何の女権運動ですか! 母親を無視し、夫を無視し、子供を無視し、女性基盤を喪失した立場で何が社会的な女権運動ですか! 「放り出してしまいなさい」と言うだけです。あってはならないことです。動機のない女権運動は、流れていくのです。

 皆さん! 一番の女権は何でしょうか? まず父母の前に、愛される女性としての女権、母親を愛する女権、妻として愛されることのできる女権、夫を愛することのできる女権、子供に愛されることのできる母親としての女権を持てば、第二の世界に現れてくるのであり、根本が間違っていては、何もできないのです。

 今日、何かの女権運動をして走り回っている女性たちを見ると、ただ毎日を好きかってな生活をして、父親、母親をけ飛ばして、夫をけ飛ばして、子供も無視しているのです。そこには、女権はありません。そのような女権運動は、混乱をもたらすサタン世界の運動なのです。私たちの女権は、原則的内容を主張しなければなりません。

 あなたは誰の妹でしたっけ? 名前は何ですか? あなたは男性たちを軽蔑しているでしょう? 「それくらいで何だ」と思ってるのでしょう? そういう目をしていて、そういう顔をしていれば、そうなのです。違いますか? 女性は、母親を愛することのできる女権を備えるべきです。夫を愛することのできる女権を備えるべきであり、兄弟を愛することのできる女権を備えるべきであり、また、愛されることのできる女権を備えるべきなのです。このようなことを知らなければなりません。分かりますか?

 このようなことが間違ったので、今日のアメリカの若者たちが駄犬のようになってしまったのです。カラスにつっつかれ、禿鷲につっつかれ、蛇にもつっつかれ、蟻にもつっつかれるのです。そのような屍の群れが今、生きているのです。分かりますか? さあ、女権がどんなものか、もう分かったでしょう? では、男権が何か分かりますか?

 皆さんは、父母の言うことをよく聞かなければなりません。皆さんは、よく「お父さんお母さんの言うことを聞きたくないのに、どうしてお父さんお母さんはひっきりなしに私を呼ぶのだろう?」と言うのですが、それは男権を与えるためなのです。男性も、お父さんお母さんの愛を受ける男性の権限、兄弟の愛を受ける男性の権限、その次に、妻に愛されることのできる男性の権限、自分の子供に愛されることのできる男性の権限を備えなければなりません。

 あなたは今、お父さんを愛していますか? 愛しているでしょう? (愛しています)。愛しているのですね。それに背馳することは、不義です。サタン圏です。それは自然に破壊されるのです。宇宙が保護しません。しかし、原則的なものは、宇宙が保護しています。宇宙が絶対保護するようになっているのです。ですから昔、東洋には、「家和して万事が成る」だとか、三綱五倫があったのです。そのような礼法、そのような原則に従って、歴史は変化しても、この法則は変わらないのです。そのために、それに従って皆、そのように教えられているのです。「長幼序あり」。すべてに秩序があるべきだというのです。「朋友信あり」。友達は信義がなくてはなりません。

 女権、男権が何か分かりましたね? 女権を備えた女性、男権を備えた男性、そうならなければ愛の道を行くことができないことを知らなければなりません。愛の道が何か分かりますか? 恩進も、うるさく言ってはなりません。お姉さんがどうであっても、「アイゴー、お姉さんがどれほどじれったくて、そうなのだろうか?」と言って、愛する心を持たないといけないのです。また、顕進が大きくなり意地悪くなって、お姉さんに対して威張りちらしたりすれば、「アイゴー、男はそうだからしかたない。ひたすら私が愛してあげないと。私が愛してあげられなかったからそうなんだ」と、ならなければいけないのです。全部がそうです。ですから、女権運動、男権運動するためには、自分ということを考えていては絶対に接触する道がないのです。(一九八四・六・二〇)













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