セ 真なる女権と男権を完成するための私たちの姿勢

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 この愚か者たち! 今、目がどこに走ったのですか? 「お父様なんて何だ。見るなら見て、見ないんなら見ないで…」と。このアメリカは滅びる国なのです。先生たちが教壇に立って、「皆さん、デートをしなさい。デートをしなさい。放課後になったら、全部パーティーなどをして踊りなさい」と言っているのです。これは、サタンが騒動を起こして、天の国の理想を根本的に破綻させるための作戦だというのです。

 このような高貴な理想的男性の前に、女性の前に、誰が手をつけられますか? ですから、先生は昔、肌も見せなかったのです。女性は男性に肌を見せないのですが、先生も女性に肌を見せませんでした。最近では、女性たちが全部肌をさらけ出して歩くのです。ミニスカートなどがそうです。このアメリカなどでは全部、お尻をさらけ出して、乳首をさらけ出して、何のことなしに大路を闊歩する愚か者たちや、あやしく邪悪な者たちがいるのです。このように滅びる者たちがたくさんいるので、この世界は滅びるようになるでしょう。分かりますか?

 さあ、統一教会の思想は何ですか? (為に生きることです)。何を中心としてですか? (神様の愛を中心としてです)。愛の理想を成すためには、それが課題なのです。それでなければ、愛の理想が成されません。お母さんが永遠に私の娘だと称賛することができ、「愛する私の娘よ」という詩をつくることができなければなりません。あなたの姿は、か弱いけれども誰よりも強い者であって、この世のすべての形容詞を持ってきてつけることのできる娘となり息子となれば、それは孝行者でしょうか、何でしょうか?

 皆さん、そのような所にお嫁に行って、そのような息子娘を持ちたいでしょうか? どうですか。女性たち、考えてください。そのような息子娘を持ちたいですか、持ちたくないですか? 顔立ちが整っているとか、醜いとかが問題ではないのです。たとえ顔が屋根瓦のようだったり、しわくちゃのカボチャみたいだったとしても、愛があればよいのです。

 ですから、このような女権を備えることのできる女性として成熟して、初めて神様の愛に接してその圏内に入っていくことが思春期なのです。それが、思春期だというのです。ですから、そこで一つになりぶつかって、火が出るような境地になれば、神様が臨まれるのです。神様が自然に臨まれるようになっているのです。神様が臨まれて、神様が愛するのです。ですから、男性と女性が愛するようになると、神様が愛することと同じなのです。(一九八四・六・二〇)

 私が皆さんを見ると、よく分かるのです。さっと、その目を見れば分かるのです。「この者たち、浮ついている」と言えるのです。とうの立った大根を誰が食べますか? いくら大きくなっても、頭がまっ青で見栄えがよくても、切って見てとうが立っていれば誰が食べるでしょうか? とうの立っていない大根が甘いのです。そういうことを知っていますか? 市場に行って、とうの立った大根を持ってみると軽いのです、触ってみればすぐに分かります。とうの立った大根を持ってみると重さがないのです。

 皆さんの中で、「私は浮ついていない」と思う女性は手を挙げてみなさい。アメリカの風習が入っていない、女性崇拝の風習が入っていないという人! 車に乗れば男性が来てドアを開けてくれればいいのにと願っても、それは、七十年の歴史なのです。お母さんに侍るための一時の訓練なのです。それは、瞬間だけに通じることとして、過ぎ去っていくのです。第一次世界大戦以後から七十年なので、いくらも残っていないのです。皆さんは、歴史を知らないからそうなのです。全部、神様がそのようにしておいたことなのです。

 女性たちは、夫のためになる術を知り、その次に子供のためになる術を知り、その次に父母のためになる術を知り、その次に国のためになる術を知らなければならないのです。神様のためになることもよいけれど、国のためになるべきなのです。国は世界のためにあるのです。そして、人類のためになるべきなのです。人類のためになれば、世界のためになることなのです。国のためになれば、人類のためになることであり、同じみ言なのです。(一九八四・七・一〇)












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