サ 祝福を受けるための姿勢

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 皆さんが今、第二世として、一回目の祝福対象者になったということは驚くべきことです。今まで統一教会は、三十六家庭から七十二家庭へと、家庭が続いてきたのですが、その家庭を見た時、神様は何の期待も持たれないというのです。皆さんが侍ってきた父母は、神様が好ましく思われないのです。三十六家庭や七十二家庭、すべてがみ旨の前に罪を犯しているのです。

 そのような者たちの後孫を収拾して、再び祝福をしてあげるということは、神様も、先生も、相当に心配なのです。それゆえ、今から皆さんが統一家の新しい伝統を立てなければならないという覚悟を、この時間に固く誓わなければなりません。(一九八六・四・一二)

 堕落した人間は、結婚することができなくなっているのです。それゆえ、仏教やカトリックでは尼僧や修道女などの独身者がいるのです。人類の父母が結婚できなかったのに、どうして何百代、何千代の後孫として生まれた者が、結婚することができるのでしょうか? そのような逆天者は滅びるのです。順天者は栄えるけれど逆天者は滅びるというのが、孔子の言葉です。

 皆さんは、結婚する資格がありますか、資格がありませんか? サタンの讒訴圏を抜け出しましたか? 今、どうしているのですか? 皆さん自身が、み旨の道に対して、たじろいでいるのではないでしょうか。そんな者は皆、良心的な呵責を受けて、ここに参席してはいけない人です。

 皆さん、ちょっと顔を上げてください。ちょっと目を見てみます。皆さん、目がいくつに見えますか? ハンサムな男性、醜い男性、そうでなければ中間の男性、そのように見えるのですね。三層に見えるでしょう? また、この者たちの目には、美しい女性、醜い女性、中間の女性。そのように見えるの、見えないの? そんな思いを持ったことがありますか、ありませんか?

 アダムとエバの目に、ハンサムな男性、醜い女性、中間の男女がいましたか、いませんでしたか? (いませんでした)。それは、絶対的でなければなりません。絶対的でなくてはならないのです。ハンサムな男性も、醜い男性も、中間の男性も、それしかないのです。しかし皆さんの目には、うじ虫がくっ付いています。

 原理的に見た時、それを認めなくてはなりませんか、認めなくてもいいですか? 答えてください。認めなければなりませんか、認めなくてもいいですか? (認めなければなりません)。ハンサムな男性、中間の男性、その次に醜い男性。そんな目を持つ人たちは、真なる結婚をすることはできません。それは邪悪な結婚です。サタンの従兄弟みたいな者たちが、ここにやって来て座っているのです。

 アダムには選択権があったでしょうか? エバには多くの男性の中で選択できる、アダムには多くの女性の中で選択できる権限がありましたか、ありませんでしたか? (ありませんでした)。うれしくて泣きながら眺めるのは、一人の男性なのです。アダムしかいなかったのです。エバには、足が折れて、どこか体に大変なところがあっても、一人の男性しか眺めることができなかったのです。二人の男性を眺められなかったのです。また、アダムがいくら得意になって歩き回っても、二人の女性を眺めることはできなかったのです。

 また、アダムはエバ以外を選ぶことができるでしょうか? 「私は嫌いだ。他の女性と結婚する」そうすることができるでしょうか? それに固執すれば、晩年は一人で暮らして、死んでいくだけです。それでは、人類が絶えてしまうのです。自分たちの氏族がなくなってしまうのです。自分の思いのままに結婚すれば行く先は地獄であり、自分の思いのままにでなくて結婚すれば行く先は天国なのです。

 今や、統一世界しかありません。皆さん、大学街で共産党と戦ってみなさい。共産党が押されて出ていくのです。統一教会が押されて出るようにはなっていないのです。実際に行って戦ってみなさい。今や全部が私たちの世界になったのです。その世界の誇りは、伝統を誇ることです。原理的伝統を誇ることなのです。

 女性たちは、先生に叱られるからしかたなく、ルージュを塗らないで来たけれども、鏡を覗き見て「これは、よくないなあ。この姿は何だ! アイゴー、誰が私を好きになってくれるだろうか」と言うのですが、そんな考えなど持っている人は必要ないのです。先生の心にすーっと入っていけばいいのです。先生は、よい新郎を選んであげるし、悪い新郎を選んであげるのです。悪い心を持っていれば、いくら顔が美しくても、私の目で見ると、片目をつぶるのです。その女性が、こう言っているというのです。「それでは、どうすればよい新郎を選んでくれるのですか? 先生は変わった人ですね」と。そんなこと、かまっておられません。それは、国が滅びるようになるということが分かるし、どうして世界が滅びるようになるかが分かるからです。

 さあ、早く選んであげるのがよいでしょうか、遅くしてあげるのがよいでしょうか? (早く選んでください)。早く選んでもらおうと思ったら、さっと二つの線を引いておいて、「目をつむって、一人ずつつかみなさい」と言えば、不平を言うことはできないのです。そこでは、運命に任せることが一番簡単なのです。そのようにしますか? そうするのも、私はよいと思うのです。神様がご加護を賜ってくださるように、私は祈祷します。全部が背を向けあって、男性なのか女性なのか分からなければ、男性は時計を外して、女性は時計をはめなさい。それを見て、時計があれば女性であり、時計がなければ男性であることが分かるのです。「アイゴー、私の夫であり、私の妻だ。ありがとうございます」と、目を開けるのです。そうすれば、本当に美人と美男子に見えるのです。

 愛の眼鏡は、天地調和の眼鏡なのです。その愛の眼鏡は極めて変に凸凹して、醜い人もハンサムに見えるのです。「あばた顔でも、愛の涙をいっぱいに溜めるためにあのような顔になったのだなあ」と言いながら、触れると気持ちがいいのです。初愛の甘美というものは、宇宙を消化させても余りあるものです。(一九八六・四・八)














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