コ 愛の道を引き継いでいく人生行路

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 人間が生まれたのは、愛の世界を旅行するためです。愛の宇宙旅行するために生まれたのです。分かりますか? それは不幸なことですか、幸福なことですか? 考えてください。私が、お父さんお母さんから血統を受け継いだ時、お父さんお母さんの愛の中で受け継いだのです。

 ですから、生まれながらにして、愛されていたのです。お母さんの胎中にいる時から、お父さんお母さんを愛しましたか? 愛されましたか? お父さんお母さんに愛されたのです。十か月の間ひたすら触られて、そして生まれてから、また愛されて、そのように学校に入る時まで愛されたのです。大学まで何年ですか? 二十年ですか、二十二年ですか? 六年、三年、三年で、十二年です。大学まで入れれば十六年です。幼稚園まで入れると十八年になります。その期間を皆、父母の愛の圏内で育ったのです。

 そのようなお父さんお母さんが、自分の息子娘を最高に愛したいのに、他人のように対しなければならないとすれば、とても胸が痛くなるのです。皆、そういうことを知らないでしょう? 今に息子娘を生んでみると、私たちの父母もこうだったのか、ということが分かるのです。それにもかかわらず、皆さんを捨てて出ていく時、父母はどうして眠りにつき、いつ平安な時間を持てたでしょうか? いつも焦る心、不安な心を持ったに違いないということを、皆さんは知って、自分の父母は偉いということを悟らなければならないのです。すべてが愛なのです。

 ですから、二十歳を過ぎると、生まれてから十六年くらいから皆、物心がつくでしょう? そして十八歳ないし二十歳になれば、結婚をするのです。結婚して、息子娘を生んで、愛して、その息子娘を嫁にやったり、婿にしたりすると、次に孫を愛するようになるのです。おじいさんおばあさんは、息子娘よりも孫息子や孫娘をもっと愛するのです。皆さんもおじいさんおばあさんのいる人は、お父さんお母さんの愛よりも、おじいさんおばあさんの愛をたくさん受けたのです。そこで、おじいさんおばあさんの願いは何かというと、ただ孫息子、孫娘の頭を撫でることなのです。

 また、自分の家の中には何があるのかというと、そこには、昔自分が少年時代から青年時代を過ごした時と同じものが全部あるのです。その次に、お嫁さんをもらって、息子娘までいるのです。そして、おじいさんになると自分が一生歩いてきたことを、再び実体で見ることのできる環境が現われてくるのです。曽おじいさんも、そうだというのです。東西南北を全部備えて、数多くの子孫たちを従えているのです。その子孫たちが皆、愛で連結されているのです。ですから、それが多ければ多いほど福であるというのです。人は、愛によって生まれて、愛によって育っていくようになっているのです。分かりますか? 人生行路は、愛の道を受け継いでいくことなのです。愛ゆえに生まれた人生であるということを否定することはできません。

 女性たちは、赤ちゃんを生むのが怖いのですか? 赤ちゃんを生んだ婦人に聞いてみると、生む時は死ぬほど大変だったけれども、生み終えるとその苦痛も瞬く間に消え去ってしまったというのです。船酔いする人が船に乗れば、「死にそうだ」と言って、吐いたり大騒ぎをするのですが、陸地に着いて一歩でも踏み出せば、いっぺんに治るのです。ちょうど、それと同じです。皆さん、十か月の間、赤ちゃんを身ごもって過ごすのは大変ですが、生んでしまえば、瞬く間に楽になるというのです。

 私は、母の残した言葉を忘れることができません。私が小さかった時、私の姉がお嫁に行く時、叔父とか、他人と同じくらい遠い姻戚まで集まってきたのですが、そこで母は、「この世では何といっても、赤ちゃんを生んで育てる時が一番いいことだ」と言うのです。一番苦労する時なのに、どうしてそうなのかというと、赤ちゃんがお腹がすくと、お母さんの乳も張ってくるというのです。何のことか、分かりますか? 百発百中、お乳が張って痛みだすというのです。お乳が一番鋭敏なのです。それで、お腹のすいた子供をさっと抱いて、お乳を飲ませる感覚というものは言葉にもならないほどのものなのです。お乳を飲ませる気分は、赤ちゃんを持ったことのあるお母さんでなければ分からないのです。張っていたお乳がさっとしぼんだ時、どんなにすっきりして気分のよいことでしょうか? また赤ちゃんが、チュッチュッと吸いながらお乳に触れる姿を見る時、母親の愛がそこから湧き出るというのです。それで、すべての喜怒哀楽の双曲線がぶつかる、その母親の心というものは体験しなければ分からないのです。

 ですから、母の言うことは何かというと、「八人の兄弟姉妹を皆、結婚させて、お嫁にやってしまったら、この世がこんなにひっそりと寂しいものとは思わなかった」と言うのです。行こうとすれば行けないことはないのだけれど、それぞれが遠い所に行ったので、一日に一回ずつ歩き回ることもできずに、いつも思い詰めているのです。愛したいし、恋しい心で、息子娘が元気でいるのか訪ねてみたくて、福を願って祈祷するのです。それが貴い親心なのです。そのようにしながら年老いていくのです。ですから人は、愛によって生まれ、愛によって一生を終えるのです。そのようにして、原理的な順理的な法度を経て、地上世界と天上世界まで継続されていくのです。(一九八九・一・六)














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