ス 二世祝福家庭夫婦の道

P.293
 皆さんの家庭で、二人が行くべき道は確実なのです。どちらがよくできたのか、できなかったのかという問題より、神様をより愛するために、どちらが先に立つのかということに意義があるのです。そのような人には、従っていかなければなりません。

 第一に、環境に習慣化されてはなりません。二番目は何かというと、愛を中心として前進的に発展していかなければなりません。妻は夫のために生きなければならず、夫は妻のために生きなければなりません。そうすれば、夫婦は神様のためのものなので、み旨の中で神様が訪ねてくださる氏族が必要になり、民族が必要になり、国家が必要になり、世界が必要になるのです。まだ、天の国の霊界を解放しなければならない解放圏、地獄を解放しなければならない解放圏が残っているのです。

 堕落の結果、それが残っているのです。それを掃除しなければなりません。誰がゴミ箱を掃除しなければならないのでしょうか? 神様はすることはできず、真の父母はすることができないのです。自分たちのとどまる家庭的環境、氏族的環境、民族的環境、国家的環境、世界的環境が、真の父母様の後孫として連結される環境なので、その環境の当事者が解決しなければならないのです。

 それでは、復帰路程における当事者には誰がなるのでしょうか? 代表として皆さんが立たなければならないのです。それを家庭的になした人は、あの世では家庭的祝福圏内に入るのです。氏族的になした人は、氏族的祝福圏内に入るのであり、民族的になした人は、民族的祝福圏内に、国家的になした人は、国家的祝福圏内に入るのであり、世界的になした人は、世界的祝福圏内に連結されるのです。

 そのような愛の内容を中心として、天国の格位が決定されるという驚くべき事実を知らなければなりません。寝ても覚めてもそのことを考えるのです。夫を愛する以上に父母を愛し、夫を愛する以上に兄弟を愛し、家庭を愛する以上に国を愛し、国を愛する以上に世界を愛し、世界を愛する以上に天宙を愛し、天宙を愛する以上に神様を愛さなければなりません。愛の道が連結されなければ、行く道がないのです。

 皆さんの心の中に、皆さんの生活の基盤の中に、神様の愛が流れてきて、一滴、一滴、落ちてこなければなりません。一滴でも、落ちてくれば希望があるのです。泉が湧くのです。それが理想です。もし、これがポタポタと落ちなくなれば、滅びていかなければなりません。愛の国の国籍から除去されなければならないのです。愛の伝統世界に違反した者として除去されるのです。(一九八六・四・一二)

 結婚すれば、皆さんの思いどおりにはできないのです。神様の愛を受けるために、夫婦は行かなければなりません。また人間は、なぜ男性として生まれて、なぜ女性として生まれたのかというと、それは愛のゆえです。ですから、夫婦は一つにならなくてはならないのです。それが神様の愛です。二性性相に分立されたものが合性一体化して、神様の愛を受けるために、神様の愛を探していくのです。

 神様の愛に会おうとすれば、女性は男性と一つになり、男性は女性と一つにならなければなりません。そうしなければ、神様の愛に会う道がないのです。神様の愛に会うことによって、神様の隣に立つことができるのです。皆さんもそうでしょう? 男性と女性は何を中心として一緒に立っているのかというと、顔立ちでもって立っているのではありません。愛というものなのです。男性と女性、夫婦は愛のために存在するのです。そのような愛を、神様はなぜアダムとエバに要求されたのでしょうか? 神様がその愛を中心として、一つになることができるからです。それゆえ、夫婦の愛は、神様の愛を連結させるためのものなのです。

 なぜ、私たちは神様の愛を要求するのかというと、神様の愛を受ければ、神様と同じ位置に立つことができるからです。そうですね? 皆さんも今、初めて会ったのですが、夫婦の愛という概念の前には、確実に同じ位置に立つことができるのです。二人が愛すれば、一つになるのです。逃げることはできません。いつでも連帯責任を負うのです。同様に、夫婦が完全に神様の愛を中心として一つになる時には、神様の位置に上がっていくのです。神様の位置に上がっていくだけでなく、神様が持っているあらゆるものが、二人の所有権内に入ってくるのです。ですから、愛は驚くべきものなのです。同参的権威を許されると同時に、すべての所有権を伝授されるという、驚くべきものなのです。

 それは、どういうことかというと、神様はアダムとエバを愛したので、ご自身をアダムとエバに下さるのです。ご自身を下さるだけではなく、理想的な愛までも私たちに任せるのです。ですから、そこに属するすべての宇宙は、自動的に伝授されるようになるのです。そのような相続圏が得られるのです。

 それでは、人間が世界で一番になろうとする欲望は、何によって達成されるのでしょうか? それは、愛によって達成できるのです。お金でも、権力でもできません。ただ、愛のみが可能なのです。神様が立てておいた愛のみが可能なのです。私たちの本心は、神様の愛を中心として結束できる本然の性稟を持っているために、世界で一番になろうとするのです。

 世界で一番になることとは何かというと、神様が一番なのですが、その位置に上がっていくということなのです。上がっていって何をするのかというと、神様の愛を中心として、宇宙を私のものにしようというのです。皆さんも、そういう欲望があるでしょう? その欲望をすべて完成させるには、お金でも、知識でも、権力でもできないのです。ただ愛のみが可能にするのです。これが、統一教会の原理の神髄であり、人生哲学の根本です。今まで、これを知らなかったのです。知ってみると、簡単な内容なのです。(一九八六・四・一二)













SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送