E-listBBSSearchRankingMusicHall-HornGo to Top

真の神様
(全面表示) 戻る


 第三章 復帰摂理歴史と神観の変化

 一 旧約時代、神様は天使であった

  1.旧約時代は僕の時代であった

 人間が堕落することで無原理圏内に落ちました。どの程度落ちたのでしょうか。神様の僕である天使にも劣る世界に落ちました。主人となるべき、王子王女が僕にも劣る位置に落ちたのですから、再び上がらなければならないのです。それゆえ僕の僕の道理から始めて、僕の道理、養子、庶子、こうして直系子女まで、次に母を通じてアダム(父)の位置に戻らなければならないのです。復帰です。救いの摂理とは病気になる前の健康だった基準に再び戻すのと同じです。病んでいなかった位置に戻らなければならないのです。それゆえ救いの摂理は復帰摂理です。復帰摂理はむやみにするものではありません。とにかく「信じれば救われる」そのようにはなっていません。
            *
 人間は堕落しましたが神様に背くことはできないので、僕の僕の立場から上がっていかなければなりません。それでは「僕の僕」というのは何を意味しているのでしょうか。主人がいないということです。堕落した人間は「僕の僕」の立場から神様に忠誠を尽くさなければなりません。サタンは天使長だったのであり、神様の僕でした。その僕の前に引かれていった人間であるがゆえ、人間が神様の前に戻ってくるには「僕の僕」の立場から神様の前に忠誠を尽くしたという基準を立てなければならないのです。
            *
 旧約時代は祭物を犠牲にして、神様が僕として使うことのできる人を探し求める時代です。それが旧約時代です。人を失ったので反対になったのです。人が万物よりも低くなりました。人が万物よりも悪くなったので、神様の前により近い万物を二つに裂いて、お前の所有物、私の所有物として分けたのです。このように分別的な祭物を立てなければならなかった事実は誰のせいかというと、神様のせいではなく、サタンのせいでもありません。人間が責任分担を果たせなかったからです。それを知らなければなりません。サタンの血統を受け継いだのは、人間が責任分担を果たせなかったからなのです。
            *
 摂理的に見ると、旧約時代前、ヤコブ以前は僕の僕の時代であり、ヤコブからイエス様までは僕の時代であり、イエス様以後は養子の時代であり、再臨の時期は息子の時代です。息子の時代が来るので、息子に父母がいなければなりません。それゆえ父母の時代を経て神様のもとに帰るのです。
            *
 旧約時代は僕の時代でした。僕の僕の位置にいる人間を僕の位置に復帰してくる時代でした。それゆえアブラハムも僕であり、息子にはなれませんでした。神様は僕の僕を立てて、忠誠の道理を立てられました。そしてこの歴史的な世界人類を引っ張って糾合させて、世界的な悪の舞台を天の側に占領しながら神様の摂理を発展させてきたのです。ヤコブも神様の息子として勝利したのではなく、僕の立場で勝利したのです。神様がこのように僕の僕から、僕の位置に復帰し、僕の位置から養子の位置へと復帰しながら摂理してこられたのです。
            *
 歴史的な復帰路程を総括的に見ると、神様は今まで蘇生、長成、完成の三段階を通して摂理してこられたということが分かります。旧約時代の僕の時代、新約時代の養子の時代、成約時代の真の子女の時代を越えて、真の父母の時代になるという復帰路程なのです。旧約時代の全人類に対する救いの摂理は僕の立場での救いでした。それゆえこの時代は、初めから終わりまで残って勝利することができる中心を立てなければ、僕としての復帰基台を立てることができませんでした。それゆえ神様はノアやアブラハムなどの中心人物を立てて四千年という歴史を導いてきながら多くの犠牲を払われました。
            *
 旧約時代は何をしたのでしょうか。この世がサタン世界となったので万物を犠牲にして天の側の人を立て、僕を求めました。神様の僕。養子を探すこともできません。僕の僕を探し出すのです。サタン世界の人々はみんなサタンの息子、娘となっているのに、それを奪ってくることができるでしょうか。ですからサタン世界で落胆した人を集めて引っ張ってくるのです。惨めです。廃品を収拾してきます。廃品を収拾してくるので、そのままではできません。犠牲にならなければなりません。祭物の過程を経なければなりません。
            *
 天はサタン世界の僕の子にも劣る人間を連れてきて、神様の世界の僕の僕にしようというのです。それが旧約の役事です。ヤコブとエサウを闘わせたのもそれです。ノアもそれです。遠い異国に連れていって、隔離された位置に、疲れ果てたところに天はサタン世界の僕の僕の子を連れてきて神様の僕にするのです。
            *
 神様がサタンの僕にも劣る人間を御自身の僕として立てようとされたのが、旧約時代の摂理でした。
            *
 サタンは一方では人間を怨讐のように扱います。人間はサタンの僕にもなれません。このような人間を神様の僕にする役事をしたのが旧約時代です。ここから再び僕を養子に、養子を直系子女に、子女を兄弟に、兄弟を新郎新婦として祝福して、真の父母の位置にまで行くようにしようというのです。神様を中心とした真の家庭を失ったので、これを取り戻すのが復帰です。イエス様を真の父母の位置に登場させるのが小羊の宴です。
            *
 神様は僕を立てて、私がお前の父だと教えてやりました。僕を遣わし、天使を遣わして教えてあげました。次に息子に役事させました。その時代が新約時代です。その次は聖霊に役事させてきました。
            *
 今まで神様の願いは、人間が万物と因縁を結び、神様と因縁を結ぶことでした。それゆえ神様は堕落した人間を僕の立場から始めて養子の位置を経て、子女の位置、そして父母の位置まで引っ張り上げるということをしてこられました。それは嘆かわしい堕落の因縁を切り捨てて万物と人間と神様が、一体の因縁を結んで神様の喜びが人間の喜びであり、人間の喜びが万物の喜びになるようにしようというのです。神様は息子、娘のために生き、息子、娘を万物世界と天使世界にまで誇り、見せてやりたかったのです。
            *
 考えてみてください。旧約時代はイエス様が来るまでの四千年です。当時、祝福という言葉がありましたか。神様の名で家庭を祝福することができましたか。僕の時代だったので僕である天使長圏内にいるのです。天使長は結婚することができないのです。独身生活をしなければなりません。独身生活です。神様が家庭をもつことができず、神様の息子、娘が結婚できないのに、僕が結婚することができますか。そんなことができますか。


  2.旧約時代は天使が神様に代わって役事した

 神様は汚された地を再び回復しようと、天使たちを通じて人間と関係を結ぶ救いの摂理をしてこられました。堕落によって神様に背いた立場にいる人間、万物とも比べられないほどに落ちに落ちた人間に、神様が再び対するために救いの摂理をしてこられたのです。サタンが支配し、サタンが讒訴する人間を神様が主管するために、橋を架けて役事してこられたのが、旧約時代を経て新約時代を経て今まできています。
            *
 旧約時代には本来、神様が直々に役事しなければならず、神様の栄光で人間に対すべき時代でした。ところが堕落によって摂理が完成しなかったので、悲しみを抱いて、第二次として天使を通じて人間に対する道を開拓してきたのが旧約時代なのです。天は天使に役事させる基準を立てられました。天使も神的な存在なので、イエス様が来るまでの方便として人間に神様のように現れて、仲保の使命をなしたのです。
            *
 旧約時代を見ると、天使たちをみ使いとして立てて、神様の自由の園、解放の天国を建設してきました。僕の立場から神様の息子へと解放される恩賜圏に入るには、命を失っても喜ぶことができなければなりません。そのような自由の心情をもった人だけが、僕の位置を越えて息子の位置を取り戻して入っていくことができたということを、皆さんは知らなければなりません。
            *
 皆さん、聖書を見てください。神様は今まで霊界にいる天使長に、息子に、聖霊に役事させてきました。神様が直接心情を接続させる役事ではありませんでした。旧約時代は天使に役事させ、新約時代は息子に役事させました。旧約時代は天的に見ると、民を収拾するための時代であり、新約時代は子女を収拾するための時代でした。
            *
 皆さん、見てください。イスラエル民族を立てるために、天上世界の天使たちが来て働きました。僕が来て働きました。次に息子が来て働きました。今は父が来ます。皆さん、来たるべき主は父として来られます。真の父母として来られ、真の子女を率いて愛するのですが、その時にはどうなることでしょうか。皆さんは一人を前にしても夜を明かすことでしょう。神様はアブラハム一人を全人類以上に愛し、イエス様一人を全人類以上に愛されました。それゆえ皆さんは神様の愛する息子、娘の一人がどれほど貴いかを知らなければなりません。
            *
 アブラハムに現れた主なる神も天使の姿で現れました。本来、神様は無形の神様であり、目に見えない神様なのですが、創世記では三人が神様として現れ、二人はソドム、ゴモラの審判をするために行き、残る一人は神様となってアブラハムと対話する場面が出てきます(創世記一八・一〜一八)しかし、彼らも神様の遣わした天使であり、天使を立てて方便として神様のように摂理されたのです。それを知らなかったのです。
            *
 ヤコブが二十一年間修道して、一日の願いを成し遂げるためにセイルの地、兄のいる故郷の山河を訪ねていくのですが、二十一年間、その一日を待ちわびていたのですから、神様は喜んで「行きなさい、行きなさい」と言うべきなのに、天使を遣わしてヤボク川で「おい、この息子!」と闘いをさせたのです。ここで天使に負けようものなら、二十一年間の苦労が水の泡になるのです。それでヤコブが天使にしがみついて、勝つまで離さないと言ったのです。腕が折れても離せないと言ったのです。どんなに執念深いでしょうか。
            *
 イサクの手を通じて祝福してくださった神様、すべてを捨てて故郷に帰るように命じた神様が、ヤコブの行く道を案内し、平坦にしてやることができず、さらには、ヤボク川で夜を徹して切ない思いで天に訴えるヤコブに勧告のみ言を下さるどころか、むしろ天使を遣わしてヤコブを打たせるという、こんな非情な環境を準備されたのです。
            *
 旧約時代に生まれて死んでいった私たちの信仰の先祖たちは、どのような人々だったのでしょうか。神様は無形の神なので現れても分からないので、神様の形状として、神様に代わって、その時代時代に合うように、その歴史の因縁を再現して因縁を結ぶために送られた人々でした。それゆえ私たちが神様の養子の位置にまで上がるためには、多くの人の歴史的因縁を連結して、個人的世界代表、家庭的な世界代表、また、氏族的な世界代表、民族的な世界代表、国家的な世界代表、このような多くの数を経て、終着点を代表する一つの代表者としてすべて結束させなければならないのです。


  3.天使がなぜ人間の救いに加担するのか

 天使はどのような存在なのでしょうか。僕の立場で神様の前に忠誠の道理を尽くして、アダムとエバの囲いとなってやるべき存在です。万世に天の世界に栄光の雰囲気をつくって、神様の愛を中心としてアダムとエバと共に幸福に暮らすべきだったのです。言い換えれば、天使長はアダムとエバのために創造されたのです。アダムとエバの父である神様が天使を創造した目的は、アダムとエバのためだったのです。
            *
 天使長が堕落してアダムとエバ、人類世界をこのようにめちゃくちゃにしたので、天使がその仕事を代行しているというのです。天使世界がその仕事を代行しているのです。したがって天使世界がサタンと対決しているというのです。悪なるサタンと善なる天使が対決しているのです。その闘いで善なる天使側が勝利してこそ一歩前進するのです。何の話か分かりますか。神様の思いどおりにすることができないというのです。原理がそうだというのです。
            *
 神様が堕落していないアダムとエバの前に僕として三人の天使長を造りました。誰にアダムとエバを保育させ、保護して育てさせたかというと、天使長に任せました。なぜそうしなければならないのでしょうか。主体と対象の関係です。地上が主体で天使世界が相対となる主体と対象関係です。二重的な環境を中心として神様の真の愛の前に平衡的な相対圏を拡大させることが、天上天下を創造した神様の理想だったのです。
            *
 アダムは誰が教育しなければならないのでしょうか。神様が教育するのではありません。天使長たちが教育しなければなりません。保護育成しなければなりません。結婚するときまで大切に、傷つかないように管理指導して教育すべき責任が天使長にあったのです。その原則に統一教会も従わなければ蕩減復帰完成ができないので、私は三十六家庭を立てて自分の息子以上に愛しました。
            *
 神様は生命の母体です。父母はその子供の生命を育ててくれるというのです。生命の母体であり、愛の母体であり、保護の母体です。生命を保護してくれ、育ててくれ、愛してくれるというのです。それゆえ、幸福はどこから出てくるのでしょうか。保護圏が成立しなければ命が危機にさらされるのです。命が危機にさらされると愛も成立しないのです。今死ぬというのに愛が成立することができるでしょうか。できないのです。それゆえに保護圏がなければならないのです。それで保護圏を造りましたが、保護するのは誰かというと天使長だというのです。アダムとエバは生命の起源であられる神様から生命を受けて、天使長の保護を受けて愛の教育を受けている途中だったのです。


 二 主なる神の正体

  1.主なる神の属性

 モーセが愛の神様を紹介することができず、全能の神様、能力の神様、審判の神様を紹介した理由は、イスラエルの民に律法を与え、律法によって天の民を保育するためであり、乳と蜜の流れるカナンの地に連れていくための復帰のみ旨を成就することに、その目的があったということを知らなければなりません。
            *
 乳と蜜の流れるカナンは荒野で十戒と律法を受けて契約の箱を担いだ生まれ変わった人だけが行くところです。神様は出エジプトをしたイスラエル民族に、神様の民として再創造するためのみ言を下さったのですが、彼らがみ言どおりに行わなければ、むちで打ち、怖い刑罰を加える恐ろしい神として現れたのです。
            *
 サタンが王になっていた旧約時代は、メシヤが現れるまで悪魔が権勢を握る時代なのです。モーセにとって主なる神は恐ろしい恐怖の神、復讐の神、嫉妬の神として現れ、僕の僕となった人間を律法でむち打ち、法度に反すれば容赦なく刑罰を加えた時代が旧約時代です。旧約の主なる神の属性を見ると、嫉妬心の強い神として「私」以外の他の神に仕えるならば恐ろしく嫉妬される神様であり、イスラエル民族にカナン七族を残らず滅ぼせと命じた残忍な神様であり、律法と法度に反したイスラエルの民を目の前で倒した無慈悲な神様です。宇宙を創造された愛の神様であるのに、このように嫉妬と復讐と恐怖心とカナン七族を無慈悲にも滅ぼすという、こんな性稟があっていいのでしょうか。旧約時代は天使が仲保となって神様に代わった時代だからです。
            *
 命には命で、目には目で、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、傷には傷、殴ったことには殴ることで返せという復讐に満ちた律法主義は、創造主神様の性稟であるはずはありません。神様は愛であり、許しの神様です。
            *
 モーセの前にも神様は何度か現れます。ホレブ山で柴の中の炎のうちに現れモーセを召命し、シナイ山の頂でも現れてモーセに十戒を与えました。今日までモーセの前に現れた主なる神が天使であるとは知らずにいますが、新約聖書の使徒行伝第七章を隅々まで見ると、天使だと記録されています。「四十年たった時、シナイ山の荒野において、み使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。あなた方は、み使いたちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。このように旧約に現れた主なる神とは天使であって、神様そのものではありません。旧約時代は僕の時代です。息子ではない僕に、父として神様が現れることはできないのです。
            *
 主なる神は、モーセが神様の名を尋ねたとき、神様は「わたしは、有って有る者」だと答えて、主なる神だと名を教えます。しかし民族の前に出たモーセは、先祖の神、すなわちアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と、主なる神は先祖の神様であることを強調します。主なる神とは天使です。旧約は僕の時代だったので、神様の本当の姿を現すことができない時代です。
            *
 さて、旧約聖書を見ると、神様が闘えと言いましたか、闘うなと言いましたか。サウル王が戦争に勝利したのち、女と子供だけ残して、男はすべて殺せと言われたのに、殺さなかったので罰を受けたことを知っていますか。どうしてそうなったか、考えてみましたか。サタンの男を生かしておけば、サタン世界が再び侵犯するので、そのようにさせたのです。サタンの男がいれば、自分の妻を連れていって思いどおりにするので、男さえ脈を断ってしまえば、子供と女は天の側に属することになり、その制度がなくなるのでそうさせたのです。そうしなかったことによって、異邦の神をあがめ、あらゆる異邦の淫乱な風俗が入ってきて、天の国が侵犯されたので、サウルが罰せられたのです。


  2.宗教には新婦宗教と天使長宗教がある

 神様がアダムを造る前に天使を造ったので、今日の宗教は何かというと、天使世界圏を地上に造ったものです。それが宗教世界です。その宗教世界圏内で何をすべきなのでしょうか。アダムを造り出すということをしなければならないのです。それでは宗教の中で世界的中心は何でしょうか。それはユダヤ教です。このようになるのです。そのユダヤ教は何をする宗教でしょうか。新郎を紹介する宗教です。それがメシヤ思想であり、救い主思想です。
            *
 神様がアダムとエバを創造するまでは、その伝統的思想を誰が受け継ぐかというと、天地長の立場にある方々が受け継ぐのです。そうしてアダムとエバが生活するための新しい風潮と伝統を誰が教えてやるべきかというと、神様が教える前に、僕である天使長が「主人の息子、娘はこのようにしなければならない」と教えてやらなければならないのです。主人の息子、娘が過ちを犯すのを制止して、正しく歩むように先頭に立って教えてやるのが、年上の僕の責任ではないでしょうか。
            *
 堕落した人間を救うために、神様は宗教を立てました。その宗教とは何でしょうか。エバの宗教と、天使長の宗教を世界に造ったのです。エバと天使長ゆえに堕落したので、人類をエバと天使長の宗教をもって復帰するのです。その道を通じて復帰されるのです。宗教は天使長圏の宗教です。百個、千個あったとしてもすべて天使長圏に属します。多くの宗教がありますが、それを大きく分けると四大宗教です。その中心はキリスト教ですが、キリスト教の主たる思想は新婦の思想です。
            *
 神様が真の神であり、その他の存在は神的存在の天使たちです。唯一神と多神に対する確実な区分をしようとするならば、多神教は神的な存在、天使たちが立てたものです。これらの宗教の中で、善なる天使たちが人間の神霊と精神を高揚するために誕生したものがあるのですが、これらが高等宗教であり、神様はこの善なる宗教を通じて人類の心を開墾してきたということを知らなければなりません。
            *
 天使長宗教は根本が明確ではありません。神様が何か分からないのです。終末にどうなるか分からないのです。ただ外的な遂行概念だけを中心として指導してきたのです。それゆえ終末になると、ふろしきをまとめて主人の家に世話をしに行かざるを得ないという立場になるのです。明白な伝統がないからです。
            *
 旧約時代に神様のみ旨に従った人と、新約時代に神様のみ旨に従った人を考えてみましょう。旧約時代は原始的な宗教形態をもち、新約時代は時代的な宗教をもっていました。すなわち、新約時代は近代の二十世紀文明まで連結されてきた宗教時代なのです。統一教会は何の宗教でしょうか。統一教会は原始的宗教、時代的宗教よりも新たな次元の未来的な宗教になるべきだと考えるのです。





























SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送