真の父母
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三)真の原器

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真なる心は、変わりません。それゆえ、それがなくては、皆さんが基準を立てられません。こうだああだと評価できないのです。宇宙の核ととともに、絶対的な基準に公証されうる内容の根を持てないのです。そうであると、そこに及びえないために、その及びえない基準から評価されたその存在は、流れていってしまうのです。

メーターのようなものも、その原器があります。それを中心として違っているのではないかということを判定することができるのです。全部問題が起きるなら、ここに合わせてみるようになるとき、ピッタリ合えば、それは万世に不平を言っていた人も一時に皆離れていくのです。(一八六\六六)

愛には革命もなく、変化もないのです。変わるものには貴いものがありません。ダイアモンドは、堅さにおいて変わらないためにそれが宝物扱いを受けるのであり、黄金は黄色い色が変わらない特異な権威を持ったために、その色が変わらないところにおいて貴いのです。真珠は、調和した色、優雅な色を持っていますが、それが変わらないために貴いのです。貴いという宝物を、なぜ変わらない特性を中心として策定したか? それが宇宙の万物の存在価値を比較できる基準であるからです。

では、この宇宙の測定で、全体を測定しうる価値基準、いちばん最初の基準が何になるか? それが問題です。金でしょうか、ダイアモンドでしょうか? それは変わらない愛、壊れない愛です。壊れるようですが、壊れません。勝手にできるようですが、勝手にできないのです。そこに自分が含まれるのです。そこに策定されるのであって、自分が策定できないのです。

この宇宙において、そのような原因中の原因になりうる度量衡や原器が何かという問に対して考えるとき、それはある測定器の原器ではなく、変わらない本来の物ではありませんでした。

神様もその標準を変更させることができず、人間も変更させることができません。永遠不変的でありながら、内外のその宝の価値を持ち、地の果てや、地獄や、天上世界や、どこでも昼夜を克服し、地域を克服し、距離を克服し、時空を克服して、その絶対的測定の基準になりうる、比較の基準になりうるものが何だろうか?

地球にも緯度、経度において零点基準があります。それが英国のグリニッジ天文台を中心として、零点になっています。いくら変わらせても、変わらないのです。零点に照準を合わせたその基準、緯度・経度が会うことができるその基準が、九〇度で交差していくというときに、その基準があるべではありませんか? それがなければ、秩序の世界が形成されないのです。

この宇宙で測定しうる永遠不変のすべての存在が比重を合わせて、その等差位置を決定したいその本来のもの、神様もそこに従うことができ、全体がそこに従わざるをえない一つの基準が何かという問題について見るときに、お金? 黄金の固まり? ダイアモンド? それは神様が創ることができます。神様が一人で勝手にできるものです。

愛も勿論神様が創ることができると見ますが、その愛を所有するということは、一人ではできません。二人、二人、二人が所有すべきです。愛は神様も一人では見出せないのです。

それゆえ、その基準、測定原器が何か? 宇宙万象の存在世界、永遠の世界で測定しうる絶対的に一つしかないその原器が何だろうか? 根本問題です。それが愛というものです。それで、愛は春夏秋冬、季節の変化に影響を受けません。(一三七\二三五)

皆さんは、距離を測る尺度があるのを知っているでしょう。もし、一センチメートル単位なら、そのモデルというものは絶対的です。それは一つしかありません。そこに比較して、同じならそれは皆正しいというのです。しかし、いくら自分がいちばんだと言っても、そのオリジナル・フォーム(original form;原型)ときっちりと比較してみるとき、合わなければ不合格者なのです。

また、一センチメートルは一〇ミリメートルです。そこから一ミリメートルというものも絶対的です。それが一〇であれば一センチメートルになり、百であれば一〇センチメートルになり、このように上がっていくのです。それでこそ、それが連結して、どこへでもそれは共通的であり、統一的な内容を持ちます。

では、人の世界には、そのようなものがないか? 人の世界が統一されるには、原則的な基準から体と心が闘わず、一つになったそのようなフォーム(form;形態、形)が、「こうであるべき」というフォームがあるでしょう。(一二八\七八)

皆さん、メートルがあれば、そのメートルが一メートル、一〇〇メートル、いくら大きくてもそれが問題ではありません。そのメートルの基本単位が何か? 一ミリメートルです。一ミリメートルはあまりにも小さいから、大概一センチメートルで言います。

いくら億万でも、その単位は一ミリメートルから全部合わなければなりません。これが合って、億万の数が全部きっちりと合って、一つも残らないですべてが一ミリメートルだったと言うようになるとき、それを今日我々は世界のものとして使用するのです。それは、アメリカの一ミリメートル、韓国の一ミリメートル、あるいは英国の一ミリメートル、すべてが同様です。変わりがありません。それが真理です。

皆さん、真理が何ですか? 真です。真が何か? それ以上基準として数えられないという、その位置に立ったものを真理と言います。ここに物理学博士も来ていますがね。物理学を勉強するには、自然世界のすべての動きを知らなければなりません。その動くものが、漠然と動きません。

皆さん、考えてみなさい。この地球がどれほど大きいですか? この膨大な地球が、一年に一回ずつ太陽系を巡回するのに、それが一分も差異がありません。一秒も差異がないのです。ピッタリ合うのです。それが差異があれば、大変なことになります。差異があれば、どんどん小さくなるか、どんどん大きくなるかという問題が起こるのです。そうなれば、陸地と海が全部分かれるのです。

地球の年齢は四五億年として決めるではないですか? 四五億年の間を動くのにおいて、異常なく公式的基準で、単位を中心とした公式基準の上に連結された運動と作動をしてきたのです。そこには何かの原理というもの、公式というもの、公理というものを中心として、測定する単位を必要とするのです。同様に、真というものが何か? 真というものは、一つにも合いますが、千万を合わせてもきっちりと合うのです。

金の中で純金を言うときは、二四金です。二四金は、真の金です。そうでしょう? 二五金はありませんか? 二六金はありませんか? それも問題です。このように見るとき、中央に立てて、均衡になりうるそのような位置を最小単位に、我々が視覚的なところにおいて最小単位として帰るとき、それに垂直的な平衡線上に合いうる…。これが垂直なら、これが平衡になるのに、このようになってはいけません。このようなものは、真ではありません。

それでも、二四金までは、これを入れればこれが直線になるのです。そのような基準圏内に立っているために、二四金が真だと言うのです。そこは垂直を持って合わせても、縦的基準の前に持って合わせても全部合うのです。宇宙的な縦の前に平行線として立ち、宇宙的な横の前にも平行線を成すのです。

宇宙の大運動、大運勢、それが漠然と動くのではありません。みな法度を中心として、主体と対象関係の循環法度運動をするところは、必ず垂直です。

その垂直が、二四時間変更されるものは、飛んでいってしまいます。流れていってしまうのです。壊れてしまうのです。垂直がピッタリと位置をつかんでこそ、そこで空間世界に自分の位置をつかんで存続の基盤を持つのが常なのです。このような言葉は、少し難しいでしょう。

同様に、我々人のはかりが何か? 人もはかりがなければならないでしょう。そうではないですか? 数学を解くには、世界的に共通の数理的基準を設定しておいたその基盤で「一つ」と言えば世界も「一つ正しい」と言い、「二つ」と言うとき「二つ」、「三つ」と言うとき「三つ」と言いながら正しいと言うでしょう。ある基準に合格した共通的な決議基盤が世界的舞台に立つようになるとき、そのようなものを真理と言うのです。

真理の中には、何があるか? 真理の中には、必ず東西四方があるのです。真理があるときは、必ず環境があるのです。では、環境が先か、真理が先か? これが問題となるのです。環境が先なのです。

我々人間を見るようになるときどうですか? そのような存在的な人間を中心として見るとき、真なる人間がどのような人間かというのです。縦横の標準、「縦に見ても合う。ペチャンコにならなかった。横に見ても合う」と言える、その基準にならなければならないのです。

縦横が一致してこそ、公式的法度上において、前後・左右・上下が差異がありません。同じです。この同じものを、どこに持っていって合わせてもきっちりと合うというのです。東でも合い、西でも合い、北でも合い、南でも合い、地上世界でも合い、霊界でも合う、というとき「真である!」というのです。

ところで、いくら大きくても、ミリメートルで測定してみたら、残ったものが半ミリメートルにもならなかったとしても、その全部は否定するようになります。不完全なのです。それはごみ箱に入るべきです。そのような何かがなければならないのではないですか? 測定する基準がなければならないのです。(一八〇\一四)












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