真の父母
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二)真の父母の在世時の価値

P.128
この世に、真の父母が二組いることができますか? 今日北韓では、金日成を「お父さん」とし、統一教会では文先生を「お父様」と言っています。ですが、統一教会で言うお父様と、北韓で金日成をお父さんと言うのは、質的に違います。二人が対立したのです。貴いものが出てきたために、大韓民国が貴いのです。この二人が、互いに自分が父母だと言うのです。そして、神様もその父母は自分のものだとし、サタンもその父母を自分のものだと言いながら、互いに争うのです。

これを公的に、誰が公判しなければならないか? 人間がしてあげるのです。人間が「我々の父母は、このような方でなければならない」と父母を選定しなければならないのです。「堕落した父母はこのようにして悪い父母であり、善の父母はこのようにして善の父母です。善の父母を探してきたのは神様であるために、神様が善の父母の父です。」このように立ち上がって決定づけなければならないのです。そうしなければならないのではありませんか? それゆえ、すべてはどこに帰結するか? 真の父母に会うところです。

それで、父母が二組存在することができますか? 一度死んだ父母が、千年後にも再びパッと現れますか? 人類の父母が一度現れるのが、歴史の願いであり、国家の願いであり、思想の願いであり、摂理の願いであるために、その父母が現れる時は、後にも先にもない時であり、歴史上に一度しかない、何と言うか、てっぺんなのです。狭いといえば、どれほど狭いですか? 永遠の世界について見れば、人間の一生というものは、一息つくのと同じです。そうでしょう?

皆さんが、運があってそうなのか、福があってそうなのかは分かりませんが、このようにしてこの時代に生を持ってこの一時に会い、統一教会に入ってきました。統一教会にどのように入ってきましたか? 皆さんをこの場に入るようにするまでには、数多くの先祖たちが精誠を捧げに捧げました。数多くの人たちが滅び、善が踏まれる場で死んでいきましたが、その千人、万人の因縁を経て、回りに回ってその因縁が天につながって、日が昇る高い山のような立場に立ったために、そこで日の光を眺めて集まった人たちが皆さんなのです。

このときは、人類歴史において、愛という因縁が出てくるなら、それは初めて出てくる時なのです。それゆえ、生命の価値を賦与することができる時があるなら、その時から始まるのです。国と世界の主権をより価値のある内容で肯定させることができる時も、この時しかないのです。この時は、歴史の起源であり、希望の焦点であり、万福の出発であり、永遠の生命の発源地なのです。そうすることができる時です。

堕落した世界は、未来の希望を探してきましたが、未来にはこの時が永遠の希望の基準になっていくのです。この時を中心として、皆さんがこのように進んでいくのを眺め、この時の心情を体得していき、世界を生かさなければならないのです。この時がそのような時です。考えてみなさい。それゆえ、そのような頂上の実体として来た真の父母は、真の父母の心情の位置に属しうる規範に従って暮らさなければならないのです。それは皆さんが分からないでしょう。

その父母は、どのようにしなければならないか? 善の父母であるために、悪の父母と違わなければならないのです。悪の子供についてはどのように対するのだろうか? 歴史上のどの父母よりも厚い徳を持って対さなければならないのです。

このような悲惨な運命に処した子供に対する父母の立場に立っても、そこに引っかからないで、むしろ泣きながら追いかけて、万世の恨とともに哀願し、たとえ互いが過ったとしても、別れるのが嫌で慟哭する姿になるべきなのではないかということです。そのような立場に立つべき真の父母ではないかというのです。違うのです。父母として、持つべき心情的姿勢がどうだったか? そのような何かがあるのです。

そのような父母を迎えることができる子女として、備えるべき心情的な姿勢と規範はどうか? それがなければならないのです。万国の孝行者を代表した姿でなければなりません。世界マラソン大会に出場した各国のチャンピオンと同じで、自分の氏族の前に選出されたチャンピオンにならなければならないのです。何をするためのチャンピオンか? 孝行するためのチャンピオンであり、忠誠を尽くすためのチャンピオンです。皆さんが、そのようなチャンピオンの群にならなければならないのです。このようなことを考えてみましたか?

子女はこうであるべきであり、父母はこうであるべきだという、そのような意味では、統一教会の先生という人は、根が違います。その時を逃すようになれば、億千万年の恨を残すでしょう。お金で買うことができるか、知識を持って買うことができるか? 自分のその何かを持って合わせることができるか? 絶対できません。自分が引っかかっている世界、自分が引っかかっている民族、自分が引っかかっている氏族、自分が引っかかっている家庭にいる荷物をいっぺんに背負うと言って、その場を引き継ぐことができるか? それもできません。

共産世界を滅ぼし、民主世界を滅ぼす恨があったとしても、これは滅ぼすことができないのです。三〇億の人類を全部犠牲にしたとしても、これを侵害させてはいけないのである、と神様がご覧になるでしょう。このようの考えるのです。

このような焦点上にいる皆さんが、言いたいことを皆言うことができますか? 自分が言いたいことを皆言って、孝行者になる道理がありますか? 自分が言いたいことを皆言って、したいことをみなして、忠臣になる道理がありますか? そうはいかないのです。(五一\三五五)

現在の立場は、どのような立場か? 真の父母を中心として、同時代に処した時なのです。これは、一生に一度しかないのです。歴史の数多くの流れの中で、魚の切り身で言えば、いちばん真ん中の切り身なのです。そのような期間です。(四六\一六八)

神様のみ旨で見れば、韓国のいちばん大きな教団の教会堂が、神様を代表して祈りを捧げるのを願うのにもかかわらず、雪の上でひざまずいて、礼拝の代わりに慟哭しながら、哀れなこの教会、この殿堂を救ってくれと祈る立場…。お分かりですか、何のことか?(はい)。この統一教会を立てるのにおいて、悲痛な歴史の摂理的内容があったということを知るべきでしょう。

ですが、今は各国が歓迎するのです。アメリカでも今、朝野で問題になっています。日本もそうです。ヨーロッパもそうです。統一教会の祝福家庭が、初めて人類の希望的な家庭として、家庭の崩壊を防御することができ、青少年の倫落を防御することができる道だと。希望的な一つの灯台のように考えることができる段階に入ってきたのです。そうするためには、先生の血肉がどれほど削られ、恨の涙と曲折をどれほどたくさん経たかを知るべきです。

誰も祝福家庭のカップルを離すことはできません。神様がそのようなことを願うのです。それを知るべきです。その一組が祝福を受けるためには、天は多くの血族を通じて、手を経て、一時に先生に会わせたのです。それが偶然のことではありません。歴史的な事件です。

真の父母が生きる当代に、共に生きているということ、同じ空気を吸って、同じ時代に地球上で共に生活をしているということは、驚くべき事実です。それに先だって、祝福の基盤を受け継いだということは、驚くべき事実です。百万長者が問題ではありません。ここの何か大宇、現代のなにがしが問題ではありません。先生が皆さんのようだったら、今日の統一教会が生まれたでしょうか? 行く所々に監獄を目標として、直行していくのです。監獄の正門を通って、裏門に出ていくのです。皆さんはそれを知るべきなのです。

先生が暮らすことのできる家庭、先生がとどまることのできる教会、先生がとどまることのできる一族を探していくのにおいて、今は、世界の版図を皆築きました。そこに備えうる外的条件を皆築きました。世界の学者世界、PWPA(世界平和教授協議会)百カ所以上、言論界の組織、その次に頂上会談\これはこの世界を動かしうる頂上のクラブです\を皆作っておきました。また、心を代表した宗教圏連合、体を代表した政治圏連合として、世界平和宗教連合と世界平和連合を作ったのです。

私個人で、体と心の闘争歴史として分かれたものを、今終わりの日に来て、これを収拾せずしては、人類の生きるべき道を収拾する道理がないのであり、平和の世界に行く道がないために、一人でこのようなことをするのです。反対されながらも一人でやるのです。(二一一\三三七)












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