真の父母
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四)恩寵と自覚

P.141
@ 真の父母という言葉は初めて現れた言葉

皆さんは、復帰摂理を習って、神様のみ旨がなされるためには、父母がいなければならないということ、堕落した父母ではなく、真の父母が来なければならないということを知っているでしょう。

この真の父母という言葉は、皆さんが考えもしなかった立場で見出され、会うようになれるそのような言葉、そのような内容ではないことを、皆さんは知るべきです。これは、歴史上に初めて現れた言葉であり、初めてそのようだということを我々が感じているこの事実は、革命が問題ではないのです。これは、歴史にない奇跡的な大事件であることを、皆さんは知らなければなりません。

皆さんが、真の父母というこの言葉を習うようになったのは、真という言葉を言うようになったのは、今まで生まれては死んだ数多くの父母たちの愛を凌駕しうる、たった一度しか存在できない愛を持って現れたために、可能なのです。そのような基準を持ったために、真の父母という言葉を言うことができるのです。このときの愛の関係は、神様の愛があるなら、その神様の愛を人間が初めて最初に受ける最高の基準であり、イエス様がこの地に生まれては亡くなりましたが、そのイエス様も想像できない、そのような最高に理想的な立場ではないでしょうか?

このような立場まで来るときは、歴史過程でその代価を払ってきたのです。真の父母の基準が出てくれば、自分が根本的に敗北することが分かるサタンは、これを成せないようにし、この時がこれないようにするために、偽りの父母の立場で、億万の手段を選ばず、数多くの人を犠牲にし、数多くの血の代価を払うようにしたのです。この日が来るまで、むごたらしい犠牲が払われたということを、我々は考えなければなりません。

そのような思想を持って、そのような道を行こうとするすべての信仰者たちに対して、個人的に犠牲にさせ、家庭的に犠牲にさせ、あるいは、民族的に、国家的に、世界的に犠牲にさせてきたサタンの歴史がありました。そこに犠牲になった我々の先祖たち、善を追求して真の道、父母の道を探してきた善なる我々兄弟たちが、どれほどむごたらしい血の代価を払ったかということを、我々は知るべきなのです。(六七\二二五)











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