真の父母
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A 真の父母という言葉は福音中の福音

P.142
皆さんがユートピア世界を探そうとするには、どこへいくべきか? 本然の家庭の愛の圏を経ずしては、行く道がないということを知るべきです。先生が原理主管圏内と直接主管圏内を神様の愛と真の父母の愛でつないだ基準があることによって、今日霊界と肉界がその愛の橋を通じて往来できる道が生じるのです。これを知るべきです。

皆さんは、原理を習っているでしょう? 神様が本来創られた通り、直接主管圏と間接主管圏に分けられているのです。では、それをどのように一つにするか? それは、真の愛だけが可能なのです。これが一つになるときは、人間アダム・エバが成熟するときだけです。分かりますか?(はい)。そのようなときは、自動的に水平的真の愛が現れるのです。

その位置で、「おお、あなたは私の同伴者です!」と抱き締めるようになるとき、真の愛がその組の中心に現れるのです。分かりますか?(はい)。プラスの愛が完成して現れるようになれば、マイナスはすぐに現れるようになっているのです。プラスの愛がマイナスの愛に降りてきて、運行するようになれば、真の愛の標準を描いていくのです。そうすれば終わるのです。

真の愛が現れれば、すべてが皆自動的についてくるのです。真の愛だけが、すべてに作用するのです。それで、世界がユートピア圏に転換されるのです。分かりますか?

どこから真の愛が出発するか? 真の父母から。これは、福音中の福音です。世の中にどんな良い言葉があるとしても、夫という言葉が良い言葉で、妻という言葉が良い言葉だとしても、堕落した世界は真の父母が現れなくては、真なる夫と妻が現れないために、真の父母以上良い福音がないというのです。分かりますか? これをはっきりと知るべきなのです。(一三一\一八七)

歴史過程において、悲しみがあれば、最高の悲しみ、困難があれば、最高の困難、血の代価を払ったなら、最高の代価を払った、その結果として見出されたのが、この真なる家庭なのです。

この真なる家庭が見出されることによって、歴史的な悲しみが解怨成就されうるために、歴史的な死の代価が解怨成就されうるために、歴史はこのような悲惨な蕩減の条件を払ってきたというのです。従って、この真なる家庭が、この血に顕現したという事実は、我々人類においては、それ以上の喜びがない喜びであり、それ以上の価値がない価値なのです。

そのような真なる家庭を成すためには、真なる父母がいなければなりません。真なる父母がなければならないと同時に、真なる夫婦が成されなければならないのです。真なる夫婦が成されて、真なる子女が誕生しなければならないのです。

この真なる父母は、サタンの前にいかなる讒訴の条件をも残してはいけません。真なる夫婦は、サタンの前にいかなる讒訴条件に引っかかって、うめく場にあってもいけないのです。真なる家庭に属している子女もまた、サタン世界に讒訴条件を残しうる位置に立っては、真なる家庭の息子娘になりえません。

今日皆さんは、真の父母という言葉を話しており、真という名詞を知っています。この真の父母という言葉は、歴史時代において、誰も呼んでみることができず、誰も考えられませんでした。しかし、今日、我々は呼ぶことができ、知ることができ、侍ることができる栄光の位置に立っています。このように我々は、歴史時代の誰よりも幸福な位置に立っているのであり、歴史時代の誰よりも高貴な位置に立っているということを、皆さんは知るべきです。

真の父母という名前とともに、歴史において今まで苦労してきたし、真の父母の勝利の基盤を備えるために、歴史的な数多くの犠牲の代価を払ったということを考えるようになるとき、真の父母という名詞こそ、今日我々人類に福なるみ言中の福なるみ言であるということを知るべきです。

真の父母というその名前四文字を考えるとき、真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新しい世界に入りうる起源が生まれ、真の父母によってサタンを屈服させることができる内的な因縁が決定し、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげることのできる中心が決定されるのです。それゆえ、真の父母とともに暮らし、真の父母の命令に従って行動することができる、この驚くべき恩賜に、皆さんがまず感謝しなければなりません。

自分の人生を皆犠牲にする恨があっても、真の父母の行く道に同調できる道があるなら、我々人類の前に、これ以上の幸福なことがないということを知るべきです。真の父母の命令に従って、敵陣に向かって行進する兵士がいるなら、彼は人類が願う最高の希望の頂上の中において、天と地が直視し、歴史が注目する神々しい勇士であることを、我々はよく知るべきです。

皆さんが真の父母の心情に代わって、あるいは、国家の民族に代わって戦うことができる立場に立ったとするならば、その心情によって、国家なら国家、民族なら民族が初めて幸福の園の門を開くことができ、行進して入り、勝利の栄光の場に参席することができる希望の国民と国家が顕現するという事実を考えるようになるとき、真の父母の心情の旗を掲げて立ち上がる皆さんこそ、歴史を呼び起こすことができ、希望の世界をもう一度審判することができる旗手であることを、皆さんは自覚するべきです。(四三\一四三)












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