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御旨と海 マグロ釣りと生活様式
  1984年 7月 5日 モーニング・ガーデン


 皆さんは海を見てどう感じますか。時には雨が降り、しばしば風が吹きます。先生に何か聞きたいことはありませんか。どのようなことをするか、餌をラインにどのように付けるか学びましたか。まだですか。皆さんは自分で来たかったのですか、それとも誰かに言われてここに来たのですか。ここへ来たのは始めてですか。ここにいる日数は長いですが、皆さんはいかにして疲れを越えるかを学ぶでしょう。

 漁場であるプロビンス・タウンまでは、二時間ないし二時間半かかります。ということは、釣りは朝五時に始めますので、午前三時ないし二時にはここを出なければなりません。皆さんはそこへ行く最初の船となって、マグロのお客さんを迎える準備をしなければなりません。それが礼儀というものです。皆さんはすべてに対して準備します。マグロは既にここへ来ているのですが、まだ、それほど多くの漁師がマグロを捕っているわけではありません。このことについて我々は常識を持って考えなければなりません。彼らもここにいるのに、なぜ釣れないのでしょうか。

海の中の生活様式

 サンド・イールは季節に従って移動します。このサンド・イールの大群は南からやって来るのです。水温がまだ冷たく、水面近くでは少し暖かいのですが、低い方へ行けば行くほど冷たくなります。サンド・イールの群れを追って魚が来ていますが、まだそれほど集まって来ていません。魚はその地域に来てはいますが、ここにまだ定着していません。水温が上がると、サンド・イールは定着するようになる

 夏になるにつれて水温は上がります。そして魚は一つの場所に集まるようになりま。そこは深さが七十フィートから百二十フィートの一種の大地のような所です。他の所は深さが二百から三百フィートもあって、非常に深くて冷たいのです。大きな魚は、このサンド・イールの群れがどこにいるか知っていて、そのサンド・イールを食べるために集まって来ます。鯨やマグロはより深い場所にいますが、朝になると餌を食べるために上がって来ます。正直に言えば、それがマグロの朝食の時間です。その朝食の場所が我々が今から行こうとしている所です。

 ニシンや鯖や鱈は、マグロが餌にする比較的小さな魚です。それらの小さな魚は、温度が上がってたくさんのサンド・イールがいる場所に集まって来ます。そのような場所に我々は行きます。マグロはそのような餌場に出入りする時、決まった経路を持っています。その場所が船で行きたい場所です。それは普通、餌場すなわち岩棚の端にあります。マグロはごつごつしたものが嫌いで、なだらかな所が好きです。マグロは崖のような所には来たくありません。むしろ坂道のあるような所へ来たがります。。マグロ達は緩やかな坂道を好んで、そこを通って出入りします。

 まず皆さんは海図を勉強して、そこがどのような地形になっているかを理解しなければなりません。それからそこへ行って、実際にやってみるのです。先生はこのことを、科学的にも直感的にも研究するために、長い時間を費やしました。だからニュー・ホープ号が他の多くの船よりたくさんのマグロを釣ったのです。ニュー・ホープの周りの船もまた、たくさんのマグロを捕りました。このために、ムーニー以外の人々もニュー・ホープ号に近づいて釣りをしようとしました。

 皆さんはこういったことについて、実質的に知らなければなりません。深い感覚を持たなければなりません。皆さんは「まあ、海というのはどこでも同じで、魚は行ったり来たりしているのだから、マグロが捕れるかどうかは偶然の問題だよ」と言うかも知れません。そうではありません。全くそうではありません。偶然ということはないのです。マグロは行動の様式、すなわち習性を持っています。我々はこの習性を理解しなければなりません。より小さな魚はたくさん食べ物がある場所、棚があって、隠れて身を守ったりしやすい場所に集まって来ます これらの小さな魚は群れをなして移動します。こういった魚の群れの長さと幅が、何マイルにもわたっているのを見るでしょう。また深さも何百フィートもあるのです。そして潮の干満に応じて、これらの魚の群れが移動します。時には潮の流れが非常に強い時もあれば、また弱い時もあります。小さな魚は自分を守るために、大きな群れをなして移動します。そして彼らは、大変大きな岩のような、隠れることのできる場所を探しています。海のある一定の場所には、こういった場所がたくさんあります。だから我々は望む種類の魚を捕まえようとするならば、こういったことをも研究しなければなりません。

 例えば、我々がストライプバスを捕まえたいとします。時々この小さな魚の群れは、潮の流れが彼らを引っ張るので非常に早く移動します。従って、前の方にいる魚は、たとえ彼らがそうしたいと思っても、スピードを弛めることはできなくなります。そして岩の後ろに隠れる代わりに、岩にぶつかってしまいます。そうすると岩にぶつかた魚は、丁度頭に何かをぶつけた人間のように、ふらふらとなります。こういう場所にストライプバスがよくいるものです。小さな魚が岩にぶつかって、ゆっくりとふらふらして泳いでいる時には餌になりやすのです。こういう所でストライプバスを見つけることができます。だから皆さんもストライプバスのように考え、理論的に彼らがどこにいるかについて見つけなければなりません。

 マグロ釣りもまた同じです。皆さんはあらゆることを考え、充分に推論しなければなりません。ただどこかへ行って、海に竿を垂らし、マグロが掛かって欲しいと思ってはいけません。小さな魚は潮の流れと共に移動します。潮の流れが弱くなる岩棚に沿った場所があります。こういう所が、小さな魚が来る場所であり、それを餌とする大きな魚が集まる場所です。皆さんは海図を見て、地形が深くなっていたり、深さが急に変わっているような場所を見つけなければなりません。

 また皆さんは、海の底が砂地であるか、あるいは泥であるか、岩場であるかを知らなければなりません。それに応じて異なった種類の虫や小さな生物がいるからです。皆さんはこういうことも研究しなければなりません。ある生物は海草のある所に棲息しています。もし皆さんが小さな魚を捕ろうとしているのであれば、海底がどのようになっているかを理解しなければなりません。また岩場では釣具の重なりも重要です。ただ釣り針を下ろしただけでは、底に引っ掛かってしまいます。時にはギアを戻し、ラインを弛めれば外れるかもしれませんが、多くの場合ラインを切らなければならなくなります。

 それを防ぐために、フックと餌から下に十フィートの所に重なりを付けなさい。海底において、釣具がどういう状態になっているかを想像して、そして重なりが海の底を叩いた時にはそれを感じるようにならなければなりません。こういうことに対して敏感でなければなりません。また、フックや餌を引っ張る潮の流れについても考えなければなりません。もし流れがそれほど強くなければ、重なりの上を十フィート以上にする必要はありません。五フィートか、二フィートでも良いでしょう。このように餌がフックにどのようについているかを考えて、餌が底からどの位の高さにあるか、判断できなければなりません。

 アラスカではハリバットがいますが、先生はこのように実践して非常にうまくいきました。先生はマグロ釣りに行く時は、どうしたら良いか、次は何をすべきかを考えています。決して頭を休めることはありません。アラスカでハリバットを釣りに行った時は、他の人の二倍の数を捕りました。それで人々は、先生がどのようにしたのかを考えましたが、先生は話しませんでした。しかし、そうたいしたことはないのです。ただ考えれば良いのです。皆さんの考えが正しければ、それに従った後に、魚を捕ることができるでしょう。皆さんは魚の習性を知り、魚の傾向や地形についても知らなければなりません。そしてさらに論理的に推量することです。自分自身に対し「これはそうであるから、これはそうであるに違いない」という具合に考えなさい。そしてそれを実践してみて「これはこうに違いない」と発見するのです。そういう具合にするのです。海では、水の深さが異なった所に異なった魚がいます。海底に沿って棲む魚もあれば、海底から二、三フィート上の所に棲む魚もいますし、更にその上に棲む魚もいます。深さや水温の違いで異なったタイプの魚がいます。魚は敏感です。彼らは自分に最も適した環境に棲みたいと思っています。魚は人間のように、好ましくない環境には棲まないのです。一般的に言って、水の深さの違いが水温の違いを決めます。深くなると冷たくなります。その違いは僅かですが、魚にとっては小さくありません。また、魚は餌のある所に行くということを忘れては行けません。それぞれの異なった種類の魚は、自分達より小さな魚を餌とします。決して、自分より大きな魚を餌にすることはありません。

 鯨やマグロは大きな魚だから、深い所にいるに違いないと思うかも知れません。しかしただそう考えてはいけません。たとえマグロが海の深い所が好きだとしても、餌を食べるためには上がって来なければなりません。そして実際そうします。そのような所で我々は大部分のマグロを捕まえるのです。ただ餌を最も深い場所に降ろしたとしても、マグロを捕ることはできません。水温、餌の種類、環境、特に魚が守られる所、こういったものが魚のいる場所を決めるのです。また魚は一定の時間遊んだり、休息に時間を使います。そのためには水が静かで、穏やかでなければなりません。彼らは餌を食べた後、遊びに行きます。普通、午後や夕方の早い時間はマグロが遊び回る時間です。

 潮の流れについても考えなければなりません。小さな魚は、潮の流れが早い所では餌を食べたくありません。大きな魚でさえも、流れが速い所で餌を食べたり、泳いだりすることは容易ではありません。こういったことの多くを経験を通して学びます。しかし皆さんは、経験する前にある程度知っておかなければなりません。逆に、たとえ基本的な理論を知っていたとしても、実際に経験するまでは本当の意味では知らないのです。月について考えてみなさい。月にはいろいろな形があります。それが三日月とか、半月とか、満月等のどれを示すかによって、潮も変わるのです。一月のうちどの日も同じではありません。時々潮の流れはより強く流れます。満潮の時には水はより速くなります。ウオーター・マーク(水位標)を見なさい。そうすれば今が満潮の月か、干潮の月か分かります。

 それはこういうことです。満潮の時、ウオーター・マークが水より高い所にある時は、その月の中で干潮の時にあたります。わかりますか。干潮と満潮の間は、六時間あります。満潮があり、中間の潮があり、干潮があります。干潮から中間の潮、そして満潮へと戻って行きます。このようにサイクルは動きます。二十四時間の間に、満潮が二回と干潮が二回あります。

 皆さんがマグロ釣りをする時には、潮の事を考えなければなりません。「今は、干潮、満潮のどちらの潮であるか。潮が出て行っているか、入って来ているか」を考えなければなりません。また「もし潮が出て行く時であれば、魚はどのような傾向があるだろうか。もし入って来る時であれば、どうすることを魚は最も好むのだろうか」ということを、聞かなければなりません。こういった情報のすべてを頭に入れておかなければなりません。そうしてから出かけて行って、経験しなければなりません。

 潮が満ちて来る時に餌を食べる魚がいます。従って、潮が満ち始めた時に餌を投げれば、そういう魚をたくさん捕ることができます。逆に、潮が引き始めた時には、たとえ魚が見えたとしても、どんなに餌を投げ入れても、魚は餌に触れさえもしません。魚は一日の特定の時に餌を食べようとするのです。魚は潮の干満、流れ、また一定の時に従って餌を食べます。このことは陸上の動物にも言えることです。兎を見たことがありますか。兎が餌を食べるのは特定の時間です。兎が餌を食べる時間が決まっていることには、非常に良い理由があります。兎は、鷹が明らかに自分を狙っている日中には、餌を食べないのです。すべての動物界はこのように営まれています。彼らは自分達を守るのに最も良い時間を選んで、動き回るのです。たとえば、虎は夜餌を食べます。虎は小さな動物が眠っている時に餌を探すのです。彼らは百マイルも移動します。象は余り暑くない朝早い時に餌を食べます。そしてその他の時間は木の陰を探したり、水浴びをする場所へ行ったりします。このような行動様式は、低級な動物になるほど予測するのが難しくなります。小さな魚は何時でも餌を食べますが、大きな魚はある決まった時間に全力で餌を食べます。だから魚釣りは単純なものであると思い込んではいけません。いつでも、どこでも行って、餌を投げさえすればという具合に考えてはいけません。また魚釣りは、ただ運によって左右されると考えてはいけません。魚釣りにはそれ以上にもっと多くのことがあります。こういうことを詳しく研究しなければなりません。もちろん、そういうことを全部なした後に、僅かに運という要素があります。

理論を実践すること、人生における実践

 こういうことを始めから終わりまで全て記憶することを、期待はしていません。今、全部分かったと思っているかも知れませんが、実際に船に乗って出かけてみれば、最初に何をすべきかさえ思い出せないかも知れません。しかし、講義を通して学ばなければなりません。まだこれを実践したことがなかったとしても、それは丁度、頭の中に種を植えるようなものです。来年までに皆さんはこのことを理解し「お父様が言ったことは本当に意味がある。自分はそれを実践しようと思う」と自分自身に言い聞かせるようになるでしょう。

 それは武術のようなものです。最初に学ぶのは基本的な型です。しかし実際に格闘になった時、それらの型を全部忘れてしまうでしょう。そしてできるだけのことをするだけです。後になって、その型を用い続けているにつれて、それらの型が身に付いて来て、戦う時に自然にそれらの型が使えるようになるのです。皆さんは物事を最終的にどのようにして身に付けますか。それは実践を通してです。武術はこういうふうにして学ぶものです。皆さんに教えることは練習ではなく、むしろ戦わなければならないということです。そして、戦っている時に学んだことをすべてつなぎ合わせるのです。チャンピオンになる人は、繰り返し繰り返し挑戦して、たとえ一度の戦いが二十四時間にわたったとしても戦う人です。結局そのように全力投入することで、その人がクラスの一番になるのです。体の大きな人が勝つわけでなく、最も大きな決意を持ち、最もはげしく訓練をする人が勝のです。

 魚釣りにしても同じことが言えます。ここでの我々にとって重要な点は、我々が一生懸命に働いて、たとえ一日に二十四時間働いたとしても魚釣りのあらゆる内容を経験すべきだということです。少なくとも三年間この地域で魚釣りをし、他の誰よりもこの地域について探求しなさい。そしてこういったことすべてに精通するようになれば、他の人が一日中かかって捕るより多くのものを、皆さんは二、三時間で捕るようになるでしょう。皆さんはこのような専門家にならなければなりません。いろいろなことをやってみて、何がうまくいき、何がうまくいかないかを自分自身で見つけなければなりません。プロビンス・タウンとグロースターの間には大分距離があります。魚は潮の干満や流れ、水深や地形の違いによって異なった行動をします。これらのことをすべて知らなければなりません。

 またマグロ以外の魚についても研究しなければなりません。カレイや平目について研究しなければなりません。他の所では二十フィート位の深さの所でたくさん捕まえることができましたが、この辺りの二十フィートの所で全くみつかりません。だから多分十五フィートかそれよりも浅い所で魚を探さなければなりません。ニュー・ホープ号は大きな船なので浅い所に行くのは難しいのです。先生が十フィート位の所へ行けと言うと、キャプテンはいつも心配します。

 しかしワン・ホープ号はそれ位の深さの所には簡単に行くことができます。そういう意味においてワン・ホープ号は万能な漁船であると言えます。先生はこの船を設計する時、できるだけ多くの魚釣りの能力を持つように考えました。だからこの船は本当に速く走ることができ、あらゆる魚釣りの状況にあわせることができます。ある人はこの船があまり経済的でないと思うかも知れませんが、どこで魚が釣れるかを知れば、そこへ早く行って、早く帰って来ることができます。もし研究せずに、どこへ行くべきか分からなければ、いろいろな所を動き回り、それでもなお魚を見つけることができないに違いありません。そのような場合、その船はあまり経済的とは言えません。しかし、もし皆さんが研究して、捕りたいと思う魚がどんな魚でそれを捕るにはどのようにしたら良いかをはっきり知れば、船足の遅い船は経済性が悪いということになります。なぜなら時間を無駄にするからです。ガソリンを少し節約するかも知れませんが、一日を無駄にして何の漁もなしに帰って来ることになります。そうすればどうしてそれが経済的であると言えますか。

 ニュー・ホープ号は速度の遅い船です。ですから八時間も漁をして、帰って来るということはできません。出かけるのにも帰って来るのにも時間がかかるからです。実際、朝早く出かけて行って夜遅く帰って来るのでなければ、まる八時間魚を釣ることはできません。そしてニュー・ホープ号ではいつもそのようにしています。ワン・ホープ号はもっと速度が速いのです。その意味において、あらゆる種類の魚釣りをするには、ニュー・ホープ号よりワン・ホープ号の方がずっと向いているのです。皆さんはこれが本当であることを示さなければなりません。先生は皆さんを信頼し、それができることを知っています。

 研究し、自分で見つけた原理原則を応用しなければなりません。できるだけ多くを試み、できるだけ多くを研究する者が勝利者なのです。満潮や、干潮や中間の潮を研究しなさい。この三つの時にどのような結果が得られるかを試み、見つけだしなさい。また海の深さや地形に応じて出かけて行って、魚を捕りなさい。「ああ、ここが魚のいる所だ」という具合に思いなさい。それから出かけて行って魚を何も捕まえられないことがありますが、そういう時にはただ走り去ってしまうのではなく、そこでとにかく一日漁をして、潮の干満によってどういうことが起るかを見なさい。このように魚釣りに出る時にはあらゆる要因を考えなければなりません。

 ストライプバスは捕るのが極めて難しい魚です。先生は昨年、その魚が真夜中に三時間激しく興奮していたのを見ました。その時は何かの先約とか、いかなる予定があったとしても行くことはできません。その魚を釣る以外のことはすべて忘れなさい。ストライプバスが餌を食べている時、噛みついている時だけが絶好のチャンスだからです。しかし計画がまずければ、餌がなくなってしまうかも知れません。そういう時はどうしますか。朝方の三時に店に飛び込んで買うことはできないのです。

 昨年、そういうことが実際に起りました。朝の三時に店を見つけなければなりませんでした。餌を探さなければなりませんでした。誰かが出かけて行って見つけなければなりませんでした。主人が店に寝泊まりしている釣具店を見つけ、そのドアを叩かなければなりませんでした。その主人がプロの漁師だったので、なぜわれわれがそうしなければならないかを理解してくれました。しかし、もしそういった店がなくて、餌を手に入れることができなかったらどうしますか。先生はその時は既にたくさんのストライプバスを捕っていました。多くの人はそういう時には諦めてしまって「今日は良い日だった。他の誰よりもたくさん捕ったのだからもう帰ろう」と言うでしょう。しかし先生はそうしませんでした。午前四時頃餌を手に入れて、魚釣りを続け、さらに多くのストライプバスを釣りました。

 記録を樹立することは非常に重要なことです。自分にとっても重要であり、その地域にいる人々にとっても意味のあることなのです。ある地域で、ストライプバスの記録を打ち立てれば、人々が認めてくれます。彼らは皆さんを尊敬するでしょう。人々が皆さんを尊敬したらどうなりますか。人々は皆さんの所へ来て、どこでたくさんのストライプバスが捕れるかを話し合うようになるでしょう。そして彼らは皆さんがどこで魚釣りをしているか知りたくなるでしょう。しかし皆さんはあまり多くを言う必要はありません。彼らは皆さんを一番良い所に連れて行ってくれるでしょう。そうしたら、皆さんは皆さんが一番良いと思っている場所の一つに、彼らを連れて行ったら良いのです。もし皆さんがある種類の魚で記録を樹立することができれば、そのような他の漁師達と経験を分かち合うことによって、たった一年間で十年分の魚釣りの経験を得ることができます。しかし、もし何らかの記録を持っていなければ、人々はあまり多くのことを皆さんに教えてくれないでしょう。変わった話があります。昨年のアラスカでの魚釣りでのことです。ある人が大変良く釣れる場所に我々を連れて行ってくれました。先生はその人に「ここでは誰が一番上手にハリバットを捕まえる漁師ですか」と尋ねました。すると、彼とそこにいたもうひとりの人がある人を指差して、「この男はレッドと言う名前です。彼は昨年、四百ポンドのハリバットを釣りました。彼はこの辺りで一番良い漁師です」と言いました。

 そこで先生はこう答えました。「それは嘘だ」。先生が真剣にそう言って、そのレッドという男を動揺させると、彼は怒って自分が最も良い釣り場を知っていることを示そうとし、最初の日に一番良い釣り場に先生を連れて行きました。先生はその最初の日に百ポンドのハリバットを釣り、この男が良い釣り場を知っていることを証明しました。その後、彼を賞賛し、彼を喜ばせました。

 同時に、彼にハリバットのより良い釣り方を教えました。そしてこのことが他の漁師達にも感銘を与えました。先生の方法で他の人の二倍の魚を捕まえました。それは時間が問題なのです。先生は他の人よりも速く動き、時間を短縮したのです。また先生は他の人のようにリールを使わないで、マグロのラインのようにしました。そして、ラインを戻す時にはリールよりもはるかに速く戻しました。このように完全に数学的に、よりたくさんのハリバットを捕りました。

 その日の終わりには、他の人々は先生の方法について尋ねました。先生はそれを説明しようとしましたが、彼らはすぐには信じませんでした。先生が彼らと論争すると、彼らは感動しました。既に彼らはそのような釣り方を試していたのですが、しかし釣り糸がいつもからまったのです。先生はそのことについても研究してみましたが、その糸がからまらないような方法を見つけていました。彼らにはその技術を教えてあげたので、彼らは先生が彼らよりも良い結果を得ることができたことに納得したのです。

 これが物事を研究しなければならない理由です。皆さんは何かを仮定して、それを試みなければなりません。こういう具合にしてやって行くのです。何かを仮定して、それを証明するようにしなさい。これが皆さんを一味違った男や女にするのです。魚釣りの場合も、それぞれの魚がそれぞれの違った習性を持っています。こういった習性を知るようにならなければなりません。調査したり、研究したりしなければなりません。研究し、実行し努力しなさい。ただ座っていてはいけません。多くの時間を投入し、多くの努力をするのです。何事においてもこのようでなければなりません。

 伝道もまたこのようなものです。まず皆さんは、多くの時間を投入しなければなりません。最初はそれほど結果を得られないでしょう。それで何を言うべきか、どういう人に語るべきかを研究しなければならないのです。この原理原則を適用し、目標を達成するために努力を集中しなさい。こういうことが、皆さんの一生を通じて適用できる基本的な原理原則だと思いませんか。皆さんが今年の夏学ぶべきことは、ただ単に魚釣りだけではありません。この原則を一度骨身にしみて学ぶならば、決して忘れないでしょう。ここで皆さんが学ぶことは、いつでも、どこに行っても皆さんと共にあるでしょう。経験を通して学んだ事は、決して忘れることはありません。何事に付けても勉強したり、調査したり、真剣に努力したくない人はどうでしょうか。そういう人にはあまり期待を持つことはできません。初めは小さな違いでも、後になってみれば、大きな違いをもたらすものであるということを忘れてはいけません。今、皆さんが若い時にこういった習慣を身に付ければ、後の人生において何者かとなることができるでしょう。しかし皆さんが、こういう具合に投入して、研究して、学んだことを応用する生き方をしなければ、三十年経ったとしても何者にもならないでしょう。

 先生はこれまでずっと集中した生き方をして来ました。先生は何事にも関心を持ちました。先生にとって、魚釣りも単なる一つの領域に過ぎません。先生は単なる漁師ではありませんね。それでも、この辺りでは最も優れた漁師の一人となりました。それは先生が、同じ原理を人生のあらゆる面に応用しているからです。

最善の者から相続する価値ある者となれ

 皆さんが忘れてはいけないもう一つのことは、最高の人について行くということです。最高の漁師にしっかりとつきなさい。二流の人についてはあまり心配する必要はありません。皆さんの地域にいる最高の人に近づくために、魚釣りに充分なる興味をもたなければなりません。たとえ皆さんが非常に多くの関心を持っていたとしても、そのような人を夕食に招待して話をすることができるようになるまでは、自分の中にしっかりとした準備をしておかなければなりません。皆さんが物事をうまくなそうとするならば、最高の人々と連結することが重要です。もし皆さんが歴史に影響を与えたいと思うならば、特質のある人間となり、皆さんの分野における最高のひとびとの心を揺り動かすことができるようにならなければなりません。このような人々に到達するためには、皆さんは何らかの分野において真剣になり、研究し、そして成功を収めるようにならなければなりません。そうすればその分野で、生活において同じような努力をしている人達の心を動かすことができるのです。

 人生において何事かを達成する人々は、それらのことを相続するために、尊敬できる人を持ちたいと思っています。ではその人達はどのような人を尊敬することができるのでしょうか。そのような人々は真剣で、本気になって研究し、学ぼうとする人、そしてその学んだことを応用しようと本当に努力するような人達を尊敬するのです。このような人が尊敬を勝ち得る人です。皆さんはそのような人とならなければなりません。

 そのような最高の人の周りには普通四、五人の人がいるもので、 皆さんはそういう人達を研究しなければなりません。その人々はそれぞれが何らかの良い特徴を持っています。その中の一人は一生懸命働くけれども、時間が来ればすぐに帰ってしまう人かも知れません。またもう一人の人は、より多くの時間を費やすけれども、先の人ほどは一生懸命働かない人かもしれません。三番目の人はそれほど時間を費やさないけれども、非常に真剣で彼ら全部の中で誰よりも誠実であるかもしれません。そういう人々のなかから何を模範とするか見つけだすことができます。そしてそれらの人々の中から、最も良い習慣を受け継ぐのです。三年間、何も言わずにやりなさい。話すことはただエネルギーを消耗し、集中力を奪われるだけです。ただ行動するようにしなさい。だまって静かに学びなさい。皆さんは人々にとって、いなければ寂しがられるような人にならなければなりません。そして皆さんがそこにいない時に、最高の人が「彼は今日どこへ行っているのだろう」と尋ねる様にならなければなりません。そしてまた、他の人達も同じように尋ねるようになるでしょう。それらの人達は皆さんに関心を持ち、彼らにとって、皆さんが本当にそばにいなければならないようにならなければなりません。誰もが皆さんがいないと寂しいと思うようにならなければならりません。先生は皆さんを見ています。先生は、自分が顔を見たいと思っている人のことを考えています。今年は以前に覚えていた人の顔を見ることができなくて、寂しい思いをしています。もし先生が寂しいと思わなければ、その人はマグロのシーズンにとって必要なかった人です。それは良いことではありません。二、三年間魚釣りをしていて、他の人に喜んで教えようとする熱心な人であれば、何か様々な方法を学び、それを他の人と分かち合いたいと思う人です。そういう人は物事をなす上においてごまかしをすることはなく、魚釣りに関する様々な内容を自分で見つけて教えることができるでしょう。

 皆さんはある人が自分自身の仕事には忠実であるけれども、全体の目的のためにはそれほど真剣でないという人を見かけるでしょう。それから、自分の仕事にはあまり時間を費やさないけれども、全体のために他の人が何をしているか関心を持っている人を見かけるでしょう。またある人は自分自身の船には非常に忠実であるけれども、他の人がどうしているかには注意を払いません。そういう人達は、それが自分自身にとって最も良い生活の仕方だと思っています。もう一人の人は、他の人の船に手を貸してやり、またどうすれば物事を良くすることができるか助言を与えています。この二つの例の中で後者の人の方がより貴重な人です。後者のような人は他の船と口論するようなことはありません。彼は既に自分自身の船でなすべき自分の役割をなしてしまって、その残りの時間で他の船を手助けしようと思っているのです。彼は自分自身の船のことだけを考えてるのではありません。だからそういう人がどうして他の船と衝突するでしょうか。そういう人はすべての船に関心を持っているのです。このようにしてその人は小さな口論などには一切関係を持ちません。

 我々は皆、他の人々から近くにいて助けてもらいたいと思われるような人とならなければなりません。このことは、何も皆さんが自分の仕事を成し遂げなくても良いという意味ではありません。そうではありません。そうではなく、自分自身の仕事をなし終えた後に、他の人に自由に手を貸してあげるということです。皆さんはどのようにして仕事を素早く効果的になすかを学ばなければなりません。先生はこのようなことを若い時から実践して来ました。学生の時、先生はこうした習慣を身に付けました。学校において、誰も掃除の仕事をしたがらない時でも、先生はいつもその仕事を引き受けました。学校において他の誰よりも掃除を一生懸命して、自分の先生を助けました。

 また先生は洗面所に行った時にごみが散らかっているのを見れば、誰が見ていなくてもそれを拾ってごみ箱に入れました。このような習慣を付ければ、後になって違いが表れて来るのです。ただ単に自分の役割だけをなすのではなくて、自分以外の他の人達がなすことにも関心を持つようにしなさい。そうすれば皆さんは本当にクラス全体の努力のために貢献するようになるのです。

 先生は四年間他の所へ行っていて、最近モーニング・ガーデンに帰って来ました。そしてこの家の管理人が良い仕事をしていたのか、小さなことを怠っていたのか、すぐに分かりました。船についても同じことが言えます。先生は決して最初の日には点検しません。最初の日には誰もが念入りに点検するからです。しかし、魚釣りが終わったその日こそ、先生が点検する日です。その時までには、その船の幾つかは本当に汚くなっています。最後の日に、最初の日と同じ位きれいな船こそ勝利者なのです。

 先生は何事においても強力な判断基準を持っています。最近、先生は機械工場を見て来ました。そこには二十年あるいは三十年間も働いているベテランがいました。そこで先生は非常に厳しい批評を与えました。しかし彼らは先生の言うことに対して謙虚でした。なぜなら彼らは自分の工場のことしか考えておらず、それ以上のことは考えていなかったからです。それで先生が彼らの考えていること以上のことを考えていると分かったからです。このことは彼らに感動を与えました。

船を造る人達は自分達がかなり良い船を造っていると思っています。しかし先生は彼らの工場に行って見て、彼らが考えていなかったことを一つ一つ細かく指摘します。先生には一点の誤りもありませんでした。先生はこのような真剣な考えをあらゆることに適応するのです。例えばワシントン・タイムズは、今年国際的な競争において二十の賞を勝ち取りました。ただ一つではなく、二十の賞をもらったのです。しかしワシントン・タイムズはまだ始まったばかりなのです。できてからまだ二、三年しか経っていません。しかしこのようなことは決して偶然に起こったのではありません。ワシントン・タイムズの人達は、このような結果をもたらした根本は先生の真剣な態度であることを知っています。彼らはそのようなことを自分達だけでできたとは思っていません。

 基本的にマグロ釣りは、ただ単に海に出かけて行って、マグロを捕って、そしてお金を作るということではありません。そういうことは中心点ではありません。マグロ釣りは人生に対する良い基礎訓練です。もし皆さんがこの原則を忠実に学んで応用するならば、皆さんは人生において成功することができます。分かりますか。皆さんが人生でなす他のすべてのことと同じように、皆さんはそれに多くの時間を投入しなければなりません。そしてあらゆることを学び、他の人と話し合い、そしてそれを読み返し、集中して努力をするのです。

 実際の所、先生は今回ここへ来る時間はありませんでした。しかし皆さんに良い出発をさせてあげたいという思いが強くしたので、昨日ここに来て、朝四時に魚釣りに行きました。そして今日は皆さんと共にいるのです。明日はまた出かけるかも知れませんが、これで最後です。先生は夏中、ここに皆さんと共にいるわけにはいきません。だからどうか最善を尽くして下さい。過去十年間、先生は毎シーズン一日も欠かさず海で過ごしました。雨であろうと、天気の日であろうと出かけました。文字通り、雨が降ろうと日が照ろうともです。ある時は、嵐が来るという警告がありましたが、出かけました。ある時は嵐が来るのがはっきりと見えました。それでも夜中になって先生は「行こう」と言って出かけたのです。キャプテンはそれに従って出かけました。荒れ狂った海の真ん中に出かけて行って、そこで耐え忍んだのです。そしてそれからすべてを克服し、朝方に帰って来ました。

 先生は船に乗ってマグロが来るのを待っている間、アメリカにおける神の摂理についていろいろなことを考え、何をなすべきか計画しました。先生は世界の飢餓の問題について考え、一歩一歩何をなすべきかについて計画しました。先生はたった一年や二年先のことを考えたのではなく、百年先のことを考え、それを準備するにはどうしたら良いかを考えたのです。またマグロの養殖方法とか、どのように餌付けをするか、将来何百万ポンドもの栄養価の高い食糧としてマグロをいかに用いるかを考えました。そのようなことをいつも考えていたのです。先生はマグロがやって来るのを待っている間、何時間も何も考えないでいることはないのです。

 毎朝出かけました。どんなに早くても問題ではありません。そしてその日に対する希望と、期待に満ちていました。また太陽が沈んで帰って来る時には、その日自分の最善を尽くしたという満足と、そして明日は自分のために何が準備されているか考えながら帰って来ました。先生は、皆さんが誇りを持って、先生が行ったのと同じ道を、たどって欲しいと思います。皆さんは今、先生が過去十年間たどって来たのと同じ道をたどるという特権を与えられています。

 皆さんがここでなす全てのことは、直接先生と関連しています。多くのことを先生は自分で発明しました。先生は道を直くし、すべて皆さんのために開拓しました。それを皆さんの誇りとして受け取り、道端の岩の一つ一つが先生のなしたことの証であるごとく、皆さんの足跡も記録されるでしょう。我々のなすことはすべて、深い宗教的な意義のあることなのです。だからただ単に出かけて行って、他の漁師達と同じように、ただ魚を捕って、それを船に縛って家に持って来るということではいけません。こういうような魚釣りをしてはいけません。

これは非常に貴重なチャンスです。決して失望してはいけません。皆さんは、先生が魚釣りをしている間に困難な瞬間があったと思いますか。もちろんそういう瞬間がありました。時として良い時もあれば、疑ったり、悩んだりする悪い時もありました。皆さんが非常に幸福で高められている時、マグロを捕まえている時、その同じ瞬間に先生がどのような経験をしたかを考えてみなさい。先生はただ、もう一匹マグロを釣ろうと考えるでしょうか。あるいは、この世界のもう一つの被造物を、神の愛の影響の下に置くことができたがゆえに、幸せだったと考えたでしょうか。

 皆さんの経験と、先生が魚釣りをした時にどのように考え、どのように経験したかということに結び付けなければなりません。皆さんの使命の成功は、他のすべてのワン・ホープと結び付けています。ただ単にこの地域だけではなく、ワンホープのある至る所、海岸線に沿ったすべての所が、たとえそれが南アメリカであっても関連しているのです。皆さんがこのグッドゴーを操作している時は、自分自身に対して「我々はこの船を自分自身の手で造ったんだ。兄弟姉妹がこの船を造ったんだ」と考えなさい。また我々は、将来自分自身の手でさらに大きな船を造るであろうということを認識しなさい。いつの日か、自分自身の手で造った大洋を渡る何百隻もの船を持つようになるでしょう。

 このような夢はすべてここから始まったのです。ここで実現したのです。ニュー・ホープ号とフライング・フェニックス号は、将来世界中を行くであろう漁船団のささやかな始まりでした。先生が初めてグロースターに足を踏み込んだ時に、人々は先生に反対して立ち上がりました。それはある意味で、ばかげたことでした。なぜなら彼らは先生のことを全く知らなかったからです。とにかく十年経って、彼らは我々のことをもっと理解するようになり、我々がこの漁業を成功させるためにどれほど一生懸命働いているかということを知るようになりました。今や「我々がかつて言い続けたように、レバレンド・ムーンがもし止めてしまっていたら、どうなっていただろう」と考える人もいます。

漁業の伝統の復興

 一番最初の頃、先生が始めた頃はマグロは一ポンド当たり僅か十セントでした。しかし今や一ポンド当たり四ドル以上となり、さらに一ポンド当たり五ドルとなり、いつの日か、一ポンド当たり十ドルないし二十ドルに到達するでしょう。皆さんはそういう日が来るのを見るでしょう。もし我々がマグロを養殖することができれば、何百人もの漁師がマグロで良い生計を立てることが期待できます。先生はそのようなことが起こるために、文字通り代価を支払って来ました。我々の運動は、基盤をこの水準まで引き上げるために何百万ドルも投資して来ました。実際に我々はそのお金をすべて失ったのです。それはただ、物事をこの点まで引き上げるための単なる犠牲だったのです。

 このような状況の中で搾取していた仲買人達は、この場に来た時には本当に腹を立てました。しかしながら漁師達は別の話を知っており、その多くが我々に関心を持つようになりました。もちろんすべての人達が、何がなされているかということを分かっていたわけではありません。多くの漁師は自分自身の船以外のことはそう見ないものです。しかしある人達は我々を好きになり、毎年来るのを期待しています。

 消費者達はマグロについて知るようになり、大変好きになるでしょう。昨年だけでも価格が一ポンド当たり一ドル二十五セントで始まり、三ドルまで上がりました。バイヤー達はそれに対して腹を立てましたが、皆さんは漁師達がいかに辛い仕事をしているか知っています。彼らは非常に朝早く起きて、そして困難な天候に直面して働くのです。それに対して、仲買人達はそれほど一生懸命働く必要があるでしょうか。ありません。彼らはそのように働いたことは決してないのですが、それでもなお、利益の大部分を持って行ってしまうのです。だから漁師達は、我々のしていることを喜んだのです。そして我々がより高い値で買ったので、他の仲買人達もより高い値で買わなければなりませんでした。彼らは自分達の利益の一部を失いました。不平を言ったのは彼らだけでした。我々は儲けのより多くが、それを釣るために一生懸命働いた人の所に行くように願ったのです。それが我々の動機でした。仲買人達には本来漁師に属するものを奪う権利はないはずです。誰かが来て、そういった状況を正さなければならなかったのです。

 かつて、グロースターは鱈やその他の魚の大きな輸出の町でした。ところが、先生がここへ来た時には状況は非常に悪くなっていました。多くの漁師達は午後になるまで出かけさえもしませんでした。彼らは昼まで起きなかったのです。だから先生は、本来のグロースターの精神を取り戻したいと思ったのです。先生はその状況を変えたいと思ったのです。それで先生は毎朝早く午前四時に出かけるようにしました。そして午前九時までにはマグロを釣って戻って来るようにしたのです。これが契機となって、他の漁師達も朝早く出かけるようになりました。

 彼らが朝四時や五時までには出かけるのを見て、先生は午前二時や三時には出かけ始めました。漁師達の中にそれにも挑戦する者がいたら、マグロの漁場を離れないで一晩中船の中で過ごそうと決心しました。しかし午前二時よりも早く出発する者はいませんでした。すなわち彼らは霊的な意味で諦めたのでした。また彼らは先生よりも大きな船を持っていて、自分達はより高価な装備を持っているのだから、自分達の方が良く釣れると思っていました。しかし我々は、成功をもたらすのは船の大きさではないことを証明しました。成功をもたらすのは人間の精神なのです。我々はそれを証明したのです。

 二、三年魚釣りをした後に、朝の儀式のようなものが起こり始めました。朝早くマグロの引きがあると、皆の目はどの船がアンカーを投げるか、探しに行くようになりました。彼らは赤いアンカー・ボールを探して、どの船が動きだしているのか見るようになりました。ほとんど毎日のごとく、一番最初の船はムーニーの船でした。我々の船の数は他の船の数より少なかったのです。しかしその船の数に比べて、我々は朝一番に最初の魚を捕まえたのです。これが我々自らの努力で打ち立てた伝統なのです。皆さん、これを無視してはいけません。先生は「レバレンド・ムーンが今年は来なかったから、ムーニーの船はいい加減な仕事をしている」と聞きたくありません。先生はそういうことを聞きたくないのです。他の人達は先生が刑務所へ行くがゆえに、我々が落胆しているだろうと思っています。しかし我々は今年、他の年以上に仕事をしないでいられるでしょうか。なぜ今シーズンは今までよりも実績を上げなくても良いのでしょうか。これまで十年間、我々は基準を立てて来ました。さあ、我々はそれ以上の道を行くことができるのです。皆さん、その基準を堅く守れますか。それとも今年は敗北するつもりですか。どうですか。いかにしてその基準を守りますか。皆さんは先生の精神に追い付かなければなりません。何をするにも先生の精神でなしなさい。

 本質はこういうことです。すべての心をそれに投入するということです。神様に語り、またマグロに語りなさい。世界のために神のために、すべての心を尽くして何事も行いなさい。十年間、不正と戦って来ました。我々はこのグロースターと戦って来ました。そして今、我々は勝利を収めつつあります。モーニング・ガーデンも我々に返って来ました。そしてまた漁師達も我々を理解し始めています。市長はグロースターでの初期の頃の、我々に対する不公平な取り扱いに対して詫びました。このようにして我々は勝利を勝ち得たのです。

 我々はアメリカの三つの海岸で戦って来ました。我々がアラバマで鋼鉄の船を造り始めた時に、三千人の人々がやって来て、それに反対してデモを行いました。その時には、その地域には他に三十一の造船所があったのです。しかし今やどうなりましたか。そこで生き残っているのは我々の所だけです。そして我々は、その地域の経済に引き続き貢献しているのです。皆さん、それが信じられますか。我々がそこで仕事を始めてから五、六年にしかなりません。もし我々がそこでやらなかったとするならば、誰もこの危機を乗り切った者はいなかったことでしょう。

 同じことがアラスカでも言えます。我々がやろうとしているすべてのことに対して、人々がやって来て妨害しようとします。しかし彼らはそうすべき何らの本当の理由もないのです。アメリカの至る所から来る報告をすべて聞く先生がどんなものか想像できますか。我々が何か初めて出発しようとする時に来る報告はどれも大変悪いものでした。

 先生はこのアメリカのために非常に多くのエネルギーを投入しました。我々の運動はたくさんの時間とお金を投入しました。世界中からたくさんのお金を集め、それをアメリカに投入しました。先生はしばしばすべてを諦めて、どこか他の場所に投資しようかと考えていたことがあります。しかし神様が真にアメリカを用いたいと願っておられるがゆえに、我々は我慢して来たのです。先生がこの国でなしたすべてのことは、すべて人々の反対の下で始まりました。我々を理解し、我々を助けようとした者はだれもいませんでした。それでもアメリカを引き上げるための基盤を造って来たのです。皆さんはアメリカ人です。皆さんはこの心をすべて受け継ぐのです。誰もが先生に反対したようには、皆さんに反対する者はいないでしょう。

彼らは皆さんを歓迎するでしょう。今から人々は我々の動機をもっとはっきりと理解し始めるでしょう。我々はあらゆる戦いに勝利するでしょう。我々はそのような基盤を持っています。まず皆さんは、皆さんの国を救わなければなりません。次に海の未来を確保しなければなりません。かつて、このグロースターから漁に出る大型船が、少なくとも四十隻ありました。しかし今は僅かです。この国には海に対する希望がありません。我々はこの国に対して希望をもたらしつつあるのです。

 だから皆さんは何事に対しても不平を言ってはなりません。皆さんはすべてのことを相続しつつあるのです。海には偉大なすばらしい将来があります。先生はそのことを知っています。皆さんもそれを信じています。その将来は誰のためのものですか。誰のためですか。我々のためですか。アメリカのためです。皆さんがここへ来たのは指導者ゆえではなく、神様が皆さんを呼んだのです。皆さんは神の召命ゆえにここにいるのです。ここにいることが、いかに特別なことであるかということを皆さんは知らなければなりません。だからここにいることに対して不平を言ってはなりません。

 先生は既にこの路程を耐えて来ました。先生は既に長い、莫大な時間を投じて来ました。自分のためではありません。先生はそれを自分のためにしたのではありません。皆さんのためにしたのです。先生は皆さん達若者が、毎年ここに来るようになるだろうということを知っています。だからアメリカの若者のためにすべてをなしたのです。皆さんはその若者を代表しているのです。皆さんはこういったことを先生から受け取り、相続しなければなりません。もし皆さんが不平を言ったら、先生が皆さんに与えようと思うものを受け取ることはできないでしょう。先生はこのことを心配しています。

 ワン・ホープ号はマグロを捕まえるのに必要なすべての装備を持って造られています。それは皆さんのために造られたのです。先生はこの船を全部必要とはしません。先生は皆さんのことを念頭において設計したのです。皆さんがここへ来る前に何時間も何時間も働いたのです。皆さんはこの路程を行きますか。皆さんは、先生が今年皆さんにして欲しいと思うことをするつもりがありますか。先生が自分自身の汗と涙でもってここに築いた伝統のことを考えてみなさい。毎日船の上で働いて、先生は皆さんのことを考えていたのです。

 先生はすべてを準備するのに十年を費やしました。今から我々は海に出かけて行って、そこにあるすべてのものを相続しなければなりません。それはそこで皆さんを待っています。もし皆さんがこれを得ることができなければ、将来より大きなものを失うことになります。先生は皆さんのために、基準を作ろうと真剣にやって来ました。どうかこのことを忘れないでください。もし皆さんが基盤を作らなかったなら、誰か他の人がやって来て、皆さんからそれを奪ってしまうでしょう。

 先生はそのためにこれらの地域を開拓したのではありません。先生はグロースターとメキシコ海岸とを開拓し、今はアラスカを開拓しています。多くの人達が既に来ましたが、先生の努力について決して考えませんでした。先生は朝早く起きて一日中働いたのです。多くの若者達はこれほど一生懸命には働かないでしょう。もしアメリカ人が先生からこれを受け取らないならば、これを日本人に与えるつもりです。もし日本人がそれを望まないならば、先生はすべてを相続させるために韓国のメンバーを連れて来るつもりです。もし韓国のメンバーがそうしないならば、祝福の子女達をしてこれを相続させるつもりです。分かりますか。この点についてはっきりしましたか。先生が言わんとすることが分かりますか。

 この瞬間から決意しなさい。そしてこの瞬間からプログラムは出発するのです。毎日が将来に向かっての第一歩なのです。神様の祝福がありますように。
























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