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御旨と海 既に出版されている御言葉からの抜粋

1974年〜1983年

ベルベェディア修練生に対して
1974年 8月29日

 資格のある指導者になるためには、皆さんは無条件にもって修練が必要であることを知らなければなりません。皆さんはどのように話をし、他人に説得するかについて知らなければなりません。先生は毎日フリー・ボートやロングアイランドに魚釣りに行きます。人々の中には「ああ、レバレンド・ムーンは世界的に有名な説教者だ。それなのになぜ彼は魚釣りなどに興味を持つのだろう。彼はそういうことは忘れるべきだ」と考えています。


過去と未来の世代
1976年 8月 1日

 先生は今日もまたボストンへ向かって出発します。先生には重要な使命があるのです。先生が海へ行くのは楽しむためではなく、統一教会の将来の経済基盤を造るためです。それが先生の目標です。我々が工業や技術における進歩に勝つことができる方法はありません。ただ一つあるとすれば、それは海と海産物という文字通りまだ手が付けられていない分野においてです。最近、国際法が変わってアメリカは海岸線から二百海里の水域に対して管轄権を主張することができるようになりました。そうすることにますます取り組むべき領域があることになりますが、アメリカ人は海に対して関心を払わず、海洋事業に対しても余り投資しません。そのためアメリカを取り巻いている海の宝庫が、文字通り手を付けられずにいるのです。先生は統一教会の将来の経済基盤は、海の領域であることを感じています。以前、先生は三年したら海の宝庫を探究していくことを約束しました。

 先生は、皆さんを訓練しなければなりません。人々は先生を批判して、レバレンド・ムーンは自分は大西洋でヨットに乗って楽しみながら楽をしていると言います。しかしそれほど真実から遠いものはありません。皆さんの中で、両親から多くの財産を相続する人はそれほどいないと思います。だから先生は皆さんに対して責任があるのです。先生は皆さんがどのようにして自分自身の生活をしていくかについて、計画を始めなければなりません。皆さんは祝福を受け、そして祝福の結果として神様は皆さんに子供を授けるでしょう。皆さんは子供達を養って行かなければなりません。皆さんがこの戦いをするためにワシントンに行っている間、先生は十年先を見て、将来の経済基盤を準備するために海に行くのです。海に行くということは、先生がこれまでなした中で最も疲れることです。しかし先生は皆さんの誰よりも、肉体的な困難をもっともっと耐え忍ばなければならないと決意しています。

 今や我々が世界的な組織を開拓して来たために、我々の運動はこの新しい産業において急速に成長することができるのです。この領域においてすらも先生は先駆者として、開拓者としての役割を果たしたいと思っています。


完成と感謝
1976年10月 3日

 皆さんはこの世界を復帰するための経済基盤創造に参加したいと思いますか。先生は今漁場を始めつつあり、その目的を心に抱いて、今年の夏、マグロの輸出を試してみました。一日の昼であれ夜であれ、どのような時間であれ、また天候がどのようであれ、先生は海に出て行きました。もし海が荒れていると、ニューホープ号の船長は、海に出て行くかどうかをよく尋ねたものです。しかし今や、彼は状況がどのようであれ先生が海に出て行くつもりであることを知っています。

 神学校を終えて、修士号を持っているメンバー達も、海で働くことになるかもしれません。我々の船の船長は、博士号を持っている人であるかもしれません。笑ってはいけません。アメリカの漁場に衰退をもたらしたものは、そういった自分を卑下する態度なのです。先生がこの国の漁場を復活しなければ、この国は死んでしまうでしょう。先生は死にかけている海洋事業を復興することにより、アメリカに貢献するつもりです。我々は現在、母船を買う構想を持っており、それはカリブ海で楽しむための巡航とは違います。その目的は海の宝を捕ることです。先生は魚の臭いは好きではありませんが、我々は神様の仕事のために偉大な経済基盤を創造することができます。魚を捕ることが目的ではなく、共産世界を開放することが目標なのです。だから前進しなければなりません。祝福前の女性達が、漁師と祝福されるのを望まないのであれば、今すぐ教会を去るべきです。もし船乗りと結婚することを望まないなら、皆さんは教会以外の誰かと結婚しなければならないでしょう。

 海には、我々の手によって収穫されることを待ち望んでいる広大な宝庫が横たわっています。しかし現位のアメリカの漁場は、若者が海に出て行って一生懸命働くことを好まないので、死にかけています。彼らが三カ月間海に出て行って帰って見ると、妻がいなくなってしまい、お金も無駄になっていることに気が付きます。だから彼らはもう二度と海に出かけて行きたいとは思わないのです。たとえ結婚していないとしても、彼らは海に出て行くことに興味を持ちません。なぜなら海は時により天候が非常に荒れるからです。漁師と結婚する女性の皆さんは、神様と人類のために夫が働いていることを誇りに思わなければなりません。

 先生は海によって、いかにより崇高な者となるかということを経験しました。海においては、神様に対する信仰を必要とします。なぜならば、完全に神様に頼らなければならないからです。それからまた男達が海に出かけて行く時には、自分の家族を決して忘れません。先生自身の経験でも、家にいる時よりも海に出ている時の方がお母様や子供達のことを考えました。それはなぜかというと、海においては次の瞬間に何が起こるか決して分からないからです。海にいる時には、他のどんな場所にいる時以上に、自分の妻や子供達を愛し、祈ります。ニュー・ホープ号がドッグに帰って来て、お母様と子供達が先生を待って手を振ってくれる時、先生は神様に出会ったような気がします。夫が海における激しい仕事から戻って来る時に、その夫を愛することのできる女性達は、神様の目において最も崇高な模範的な妻となるでしょう。


統一教会二十三周年記念日
1977年 5月 1日

 皆さんはこうしたことをただ知るだけでなく、それに対する責任を取らなければなりません。先生以上に皆さんは、この国を神様のもとへ復帰するために出かけて行って、人々を目覚めさせなけばなりません。先生は若者達がこの国に対しての責任を持つ者になるように、若者達を訓練しようと決意しています。例えば、先生は神学生達を訓練しています。彼らは現在新しい魚釣りの網を作っています。先生はまたどういう種類の若者であるかを見るために、ハドソン川の氷つくような水の中で魚釣りをさせたことがあります。彼らはお金を作るために網を作ったり、魚を釣ったりしているのではありません。鉄のような強い意志を作り、何物にも妨げられない決意を持った若き指導者となるためにそうしているのです。

 先生は皆さんに説教するだけではありません。先生がやるとすればどんなことでも誰より以上にすることができます。神学生達は先生がただ理論を持っているだけではなく、経験からしか得ることのできない知識を持っていることを知り、先生を再発見しつつあります。先生は魚釣りの研究をし、魚釣りのためのいくつかの道具を考案しました。例えば時々、釣り針が魚の口に引っ掛かってしまって、その針を取り出すために非常に難航する時があります。そこで先生は、釣り針を押し出して簡単に取り出すことができるような小さな道具を発明しました。

 先生が自分でこの道具を作るために金属を切るのを見たあるメンバーは「お父様、どうしてそんなに苦労されるのですか。道具屋へ行って道具を買ったらいかがですか」と言いました。そこで先生は「アメリカにはそのような道具がない。もし先生がそのような道具を買うことができれば、なぜ先生が自分で作らなければならないか」と答えたのです。先生はベリータウンで皆さんが見たことがないような新しい網を考案しました。それは一方通行の網で、一度魚が網の中に入ればもう出てくることのできない網です。

 昨日、先生はベルベディアの人達と会う約束があったので、新なたインスピレーションが沸き、その網の作り方を神学生達に指示することに追われ、一晩中休まずに働いたので、ベルベディアへ時間までに到着することができませんでした。


神様に属する物と人間に属する物
1977年 5月15日

 先生がしばしば海に出て行くのは、世界の経済が広大な資源に依存しているからです。未来は、世界の海により多くの注意を払っている人のものとなるでしょう。さらに歴史上、多くの人達が戦争や事故で海で死にました。先生はそれらの人達を慰め、その人達のために蕩減を払いたいと思っています。時々、先生は危険な嵐が来るということを聞くと、わざと海に出かけて行ったりします。

 多くの人達は、先生がただ楽しむために海に行くと思っています。しかしそのような天候の中で海に出かけて行くのは決して楽しいものではなく、必死なる戦いなのです。先生はそのような環境の中で死んだ多くの人達を開放するために、そういうことをしなければなりません。一九七五年に、先生は海で死んだ人達のために、お母様と娘の一人と共に海で特別の儀式を持ちました。その時、船の船長ですらどのような儀式が行なわれていたか知りませんでした。


神様に感謝しましょう
1977年 5月29日

 ベリータウンでの魚釣りで何百匹もの鯉を捕りましたが、それを指揮する際に先生は、宇宙の被造物が人間の食料になるために殺されているということについて考えました。ベリータウンでもっとも多くの鯉を収容するために池の底をさらったので、六匹の大きな亀が住み家を失いました。先生は彼らに対して申し訳ないと感じて、彼らをハドソン川に放しました。その時「お前達は、広い世界の中に行ってそこで生きなさい」と心の中で思いました。

 先生は魚釣りに行くと、最初に釣った魚は逃がしてやりました。鯉のような低級な生物であっても愛を理解することができ、誰かが自分の存在する目的を理解してくれる時には、彼らはその人のために死にたいとさえ思うようになるのです。このような意味で、鯉達が彼らを愛してくれる人のために自らを捧げる時、それは犠牲となるのではありません。これが被造物に対する神様の考えです。統一教会のメンバー達によって愛され、その価値を分かってもらうことによって、すべての被造物は感謝し、また自分達が創造された目的のために生き、かつ死ぬことを誇りに思うのです。

 愛は崇高なものです。愛のために生き、愛の中で死ぬことは常に幸福をもたらします。皆さんの死の瞬間が来る時に、皆さんは愛について考えながら微笑むでしょう。そしてその瞬間、皆さんの愛する人によって抱擁されることが喜びとなるでしょう。

 もし誰かが「レバレンド・ムーンがハドソン川でたくさんの鯉を捕えたということを知っている。それらの捕えられた魚達は、死ぬ時にレバレンド・ムーンを呪うに違いない」と言ったとします。皆さんはそれに対してどのように答えますか。先生の説明を聞く前であれば、皆さんはどう答えてよいか混乱したと思います。しかし今や、皆さんは鯉達が神様を中心とする人々の血となり肉となるならば、彼らはその生涯を全うしたことになるということを知っています。鯉達がこれ以上必要とする大義があるでしょうか。このように皆さんがどのような動機を持っているかによって、皆さんの行動には天地の差ができるのです。

 この原理は、鯉と人間の両方に同じように当てはまります。だから、我々が自らに尋ねなければならい究極の質問は「自分は神様の愛のために死ぬ覚悟ができているだろうか」ということです。皆さんの答えはどうですか。もし皆さんの答えが「ハイ」であるならば、皆さんの死は死ではありません。皆さんの肉体の精神は、全人類と全宇宙の精神と肉となるのです。このように皆さんが自分の生活をより高い水準のものを中心とする時、皆さんは永遠い生きるのです。


神様は我々のみを頼りとしておられる
1977年 6月 1日

 昨日、先生はマンハッタン・センターで修士号を持っているメンバーがペンキをはがしているのを見ました。皆さんは、そのような仕事をするのが嫌いですか。あるいは、どんな仕事も感謝の気持ちを持ってしますか。先生は自分のしていることが何であれ、決して恥ずかしく思いません。ベリータウンでは、先生は学生達に魚釣りの網を作る仕事を教えました。教授達でさえも驚きました。その当時、神学者の会議が開かれており、訪問していた学者達たちがベリータウンで先生を見ることができるとは決して予想していませんでした。そこで彼らは、先生が学生達と何をしているのか見ようと近づいて来ました。先生がそのような卑しく下賤のことをしているのを見て、驚くと同時に感動しました。このように皆さんの前にあらゆることをしました。最も卑しい仕事すらしたのですから、皆さんは先生に対して言い訳することはできません。


我々の誇り
1977年 6月 5日

 先生はニュー・ホープ号と呼ばれる船で海に出かけます。人々は先生がただ楽しみのためだけにニュー・ホープに乗ってい行くと思うかもしれません。しかし、毎日先生は多くの材料を集めています。神様は海の下に無限なる資源を隠しておられます。そして海は将来、世界の発展の鍵となるでしょう。

 海の事業を開拓する路程において、我々は時々何らかの犠牲を払わなければならないことを先生はよく知っています。いずれも我々は、何百隻もの漁船を持つことになり、それらの中には海で遭難するものもあるかもしれません。しかし、たとえ夫や兄弟を失ったとしても、それが我々の開拓の熱意を妨げることはないでしょう。なぜならば、その仕事は人類のためであるからです。

 我々は海を支配する者となりたいの思います。海は陸地よりも二倍大きいのです。さらに海の下には広大な資源があります。困難も克服する国が、海を征服するでしょう。我々は陸地を主管することを最初に学びました。それと同じ開拓精神で、我々は海をも征服することができるのです。

 我々の戦いは今陸地で行なわれています。そして我々は迫害の嵐によって試練を受け、鍛えられて勝利者とならなければなりません。そうすれば本当の嵐が来る時でも、我々はそれらを歓迎することができるのです。アメリカにやって来たピルグリム達は開拓者でした。そうでなければ、特に嵐の季節に太西洋を横断するようなことはしなかったでしょう。彼らは不確かな運命が自分達の先に横たわっており、生命の保証もないことを知っていました。彼ら以前にその新世界に到着した人はほとんどいませんでした。しかしそれでも彼らは出かけて行きました。神様に対する希望と信仰によって困難を克服しました。今二十世紀における我々もまた、神様に対する信仰を持って荒海に乗り出す船のように前進しつつあります。いかなる迫害やいかなる風が吹こうとも、我々は神様に対する信仰を持っているのです。

 広大な海洋資源は、統一教会を待っていた神様の祝福であると先生は見ています。先生は神様に対して「二十年くだされば、我々は海を征服し、主管して、あなたに栄光をお返しします」と約束しました。先生は海に出かける度にそのように考えています。後に、フォードやロックフェラー財団も取るに足りないように見える基盤を我々は築くでしょう。そのように確信しなければなりません。

 こういうことはすべてと統一教会における我々の誇りです。漁師の生活は困難であり、汚いものであり、時には荒々しいものであって、しばしば泥棒やうそつきに見られて来ました。ではなぜ我々がそのような生き地獄として知られているような事業の中に乗り出して行かなければならないのでしょうか。地獄の底に降りて行って、改革することにより、そこに天国をもたらすことにより、地上天国の到来を早めることができるのです。


神様の願い
1977年 6月19日

 美の特徴の中には、ブロンドの髪の毛と青い目と白い歯の組み合わせのようなコントラストが含まれます。海では、何マイルも何マイルも青い海でしかなく、しばらくすれば、その青い色は退屈なものとなってしまいます。しかし、もし突然遠くから黒い船が近づいて来るのを見れば、その黒い点が皆さんのすべての注意を引き付けます。そしてその黒い船が白い帆を上げる時、それはますます心を興奮させ、ドラマチックなものに見えてきます。その黒い船が多彩な旗を掲げるならば、それは本当に豪華なものとなります。自分の周りにあるものが、すべて青いために、そのような白い帆を掲げ、多彩な旗を立てた黒い船を見ただけでも満足するようになるのです。それが先生の言うドラマチックというものです。

 先生は、多くの議論を引き起しています。それは、白人文化は広大な海のようなものであって、その中に一つの黄色い点が現われ、それが人々の注目を浴びているからです。アメリカ人の中には、先生を歓迎しない人々がいます。しかし神様はその広大な海を航海していて、人間の現在の文化には退屈しておられるのです。そこに突然、先生が黒い船のように現われました。神様はその視線のすべてを先生に集中させています。先生は白い帆を掲げるだけでなく、いろいろな国々の多彩な旗も掲げています。皆さん、自分を神様の立場において、そのような小さな船が白い帆を掲げ、多彩な旗を振っているのを見下ろしてご覧なさい。それは本当に小さな劇的な光景です。

 皆さんは、そのように多くの注目を引いている船の船員です。白人、黒人、黄色人、赤色人や褐色人が祖国に対して手を振っています。我々の船には、このような大いなる興奮と活動があるのです。


再会の心情
1977年 9月11日

 皆さんは、暗い世界に光を与える灯台である、という信仰と確信を持たなければなりません。灯台はどのような天候の時でも光を放ちます。なぜならば、悪天候の時こそ、船が最も灯台を必要とするからです。厚い霧に包まれている時こそ、ますます光を放たなければなりません。逆境であればあるほど、その光はより違大なものでなければなりません。

 先生は、グロースターで一つの伝説となりました。ここの新聞は、我々の魚釣りについて数回記事を載せ、この町中の話題となっています。ここには毎年各地から何百隻もの船が魚釣りにやって来ます。ニュー・ホープ号が海に出てアンカーを降ろす時、他の多くの船が後を追って来て、近くにアンカーを降ろします。先生の船にマグロが引っ掛かると、他の漁師達は双眼鏡を取り出して、先生がどうしているかを見つめたものです。最初の頃、否定的な人達は、マグロがラインを切って逃げてしまうことを願っていました。しかし、二、三日して、先生がマグロを釣ることに成功した後には、彼らは考え方を変えました。そして先生が何か先生のためになる何か良いものを持っているだろうという噂が広がり始めました。

 先生はいつも一番最初に海に出かけました。プロの漁師達の中には、先生よりも早く行こうとした人達もいます。しかし彼らがどんなに朝早く起きて出てみても、ニュー・ホープ号は既に海に出ていました。漁師達はこのことでは復活しませんがでしたが、彼らが先生と競争しようとした時、彼らは非常に一生懸命働かなければなりませんでしたので、いつもの自分達のように酒を飲んだり怠けたりする時間がありませんでした。夏の終わりまでには、このグロースターという衰退しつつある町中で、この町を救うことができる唯一の人間は、先生であるという噂が広まっていました。先生は毎日、例外なく午前三時に起きました。ニュー・ホープ号は月灯りの中を出て行って、多くの場合、夜、星が輝き、月が出ている中を帰って来ました。皆さんは朝早く起きるのが好きですか。先生の船で働くスタッフ達は、何時に起きるべきかということは決して言われませんでしたが、先生が毎朝三時に起きるので、どんなに眠くとも先生に従いました。

 これが、アメリカにおける過去四年間の先生の伝統でした。先生に従うのは、容易なことではありません。なぜなら、先生ほど一生懸命働ける者はいないからです。先生の船のクルー達は、先生が何をするかということを知っており、午前一時半までに大西洋に出ようと言えば、彼らは不平を言うことなく、その時間までに起きて出かけたものでした。先生はまた一晩中海に出て、そこで働くという伝統さえも打ち立てました。

 今年の夏は、お金を儲けるという点では余り稼ぐことはできませんでした。しかし、伝統という点では、何十億ドルもの価値のあるものを得ることができました。そのような伝統に従うことによって我々の運動におけ漁業の花が咲き、そして将来、アメリカのすべての漁業に対して多くの貢献をなすようになるでしょう。今や、先生が魚釣りの伝統を打ち立てたことによって、誰でも、例え女性達でさえも海に出かけるのを躊躇しないでしょう。もし先生が臆病であれば、誰も真剣に行こうとしないでしょう。しかし、今や人々は先を争って行こうとしています。これまでは先生が、いつ、どこで魚を捕り、またその魚がどれ位の大きさであったかを記録したものがあります。将来、漁師達はその記録に挑戦しようとするでしょう。

 魚釣りは信じられない位つらい仕事があっても、先生は統一教会の後孫達に残す伝統のために、何ら躊躇することなく自分自身を与えたいと思ったのです。先生はこのように過去の七十日間を働いて来ました。


我々の新しく生まれた自己
1977年11月 1日

 二週間前、先生はアメリカの造船の都として有名なアラバマに行って来ました。そこで我々の船を建設することができる造船所を買おうと見て回りました。皆さんは我々の工場が中途半端なものであって欲しいと思いますか、それとも一番であって欲しいと思いますか。それを口で言うことは易しいことですが、実現することは容易ではありません。我々が一番になるためには、誰よりも一生懸命働かなければなりません。それは厳しい仕事になるでしょうが、先生は皆さんを押し出すつもりです。アラバマとの造船所で女性はひとりも働いていませんでした。そこで先生は、これこそが我々が歴史を創ることができる一つの方法だと考えました。先生は、女性達を造船所で働かせようと思います。もし皆さん達が女性が溶接工になれば、皆さんの指や顔はそのあとがつくかもしれません。それでも構いませんか。今、一九七七年十一月一日午前七時四二分、皆さん女性達がアラバマの造船所の溶接工になりたいと誓いました。だから今日、あなた達男達は失業です。もし女性達がそれだけのことをするつもりがあるならば、男達はもっと一生懸命働に夜中まででも働かなければなりません。

 先生は何年も前から、先生が決意して造船と漁業に介入しなければ、この国でこの二つの産業が生き残る希望はないということを知っていました。アラバマで二人のすばらしい人に会いました。それはこれまで生涯をかけて造船のために生きて来た父親と息子です。今はたくさんの人達が海に出かけるので、造船業は一つのブームの中にあると彼らは言いました。そこで先生はこう答えました。「それは本当なのかも知れないが、今後将来、二、三年経ったらどうなるだろうか」すると彼らは思慮深げに応えました。「レバレンド・ムーン、我々はそのことまで考えませんでした。あなたの考えは正しいでしょう。男達は何の強い熱意も持っていないし、またアメリカの女性達は、夫が海から帰って来るまで忍耐強く待つここができません」。

 過去において、しばしば漁師の妻達は夫を裏切りました。そのような傾向をひっくり返すために、我々はどうすべきでしょうか。先生は、皆さんを溶接工と船の船長にするつもりです。しかし、我々の漁師達は妻が逃げ出すことを心配する必要はありません。もしムーニーがそのようにすれば、アメリカの残りの人達は、我々に負けて、すべてを譲り渡すなどということには決して直面しないでしょう。一度彼らが我々と競争しようと決意すれば、海洋事業は復活します。先生はアメリカの若者達が海に出かけたいという動機を持つように、彼らにビジョンと希望を与える決意です。海は広大で未開な領域であり、勇気ある人間によって利用されることを待っています。我々はそれを率先してやりたいと思います。アメリカは、海を征服することによって偉大な国家となるチャンスがあります。しかし、もしアメリカの人達が海を無視し、ただ自己満足した生活を望むのであれば、アメリカには世界を指導する国家となる希望はありません。アメリカはこのことに対して盲目です。

 先生はこの道を先導しており、統一教会はそれに従って来るでしょう。先生は、あたな達美しい女性が船の船長となって海に出て行き、海のことについて非常に良く理解し、男達もその命令に従うことをいとわなくなる姿を見たいと思います。そうすれば、人々はムーニーの力を認識するでしょう。先生はまたあなた達女性を多くの会社の社長とし、そしてハーバード大学やエール大学を卒業して雇われる人達が全員、皆さんの言うことを聞かなければならないようにしたいと思います。皆さんの言うことを聞かなければならないようにしたいと思います。皆さんは体が小さく弱々しく見えますが、しかし、船の上で男達が死を恐れる時には、皆さんのような女性達が指導権を握って命令を与え、そうした状況を乗り越えるでしょう。皆さんはまた、自分の赤ん坊を連れて行くことも考えて良いでしょう。先生はこのような考えで非常に興奮しています。先生は、アラバマでの事業を視察して歩くことを計画していました。お母様はそれを躊躇して「お父様、それは男の人の仕事です。だからあなたは行ってやってください。私は家に残ります」と言いました。しかし先生は、お母様にとにかく一緒に付いて来るべきだと言いました。

 先生はあなた達女性が船の船長となり、皆さんの夫達が一等航海士となる制度を打ち立てるつもりです。だからあなた達男性も、船長が命令を与える時には、例え船長が自分の妻であったとしても、「はい、分かりました」と言わなければなりません。男達はそのことで気持ちが良いですか、悪いですか。もし皆さんが鍛えられた船長であれば、皆さんが男であれ女であれ何の違いもありません。クルーは従わなければなりません。

 我々はこのような事業を始めることによって、我々のためだけに何百万ドルもお金を儲けようとしているのではありません。我々は世界を見ており、この国を見ており、そして本当に世界に変化をもたらすための準備をしているのです。将来我々が何千隻もの船を持ち、先生がアメリカ政府に対して「多くの農民達が何もしないでおり、そして何もしないことで政府から多くの補助金を受け取っています。それは何とばかげた制度でしょうか。アメリカ政府は穀物を育てないことに対して、農民達にお金を払っています。しかし、その間も世界の他の地域では、何百万の人達が飢えています。だから農民達にもっと穀物を作らせなさい。そうすれば、我々が貧しい人達に食料を与えるために、その食料を世界中に運びましょう。我々にはそれをする船があります」と言うことができます。

 漁業には時期があり、一年に十二カ月漁ができるわけではありません。だから漁業シーズンでない時には、世界中に物を運んではどうでしょうか。皆さんは船を穀物で一杯にして、多くの人々が飢えている国へ向かう船の船長になるのです。どう感じますか。先生は、そのような船長として女性の中の最も小さい人を選び、それらの女性に公的な勲章を付けた特別な帽子をかぶらせようと思います。みんな夢を持つべきです。先生は誰よりも大きな夢を持っていますが、皆さんとの違いは、先生の夢は実現するということです。


ワシントン・モニュメント記念日にて
1978年 9月18日

 先生はその当時魚釣りをしていましたが、しかし魚を捕ることだけが目的ではありませんでした。先生の心は完全にワシントン・モニュメントに集中していました。そしてそれ以外のことは何も考えませんでした。


我々の立場
1979年 1月 2日

 我々はただお金を儲けるために、漁業を始めたのではありません。そうではなく、アメリカの経済を再建するために始めたのです。五年間、先生はその伝統を打ち立てるために、そして最善の道を見い出すために毎日働いて来ました。政府の役人の中に、先生がしていることを耳にした人がいます。そして彼らは、先生がアメリカが漁場を放棄することはできないと見通しているということに対し、何と先見の明がある人であろうかと言っています。五十年間、アメリカの漁場は衰退して来ました。しかし、やがてアメリカの漁場が、アメリカを養うことになるでしょう。先生は誰よりも遥かに早く出発しました。過去三年間、我々は何百万ドルものお金を投資して一ペニーも儲けませんでした。皆さんは諦めるべきだと思いますか。


永遠の幸福
1979年 2月25日

 先生は農場に行けば良い農夫となります。水産のビジネスに入れば、先生は漁師の一人となります。先生は生の魚を食べることができ、また魚の内臓を手掴みにして食べることさえできます。先生のできないことは何もありません。もし鉱山に行けば、鉱山を掘ることがで自分の天職であるかのごとく、毎日一生懸命掘るでしょう。先生はスラム街に行って人々に話しかけ、そして彼らの心を勝ち得ることもできます。こういったことをすべてやらずして、自分の目的が何であるか知ることができるでしょうか。


統一教会二十五周年記念
1979年 5月 1日

 統一教会は韓国で創設されましたが、それは地方の目的のために始められたのではありません。世界的な摂理のために宗教的な意味を持って始められたのです。一滴の水が山深くから出発し、山腹を滴り落ちて他の水と合流し小川となり、やがて大河となり、ついには海へと入って行きます。そのようにして世界中を駆け巡るのです。

 文化というものは他の文化と混じり合います。そして、そのような中からすべての人々を向上させるような良いものが出て来るのです。これはまた宗教の発展についても言えることです。最初はわずかな人達が集まるだけです。それは丁度、様々な山から水滴が集まって来るようなものです。それからもっと多くの人達が一緒に集まり、川をなし、海へと流れて行って、常に人間の水準を高めるのです。

 もし先生が今年の夏マグロ釣りに行くとしたら、先生と一緒に行こうと志願するのは誰ですか。女性達はどうですか。先生は船を一隻持っていますが、それに何人乗れるか限界があります。だから先生は皆さんのすべてが乗ることのできる船を、もっともっと多く造ろうと思います。そうそれば我々は、一大艦隊を持つようになるでしょう。女性を船長にするでしょう。そうすれば皆さんの夫達も船長になって欲しいと思いますか。ということは、皆さんが漁師と結婚したいということですか。

 イエスはペテロに漁師となれと言われました。漁師となることは決して悪いことではありません。しばしばアメリカの女性達は、男性達よりも強い者がいます。だから先生は二百海里の制限は、アメリカの女性達のために神様が取っておかれたのだと思います。先生はそのことを信じているだけでなく、そのことを知っておられます。皆さんが船一杯の魚を捕る時に、先生は皆さんを認め、受け入れるでしょう。

 我々が造船業をするための新しい土地と建物を手に入れたことを皆さんは知っていましたか。皆さんは金持ちとなるために何をしますか。この国の漁師達は、最も給料の少ない専門家の部類に入ります。だから我々は彼らのために最も良い学校と、最も生活水準を築いてあげようと思います。今は人々が楽しみのために海岸に行きますが、近い将来いつの日か、彼らは海岸へは仕事をするために来るようになり、その代わりレクレーションのために山に行くようになるでしょう。もしそのようなことが自然に現われないならば、先生がそれを作るつもりです。


我々におかれた信頼
1979年 1月 3日

 最近先生は、何人かの教会の長老達に世界を旅行し、統一教会の活動検討するようにと招待しました。彼らは先生が世界中で様々なことをしていることに驚き「レバレンド・ムーンにできないことは何もない。そして彼がしていないことは何もない」と言いました。先生は今日海へ行くつもりでしたが、天候が悪くて行けませんでした。人々の中には、先生はは安息日には休息すべきであるという人がいるかもしれませんが。神様にとっては安息日もまた働く日なのですから、多くの魚を必要とする人達のために海へ行って捕ることは、神様自身の基準に適うことなのです。我々の概念において、聖日というのはただじっとしている日ではありません。出かけて行って、喧嘩している人々を仲直りをさせることの方が遥かに良いのです。


歴史と記録の作る者
1979年 7月 1日

 皆さんがマラソンで勝つためには何年かかりますか。三年ですか。十年ですか。無敵のレバレンド・ムーンにとっても、この路程を来るのに六十年かかりました。そしてまだその競争を終えてはいません。昨晩の神学校の卒業式の後で、指導者達を全員魚釣りに連れて行きました。嵐の最中でした。そして我々は皆小さな船に閉じ込められていました。彼らは口では言いませんでしが、心の中では恐らく「先生、あなたはどういう人ですか。一日足りとも休むことはできないのですか」と思っていたことでしょう。

 ある人が愛を占領する時に、その人は他のすべての権威と威厳をも占領するものです。記録を作る人こそ、神様と歴史が見ている人です。神様は、皆さんが記録を作るような者となってくれることよ期待しておられます。そして今が、それをなすための千載一退遇の機会なのです。先生は現在、漁業に多くのエネルギーを投資しています。それを成功させたいと決意しています。皆さんが先生の願い受け入れる時、皆さんもその分野のチャンピオンとなるように、仕事に本腰を入れるべきです。先生はすべての神学生と教会の指導者達が、一年半は海での任務を果たすために海に行って欲しいと思います。現在アメリカの漁業を指導し、主張する主人は誰もいません。なぜならば、この分野は神様が天の摂理のためにとっておかれた分野だからです。

 もし先生が十分な魚を供給して、統一教会のメンバー達は六カ月の間、魚以外の何も、パンすらも食べてはいけないと言ったらどうしますか。我々は良い魚はすべて商売に使って、自分達は残り物を食べるつもりです。神様は我々が残り物だけを食べるべきではないと言われるでしょうか。それとも、神様はそのような我々に感動されるでしょうか。我々は誰のために苦労するのですか。神様と人類のためです。こうすることによって、神様を目に見えない網で包んで話いるのです。そして神様を我々の虜としているのです。そうすれば我々がすることはただ網を引っ張ることだけです。そうすれば神様は我々に従って来ざるを得なくなるのです。


摂理の歴史的観点
1979年 9月18日

 皆さんは、力を受けるとゴムボールのように弾むことができる人ですか、それとも砕けてしまうような人ですか。我々はただ弾力性があるだけでなく、それと同時に忍耐強い人を必要としています。アメリカの宗教はハリケーンの中に捕らわれた船のようなものであり、政府もまたなす所がなく、またアンカーすらも持っていません。海が荒れて風が強く、船がコントロールを失って揺れ動く時、どうなりますか。そのような危険な状況の中に我々は生きているのです。

 統一教会の中にいる我々にはアンカーがありますか。神様が我々のアンカーであり、先生はロープです。ということは、皆さんが生き残るためにしなければならないことは、ただロープにしがみついていれば良いということです。皆さんは直接にアンカーにしがみつく必要はありません。アンカーはいつも海中深くにあるからです。だから皆さんがしなければならないことは、ロープを握って、それにしがみついているということです。他の教会は美しい金のロープを与えているかもしれません。しかしそのロープの底にはアンカーがついていないのです。統一教会のロープは質素なものですが、しかし下にはアンカーがあります。自分達の美しいロープを宣伝する人達は我々を批判します。政府すらもそのロープがいかに大きいかを自慢し、また統一教会がいかに魚臭いかということを言っています。しかしながらその違いは、我々にはアンカーがあるが、彼らにはないということです。


MFTに対して
1980年 1月 2日

 アメリカは海に取り囲まれていますが、海を征服したことがありません。先生はアメリカの漁業と港を再生させるために、漁業を率先して始めました。これは我々にとって誇りです。海には莫大な資源が眠っていますが、誰もまだそれを受け取った者はいません。我々はそれを神様から受け継いでいます。我々がしなければならないことは開発することだけです。


全体的な自己再評価
1980年 9月14日

 皆さんは、自分は一生懸命働いていると思っているかもしれません。しかし先生の基準から見れば、皆さんは余りにもリラックスし過ぎています。先生が一日中魚釣りに出かけた時は、一瞬足りとも気を抜いたり、居眠りしたことはありませんでした。いつも先生の心は忙しく働いていました。先生は海の広大な水平線を見る時、平和な新しい世界の夜明けを見、かつ全責任が自分の肩にかかっていることを見るのです。だから一瞬足りとも怠けて過ごすことができるでしょうか。

 先生は誰に対しても、三十六家庭に対しても、その他の誰に対しても負債を負うことはないでしょう。これまでなして来たことに対する貸しを受け取るのです。例えば、漁業の分野においは、先生は過去六年間開拓の道を築いて来ました。皆さんは、第一回の国際マグロ釣り選手において、誰が勝ったか知っていますか。先生の船が最も多くのマグロを釣りました。先生はマグロ釣りにおいてすら二番になることを望みません。あらゆる分野において、あらゆる競争において先生はいつも一番でした。

 毎朝先生は午前二時から三時には海に出て行きます。そして真夜中に戻って来ます。これまでマグロ釣りは楽しむスポーツでしたが、先生がそれを始めるとマグロ釣りは戦いとなりました。普通漁師は、午前九時か十時に出かけて行きます。しかし彼らが先生を打ち負かそうとすれば、もっと朝早く出て行かなければなりません。彼らが朝五時に出て来る時には、既に先生は外に出ているのです。先生がこれを始めた時、マグロの値段は一ポンド十セントでした。しかし今や、二ドル五十セントまで押し上げました。いずれは一ポンド五ドルまで上がるでしょう。このようにして先生はマグロを釣る漁師達に繁栄をもたらすつもりです。なぜならば、マグロ釣りの漁師達は過去において貧しい生活を強いられたからです。過去において何らの理由もなく先生に反対した人達は、今や先生が漁師達を助けており、また地方の経済を復活させているのだということを認めつつあります。ヨーロッパの指導者達が今回来た時、彼らは本当に一生懸命働きました。我々は多くの船を造っています。それは小さな船ばかりでなく、三十ないし四十フィートの長さの船を造っているのです。専門的なマグロ釣りの船は百五十フィートの長さがあり、二十五人の乗組員を運ぶものです。先生は将来そうした船をたくさん造るつもりです。そうすれば、先生は各国の責任者達をそれらの船の船長に指名するか、あるいは単なる漁師となるように指示するつもりです。彼らは右や左を見る時間はなく、ただ真直ぐに行くだけとなるでしょう。


我々の義務と我々の使命
1980年10月 5日

 我々はオーシャン・チャーチを始めました。世界は三分の一が陸地であり、三分の二が海であることは明白な事実です。人は海に棲むあらゆるものを食べることができます。海にある植物を含めて、あらゆるものを食べることができます。皆さんは、陸地息しているあらゆるものを食べることができますか。海には陸にあるものは何でもあり、それ以上のものがあります。何千種もの魚がいます。アメリカ人は陸地で育った動物の肉を好んで食べますが、しかし彼らは海の生物の肉を食べることを知らなかったのです。最近になってアメリカ人は、魚の方が動物の肉より良い蛋白質であることを学びました。そして彼らは、魚を汚染されていない自然食品であると考えまています。今や彼らは長生きできるように、魚を食べることにますます興味を持つようになっています。

 ワイオミングで、ある牧畜業者が先生に、牛は大量に買えば一頭につき二十ドルから七十ドルで買うことができると言いました。ニューヨークでは牛肉は一頭四百ドル以上もします。大きなマグロは一ポンドにつき三ドル五十セントします。そしてマグロは千ポンド以上するものもいます。一年にもし大きなマグロを一本捕れば、それで約四千ドルの収入になります。マグロは産卵期には百五十万個の卵を産みます。しかし牛についてはどうですか。牛は一年に、一頭か、精々で二頭の子供を産むだけです。

 牛を育てて一年中それを育てることの方が得ですか、それとも海に出かけて行ってマグロを一本捕ることの方が得ですか。先生は「牛」という名前よりも「マグロ」と言う名前の方が好きです。もし皆さんが一年にマグロを一本捕れば自分の生活を守ることができます。皆さんは自分に対して、なぜ上役からいつも頭の痛いことばかりをさせられるような平凡な仕事にしがみつかせているのですか。一年間家族を養うのに、たったマグロを二匹捕ることの方が良いではないですかと助言してみたらどうでしょう。皆さんが二匹マグロを捕ることに自信を持てば、生活に必要なお金を作ることには心配がなくなります。

 アメリカの漁港は衰退しています。それはなぜかと言えば、若者達が魚を釣りに行きたがらないからです。そこの町の人々は彼らの町が復活するのを見たいと思っています。彼らは、海にはすばらしい未来があることを知っています。我々の指導者達は、先生が選んだ町へ行って町の指導者達に話をして、そしてなぜ我々がそこに来ており、我々が自分達のお金で何をしようとしているのか、どのような活動をしようとしているのかを話すように指示しました。我々が本当に漁業をもう一度繁栄させようとすることに全力を挙げていることを人々が知れば、我々を応援しようというグループが現われ、そして我々の海へ行くクルー達を訓練するのを手伝おうとするでしょう。

 我々は、海で働くことに興味を持っている若者にはプログラムを提供し、彼らに対して我々がどういうものであるかについて示すつもりです。そしてもし彼らが我々のように神様を崇拝することを好むならば、我々は彼らを志願者として受け入れるでしょう。五人の乗組員が集まればすぐ一隻の船を割り当てます。このようにして、三十箇所にあるセンターで誰がより良い質の人々を連れて来るかを競争するようになるでしょう。

 オーシャン・チャーチは現在の州教会の制度と、どちらが多くの成果をもたらすでしょうか。仕事が拡大するにつれて、それぞれの船がその下に十隻の船を持つようになり、まもなく我々はアメリカ中の海岸自体に三十隻の大きな船と三百隻の小さな船を持つようになるでしょう。

 マッチングを受けていないメンバー達は陸上の教会に属するメンバーと受けたいと思いますか。オーシャン・チャーチのメンバーと受けたいと思いますか。それは皆さん次第です。皆さんがその人と生活しなければならないのであって、先生ではないからです。このオーシャン・チャーチが軌道に乗った時には、人々はこれがその人々の町を復興してくれた記念碑として大事にするでしょう。アメリカは世界の四大漁場の三つを持っています。しかしアメリカはそれを利用していません。なぜならば、このアメリカでは魚に対する実質的な市場がないからです。我々の組織の良い所は、我々自身が自分の船を造り、自分自身で魚を捕り、そして我々の店で魚を売るということです。

 アメリカの漁業は衰退しつつあります。その理由は、第一に海に出て行く生活は陸上の生活よりも厳しいからです。若者達は厳しい生活を望みません。第二の理由は、アメリカでは魚の物流経路が確立されていないということです。卸売り業者達は時には魚一ポンドにつき、たった五セントしか支払いません。これはばかげています。第三番目に、夫達が海に出かけていると、その家庭が崩壊し始めるということです。このような状況において、誰が海に出かけて行こうとするでしょうか。ただ統一教会のメンバーだけです。我々はこういうすべての分野においてのテストに合格します。

 技術が進歩したために、自動操縦で船を操作することが簡単になりました。機械にどちらの方向に行くかを指示すれば、船は自動的にそのコースに従がって行きます。だから今や弱々しい若い女性ですらも、かつてはがさつな船長が座っていた船長の席に座ることができます。たとえ自動操縦によって船が操縦されているので何もすることがなくて居眠りしていたとしても、そのような女性を見て神様は何と心を引き付けられることでしょう。先生もそれが好きです。何とそのような女性は美しいことでしょう。

 皆さん女性達、いつかそのような船長になるつもりがありますか。海には鮫がいることを忘れてはいけません。女性達でさえも行きたいとするならば、どうして男達は後ろに引き下がっていることができますか。皆さんはそのような男達は蹴とばさなければなりません。海に出かけたいと言う人達がいますから、第一の問題は片付きました。第二に、魚を販売することは我々にとって問題ですか。女性達はそれは問題ではないと言うでしょう。ただ第三に皆さん妻達は、夫が長い漁に出ている間に夫から逃げてしまいますか。たとえ夫達が六年間海に出かけて行ったとしても、夫達を捨てることはしませんか。このような海洋事業は、本当に統一教会のメンバーのために予定されています。


皆さんにとって重要なもの
1981年 2月 1日

 統一教会には世界のいろいろな所から来ている五色の皮膚の人達がいます。我々の目標は、この人間を一つの家族に統一することです。統一教会の生活は複雑です。ただ単に日曜日の礼拝だけでなく、船を造ったり魚を捕ったりすることを含めて、あらゆる種類のことがあります。将来はさらにもっと夢のようなこともあるでしょう。

 船を造ることにも同じ原理が適用されています。我々のメンバーは、最も素晴らしい船を、最も安い費用で造っています。彼らがそうすることができる唯一の方法は、犠牲的に自らを捧げることによってです。このような過程を通して最も美しい船が造られており、他の誰もそれと競争できるような船を持っていません。同じような精神で我々は世界を創り、国を創るのです。もし我々ムーニーが最も安い費用で最もすばらしい国を築くならば、共産主義が忍び寄る余地はないでしょう。

 例えば、先生は漁場においてはいかなる競争相手も、先生を打ち負かすことができないような規範で働いています。一度先生が何かを宣言すれば、それは全世界の中をこだまします。人々は耳を傾けざるを得ません。先生は単純な原則に基づいて働いており、先生には計画があります。


善悪二つの世界
1981年 2月15日

 先生の活動はただ単に宗教活動だけではありません。このために人々は、先生が実業家であるとか、学者であるとか、映画製作者であると言うのです。先生は人生のあらゆる側面を、同じ愛の原則でもって取り扱います。魚釣りに行く時ですら、それは自分自身が楽しむためではありません。先生は決して自分の根本的な使命から離れることはありません。だからマグロですら先生の方に引き付けられて来るのです。

 いつも先生は二つの世界に、最も自然に生きています。つまり、高い世界と低い世界の間を行ったり来たりしています。朴先生が昨年の夏、南アメリカに行った時、彼は七カ国の大統領に会い、もてなしを受けました。彼がこのように非常な栄光を与えられたのは、彼が先生の補佐官であったからです。しかし、彼が帰って来てモーニング・ガーデンへ先生に報告に来た時、彼は家の中で先生を見つけることができませんでした。結局先生を見つけることができたのは、裏庭の物置で数人のメンバー達と魚釣りのために道具を直していた時でした。先生の人生においては、高いものと低いものの両極端を抱擁して来ました。神様の御旨は、これら二つの極端を調和することであり、神様の力のみがそれをなすことができます。真のムーニーというのは、愛の生命力を人格としたものです。だから我々は、この二つの世界を一つに結び付けることができるのです。


我々の身元
1981年 4月 1日

 先生は、おそらく今年の夏もグロースターで背広の代わりに漁師の服を着て、魚釣りをしていることでしょう。たとえ皆さんが魚臭い漁師の着物を着ていたとしても、善なる側は同じであり、常に上昇して行きます。皆さんは、今いる所よりも下がることはありません。たとえ我々が乞食の立場に自らがいるのを見出だしても、我々はそれ以上下がることはなく上がって行くでしょう。先生は正しい伝統を残すために、ここに住んでいます。将来、若者達が、先生が刑務所で過ごした経験について学ぶ時、それは彼らの心に火を付けるでしょう。先生は刑務所の生活が将来のための強い伝統を残すことになるであろうことを知っていたので、刑務所の生活を耐え忍ぶことを決して厭いませんでした。


我々の理想的な家庭(第二部)
1983年 6月26日

 皆さんがファンダレージングに出かける時「自分はこんな暑い日にこんな所にこうしているが、お父様はどこかで船に乗っているのだ」と考えるかもしれません。しかし先生が海に出かける時は、一日とか一週間、気晴らしで出かけるのではありません。先生はオーシャン・チャーチを人類のために創設しました。将来のためにその伝統を打ち立てなければなりませんでした。そのようなことをすることができる者は他に誰もいません。

 先生はこれまで、オーシャン・チャーチについて幅広く語りました。だからアメリカのメンバー達の中には「もうオーシャン・チャーチについては何も聞きたくない」と考える人がいるかもしれません。しかし、誰がアメリカの海に対して責任を取ることができますか。どんなに難しかろうとも、先生はその責任を取るつもりです。それが先生の決意です。皆さんは海に行くのがどんなに嫌であろうとも、先生はこの国のために海に行き続けるつもりです。そのような基盤を造った後で、このメッセージがアメリカの若者に理解されることを先生は知っています。皆さん達は「先生の言うことは好きだけれども、先生のしていることは好きではない」と言うかもしれません。先生のしていることを好む人と、好まない人に分けることができます。皆さんアメリカの若い男達はどうですか。皆さんはオーシャン・チャーチを好きですか。皆さんは口でだけ忠実なのですか。

 今年の夏のマグロのシーズンの間、我々は五十万jのお金を使うでしょう。毎年我々はマグロ釣りのためにお金を費やして来ました。しかしそれでも、我々はそれをしなければなりません。他の誰もそれをしている者はいません。マグロのシーズンは夏だけです。だから一年のその他の時期は非生産的です。だから先生はその他の魚、例えば、カレイ、平目、鯵などや、その他の魚をそれぞれ季節に従って捕ることによって、マグロ良を補うための全般的な計画を持っています。我々は成功する事業のための基準を打ち立てて、一年中様々な異なった魚を用いるようにしなければなりません。

 皆さんが一度海に出れば、海を愛するようになるでしょう。しかしそうするまでは、海は、見知らぬ存在です。皆さんは先生がマグロ釣りの専門家として生まれたと思いますか。そうではありません。先生はイロハから学ばなければなりませんでした。そして毎日、来る日も来る日も働き続けて伝統を打ち立てました。今や先生は、他のマグロ釣りの漁師達の間で専門家として知られています。先生は計画を立て、そして七年ないし八年のシーズンに忠実に実行し、遂にマグロの釣り方を知るようになりました。そのようなことは単なる趣味としてとか、ただ海を楽しみたいと思っていろような人には到底達成することができません。

 先生は昨日、神学校の七回目の卒業式で話をしました。その後、親や教師達が皆周りにいる時に、先生は魚を釣るための衣服に着替え、再び船に乗りました。ハドソン川は荒れていましたが、それでも先生は出かけました。それを見ていた人達は、先生を風変りだと思ったかもしれません。しかし彼らは我々の目標が何であるかを理解していません。先生の足が、毎日立っていることで腫れ上がっても、その足を叱りつけてそして働き続けるように命令します。このようなことは、楽しいからするのではありません。先生はこの仕事に非常に真剣なのです。

 宗教指導者として、先生はマグロを殺すことを決して楽しみにしていません。マグロが血を出してそして辺りの水を染める時、そのような光景を決して楽しむことはできません。先生は深い祈りの中でそうしたマグロ達に詫びて、そして彼らが分かってくれるように乞求めるのです。先生は彼らに対して「お前達はアメリカの人々のために自らを捧げなければならない。なぜならば、アメリカの人達は神様と天宙にとってもっと重要だからです。先生は全人類のために捧げる供え物として、お前達を必要としています。だからどうかお前達自身を捧げてほしい」と言ってやります。神様と天宙はそのことを知っているので、神様と天宙は我々を助けてくれます。だから我々の海洋事業が栄えつつあるのです。皆さんはこのことをはっきりと理解しなければなりません。

 人類のために海に出て行くことは、正しいことです。こういう観点から見ると、先生の伝統に従いたいと思う正義のアメリカ人は誰ですか。先生はそのようなアメリカ人を十年以上も探して来ました。ことによると、ここで基準を作るために日本から人々を連れて来なければならないでしょう。それからアメリカ人がそれを受け継ぐことができます。しかし、日本人が成功しないなら、韓国人を用いるつもりです。もし彼らが失敗すれば、正しい伝統を打ち立てるために、先生自身の息子、娘達を送るつもりです。そういう理由で今年の夏、祝福の子女達を連れて来ました。このようなことをするのは初めてです。しかし我々は海に対する目標を達成しなければなりません。

 アメリカは海洋資源開発のチャンスを失うでしょう。なぜならば、その方面に対する主導権を取ろうとしないからです。他の多くの国々はアメリカ人から海を奪いつつあります。先生はオーシャン・チャーチの伝統を打ち立てるために、原理に従ってゆきました。そして、先生はアメリカ人にチャンスを与え、海における魚釣りに参加させるように奨励し、それを心待ちにして来ました。しかし、なおも皆さんがそれに応えないなら、他に何ができるでしょう。海を最も愛する人が、海の支配者となるのです。先生は、海を誰よりも多く愛そうとしています。

 皆さんは、こういう先生の考えを退けてはいけません。それは非常に重要なことです。アメリカ南部にある造船会社は、マスター・マリン以外すべて倒産してしまいました。我々の会社もまたしばらくの間欠損を出しましたが、営業を止めませんでした。我々食口が行う事業は、愛に基づいています。もし皆さんの心情を本当に事業に投入するならば、決して失敗しないでしょう。なぜならば、神様と天宙が皆さんを支えてくださるからです。


リーダー会議
1983年 6月27日

 先生の皮膚がどんなに黒くなっているかを見なさい。先生は、気晴らしのバケーションで日に当たって日焼けしたのではありません。先生はオーシャン・チャーチを指導しながら、毎日海で戦い、忍耐してきました。海には主人もなければ管理人もありません。そして海には希望がありませんでした。先生は海を開拓し、海の資源を収穫することができるように若者を海に連れて行きたいと思っています。海はこれまで見捨てられて来ました。中南米でどのようになっているかを見てみなさい。それらの国々は皆孤立し、海が見捨てられつつあります。

 東、西、南のアメリカの海岸を見てみなさい。これらの海岸にある町や港町は、荒廃したゴーストタウンとなっています。そしてそれらの町や港は南米から来る避難民に奪われてしまい、それらの多くが共産主義の浸透ルートになりつつあります。その人達は、海の資源を開発利用しつつあります。マフィアが、アメリカの若者達を退廃させる麻薬を持ち込むために港を使っているように、彼らもそれらの港を足場として使っています。各市民が、アメリカの共産化を防ぐために偉大な十字軍に参加するつもりがない限り、沿岸警備隊や警察のみではどうしようもなくなっています。誰かがこの国を守らなければなりません。それを実際に行っている者は誰もいません。そのために命を賭けている者は誰もいません。先生がそれをしようとしている時、地方の政府は先生を助ける代わりに迫害してきました。マグロ釣りのシーズンは決して楽しみの時ではなく、戦いの時です。先生は巨大なマグロを捕る経験をすれば、それは一生忘れ得ない経験になるということを知っています。誰もがマグロ釣りに行く機会を探しています。そして、先生が彼らをもう一度船に招待してくれることを楽しみにしています。アメリカの若者達を海に注目させるために、いかにすればマグロ釣りがもっと興味深く、またもっと興奮させるものとなるかについて先生は研究しました。先生は、世界のマグロ釣りチャンピオンです。先生は「レバレンド・ムーン」方式を発見しました。人々は先生のやり方を見て、それをまねしようとしています。実際、ある釣り具の店では「ムーニー」式フィッシング・ギアを売っています。先生が使うものは何でも、彼らは買い求めます。皆が先生のする通りにしようとしています。

 普通、金持ちの人々は、マグロ釣りの期間中朝10時に出かけ、午後2時か3時には帰って来ます。先生はそのような伝統を変えました。先生は朝2時に出発して、夜10時に帰って来ました。今やプロビンス・タウンでマグロ釣りをする人は皆、マグロ釣りのシーズンが来れば朝2時に起きなければならないことを知っています。レバレンド・ムーンが、そのようなペースを作る人であることを否定する者は誰もいません。

 皆さんは魚釣りというのは、何時間も時間がかかって何もしないでいるものだと思っています。そうではありません。皆さんは常に気を張っていなければなりません。それはここでは説明できませんが、いろいろな技術を必要とします(皆さんはそれを経験しなければなりません)。それは黒帯の技術です。例えば、魚がやって来る時に、先生は魚を直接見なくても、その魚が餌に食い付こうとしていることが分かります。そうすると、魚との間の駆引きとなります。もしラインを余り荒々しく引っ張れば、その瞬間に魚を逃がしてしまします。だから、ほんの少しだけラインを引っ張ります。すると魚はそれに関心を持ち、寄って来て餌に食い付こうとします。その瞬間に倍の力.2倍の力で引っ張るのです。誰がそのようなことを知っていますか。そのようなタイミングを見つけ出した者がいるでしょうか。先生はこういうすべてのことを研究して来ています。皆さんも一定の訓練を通過しなければなりません。第一、第二、第三レベル、そしてもっと高いレベルがあります。雨が降っていれば、魚釣りを早くやめるべきだと思いますか。お母様はいつも、雨が降っていればもう少し早く帰って来れば良いのに、雨の中に遅くまでいるのは健康に良くない、と考えています。しかし、先生は行かなければなりません。先生はそれを果たさなければなりません。先生は、メンバー達に教えることに陶酔しています。先生はもっと勉強しなければなりません。どうして早く帰って来ることができるでしょうか。世界の将来の経済や、世界の食料問題、人類の死活問題は海によって決定することができるのです。

 将来の水産事業において、レバレンド・ムーンとその決意、世界観と魚釣りの理念が継続するでしょう。先生が信じられない位に日焼けするとうのは恥ずかしいことですか。それとも誇りですか。人類のために、またこの国の未来のために、そのような信じられないようなことをすることによって、先生は様々な異なった種類の魚を捕る方法を開発しようとしています。それぞれの魚が特定の取り扱を必要とし、それを捕るためには特別なこつが必要です。先生は技術を開発すると同時に、それらの技術を教えることができます。皆さんがそのような技術を応用する時に、漁師として独り立ちすることができます。そうすれば、もっと高いレベルの魚釣りに移ることを考えることになるでしょう。

 このアメリカという国は神様が祝福した国です。豊富な物質が恵みとして与えられています。しかし、この恵みは神様に属するものです。我々はそのような財産の管理人です。何がどうであろうと、我々はそれをしなければなりません。組織化しなさい。我々は、神様が与えた祝福をすべて勝ち取るようにしなければなりません。先生はそのための基盤を造りました。先生はアメリカに伝統を打ち立てるつもりです。もし皆さんがそのような伝統に従うことができるならば、皆さんは世界の残りを受け継ぐことができます。それが皆さんのなすべきことなのです。

 今は新しい時代、新しい歴史の一nです。皆さんがこの新しい歴史の主人公です。そうなるためには、皆さんは決意しなければなりません。そのような決意なくして、皆さんはその目的に近づくことすらできないでしょう。命を賭けるという決意があればサタンを分別することができます。サタンはもはや皆さんと何の関係も持てなくなるでしょう。自分が生き残ろうとしてはいけません。死の境地へ行きなさいそうすれば神様が皆さんの犠牲を受け取って、それがまさに先生の人生です。先生はこれまで、常に死の覚悟をして来ました。このような伝統は、先生から皆さんへ、皆さんから他の人達へ受け継がれて行くのです。皆さんが生きている限り、息をしている限り、不平を言うことはできません。なぜならば、既にそのような決意をしたからです。皆さんは死の覚悟があります。しかし、まだ死んではいません。「自分はまだ生きています、自分はもっともっと行かなければなりません。もし死んでいないのであれば、自分はもっと行くことができます。神様、ありがとう」と言うことができます。

 先生の足は筋肉によってではなく、いつも何らかの理由で腫れ上がっています。船のデッキに長く立っていることから足を使い過ぎたとしても、先生は「神様、ありがとうございます。まだ自分は死んでいません。まだ自分は息をしています。神様、私はもっと行くことができます」と言うのです。ある晩ちょっとした事故があって、バスルームで転びました。お母様は知りませんが、その時先生は気を失ってしまいました。自分が立ち上がって最初に口から出た言葉は「神様、ありがとうございます」でした。そういう伝統を先生は統一教会の中で築いてきました。どうして我々が不平を言うことができるでしょうか。もし我々がこういう伝統を無視するならば、アメリカは陰気で悲惨な国となるでしょう。皆さんがこの伝統を受け継ぐときに、アメリカは栄光と繁栄の国となるでしょう。皆さんがこの伝統を受け継ぐならば、祝福が永遠に訪れるでしょう。


リーダー会議
1983年 8月26日

 我々の運動には、非常に様々な活動や異なったプロジェクトがありますが、夏になれば、それらの内で最も重要なものはオーシャン・チャーチです。

 皆さんが知っているように、地球の表面の3分の1だけが陸地で3分の2は海です。それゆえに、海を知らずして決して地球全体を主管することはできません。だから皆さん一人一人が、統一教会のあらゆるメンバーが、オーシャン・チャーチの基本的な訓練、ナビゲーション(航海術)や船の修理を含めた訓練を受けることが必要です。

 海は死んでいない、と考えるだけでも信じがたことです。海は生きており、動いています。海それ自体が動いているだけでなく、陸地や太陽や月との関連で動いています。また、海の中に隠されている美や、不思議なことを知ることは、とてもすばらしいことです。神様の創造されたすべての万物の中で、海は他の何物以上に宇宙の動きや天候に対して敏感です。

一度皆さんがそのような海の敏感さを理解し、海と対話し、それに対処するならば、神様の創造された万物の最も複雑な物が分かるようになるでしょう。そうすることによって、すぐに陸地についても理解できるようになります。

 海はただ単に敏感であるばかりでなく、非常に変化が激しいものです。それゆえに、この変化する状況に対処することを知ることは、我々自身と自然を最も良く理解することです。我々が神様を中心とした人格を形成するためには、我々がいかに海に対処し、いかにして海の主体となり、またいかにして神様が与えた被造物を主管するかについて知らなければなりません。

 神様はすべての主管圏を支配しておられます。神様は全被造物の、すべての変化、敏感な動きをも主管されております。これが神様の性質であり、我々はそのような性質に似た者となるように、自らを形成しなければなりません。特にアメリカの若者はそうです。なぜなら、このアメリカという国は三方を広大な海によって囲まれているからです。一般に言ってアメリカ人の興味は、一つの狭い方向に焦点が当てられています。しかし、神様は、そのようなことを望んではおられません。皆さんは、自分自身を四つの方向に対して拡げなければなりません。そういう点において、海は皆さんにそのような訓練の場を提供しています。アメリカの若者達は、海に対してほとんど関心を持っていません。今はそれで良いと思うかもしれませんが、将来のビジョンということになれば、海に対する関心を持たずしては皆さんは指導者となることはできません。

 多くの人々は、今や宇宙時代が到来したと言います。しかし、皆さんは宇宙空間に住むことはできません。しかし、海からは資源を引き出すこともできれば、そこから生計を立てることもできます。こういう理由で、先生はオーシャン・チャーチを創設しました。将来、オーシャン・チャーチの基盤の方が陸上の教会よりももっと大きくなるだろうと、先生は感じています。これまでの所、我々は陸上の教会の時代に生きて来ました。今からはオーシャン・チャーチの時代に生きるようになります。

柔軟性がある者となること

 もう一つ重要なことは、海に対する時には頑固であってはならず、柔軟性がなければならないことです。そうでなければ、海で生き残ることはできません。海に行く人間は柔軟でなければならず、あらゆる状況に対処できる者とならなければなりません。
 例えば陸地では、人々は日中働いて夜は休みます。海ではそういうことはありません。海では昼も夜も働かなければなりません。なぜならば、潮は常に動いており、魚もまたそれに従って動くからです。ある潮と魚が夜やって来る時には、夜働かなければなりません。
 さらにたとえ完全なスケジュールを作っていたとしても、台風が来ればそういうスケジュールは全く諦めなければなりません。自分自身の意志だけで動くことはできません。環境に適応し、どのような状況にもたいしょできるように調和しなければなりません。陸地においては、ほとんどすべての事は、計画し、目標を立てることができますが、海ではそうはいきません。陸上にいると人間は自然と対決し自然を支配しようとします。海はそうすることを簡単に許しません。それゆえ人間は、環境と共に生きること、いかにして柔軟性ある者として生きるかということを学ばなければなりません。海に出かけて行く人間は、自然と対決するかわりに調和するように試みなければなりません。

希望のない人のための訓練

 ある人は、海に行くと舟酔いするから、海はどうしても苦手だと言います。そういう人は先祖が非常に貧しい人だと思います。(笑い)
長い目で見て、彼らの先祖にどこか悪いところがあったということは本当です。例えば胃潰瘍があったとか、あるいは何らかの肉体的問題、あるいは欠陥があったことは否定できません。
 統一教会のメンバーは三つのグループに分類することができます。一つは海のチャンピオン達です。我々がそういう人を好むことは皆さんも知っているでしょう。二番目は、中途半端な人達です。彼らは海の上でそれほど良くもないけど、悪くもないといった人達です。最後に三番目は、希望のない人々です。オーシャン・チャーチの使命は、この希望のないグループの人達を用い、彼らをチャンピオンにすることです。これはどの国についても言えることですが、国が衰退するのはその国に強い人々がいないからではなく、多くの人々が希望を失っているからです。それゆえ国の幸福は、そのような希望のない人を強くすることによって保証され、またそうすることによって国の安全も確保されるのです。希望のない人を希望のある人に変えること、それが統一教会の挑戦であり、特にオーシャン・チャーチの使命なのです。ということは、希望のない人々がまず最初にオーシャン・チャーチ へ行くということを意味します。だから先生はそういう人達にまず最初に取り組まさせなければなりません。

人間の性質をさらけ出す

 先生は、希望のない人達をいかに訓練するかを知っています。彼らを海に連れて行って、三ヶ月間海の中に蹴飛ばすのです。彼らがその海でいき延びれる限りそうするのです。そうすれば、彼らは最初のうちは惨めで、また青りんごのように青白く見えるかもしれません。そして体の中の穴という穴から何かが出て来ます。

 しかし、先生はちゅうちょすることなく「彼らを海に蹴飛ばせ」と言います。そうすると一人ずつ出て行きます。船酔いをした人も病院は必要ありません。陸地にしばらく置いておけば良いのです。そうすればやがて食欲も戻って来るし、回復してきます。これが一番良い方法です。健康が回復すれば、また彼らを蹴飛ばして海においやります。そして、このサイクルを繰り返します。そしてまた海から戻って来て、ほとんど死にそうになって戻って来た彼らを休息させ、そして三度目、再び海に蹴飛ばすのです。これを三回繰り返せば、どんな希望のない人間でもチャンピオンにすることができます。希望のない人間を再び希望ある者とすること、それがオーシャン・チャーチの真のチャレンジであり、それこそこの国にとって良いことです。

 さらにまた、海に対して適応性のある健康な人々はいつでも海に行く用意ができています。タイラーは最近、博士号を取ったばかりです。彼はオーシャン・チャーチに人事されるとは夢にも思っていませんでした。それでも先生は、彼に海に行くようにと蹴飛ばしたのです。彼はきっと、自分は統一神学校で良い教授になれるし、本を書いたり、他の大学に行って教えることもできると考えていたと思います。きっと彼はそういうことを考えていたに違いありません。タイラー・ヘンドリックは本当の紳士タイプのような人間です。非常に丁寧で誠実な人間です。しかし、一度海に行けば、そこにはバスルーム(御手洗い)もありません。たとえニュー・ホープであってもありません。

 今年の夏、先生は女性達と男性達に船を与え、共に働くようにさせました。そして、トイレへ行く時がくるとどうしますか。何とかしなければなりません。何とかしてすっきりしなければなりません。周りにいくら女性達がいようと男性達がいようと違いはありません。そうなると腹が必要となります。自分をすっきりさせるという使命を達成しなければなりません。男達はそのような状況に直面してパニックに陥ることなく、自然にそのことに対処します。彼らはそれに対処する腹を持っていなければなりません。女達が海に行くといつものように、上品で素敵な顔つきをするようなことはありません。女も男のような顔つきになって、何とか海に対処して生き残らなければならないのです。時には、女は自分の尻をさらけ出さなければならないこともあります。しかし、そのことに構っておれません。ただ「私のお尻がちょっとさらけ出されているけれども、男の人達は目を閉じてくれるでしょうから、自分自身を盾で隠さなくてもいいわ」と考えるでしょう。

 女にはそういう腹が必要です。また男達が自分の用をたす時、女達は目をつぶってくれるということを男達は知っています。だから問題はありません。そのようにするのです。もし目を閉じない者がいれば、そういう人はその結果に苦しむことになります。

 海の訓練は生々しい裸の経験です。それゆえに、それを通して基本的な人間の性質が現れるのです。海の訓練は、あらゆるものをさらけ出します。海の上では隠すことはできません。だから皆さんが海に出かけて行く時には、自分自身をさらけ出さなければなりません。それを通して自らについて学ぶことができ、他の人についても学ぶことができ、また他の人といかにして調和するかを学ぶことができるのです。

 別の点は、陸上で生活する時には、記録を破ったり、新しい記録を樹立するといったことは余り考えません。しかし、海に行く人は皆、いつも記録を作ったり記録を破ることを考えます。こういう人々、はいつも目標を目指して進む人達です。

 この世の生活は非常に複雑です。だからそういう世の中で出世したり、出世する場所を見つけることは不可解な状態です。しかし、海に行けばチャンスがあります。誰もが皆、出発点に立っているからです。そこではゼロの時点まで下がって行き、そこから出発し、起き上がって再び勝利するのです。皆さん、男達、女達が海に行くときにはチャンピオンになるように、また新しい記録を樹立するようにしなさい。先生はそういう目標を目指した生活が大好きです。


オーシャン・チャーチのビジョンと摂理
1983年 8月28日

 キリスト教、ユダヤ教、その他すべての偉大な宗教は山と何らかの関係を持っていました。モーセは四十日間祈るために山に行きましたし、イエスも山の上で断食祈檮をしました。また釈迦も山の中で霊的な探求をしなから六年間過ごしました。統一教会もそのようなことを経験しましたが、我々はそこで止まるのではありません。我々はさらに進んで、歴史上初めて「オーシャン・チャーチ」を創設するのです。

なぜお父様はオーシャン・チャーチを創り出したか

 皆さんは地球を見るときに、地球表面の三分の二は水です。だから、海と陸地とどちらの方がより多くの生き物がいると思いますか。水の中です。地球上の人口は約四十億と推定されます。しかし海には何百億、何千億もの生き物がいます。海と陸地のもう一つの違いは、すべての海はつながっていて一つの海から次の海へと行くことができるということです。陸地もまたつながってはいますが、海は、一つの調和がある全体としてお互いに動いています。海は生きており、適宜に動いています。死んでいるのではないのです。この地球を覆う水面が生きているがゆえに、地球が生きているということを理解することができるのです。

 これまで海は輸送のために用いて来ました。しかし、人々は海の中に隠された資源を探すために、海を掘り始めることをしませんでした。最近になってある国々は、二百海里領域を「領海」として主張しています。ますます海の資源を巡る争いが、国々を鋭く分裂させつつあります。もし捕る魚がいなくなったら、二百海里の制限というものは意味を持つのでしょうか。

 人々が海の中の資源を発見し始めるようになると、恐らく彼らは三百マイル、あるいは千マイルも自分の国の領域として主張し始めるでしょう。そうすると「海の真の主人は誰か。誰が本当の主人であるか」という問題が起こるでしょう。

 もし突然、ある巨大な陸地が海の真ん中に島として現れたとします。その陸地を自分のものとして主張できるのは誰でしょうか。火山の爆発は至る所で起こり得ます。自然は自然の法則に従うのです。

 神様が「自分が海を創造したのだ。誰がその主人公となるのか」と言いながら被造物を眺めている時に、神様は何を探しておられるのでしょうか。神様はビジョンと勇気を持った人々を探しておられるのです。実際、神様はそのような海の挑戦するために組織され、それに投入している人々の団体を探しておられるのです。もしそのような海を愛する人々の献身的なグループを見出だすことができれば、神様は彼らに祝福を与えられるでしょう。そのような人々が、最終的に海に対する主管主たる候補者となるのです。彼らは、創造主の心を持って考えているに違いないからです。そのような勇気ある人々が世界中から一つに集まって来て、そして一つの共通の目標に向かって団結するにつれて、一つの理想、ビジョンはすべての国家や人種の障壁を越えるに違いありません。そのような国際的なグループが確立されるならば、いかなる国もそれに挑戦することはできないでしょう。なぜならば、そのようなグループは、世界的な展望を持っているからです。

 オーシャン・チャーチは将来何をするのでしょうか。その目的は何ですか。それはいかに海を愛し、創造主の理想のもとでいかに海を利用し、また創造目的に従ってどのように海を主管するかということを教えることです。

 海と陸地を分ける境界線は海岸です。従って、海岸はその二つの世界の結び目を表します。いずれは海岸線が最も重要となるでしょう。海岸線の財産がすべての内で最も価値のあるものとなるでしょう。

海の美しさ

 海には信じられないほど様々な雰囲気が含まれています。静かな海は、美しい女性のようです。そして浜辺の砂は、まぶしい位の美しさと平和の絹のようです。しかし、それが海が与えてくれるすべてではありません。少し風が吹くと海は踊り始めます。少しだけです。どのようなバレリーナや踊り子といえども、海の踊りとは決して比べようがありません。踊り子は小さな限られた舞台の上で踊るだけですが、海は際限もなく踊るのです。その踊りの舞台には際限がありません。

 海では鳥が飛び回ります。飛んで来てまた飛び去り、止まったり羽ばたいたり、すべてが様々に異なる形をして飛びますが、すべて調和が取れています。かもめがやって来て歌を歌い、美しい調和ある動きをします。時々このような美しい光景が、巨大な鯨が水の中から飛び上がって来る突然の火山の爆発のような動きによって、劇的に変化します。水しぶきが輝き、光を反射します。これも信じられない程の美しさです。それほど多くの変化と様々な動きがあります。

 海が腹を立てる時にはあたかも「誰でも自分の方向に向かって来る者は飲み込んでやるぞ」と言っているかのごとく、威厳と力を示します。海はそこに浮かんでいるすべてのものを飲み込むことができるのです。

 普通の場合、高速の船は静かな海をあたかも絹のハイウエーのように美しく走ります。しかし、一度海が怒り狂って高波のしぶきを上げる時には、そのような船も無力となります。波が高まれば、船は「はい、はい」と答えるしかありません。波が突然下に落ちれば、その船もまたそれに従うのみです。なぜならば、自然は最も強力であり、海は「お前は私の言うことを聞け。ここに私がいる」と言っているからです。このような理由で、海を愛する人は男も女も高慢になったり、傲慢になったりすることができません。彼らはそのような自然の圧倒的な力の前で、いかに謙遜にするかを知らなければならないからです。

 陸地には緑が見えます。時として、そこではチョウチョウや鳥が飛び回っているのが見えます。しかし、すべては静的です。しかしながら海では、魚の変化はあらゆる動きであり、しかも一つの場所から他の場所へと動きます。そして自らの美を示すのです。海と陸地では、どちらがより多くの美や信じられない程の神秘がありますか。(海です)

 皆さんが、自らを神様の立場において「なぜ神様が海を創り給うたのか」と尋ねれば、「それは神様が陸地には二、三日で飽きてしまうが、海は決して退屈しないからです」と答えるでしょう。それゆえに、将来のビジョンに関係する者は誰しも、海に興味を持たなければなりません。このようにしてその人はビジョンのある人となることができます。

偉大な文学

 海ではどのような種類の人々が見出だされるでしょうか。勇気ある男に従う勇気ある男達です。では女達についてはどうでしょうか。
 もし夫が非常にひどい下痢になって寝ているとしたら、夫に対して、どうか家にいて漁に出るのは延期してくださいと頼むでしょうか。それとも、彼女は立ち上がって「よし、では私があなたに代わってその使命を続けます」と言うでしょうか。もしその女性がそのような決意を持っているならば、船の舵輪すらも目を覚まして、今まで多くの男達の荒っぽい手で扱われて来た後なので、そのような柔らかい女性の手が触ってくれることを幸せに感じるでしょう。皆さん、女達がそのような使命を引き受けるときには、海の水ですらも皆さんに対して、荒々しくありたいとは思わないでしょう。彼らはそのような美しい女性に対して良くありたいと思います。また海の跳びはねるしぶきですらも微笑んで「私はあなたのスカートにすがりつきたい」と言うでしょう。

 詩のような光景ではありませんか。このようにして偉大な詩や文学が生まれたのです。先生が海について話し始めると、まだまだ話すべきたくさんの話や伝説、神話があります。時々、先生は鳥に向かって話しかけます。すると鳥達も先生の考えていることに従うかのようにこちらに飛んで来て、止まったりするのです。そして先生が「さあもう行きなさい」と思うと、鳥達は突然飛び立って行くのです。

 文学というものは、そのような自然との交わりを表現しながら書かれるものです。被造物は人間に対して「もしあなたが、私が離れたとしても愛してくれるなら、私はあなたから離れて行きましょう」と言います。人間と被造物はお互いに慕いあっています。それは丁度男性と女性のとの間の愛のように慕い合うのです。

 もしある男性とある女性がエンパイヤ・ステート・ビルの頂上、地上百二階の所でデートをすれば、それは非常にロマンチックです。しかし、なぜそのようなデートがロマンチックだと考えられるのでしょうか。それはそのような高い建物はユニークであり、その二人の男女は地上の最も高い地点の一つで出会っているからです。誰も注目していないとしても、彼らは自分達が世界のトップにいる王様と女王様として出会っているかのように感じるのです。

 ある男女が南極点で出会ったとしましょう。その周りには誰もいません。すべてが氷と雪だけです。ペンギンだけがお互いにキスをしています。そのようなことは想像するだけでもロマンチックな瞬間です。何か信じられない位刺激的な経験をするためには、普通の人達がしないようなこと、ユニークで挑戦的で、特別のことをしなければなりません。そういうことなくして皆さんは、刺激ある陶酔と美を得ることはできません。

アラスカ

 先生は最近、アラスカへ二回行って来ました。アラスカは住んでいる人もほとんどいない神秘的な処女地です。そこは、熊や、野生の動物の土地です。大部分の人達は、アラスカは雪や氷河に覆われ、また海岸線はギザギザとしていて、白鯨やアシカやオットセイのいる所だと考えています。ある日、先生は小さな島へ行き、そこで何匹かのアシカに出会いました。彼らは先生を見るや否や、歓迎の声を上げ「あぁ、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ」と叫び始めました。彼らは一斉に声を上げ、その声は非常にユニークな響きでした。しかしそこには二つの区別すべき声がありました。一つは雄の声、もう一つは雌の声でした。それらが一つに調和して、すばらしいコーラスを作っていました。
 そこには鯨やハリバットもいました。ハリバットというのは平目のような平べったい魚で、三百ポンドにもなるのです。おそらく、ハリバットのことを知らない人が多いでしょう。だから神様は「お前達は哀れな者だ。私が生き物を創って、お前達に与えたのだ。お前達はここへやって来ようともしない。お前達は私の創った物を見ようとさえしないし、それを楽しもうとさえしない。お前達は哀れな者達よ」と考えておられることでしょう。
 神様は勇気ある人々に関心があります。神様御自身が冒険好きであり、また神様は我々人間をそのような者として創られたのです。

アメリカの女性

 先生はこういう特別の経験をした後で、アメリカの女性達はどうあるべきかについて考えてみました。アラスカで、先生はある夫婦に出会いました。その男性はそこにずっと住んでいます。そこで先生は、なぜこの夫婦がそこに住んでいるかを知りたいと興味を持ちました。「なぜ、あなたはここに住んでいるのですか」と尋ねました。「なぜなら、我々は自由が好きだからです。完全な自由を愛するからです」と答えました。彼らが説明するには、ニューヨークやその他ではちょっとどこかへ行こうとすると、すぐに誰かにぶつかります。あるいは、いつも誰か他の人の領地に足を踏み込んでしまいます。そうすると彼らは「だめだめ、それに触らないでくれ」と言います。しかし彼らが言うには、アラスカでは何年走り続けたとしても誰にも迷惑がかかりません。だから「全くの自由です」と彼らは言うのです。それはすばらしいことだと思いませんか。アラスカは法律的には、アメリカ合衆国に属していますが、この夫婦のようにそこに住んでいる人達は、文字通り国境がないのです。

 先生がその女性を見ると、彼女は非常に小さくてやせていました。しかしこのアメリカ女性は、腹のある人でした。彼女はビジョンを持っており、また普遍的な心の持ち主でした。彼女は自信と確信を持っています。だから熊狩りに行く時でも、彼女は熊をやっつけることができるのです。それで先生は思いました。「これこそまさに、西部開拓のアメリカ人をして、新しい地平線へと駆り立てた女性の精神だ。これが開拓者魂だ」と思ったのです。

 では彼女はどうしてこのような男性に出会い、結婚するようになったのでしょうか。彼女が打ち明けてくれた所によると、彼女は世界中を旅行して歩いたということです。そして、世界中で様々なタイプの人、文明人であり教育のある人を始めとしていろいろな人に会いました。その後彼女はアラスカに来て、心が素朴で欲のない人達に出会いました。海に出かける人達は漁師でした。また、山に出かける人達は猟師です。しかし、ここには漁師と猟師の両方を合わせた人が生きています。この男性はその心の素朴さと自然で欲のない性格によって、彼女の心を完全に虜にしました。そこで彼女は彼と結婚し、それ以来、その環境の下で生活しています。ここにおいては、彼が何をしようとも裸のまま、つまり心のまま誠実であることができます。だから、彼らが隣人に会う時、あるいは知らない人に会う時でも彼らはすべてのものを愛する以上に愛してきました。

 普通は、ある漁師が自分の良い釣り場を持っていると、それを自分だけのものとして隠したがります。ところがこの人が言うには「ここは漁師の天国だ。あなたはもっと大きなものを釣ることができますよ」と言いました。この人は本当に他の者を助け、他の者に奉仕しようとしていました。先生がそこにいた時も、彼は他の人のために、餌や道具を準備し、そして先生の一行に大きな魚を釣らせようとしました。彼らは先生達が大きな魚を釣ることを望んでいました。

 その日は、たくさんの魚が釣れました。先生はとてもその人に感謝し、その日の終わりに、彼に感謝の印として贈り物を上げようと思いました。ところがその男は「いや、結構です。皆さんを手伝うことが私にとっての光栄であり、特権です。もしそれを私にくださると私の栄光が失われてしまいます」と言いました。先生は後で使いをやって、どうかその贈り物を受け取ってくれるように説得しました。しかしその人は受け取ることを断固として断わりました。しかし遂にその謙遜な人は譲って、自分はレバレンド・ムーンの美しい心を見たから、その贈り物を受け取りますと言いました。そこで先生は「長い間経って、ようやく久しぶりに自分は真のアメリカ人に出会った」と思いました。



 いろいろ検討した結果、鮭こそがムーニーの魚となるべきであり、鮭こそがムーニー・スピリットを象徴するものであると決定しました。雄と雌の鮭は、並んで共に川を上がり産卵の場所まで泳いで来ます。彼らがはるばるそのような旅をする目的は、卵を生むということです。そして、夫婦は卵を産む場所で川底を掘り始めます。産卵の間、雄は雌を守るようにその周りを泳ぎ回ります。やがて彼らの皮膚の色と筋肉が変化し始め、そして卵を産むという使命が完遂された後は、彼らは命を捧げて死んでしまいます。彼らの体はやがて腐敗し、そして卵からかえったその小さな魚のための飼料となるのです。

 これが彼らの運命ですが、卵を産むことによって繁殖することに成功します。それは愛のためなのです。彼らは恐れることなく、共にその運命に向かって進んで行きます。これは本当に見るのは美しいことです。先生はこのような鮭の中に理想的な夫婦のイメージを見ました。すべての人類が鮭のように生きる時、神様の住み給う所が人間と共にあるようになり、神様は人間の中で幸せとなられるでしょう。なぜ神様は鮭を創ったのでしょうか。それは人間を教育し、人間が従うべき模範を見せるためでした。では、結論を言いましょう。オーシャン・チャーチは、神様の理想を教えるために創られました。海の被造物を通し、海に対する真の愛と海に対する真の主管ということを得ることができます。各自は、神様と共に共同の創造主となり、神様の創造という偉大な御業に参画し、そして被造物を友として理解することができるようになります。

























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