御旨と世界
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序文


 文鮮明先生は、神のみ言を伝えたいという激しい願望をもっておられるお方です。文先生は生涯を通じて、あらゆる機会に、神について、すなわち神の心情、神のみ旨、神の苦悩の歴史について、溢れ出づる泉のごとくに語ってこられました。文先生は公式集会ばかりでなく、朝食の席で、車中で、フィッシング・ボートの上などで、実に可能な限りあらゆる場において深遠なる話をしてこられました。実際、四十年の公的宣教生活の間に、文先生は実に多く語られ、今や伝えられたみ言の量としては、恐らく歴史的、世界的記録をつくっていることでしょう。例えば、韓国統一教会では、二〇〇巻もの文先生の説教集の出版計画を進めています。文先生はコネチカット州ダンベリー連邦刑務所において、極めて不当なる刑に服している期間に、『忠孝の源』(今日まで、『ファミリー』等、日本で掲載されてきた説教を神山威兄弟がまとめたもの)など御自身の説教を読まれ、多くの箇所に訂正や註釈を加えられました。『御旨と世界』と題された本書は、三十八の説教からなり、神のみ旨と心情について、統一運動の教えの真髄を伝えるために、先生によって慎重に選ばれたものです。この説教集はまた、現代の摂理的時代と、文先生御自身の使命、重要性、心情を理解する上でも特に重要なものです。なお、本書の題字は、文鮮明先生御自身によって書かれたものです。文先生は、神をどのように見ておられるのでしょうか。先生は今日多くの人々が考えているように、神を単なる人間の考え出した概念や現象とはとらえていません。神は私たちの生活の中に実際に生きて働かれ、また、世界のあらゆる事象は神の存在を考慮せずしては考えることはできません。

 文先生は、聖書研究、祈祷、啓示を通して、神が真の父であることを悟られました。さらに、今日まで人類が幾度も神の立場を理解せず、自分自身や他人をも苦しめていたために、神の心情は深い悲しみに満ちているということを悟られました。すなわち、神は全人類を自分の子として愛しておられる、私たちの真の親であられるのです。神は私たちの苦しみと共に苦しまれ、私たちの善き行いを喜ばれ、私たちが創造本然の姿に成長するよう絶えず導いてこられたのです。文先生は、この世界の惨状を神が深く悲しまれているのを知ったその日以来、ずっと涙の祈祷を続けてこられました。もし皆様方が、文先生の祈祷を聞く機会があるなら、たとえ韓国語が分からずとも、必ず文先生と神との交わりの深さを知ることでしょう。

 今日、キリスト教界は数多くの宗派に分かれ、それぞれが特有の教義と儀式をもっています。しかし、いったい何人のクリスチャンがこの重要な時代に、神のみ旨を熱心に捜し求めているのでしょうか。イエス・キリストは神の苦しみと、失った子女たちをサタン世界から救おうとされる神の深刻さを御存じであられたので、神のみ旨を命懸けで成し遂げようとされました。イエス様は愛と哀れみのゆえに、御自身を神の御国建設のために完全に捧げられたのです。

 文先生が十六歳の復活祭の朝深く祈っておられる時に、神の子たちの苦しんでいることを悲しむ心情をいまだに抱えられたイエス様が文先生に現れ、現代の、神の摂理に責任をもってほしいと頼まれました。神の道はこの世の道とは違っているということを知っておられたので、文先生は誤解と迫害に遭うことを予想しながらも、この召命に応じられました。ですから先生は、社会に受け入れられたいという願望によって動いているのではなく、ただ神のみ旨と心情を宣言したいという願いによって動いておられるのです。文先生は気力溢れる説教者です。公式の宗教儀式で教会員たちに語りかける時であろうと、教会運営の会議あるいは誕生祝賀会、キャンプファイヤーを囲んでであろうと、文先生の説教は実に力に溢れ、その内容は神と人類がこれまでに経験したすべてに及びます。説教が早朝から始まり、一日中遅くまで続くことも珍しくありません。文先生は常に聴衆とのやりとりを交わしながら説教を進めます。楽しいユーモアを口にされたり、極めて深刻な話をされたり、時には悔い改めについて語られますが、常に壮大なビジョンと理想を語られます。

 教会員に話される時には、文先生は、深い信仰と献身の心情を喚起することによって、彼らが試練の時を耐え抜けるようにされます。ここに収められている説教は、本文を見ても明らかなように様々な状況の中で語られています。いくつかは、伝道キャンペーンで語られたものであり、重要な教会の記念日に語られたもの、また、新たに祝福を受けたカップルに語られたものもあります。これらの説教は、すべて日本語もしくは韓国語で語られています。アメリカやヨーロッパで語られた説教も、文先生は横に同時通訳者をおいて韓国語で語られました。

 文先生の説教は、従来の既成概念に対する大きな挑戦であり、また、通訳者、翻訳者、編集者の手を経ているため、さらに実際に語られた時の雰囲気を直接知ることができないために、その言葉を理解するには特別のものが必要です。本書の説教を通して、文先生はしばしばその特別なもの、すなわち、純粋で開かれた心情と明敏な心について触れています。それらは真剣な祈りによって導かれ、守られるものです。韓国語、英語から日本語に翻訳の際、神霊的な概念を翻訳することは困難であることを、心に留めておいてくださるようお願いいたします。しかしながら、これらの説教集を出版するために準備してくださった翻訳、編集スタッフの皆様方、そして、迅速な製作に少なからず協力してくださったすべての方々に、感謝の意を表したいと思います。本書を読み、熟考されるとき、天があらかじめ私たちに備えてくださっている賜物が、皆様の上に授けられますようお祈りいたします。


1985年8月20日               

世界基督教統一神霊協会会長         

久保木 修己         









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