御旨と世界
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統一式のみことば

1976年1月31日 韓国 ソウル本部教会

◆歴史的な年

 皆様がよく知っているように一九七六年というのは歴史的な年である。昨年のヨイド大会は国家的に、統一教会が霊的国家的基盤を整え、実体的国家基準を立てる年であった。それは何かというと、イエス様が十字架上で亡くなったことによって、ユダヤ国家とユダヤ教が一つになることができなかった、これを蕩減復帰する、歴史的な期間である。当時、ユダヤ教徒と政府が一つになってイエス様を追い込んだ。

 昨年、どのようなことが起きたかというと、統一教会と政府が一つになって既成教会を追い込んだのである。逆になってしまった。そして、六十カ国の統一教会の食口たちが来たということは、世界の数多くの国家を代表して、横的な国家の立場から見ると、民主世界は霊的なキリスト教の使命であり、霊的な世界基盤を中心としたその土台の上におくためで、それで) 国際機動隊(IOWC)を編成したのである。

 だから、西欧の人たちがここに来たという事実は、霊的な西欧世界の、キリスト教全体の勝利的基盤を持ち込むことによって、アジア諸国に来ていた数多くの霊人たち、あるいはキリスト教で犠牲になった数多くの霊人たちが、今まで一つになろうとしても一つになり得なかったことを、私たちがあのような行事をすることによって、アジアと西欧文化圏がここで一つになり得る、契機となったのである。それが一つになることによって、今までアジア地域で自分の国の主権のために忠誠を尽くしてきたすべての善なる霊人たちと、今まで西欧社会の文化圏を中心として善なることを行ったすべての霊人たちに、接触し得る時が生まれたのである。

 韓国という国は、世界を代表した歴史的蕩減条件を立てた国であるために、全世界を代表する一つの統一的な教えを立てておかなければならない。韓国が、霊でもって一つになるという事実は、これは西欧の文明圏とアジア文明圏が一つになると同時に、キリスト教と、今日の統一教会が一つになることである。言い換えれば、キリスト教世界にある霊的世界の土台が、今日韓国の統一教会を中心として、霊的基準を中心として世界まで連結させなければならないし、その霊的基準を中心として世界に連結された、この世界のキリスト教におけるすべての恵みを再び持ち込んで韓国で肉的基盤を連結させなければ、肉的に世界へ行く道がないのである。

 そのようなことを決定する大会がヨイド大会である。これは歴史的な行事であった。やって来た人々は自分たちの力でやって来たのではない。すべての霊界が動員されて、自分も知らずにやって来たのである。こうすることによって、韓国の歴史にない記録を作り出した。また世界の集会の歴史にない、記録を出したのである。このような事実は、国家を中心として、一つの基本に沿って超えていく時を意味している。そのため、その条件をもって私が米国に行って、三年目に入って、今年、非常に言論界が攻撃してきた。しかし、四月までには峠を越えるということを私は知っていたため、四月からは我々のほうが攻勢をとるのである。また有り難いことには、共産党たちの、「レバレンド・ムーンは洗脳している」という非難がすべて却下されたということである。

 その事実が法廷で問題となって、みな、刑を受けるようになり、向こうが完全に追われるようになったのである。米国の全言論界は、ニクソンの時から反対してきたし、「幹部たちが来て、アメリカ全体を追いまくる」と言って追い出そうとする。そこには狡猾なものがある。

 自分たちが今まで西欧文明を中心として、四〇〇年の歴史的伝統を立てて豊かに生活しているのにとんでもない人が現れて、若い人たちを集めていると訴えているのである。私たちから見ればそれは犠牲であるが、彼らから見れば訴え出る内容に見えるのである。しかし私たち食口の考えは、自分一人犠牲にして世界を生かすのが目的である。この世の人たちが見れば、自分自身の生活のためにでも八時間忠実に働いたりすれば、その人を褒めたりするが、私たちがこの世の人たちと同じようにしていたら、どうして国を救うことができようか。「それ以上やらなければならない」というのが理論的に成り立つのである。

 自分のために八時間働き得るそのような人たちよりも、私たちは他人のためにそれ以上しなければならない。人のために、世界のために、それ以上やらねばならないのである。これが我々の観点である。このような観点を彼らは理解できない。それゆえ、朝早く起きて、夜十二時、一時に帰ってくる。このようなことは、米国の社会から見れば、それこそ酷使である。これらのことを彼らは想像することができない。いくら研究しても研究しきれない。調べても分からない。(彼らは)共産党がアメリカを手に入れるために、レバレンド・ムーンを立てて、協助するのだと思っていた。それで、CIAを立てていくら調べても分からない。レバレンド・ムーンが勝共活動をしていなかったら大変なことになったであろう。勝共活動をして、韓国とアジアにおいて反共主義者としては第一人者である、という烙印が押されているため、それを無視することはできない。

 このように、今までに、私の所に夜来て、写真を撮っていったり、あらゆることをしてきたのである。ある時は尋ねて来て、捕まえようとしたこともあった。これはFBIの人々の仕業である。

 この前、金公使の所にCIAの責任者が尋ねて来て、聞いたことがあるそうだ。「本当にレバレンド・ムーンは、どういう人か分かりませんね。お金を使っているのを見ると、韓国政府がお金をくれる以外は、お金がどこから出るか分からない。共産党であるはずがないから、あなた方政府しか道がないのに不思議でならない。これはどうなっていることか」。その時、金公使の答えが非常に傑作だったのである。さあ!

 聞いてみなさい。

 「韓国大使館の費用が年間三〇〇万ドルである。これはあなたたちがよく知っている。しかしレバレンド・ムーンが使っているお金は、一年に何千万ドルである。そうだとしたらどのような主権国家が、自分の公式的な大使館をさておいて、個人を立ててその相手国を料理するために何十倍、何百倍の金を支援するか、そのような国があるだろうか」と。そう言ったら、「あ! 分かりました」と。

 それゆえ、私に対して、非常な関心をもっているのである。だからあらゆることを問題視して、条件さえあれば引っ掛けようとするのであるが、思想的に見ても共産党でないし、宗教の立場からもキリスト教の立場で、私が指導的な立場であるし、いかなる条件にも引っ掛けようとしてもできないのである。

◆ヤンキー大会

 これはみな、神が時を合わせるための摂理である。これは、世界的な中心国家がアメリカであるために、霊的なキリスト教文化圏にいるにはいるけれど、我々が昨年三年路程において勝利の基盤を収め、霊的基盤のキリスト教と統一教会が連結された。このようなことを成したために、霊的な土台は、民主世界やキリスト教がどれほど騒いでも、主権は我々が握っているのである。その基盤の上に、韓国においての国家的基準、霊肉を中心とした実体的基準を立てたのが、三年路程における米国全土においての摂理であり、このような基準を立てるべく、七六年、七七年、七八年四月まで、私たちが四月から始めてその時までに、米国は必ず先生を中心として大混乱の渦の中に入る。そして問題は二年目から峠を下るようになることである。イエス様が十字架にかかるようになったのは、二年目の時から食い違って、逆になってしまったためである。しかし今日、(私たちは)二年から反対になって、さかのぼっていくのである。そのために七五年から七七年まで、この三年期間は何かというと、霊的な勝利の基盤の上に、世界的勝利の基準の上に、肉的な勝利の基盤を連結させる時なのである。それはヨイド大会において、霊肉を中心とした国家基準の勝利の条件を立てたためである。それゆえに可能なのである。

 私たちをいくら打ってきても、勝利できないというような、原理的な絶対なる権限を私は知っているため、気を大きくもって闘っているのである。それでヤンキー・スタジアムを中心として、大きな闘いが始まるのである。

 統一の群れは全部出てくる。中にはいろいろな人もいるでしょう。その過程の中においては、ワシントン大会まで、それがマジソン大会を中心として第二次戦であり、この基準さえ越えれば、次のワシントン大会が終わる日には歴史的な転換点になるのである。

 今、みな敵は落胆していて、「レバレンド・ムーンは何者か」とか言っている。自分たちが不利な立場に追われることが確かであるから、テロしようとするのである。パリの統一教会をテロしたのと同じように。そのような現象が、アメリカにおいても起こり得るのである。ベルベディアを爆撃するといって、消防署や警察を動員して、相談したりした。パリでのあの事件は、既成教会と共産党が野合してやったということを、ニューヨーク・タイムズが正式に報道したので、今は、共産党が背後にいるということを私たちが白昼に宣伝しても、アメリカの国民は反対できなくなってきた。

 このような有利な条件を中心として越えていくのである。そしてこの統一式を越えておけば、これからは個人より家庭より氏族、民族、国家、世界まで一つの統一の境界線(個人、家庭、氏族、民族、国家)が始まる。分かりましたか?

 今までそのような式は、なかったのです。全部がさかのぼっていく式はしたが、個人的に横的に、統一戦線を中心として、一つの分水嶺をつくる式はなかったのです。このような歴史的転換式を一九七六年に、統一教会が国家的蕩減の峠を越えて、世界的な恵みをかき集めて、することができたということは、これから統一教会は、永遠に勝利し得る決定的な次元へと越えていくということを、皆さんは知らなければなりません。

◆新しい時代

 年頭の辞において、思想を統一しなければならないと発表した。このようなことを土台として、教授アカデミーから、韓国の著名な人たちは、統一教会の統一思想が偉大であるということを、今や分かるようになってきた。そのため、思想武装をする教育を、内務部と情報部でやっていたが、結局は、彼らが一つとなって、私たちに依頼してきているのである。

 その成果が、教育を受けた九八パーセントが「この教育は挙国的な国民教育として展開しなければならない」と、このように見るとき、間違いなくこの国は、新しい思想を中心として武装しなければならないし、新しい次元を結成することのできる基盤をつくっていかなければならない、という結論になり、すべてが内外共に一致してくるのである。

 このような時であることを、皆さんは知ってください。これから何が始まるかというと、私たちの教会自体が、先生の家庭を中心として見ても、最後に行く道は原理の道しかない。今までは複雑な道を歩んできたが、原則的な基準を中心として、収拾していかなければならない。それで、今度は崔元福先生は連れてこなかった。今度からは、できるだけ家庭を中心として収拾する時である。内的、外的、家庭において、いろんな問題がある。子供たちを中心としていろんな教育問題等を解決しなければならない。今までは前線で闘ってきたが、これからは母が前線に立たなければならない時である。そして内外共に秩序をつけなければならない。今までは秩序を整えることができなかったのである。今までは場を定めることができなかった。なぜ、場を定めることができなかったのか?

 いくら一個人が場を定めたとしても、堕落しなかったアダムの場というのは、世界史的な場である。

 国家を越えて、この中に世界的基盤を定めることのできる蕩減条件を立てずには、個人の場を定めることができない。それが原理なのである。そのために、その意味からして、ただ場を定めようとしてもできない。世界史的な蕩減条件を立てなければならないために、そのような行事を今までやってきたのである。今ではその条件を立てたために、個人から場を定め始められ、家庭も位置づけられ、氏族を中心とし、民族を中心とし、世界を中心として位置づけられる段階へと行かなければならないのである。

◆統一式

 統一というのは何か、これまではカインがアベルを打ってきた。悪が善を攻撃してきたのであるが、今からはそのような時は去っていくのである。善が悪を打つが、悪は善を打つことはできない。これの交換する歴史的な日が、今日であることを皆さんは知らなければならない。それでこの式を統一式というのである。分かりましたか? (はい) 。

 統一教会の食口は、これからは、心と体を中心として見る時、いつも公的な思想の前においては、心の基準の前に、体は完全に一つにならなければならない。これが問題である。それがなされていないのである。心で願うその目的を中心として、体はいつも動揺することなく、一つにならなければならない。いかに難しい環境だとしても、その難しい環境を中心としての目標は、心と体を中心とした目標と変わりがない。先生はいくら悲惨な立場におかれたとしても、その悲惨な立場を克服して成してきたし、そのような思想をもって成してきたのである。そこには少しの動揺もなかった。

 それと同じく、皆様は、心を中心として神のみ旨、神の摂理世界、神の創造理想、そういったことを中心として、体はどんな犠牲を払ったとしても、一致化させるのに、喜んで甘受できるこのような人にならなければいけない。ここには讒訴はない。これに反する時、必ず病気になるか蕩減を受けるようになる。だから心を中心として体が一つにならなければならない。そのようにして一つになった男性と女性が家庭を中心として、家庭を中心とするというのは、男性女性が愛するのもその愛は創造理想を中心として愛さなければならない。男性(夫)を愛するとか、女性(妻)を愛するとかという愛は、どこに帰結されなければならないかといえば、自分たちだけの愛で帰結されるのではなく、創造理想の愛を中心として一つにならなければならない。

 創造理想の愛とは、神を中心とした愛なのである。これと一つにならなければならない。このようにして夫婦が一つになって、創造理想の愛をもって愛さなければならない。縦的愛の圏内に立体的な、横的な愛の圏内に縦的な愛が成立して、それで初めて真なる父母の立場が形成される。それから子女は分立しても分立し得ない立場に立つ。分立しては必ず、彼ら自らが蕩減を受けるようになる。そのために、父母を中心として必ず子女が一つにならなければならない。子女を中心としてカイン、アベルのように、兄はカイン的立場で弟を打ってきたのである。

 神を中心として、父母を中心として父母の前に孝行する、み旨の前に兄弟は一つになり得る教育をし、見本とならなければならない。そうするためには、父母たちが教育しなければならない。今まで子女たちは、学校で教育したのだけれども、これからは父母が教育しなければならない。父と母が一つとなって見本を見せることによって、子供たちは兄弟間においてもその見本にならって、男性はこう生きなければならないという、女性はこのように大切にしなければならないという、そのような伝統を立てて、新しい家庭をつくらなければならない。

 そのような家庭を中心として、すべての周り近所の見本になるし、自分の親戚全体の見本になる。そうすることによって一つの統一圏が始まるのである。なぜこうなるかといえば、内容を追求するようになれば、統一教会を信じ、神の創造理想的愛を中心として生活し、家庭をつくるからである。このようになれば、自然に近所の人々がその家に集まり、相談に来るようになり、そして親戚全体も何か事があれば、すべて相談しに集まってくるようになる。

◆すべてが一つになる。

 私たちはこのごろ超教派運動をしているが、牧師が原理の話を聞いて、自分も知らずに、心の中のすべてをほどくようになる。それと同じように、自然に一つの愛の圏が始まれば、自分のすべてが順応し、自分のすべてが順応化しようと思えば、自分のすべてをほどいておかなければならない。ほどいておくことによって一つになり得るので、我れ知らず、すべてを明らかにするのである。それは家庭を中心としてその周り近所、親戚たちが一つになり得ることができ、彼らの秘密を全部聞いて、それを解いてあげるのである。秘密を知って、秘密を中心として彼らを善の方向に指導する時、信頼されるようになる。

 このようにして、氏族、民族が一つになり得るのである。金さんだったら、金氏の氏族が一つになって金氏の氏族が良くなるというのは、民族が良くなることである。数多くの民族が一つにならなければならない。その民族というのは何かというと、横的な国であるから主権を代身する。必ず祖国的決着点をつくらなければならない。氏族と民族の祖国的決着点が何かといえば、主権なのである。これは神の身代わりを形成する。これは必ず神を代表した主権を中心として、一つの、神の国となる国を形成しなければならないのである。それがアダム、エバの行く道であった。堕落して世界的な蕩減を残してきたので、仕方なく、世界のある国が再び蕩減して結実させなければならない。私たちが蕩減の道を行くのに副作用が多く、ここに蕩減の行事が始まるのである。

 国家が息子の立場において一つになり得るそういう国家が始まるとしたらどうなるかといえば、国家の蕩減を全部受けるようになるのである。さらに北韓、共産主義というのが出てきたために、今韓国において二つの国が完全に一つになって、イスラエルの国家形態をもったとするならば、世界的な国家を支配することができる。なぜならば、共産主義の一線にいる国家、額を合わせて戦っている国家において、ここで共産主義を凌駕し得る主義が出たならば、それは世界的なものである。そのために、共産主義の嫌いな民主世界は、どんな国であろうともこの主義を、この国の思想を全部見習わなければならない。共産主義に対する一つの防波堤になっているからである。そうすることによって、サタンに対してまでも、「君(共産主義者)によって道を備えるのに助けになったので、許してあげよう」という条件が成立するのである。

 全民族、全人類、全主義を越えて、人類を救援しようとする神の国の摂理をうかがうことができる。統一教会だとして、私たちが勝共活動をしないで、統一教会のことばかりやれば何の問題もない。反共という理論をもって出てきたが、国家が共産党の脅威を受けているので、私たちが主導的な基盤を整えて行けば、国家と一つになることができるし、一方では共産主義が私たちに対して攻撃する。

◆勝利の時

 打ち倒したいのは政府ではなく、私なのである。こうなることによって国民は自然に結束されてくるのであり、主権も一つになるこの段階に入ってくるのである。私が、今年の四月まで一回り(韓国、日本、アメリカ)する時には、必ずアジア圏内までも拡大できる、良い時代になってくる。どんなことが起こるか見てみなくては。摂理的観点から見ると、四月までが一つの峠なのである。一次年度(機動隊の活動)は四月まで、我々の第二次の機動隊の活動は四月からである。一年が過ぎたら国家にもアジアにも変動が起こる。

 このような時代に、神の前に有終の美をなし、治めるために、このような式がどれほど重要であるかを知らなければならない。三十六家庭から、七十二家庭、一二〇家庭、これが一つのチームである。分家をおくことはできない。三十六家庭は歴史の歴代祖先をいい、そして七十二家庭は子供たち、息子、娘をいうのである。そして一二〇家庭は何かといえば、世界の国家、カイン圏をいい、十二支派をいうのである。世界的分派である。そうなると祖先とカイン、アベルが一つになり十二支派が一つになるのである。これが復帰歴史である。復帰歴史がどこにあるかといえば、父母が一つになってカイン、アベルの悪い息子たちを、本来の神の息子として娘として一つにならしめ、七十二家庭は三十六家庭のカイン、アベルの型である。だから一つにならなければならない。そうなったとしても、家庭が一つになったのであって、家庭が一つになったとしても世界的横的基盤がないのである。十二支派のようなものを世界へと広めたものが一二〇門徒なのである。七十二門徒、一二〇門徒、これは世界的な拡大型である。その基準を蕩減するのである。きょうはここに三十六家庭も七十二家庭も来ているが、三十六家庭は祖先であり七十二家庭はカイン、アベルの型であり、これが闘ったためにみ旨が一つにならなかった。だからこれが一つにならなければならない。七十二家庭は三十六家庭と一つにならなければならない。カイン、アベルの型である。祖先を中心としてカイン、アベルが一つになることは十二支派が一つになることである。

 イエスを中心として見ても七十二門徒が一つになり、イエスを中心として蕩減復帰して、十二支派の中で代表を立てて、そこで祖先を立て、七十二門徒、一二〇門徒を中心として初めて一つの条件を立てて越えていく。これができずして失敗したのである。蕩減条件においてこの三段階をつくって越えていくことができるのである。そのために、きょうここに一二〇家庭が出席するようになったのである。そして韓国において九カ地区はそれは世界の代表である。

 この地の代表である地区長たちは族長を代表したのである。九カ地区というのは国であり、国と世界の代表、この地の代表であり、地区長というのは族長のようなものであり、そのためにこのような一つの形態が、この場、韓国の一角ベランダでの式であり、韓国の本部の二階でする式であるが、その意味は世界的な式である。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界まで境界線がある。

 今まで家庭だとしても境界線が見えなかったが、これからは直線上になされなければならない。それが直線上になされる時、私たちは勝利的になるであろう。そのような意義をもった式であり、統一教会において最も貴重な式なのである。

 このたび、本当は孝進様と誉進様を連れて式をしようとしたが、学校があって仕方なく、権進様とやって来た。

◆子女様の運勢

 孝進というのは、孝行することによって祝福家庭が勝利するのである。興進の「興」はさかえ、顕進の「顕」はあらわれるという意味である。祝福を受けて初めてあらわれるという。国進様はどこで現れるかといえば国に現れる。国進様はそのような責任がある。権進様は国に現れて権勢をもたらし、統一教会の権進様は、権勢をもたらしてくれる。

 そのために生まれてからみな、それぞれ違うのである。生まれて十七日ぶりに笑ったりして、みんな他の人と違う。抱くようになれば、普通の子供たちは喜ぶが絶対にそうしない。抱き始めたらずーっと抱かねばならない。すべてが違う。それが非常に不思議である。そのように賢い。そのように統一教会は権進様と共に押し進めていくのである。摂理史的なことが名前と共に一致するために、その名前が権進というのであり、権進様が米国で出生されたから米国を代表するのであり、アメリカの市民権をもっているために、アメリカを代表した立場であり、これが全部韓国に連結されるのである。それでこのたび権進様を連れてきたのである。

 そして、家庭において、社会、国において一つになり得る、一致し得る、統一の群れであり、統一の国と統一の世界と一つの目的を中心として、変わりない皆さんにならなくては、これからは蕩減を受けるであろう。

 皆さんが蕩減を受けるには三段階がある。物質的に苦しいとか、子供が病気をするとか、あるいは自分が病気になるとか、これが蕩減法である。旧約時代は供え物で蕩減をした。新約時代においては子女でもって蕩減した。息子、娘、子女を通して蕩減したし、成約時代においては父母を通して蕩減した。そのような現象からである。だから皆さんの体を打ったり物質的な苦労を受けたりする。家庭をみ旨に合わさなければならない、そうでなければ、子供たちが蕩減するのである。それでも聞かない時には打ってくる。その時、悔い改めなかったら、打たれるのである。蘇生、長成、完成級において悔い改めないで打たれたら、それは最後である。蕩減法がこのようになっている。

 それを知って、皆さんは心と体が一つになって、家庭が一つになり、教会、国、世界が一つになり、個人を犠牲にしても家庭が一つになることが天倫である。善なる道理が行く道である。家庭を犠牲にしても親戚を救おうとすれば、親戚を救う道に行かなければならない。今までと違うのである。

 国家を犠牲にしても自分がよければいいし、親戚を犠牲にしても自分がよければいいし、妻を犠牲にしても夫がよければいいし、そういうこととは全く反対なのである。私を犠牲にしても夫を生かさなければならないし、家庭のために夫婦が犠牲になり、私たちは氏族のために犠牲になり、氏族は民族のために、民族は国家、国家は世界のために犠牲になる。そのために、韓国がこれから神の国の祝福を受ける国になるには、世界の国家の息子の立場に立って世界のために犠牲になる伝統を立てるようにする。そうなれば永遠に滅びないのである。今までとは全く反対である。今、すべての国家は、自分の国を中心として、アメリカであろうがあらゆる国を利用しているのである。今までと反対でしょう?

 これから神の国は反対なのである。いかなる国が犠牲になった以上に、世界の幸福のために神の国のために、どんな反対があったとしても神が願う世界のためには、その国を犠牲にさせる。世界国家のために犠牲にすることによって、結局指導的国家にしようというのである。それでもって歴史的な伝統と業績を残す。どのような実績を残すかといえば、犠牲精神による実績のみが、今日堕落した世界においては、よき実績だけが残るのである。

 そうじゃないか?

 そうでしょう。そのような人々が聖人であり、そのような人々が歴史的人物、中心として、功労者として残されてきたのである。そのための犠牲というのは、そこには一理がある。必ず、犠牲になることによって人のために与えるということは何かといえば、再創造するのに神様自体を消耗させる、そのような立場と一致するのである。私を投入するということは、第二の自分をつくるためのものであり、神様が自分を投入して再創造したと同じように、再創造の歴史が復帰路程において蕩減されるのである。蕩減は再創造の力を投入するところにおいてのみ、始まる。再創造の歴史が始まるには、やむを得ないという結論である。結論は理論的に出る。先生自身もそうなのである。

◆犠牲の道は公式路程

 韓国の統一教会の文先生が来ると、韓国のお金をかき集めて、韓国を犠牲にさせてアメリカに持っていく。アメリカはお金持ちで豊かな国であるけれども、韓国と日本を犠牲にしてアメリカを救うというのは、再創造の歴史である。そしてすべてを投入するのである。真に私がすべてを投入したのである。神がアダム、エバを創造してすべてを投入したのであり、そこには天使長も投入したのであり、万物も投入し、自分の精神すべてを投入したのである。全体を投入するのが再創造である。

 そのために韓国が、神の前に全体を投入して、行く道を開くのである。そのような国は決して滅びないであろう。必ず味方する国があって、韓国が祝福を受け、栄えるようになるため、その国が行く道をみんなついてくるようになる。そのために復帰の道、統一の原則は蕩減路程においてのみあるのである。自分を犠牲せずしてはなされないのである。そうするためには心と体を中心として、たとえ体を中心として心が犠牲になったとしても、いかにしてでも心と一つにさせる努力をしなければならない。体に苦痛があったとしても、心を慰めながら苦難を乗り越えて、行かなければならないのである。その公式と原理は一致するのである。個人、家庭を中心として氏族、民族、国家、世界、また霊界と地上世界もやはり同じである。この道を行くための公式的な路程が原理である。個人は家庭のため、家庭は氏族、氏族は民族、民族は国家、国家は世界のために、世界は天と地のために、天と地は神のために、そうすることによって神が精誠を尽くした実を収めることができる。これが理論的になっている。そのため、神の道はこのようである。それでは、主人は誰になるか、種を蒔いて収穫する人が主人になる。主人は一人である。霊界がそれと同じである。秋に、豊年になって収める時喜ぶのは種を蒔いた人である。天倫がこうなっている。そうするためには精誠をもって蒔き、精誠をもって収めなければならない。

 これが一つの完成を成す土台となる。これが原理である。創造理想というのは、神が真心で植えた理想を真心で収めなければならない。それが創造の理想、原理である。世界的に収める。それが創造理想完成である。

 皆さんが統一というのは、皆さん自身がその分野まで自分自身がやっているかを自ら問う必要がある。自分自身がよく知っている。知らないといったらうそになる。自分が本物であるかどうか知っている。知っているために発展するのである。知らなかったら発展することができない。良心がすべてを知っている。今、自分たちの夫婦が本当に原理の立場に立てっている夫婦なのかどうか、夫も知っているし、妻も知っている。また父母が子女に責任を追求する時、原理的に主管しているかどうかをみな知っている。そして、その家庭が氏族を代表して責任を果たしているかどうかみな知っている。知っているがゆえに実践することができる。実践することによって神の恵みを受けることができると、みんな教えてくれるのと同じである。教えてあげたにもかかわらず実践できなかったら責任を追求される。それが天法である。良心というのがあって皆さんが知らないという時には、霊界において教えてくれるのである。

◆努力すれば発展

 このような過程を経て、家庭、教会、国、世界、霊界が一つになるこのような道が、今まで開かれなかったのである。個人がいくら完成しても、家庭がいくら完成しても、世界の基準が開かれるまでは保留される。それが霊界の立場である。その家庭がいくら忠誠を尽くし、精誠を尽くしたとしても氏族、民族、国家を通して世界史的な立場において道が開かなかったため、個人の完成した立場において、その道は保留されたのである。霊界において理想的生活ができないというのはそのためである。理想的生活ができないという結論が、そこから出るのである。

 今日の歴史において、統一教会に入って我々のこの神を通して、個人から家庭から氏族、民族、国家、世界に行ける道を開いておいたために、皆さんが努力さえすれば飛躍的な発展をなせる時である。何の話か分かりましたか。

 全部がよくしなければ、いくら忠誠を尽くしたとしても、何カ年、何万年忠誠を尽くして待ったとしてもこの道が残っているために、避けて行こうとしても行けない。歴史は蕩減路程が残されており、自分の一生、七十、八十年においてこれをどうすることもできないのである。それが霊界に行って、後輩に再び再臨して再蕩減しなければならない。そのためにこれからどんなことが起こるかといえば、すべての善なる霊が昼夜、自分たちの後孫を追い立てる時が来る。そういうような結論が出る。そうでしょう。霊界においては黙っていないのである。

 霊界自体が変わる時には、自分たちの後孫たちを追い立てるとき、後孫たちが統一教会に来ない時には病をしたり、このごろアメリカにおいてもそのような現象が起こってきているのである。団体が追われるようになる。心霊的業をなして先祖たちが教えてくれる。このようなことが起きるのである。先祖たちが総動員して、あらゆることをして追い立てる。そのような時である。そのために論山ハルモニが祖先の解放をするのであり、祖先が行ける道を開いておくのである。祖先の道を開いておかないと。万代の祖先の解怨をしてあげて、このような式典をすることによって、この式典などを通してその土台を整えるというそのような意味があるのである。これから祖先たちが再臨する道を開いてくれるのである。そのようなおばあさんを通して業を成すのである。何の話か分かりますか。幹部たちは理解できないでやるが、祖先を解放するのである。昨年の五月一日を期して、総解怨式をやり、サタンまでも解怨した。あなたたちも全部飛躍しなさい。
 

◆原理で収拾

 今年に入ってこのような式をするということは、歴史的な事件である。これから仏教だったら仏教も、全部飛躍する時が時た。摂理の中にあった宗教が追われるようになるのである。そのような時なのである。これからは、霊的な原理を知らずしては、霊界の混乱を収拾する道がない。そのような時が来る。霊的な世界と接近する時である。そのために皆さんが統一される直接的な期間に立たなければ、霊界が打つ。今からはどのようなことが起きるかといえば、善なる霊界は善なる天使長圏であり、アダム圏が生じ堕落して後孫のアダム圏が生じ、たのである。このように、神と天使長とアダムが一つになったことになる。そのためにサタン世界がないのと等しいのである。

 エデンの園では元来、神とアダムとは統一された世界であった。これは何のことかといえば、善なる霊界と統一教会と一つになったのである。一つになったというのは、神様と天使長とアダムと一つになったのと同じである。ほかのは自滅しないために服従しなければならない。カイン世界だからである。カインが屈服することによって生きることができるのである。そのような時が来たのである。個人から、家庭から、世界まで全部神と天と結びつく条件を立てておいたために、事実上、飛躍的に統一教会が発展する条件を立てることになった。神の世界がそのような方向と一致することができることを私たちは知る。そのようなことを皆さんが知って生活する時、その生活も、個人の自分たちの生活ではなく、必ず、世界のために国家のために、一銭でも献金して努力しなければならない。こうなるのである。特に三十六家庭は、公職にいる人たちは、絶対に私的な生活をしてはいけない。お金を使う時も私的に使ってはならない。公的な神のみ旨に使うのであれば神に引っかからないが、私的なことに使えば、蕩減を受けるようになるのである。

◆統一の原則

 この原則を皆さんが知って、韓国の三十六家庭から七十二家庭、一二〇家庭は一つにならなければならない。七十二家庭が三十六家庭を評したり、七十二家庭がどうだとか、一二〇家庭が何だとか言ってはならない。いくら七十二家庭がよくやったとしても、三十六家庭に対してよくやった基準を見なかったら、その人たちを表彰することができない。褒めることができない。いくら一二〇家庭がよくしたとしても、七十二家庭に対してよくやった基準を見なかったら、それを祝福することができない。それが統一の原則である。そのために三つが一つにならなければならない。

 三十六家庭は人類歴史の、堕落した人類の先祖たちの復活であり、七十二家庭はその先祖たちの子女たちが復活したものであり、そして一二〇家庭は、世界の人たちが復活したものである。だからこれが一つになれば、結局は家庭と子女と世界が一つになるのである。そのために一二〇家庭まで責任をもつのである。こうなるのである。分かりましたか?

 だからこれからの思考方式がそうなる。一つの世界を中心として、世界を救うためには国を、国を救うためには私の一族、文氏の氏族を動員して韓国の民族を救わなければならないし、また私の家庭を中心として見る時、氏族を救わなければならない。そこから、氏族的メシヤという言葉が出る。氏族的なメシヤになるためには民族的メシヤを整えなければならないし、民族的メシヤ圏に代わり得る時、国家圏に上っていくことができる。氏族的な基準が始まれば、民族的基準と連結され得る原則を整えて、民族的な基準に上っていく。蕩減復帰路程がそうである。そのために主体と対象が一つになってこそ神が臨むことができる。そうでしょう。

 主体と対象が一つになるには必ず中心が立たなければならない。必ず神が臨在されるのである。主体と対象が受けて授けるところにおいては必ず中心がなければならない。そこに神が臨在される。主体と対象が授受すればそこに運動をなし、運動するところには一つの中心点、永遠に一つの所にある、中心点を求めるのである。主体と対象が完全に一つになって受け授けなければ、神の前に相対的な条件を立てることができない。それでは神と関係がないのである。

 夫婦が一つになるというのは神を中心として、また、父母と子供が一つになるというのも神を中心として、父子の因縁を結ぶのであり、そのような観点から見ると、皆さんは漠然とした生活をしているのである。実質的な生活をしなければならない。実質的な生活の中においてそのような関係を結ぶ心の姿勢を、そのような生活的姿勢をつくって、結実的な何かを成していかなければならない。これが献金の制度である。今までは十一条であったがこれからは七条になる。

 こういうものを中心として、原理と一致した生活をしなければならないのである。














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