御旨と世界
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摂理的歴史の光の中にあって

1977年2月23日 ニューヨーク ワールド・ミッション・センター


◆人間としての誇り

 きょうは、皆様も御存知のように、私の誕生日です。私のきょうのメッセージは、「摂理的歴史の光の中にあって」です。

 原理によって私達は、アダムとエバの堕落が人類歴史の行く道を決定したことを知りました。堕落していなければ彼ら自身、全人類と宇宙を伴って完成したはずでした。アダムとエバの完成、そして地上における神の下にある彼らの家庭の完成と繁殖は、神の最初の計画でした。最初の国家ができ、それを繁殖し、ついには、すべての国家が神に仕える世界が築かれるはずでした。

 アダムの一族が唯一の民族、すなわちアダム民族となり、一つの国家、アダム国家ができ、そして全世界が、アダム民族によって満ちあふれる世界となるべきでした。さらに全宇宙の中心は、神でありアダムとエバとなる予定でした。

 神は、宇宙のすべての生き物の中心なので、私たちの毎日の生活は神を中心としております。すべての伝統的生活の方法も、神に根源を発するべきでした。全歴史、伝統、習慣は、神に端を発したものとなるはずでした。そしてそれらは、すべて神の愛を根底とし、神の愛につながったものとなるはずでした。完成された世界は、神の愛から離れることのできない世界となっていたことでしょう。どんなに神の愛から離れようと努力してみても、離れることのできない世界であったでしょう。

 この地上において人間には、親から離れると寂しく、会いたいと願う傾向があり、特性があります。とくに、幼なければ幼いほどそうです。二、三日も両親から離れていると、すぐに会いたくなります。この人間の性質は、人類の本性から来たものです。ですから、この切っても切れない関係は、維持できるのです。この関係が壊れた時、人間は、神なくして孤独に耐えることができません。

 もし、人間に誇りうるものがあるとすれば、それは何でしょうか。完成された世界における人間としての最高の誇りは、神を自らの父親として所有することです。神が、自分の父であることを、皆さんは、知らないのですか。

 次に最高の誇りであるのは、神の愛を所有することです。神の愛の独占権を持つことです。完成された世界において、三番目に誇りうることは、神の持っている物を、すべて相続するということです。神の持っているものすべてが、私のものとなるのです。この世には、多くの社会的地位があり、多くの人が「私の父は、博士号を持っています「私の父は、医者です。」とか「私の父は、スウェーデン王朝の出身です。」とか言って誇っております。しかし、考えてみて下さい。皆さんは、「私の父は、神です。」と言えるのです。

 多くの人々は、自分が有名人の息子であることを誇りにしていますが、しかし父親とは何の愛情の関係も持っていない人が多いのです。しかし皆さんが、神は私の父です、と言うことは、すでに皆さんが、天の父と愛のきずなを持っているということなのです。

 あなたが、天の父の子だとしましょう。するとすべての召使いは、あなたがその家の主人になるということがわかります。もしあなたが、神の子であるとすれば、あなたがすべての創造物の主人となるであろうということを全天使たちは、知っておりますから、彼らは、あなたを敬まわなければなりません。神は、神自身を父とし、人類を息子とした歴史を予定しました。神の家庭、神の歴史と文化は、千年、万年とそれは続ちたでしょう。それは、神の最初の願いでした。人間の野心と希望は、どこに根源を発しているのでしょうか。

 人間の最高の誇りとは、何でしょうか。ここで私達は、人間の第一番目の最高の願いは、神の息子、娘となることであるという結論に達します。第二には、神の愛を所有すること、そして第三には、神の国を相続し、神のもっているもののすべてを相続することです。

 人類にとって、これ以上大きな希望はありません。それでは、人類の希望と願いとは何でしょうか。第一にに神の息子、娘となること、第二には、神の愛を所有すること、第三に、この地上を受け継ぐことです。神の息子、娘となるには、どうすべきでしょうか。
 

◆善悪の判断

 もし、堕落がなったとしよう。あなたが生まれる時、あなたは、どうして生まれてきたでしょう。自動的に、神の息子として生まれてきたことでしょう。それでは、堕落とは、何でしたか。それは、人間が、神から離れたことです。その堕落とは一体何でしょうか。その不倫な愛から、堕落した国家が始まりました。

 神の下にあって一つとなる代りに、天使長は、神の立場に立って、アダムとエバを奪い取り、自分の僕として主管してしまいました。それ以来、全人類は、神の血統ではなく、サタン直接の血統を受け継いで、生まれてきたのです。この堕落が、現実となった今、私たちが、いくら神を父と呼んでも、無意味なものとなってしまったのです。

 この堕落世界では、利己主義と自己中心がすべての中心となっています。私たち人間は、すべてを無視し、神御自身までも無視しようとしています。なぜなら、私たちの主人は、神ではなくサタンだからです。サタンが、私たちの主人なのです。堕落の後、人間の中に柔盾が生じてきました。家庭での闘争が、歴史上で繰り返されてきました。サタン文化の中にある堕落人間は、分裂と分離をくりかえして発展してきました。神の歴史は、統一と調和の歴史であり、サタンの歴史は分裂の歴史であります。

 しかしながら、堕落世界においても全人類は、元の中心である神に帰りたいという願いを内蔵していま。このために、人類は周囲のサタン的状況から、救わなければなりません。原点へ帰ろうとする人は、壮烈な持いをしながら生きるでしょう。壮その人は、サタン世界の中にあって、厳しい戦いを通過しなければなりません。

 人類歴史は、お互を引っぱりあっている網引に描写されます。この闘争は、個人から始まり、家庭、国家へと拡大してきました。原点を見つける戦いが、人類歴史でした。人類の戦争歴史は、家庭、国家、世界に至るすべての段階においての善と悪との闘争歴史なのです。各家庭に各々の厳しい戦いがありますが、しかしどのような戦争であろうと、すべての段階において、神側の勝利者は、神の領域を拡大してきました。

 戦争においては、多くの殺人と破壊がなされます。善悪の両方の側とも、破壊と混乱をまぬがれません。どちらが善く、どちらが悪いかを、どう判断したらいいのでしょうか。悪の印は、攻撃することです。攻撃をしかけた方が、悪となります。

 教室の中で二人の男の子が、顔中血だらけにして、猛烈なけんかをしていました。先生のところへ行くと、まず先生はや「どちらが、最初に始めたのですか。」と聞きます。教師は、大体いつでも攻撃するものより、攻撃された者の味方となります。そうですね。

 たとえば、ここに一つの学級があるとします。その中の一人の男の子はとても乱暴者でした。いつもクラスで問題を起こしていました。ある日彼は、とても静かにしていましたので、それを変えようと、誰かがいたずらをしかけました。その日彼は、どういうわけか、先生の同情を得ることができました。突然、誰かが彼を襲ったのです。彼が、どんなに乱暴者であろうと、その日彼は、同情を得ました。悪はいつつもイニシャチブを取ります。最初に攻撃してきます。

 しかし戦争歴史において、先生に攻撃して来た者は、最後には、滅んでいます。何故なら、先生とか神、敗北者の味方であり、攻撃された者の味方だからです。何故でしょう。最初に攻撃してきた者はなぜ悪なのでしょうか。
 

◆歴史発展のパターン

 人類の歴史を、考えてみて下さい。これは堕落の悪い部分です。神、アダムとエバは、外部から攻撃される立場でした。これは悪の本性です。攻撃者は、文句をつけて破壊します。攻撃者が損害を賠賞し、復旧させるだけでなく、多額の代価を払って罪の償いをしなければなやないことは、宇宙の法則です。その法則を知っておられる神が、最初に攻撃の手導権を握ると思いますか。神は、攻撃することもなく、先導権を取ったこともあります。

 そういう神にある人はこういうでしょう。「神様、あなたは、攻撃しないなんて善良すぎます。あなたに代ってが攻めましょう。」このような人は、神の民と言えますか。神の民は、決して先頭をきって攻撃することはありません。神の民はいつも攻撃されてきましたが、進み続け決してあきらめず、とどまらず、ゴールを目指して歩みけています。攻撃されながら、どうして勝利を治めることができるのでしょうか。サタン者は、損害を賠償し罪を償うのが天宙の法則です。あはな方は、忍耐し、個人、家庭、世界のレベルに至るまで、生きのびていかなければなりません。そして最後に勝利し、悪側は、蕩減を払い罪を償わなければならないのです。たとえ全世界が、あなたを攻めようとも善なる目標を持って耐えていく限り最後には、生き残り勝利します。そして全宇宙が、あなたのよのとなります。これ以上、拡げようのない程の天宙を所有します。サタンには、攻撃する者の王です。

 それでは、神はどのような御方でしょうか。神は、信頼の主であり頼みの網です。わかりますか。攻撃者が、善を全滅させるなら神は、善側の人数と力を増し加えて、人類が勝利できるように導かれるでしょう。悪人が、善人を攻撃して倒れてしまうと、神は、もう一人のもっとも強い善人を立てて、悪を滅ぼそうとなさいます。すべての段階の悪が、滅ぼされるでしょう。

 神は、決してあきらめません。善と悪との激しい戦いで、善が打ち倒されたとします。しかしそれで終わりではありません。神は、決してあきらめないからです。善と悪との闘いは、そこで終わるのではありません。結局の所神は、絶対的擁護者です。神が生きておられる限り、善が滅びることはありません。神の目から見れば、その戦いは、始まってさえいないのです。神は、いつも善悪の戦いを延長してきました。

 神が、復帰歴史を延長してきたことを、原理は教えています。神には、それができるのです。ここに最終的な歴史の公式、パターンがあります。それはサタンは、いつも神側を攻めそして敗北するが、神側は、いつも攻撃されながらも勝利するということです。歴史の中に、いくつかの例を見ることができます。第一次世界大戦を例にとりましょう。誰が最初に、この戦争を起こしたのでしょうか。ドイツですドイツは、この戦争で勝利しましたか、どうして、敗北したのでしょう。これが原理です。ドイツは、自分が敗北すると思いましたか。勝つと思っていました。しかし、天の法則を破ることはできません。

 それでは第二次世界大戦は、どこが勝利したでしょう。日本ですか。日本は、戦争に負けると思ていましたか。絶対に勝つと決めていましたね。だから戦争を起こしたのです。しかし勝ちましたか。彼らも、天の法則を破ることはできませんでした。天の法則を犯したことは、最大の審きとなったのです。

 現在この世界はは、民主主義側と共産主義側の二つの勢力が、対立しています。どちらが戦争屋で、どちらが主導権を握っていますか。それでは、原理と天の法則から見た場合、どちらが勝利者となるでしょう。共産側ですか。どれだけ、その勢力を拡大できるか興味深いところです。共産側は、世界の三分の二以上はできないということを知っておいてほしいと思います。

 第一次、第二次世界大戦において、最初の三分の二は、攻撃側が勝利していました。彼らは、絶対に勝利しつつあると思っていました。第二次世界大戦を見てみましょう。ドイツは、フランスを占領し、さらにヨーロッパを占領し、日本は真珠港と米軍基地をサタンし、一時は太平洋全域を占拠しました。しかし、最後の三分の一をサタンは取ることができませんでした。どうしてでしょう。なぜなら、人類歴史において堕落は、三分の二の段階において生じました。ですからサタンは、完成期である残りの三分の一を奪うことはできないのです。これが全人類歴史の発展の公式です。
 

◆新しい宗教運動

 歴史を通して、いつも同じ目的を持った、理解できない、おかしな団体が現われてきました。それは宗教団体です。神を目標とし、神とともにある宗教者は、人類歴史、国境、文化的背景をのりこえることができます。そのような人々は、始末に困るのです。

 すべての政府が、そのような団体は取り扱いにくいと言っています。何物も、彼らを妨げることができず、死さえ恐れません。政府は、いつもその団体の勢力が大きくならないうちに、それを吸収しようとしますが、死さえ恐れない彼らの前には、到底、不可能なことなのです。

 その団体が、目に見えるほど顕著になってくると国家は、それを悪の勢力と見るようになります。なぜなら、すでに国家の範囲を超える勢力となりつつあるからです。しかし宗教者には、敵はなくかえって敵のために門を開きます。政府は、そのことでいつも不安です。それで国家の主権者は、彼らは暴力的であり、秩序を乱す行為をするとか、宗教者に対して様々な嘘をつくりあげて、迫害するのです。

 宗教者は、典型的なケースで、いつも神の原理を使っています。四百年間、ローマのクリスチャンは、武器も持たず、武装もせず、弾丸ひとつも発砲しませんでした。ローマ人は、あらゆる面において非常によく訓練されていました。ローマ帝国は、何度も何度もクリスチャンを迫害しました。クリスチャンは、そのむち打ちに耐え、多くの殉教者を出し、ついに四百年後、ローマ帝国を降服させました。

 考えてみて下さい。原理を知らなければ私たちは、全能の神がいるのだろうかと疑問が湧いてきます。もし神がいるならば、どうして人類を苦しい目にあわせるのか。その答として多くの人々は、神は本当いないのだと言います。どうして彼らは、そう言うのでしょうか。原理を知ると、あなたは神がどこに存在し、その位置はどんな位置であるかわかりますので、事情がわかります。

 原理の公式的観点から見ると、私たち自身で終末を知ることができます。世界の状勢を観察することによって、それは可能です。まず第一に、新しい宗教運動が起こり、世界全体がそれを禁止し破壊しようとするでしょう。それを見たら、終末だと言うことです。

 終末においては、高邁な目標を持ったひとつの団体が現われます。白人、黄色人、黒人をとわず、また多くの宗教団体が、反対し打ち壊そうとするでしょう。おもしろいですか。打たれる準備は、できていますか。どちらの側につきたいですか。

 歴史は、でたらめに、気まぐれにつくられたのではありません。歴史は、原理によってつくられ、原理からそれることはありません。原理によって、あなた自身の位置をはっきり見てみると、高邁な理想を掲げた孤独な団体であることがわかるでしょう。そして世界は、死に至るまで打ち続けようとしています。そのような団体に属していることは、最高の名誉です。あなた方は、原理を知っており、神に対する全知識を得ています。
 

◆試練を受ける者

 終末時代に、神が一人の使命者を遣わしたとします。その使命者は、この世界を復帰するための輝くたいまつとなれるような戦略をたてるでしょう。彼自身を隠すことなく、その姿を現わして、人々に打たせるでしょう。世界は、彼を打つでしょう。それは彼の存在を全世界に知らせ、復帰するのに一番賢い、一番早い方法なのです。

 それでは全世界として私達を打たせ、世界復帰のたいまつとするには、一体、どうしたらよいでしょうか。世界中に知らせるにはどうすべきでしょうか。お金や権力を奪い取りますか。人々は、そんなことには気をとめません。しかし、自分の愛する者たちに接したら誰でも変ります。その愛する者たちとは誰のことでしょうか。そうです。あなた方のことです。妻であり、娘であり、息子達です。それは、とても敏感なデリケートな所です。もし誰かが、その部分に触れたら、誰でも飛び上ってしまいます。

 人類の全宗教史において、これまでかって自分の子供たちを取り戻そうとする反対父母の運動を見たことがありませんでした。子供を必死になって探している父母の組織がどきたのは、歴史上初めてのことです。また、両親が自分の子供を誘拐するということも、これまでの歴史上起ったことがありません。普通、誘拐とは、親から子供を奪すのですが、今は親が自分の子供を誘拐しています。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。今私たちは、善と悪との最後の対決の時を迎えています。そして、その最後の戦いはもう行なわれております。

 これは、私の考えですか、それとも神の考えですか。これは、神の原理であり、神の公式です。今でもユダヤ教は、私たちを反セム族だといって反対しています。

 共産主義者は、私たちを好んでおりますか。アメリカ政府は、どうでしょうか。私のために、赤いじゅうたんをひいて歓迎しますか。全世界には百二十カ国に宣教師が行っております。このことが、全世界で、もっと騒ぎの元になっています。
 一般的に、統一教会は、孤独な団体であり、『出る釘は打たれる』と言った状態です。国の指導者や他の宗教団体は、私たちをつぶそうとしています。それではレバレント・ムーンは、どこへ行くのでしょうか。すべての者たちが反対している中にあって、レバレント・ムーンは、夜も眠れません。人々はどうしてレバレント・ムーンは、もっと外交的にやらないのかと、ワシントン・ポストに、もっといいように話をすればいいのにとか言います。

 私たちは、社交的にやりますか。それとも世界中をまわって真実だけを伝えましょうか。なぜ、なぜそうしなければならないのでしょうか。そうです。世界が、私達に注目するように前進しましょう。そうすれば、一つの重要なポイントにぶつかります。それはレバレント・ムーンは、どちら側の人物であるかということです。

 あなた方は、レバレント・ムーンを、神の代身者であると言いますが、この世の人々は、サタンの代身者であると言っています。レバレント・ムーンが、神側であると言っているのは少数派であり、大多数のものがサタン側であると言っています。レバレント・ムーンがどちら側の人間であるかを、どう判断しますか。私たちは、新しい民主的法則を知らなければなりません。つまり、少数派プラス神イコール多数派という法則です。

 ですから歴史的公式によれば、レバレント・ムーンと統一教会が、双肩に担っているものは、歴史的使命であることがわかります。私たちは、神側の最高の理想を代表しているのであります。神が私たちの側についていて下さる限り、私たちは、多数派です。

 私たちは、レバレント・ムーンと統一教会の秘密を知らなければなりません。私は、迫害され続けましたが、けっして諦めませんでした。私は忍耐しながら、み旨を押し進めて来ました。これが統一教会の歴史であり、今日の歴史です。
 

◆私の唯一の誇り

 聖書に、最後まで耐え忍ぶ者は、勝利するとあります。私の歴史において、使命を遂行する時に神から「私はあなたを知ってもいない。」と言われた時がありました。あなたの責任分担においてさえも神が反対し、試練する時があります。その時じっと忍耐し、神の与えた試練に打ち勝つように努力しなければなりません。そうすれば神が降参して、「この人こそ、私のすべてを相続できる者である。」と言うでしょう。

 そして、神と私との間に契約が結ばれるのです。神は、「あなたこそ、私が人類歴史をかけて探してきた人である。私は、神に「私は、永遠をかけてもあなたを探し求めたいと思っておりました。そして今、私は、あなたが、私の父、天にいます私の父のことを知りました。」と言うでしょう。そして、両方の間で、誓約がかわされるのです。それは、父と子の誓約です。

 神は、そんなに簡単に『神の子』という称号を与えません。神の息子にふせわしく、人類歴史の勝利者でなければなりません。人類の全ての負債を復帰できる立場にいなければなりません。その人は、貴重なかけがえのない個人です。だからこそ神は、この一人の人物を探し出すのに、数千年の年月を費したのです。

 レバレント・ムーンの誇りは何でしょうか。私は、ただ一つを除いて、他に何も誇るものはありません。それは、すなわち「神は、私の父である。」ということです。ですからレバレント・ムーンは、神のすべての愛の受取人であり、神の愛の通る徑路になったことを誇りに思っています。私は、神の愛の受ける神の国を相続することを誇りに思います。

 エデンの園において、人間にとって、最初で最大の願いは、神の愛を受けるにふさわしい人物となることでした。彼らは、神の国の相続者となる予定でした。蕩減の法則と復帰路程を通して今、私は、全世界に神と人類の本来の願いは、人間によって達成されたと高らかに宣言したいのであります。
 

◆記念すべき一九七六年

 さて、いつこの世は、あなた方を打ち倒しにやってきたのでしょうか。その記念すべき日年、一九七六年でした。神の全歴史は、二つの大きな出来事で頂点に達しました。それはヤンキー・スタジアム大会と、ワシントン大会です。ワシントン大会は、神における最高峰の勝利でした。一九七六年に私は、全世界に知れわたりました。

 私たちが一九七六年に打ち建てた勝利は、人類歴史から忘れさられることはありません。一九七六年私は、歴のたいまつとして、その姿を現わしました。公生涯において、私は、人々の前に立って訴えてきましたが、今その公的摂理は終わりました。レバレント・ムーンは、敗北しまたか、それとも勝利しましたか。

 この世は、レバレント・ムーンが失敗することを全世界っています。しかし大会の結果は、どうでしたか。成功でしたか、失敗でしたか。敵は、どうしましたか。敵側は私たちの成功を認めました。大統領も、反対する人も花火大会のあることを知って、花火を見たでしょう。ワシントン大会は、人類の歴史に転換点をもたらしたということを覚えておいてほしいのです。
 

◆終末時代の現象

 それまでは、レバレント・ムーンは、無視され失敗する人だと思われていました。しかし世界が一勢に攻撃しましたが、私は負けませんでした。私は、負けないで歩み続けました。神の歴史の公式を知らなければ、それは奇妙に思われます。

 もし、神が、彼と共に働いているならば、彼は、どうして孤独であり、困難と苦悩を通過しなければいけないのでしょいか。もし、神が本当に怒って、その怒りを爆発させたらどうなるでしょう。神様が、何かをたたきつぶしたいと思えるでしょうか。

 もし、神が愛する人間がニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストにひどく書かれたら、それらを、たたきつぶすことができますか。もし、神が本当に気ちがいのようになったら、そうすることができますか。アメリカで、あるいは、他の国においてどうでしうか。

 統一教会のメンバーは、必死に祈ります。「神様、どうか審きをくだして、ワシントン・ポストを、ニューヨーク・タイムズをたたいて下さい。ちょっとでもいいですからそうして下さい。」また「どうか、ラビ・ディビス(ユダヤ教のリーダで、先頭を切って統一教会に反対している)に、審きを下して下さい」と。しかす神はそうできないことを知っていますね。敵を打ちくだくために、審き主を遣して、審きを下すことは、できません。それは神の目的自体を、壊してしまいます。

 神は、この世にその人を打つことを許しています。彼らは、その行為によって、自らの祝福を失い、あきらめているのです。そしてその祝福は、レバレント・ムーンに行くことになるのです。その行為は彼らにとって、自らの祝福を譲り渡す橋を築いていることになり、神から受ける祝福を自ら放棄していることになるのです。これは、終末時代の現象です。

 レバレント・ムーンを迫害すれば、彼らは、自らの祝福を、彼に譲り渡さなければならなくなります。それが大きな祝福となって、やって来るのです。ですから今、神のメッセージがよくわかります。どうして、統一教会のメンバーたちを苦しませ、「あなたが苦難を背負い他の人々には、安易な道を行かせなさい。」と証うのかわかります。すべての苦難をひきうけようではありませんか。
 

◆恵みの橋渡し

 今、私は、世界中の人々にや祝福を与える橋になりたいと思います。そして皆さんにもそのような橋になってほしいと思います。私は、世界中のすべての祝福に関与したいと思います。私は、あなたたちを、お父様と同じような苦労と苦難の道を行ってほしいと思います。なぜなら、私が祝福を受ける時、あなた方もともに受けることができるようにしたいからです。

 皆さんは、世界中に神の愛を示していくことになるでしょう。あなた方が世界中、神の祝福を述べ伝えようとする時、人々は、これを神の祝福として受け取ることを拒むでしょう。するとその祝福は、あはなの内にとどまり、それを拒むことはできません。

 あなた方は、虐待されたいですか。今まで私たちは、打たれ続けその迫害者をふりかえって見ることもありませんでした。しかし今、彼らに顔を向け、祝福を与え、その祝福を、また、他の人々に分かち与えるように励まさなければならない時が来ました。統一教会が一度に迫害を受けなければ解放はありません。私は今、統一教会は、このレベルまで完遂したのだということを知ってほしいと思います。

 私たちは、個人、家庭、国家、そして世界と、正確な神の予定に従って歩んできました。従わなければならない神の正確な予定があり、私は、その如くに歩んできました。

 もし、アダムとエバが堕落していなければ、彼らは、個人、国家、世界のレベルにおいて模範となっていたはずでした。アダムとエバは、完成されたもののすべての実体となるべきでした。堕落の故に、そのようなモデルを誰も見た事がありません。旧約時代の諸国家は、人類の敗北の歴史をつくり、この時代には、勝利はそれほど多くありません。

 三つの時代、つまり旧約時代、新約時代、成約時代は、各々払うべき多くの蕩減がありましたが、私たちは、それをすべて払わなければなりませんでした。縦的歴史の失敗は、すべて完全に償ってから、横的勝利圏を拡大していかなければなりません。これが成されるまでは。勝利はおぼ四かないものです。団結がないのですから、摂理的蕩減条件が地上において払えません。これまで、全霊界はバラバラでした。ユダヤ教はここ、キリスト教は、あそこ、仏教は、また別の所というように各々が違った場所に存在していました。
 堕落がなければ、キリスト教、儒教などというものも、混乱もなかったでしょう。ただアダム・イズム(アダム教)があり、ただ一組の真の父母がおり、皆、そこから生まれるはずでした。
 

◆復帰歴史の流れ

 神は救い主を立てるまでに、何千年も働いてこられました。イスラエル民族イスラエル国家も、一つの基台から出発しました。そして、その基台から、新しい摂理が始まるのです。復帰歴史を通して、一つのパターンが流れています。このパターンは、家庭、民族、国家、世界の段階においてもそれがあります。たとえばヤコブ家庭は、家庭段階におけるそのパターンでした。しかしそのパターンは、たやすくやってくるものではありません。

 ヤコブは、ハランに行って言い尽くせない苦労を、二十一年間しなければなりませんでした。そしてカナンへ帰った後、恵みを得たのです。さて次に、イスラエルという国を見てみましょう。選ばれた民は、エジプトへ行きそこで苦難に出会いました。しかしその後モーセに率いられてエジプトを出たのです。これがパターンが打ち建てれられる方法です。ヤコブは、家庭的段階の勝利者であり、モーセは民族的段階の勝利者です。

 キリスト教をみてみましょう。ローマ帝国の下にあって彼らは、四百年間苦難を受けました。この苦難の後、彼らは勝利したのです。出エジプトの後にユダヤ人は、イスラエル王朝を立てることができました。同じように、もしイエスが十字架にかかっていなければ、全アラブ地域も統一しその時代に、統一された神の国を建設していたはずです。

 イエスは、象徴的にではなく、実体的に王の王であったのです。イエスがイスラエル国家を統一することができたら、アラブ世界を吸収するというのは、神の御計画でした。インド、中国、そしてローマ帝国がいかに強大であろうと、それらが統一した神の国に吸収されることは、大して問題ではなかったはずです。その時代に統一王国は、地上に建設される予定でした。もしイエスが十字架にかからなければ、それは違った方向へ行ったのです。つまりインド、中国、韓国を通過して、西洋世界へ行くはずでした。ところが、十字架のために、百八十度方向を転換して、ローマ、イングラヰド、アメリカをまわり東洋に戻ってきたのです。

 今日のアメリカは、模範的キリスト教国家であり、全世界のキリスト教文化の結実でもあります。キリスト教国家のモデルとして今日のアメリカは、第二イスラエルの立場にあります。最初のイスラエルは、二千年以上前のユダヤ国家でした。象徴的に、この第二イスラエルであるアメリカは、全世界の人々が国際的に集まって、統一されたひとつの国家となっています。今までの歴史の中で統一が見られなかったのは、神の愛がまだアメリカにおいては、最高に注がれていないからです。
 

◆心をつなぐ運動

 ですから統一教会の運動は、心をつなぐアメリカの精神となるでしょう。このアメリカにおいて、私たちは、すべての人種と人々の心を結び、調和よく統一する強力な接着剤となります。原理でわかるように、そのような状況をつくり出すためには、蕩減を払わなければなりません。アメリカは、今日の摂理において貴重な存在です。

 しかし、メシヤ的使命はアジアにおいて花開くでしょう。なぜならアジアは宇宙の心のようなものだからです。神は、深い宗教的性質を持った単一国家を選ぶでしょう。このような人々は、アジアから選ばれるでしょう。

 東洋と西洋において、相似するものがあります。たとえば摂理において日本のキリスト教は、ヨーロッパの英国のそれも同じ立場にあります。アジアにおける韓国は、ヨーロッパにおけるイタリアに相当します。

 半島は、橋の役割を果たして大陸と島国を結ぶ理想的領域なのです。文化運動は、いつも半島から出発しますた。ギリシャ半島から、強大な文化が発展しました。ローマの強大な文化も、イタリア半島において発展しました。半島、二つの文化が生じ触合し、一つの統一された文化を形成する場所でもあります。終末においては、西洋文化と東洋文化が合併され、宇宙の中心を形造る、統一文化が生み出されます。

 いつの時代も歴史上半島は、重要な役割を果たしてきました。戦争上、重要な役割を果たしたベトナムを見てみましょう。第二次世界大戦においては、マレーシアとシンガポールがそうでした。第二次世界大戦後に、韓国の解放がなされました。それまで韓国は、いつもどこかの国に併合されていました。

 アジアには、アメリカが関係を断つことができない国がひとつあります。アメリカはベトナムから撤退しました。現在新しちい政府は、韓国からいかにしてアメリカ軍を撤退させることができるか、盛んに論じております。それはアメリカの将来にいい影響を与えません。摂理において、アメリカは、韓国とつながっていなければなりません。なぜなら大きな恵みは、アメリカと韓国が連結している中から生じて来るからです。その連結が切れてしまうとアメリカは、大変困ることになるでしょう。

 第二次世界大戦では、連合軍が他の軍隊を、ことごとく打ちくだきました。これは、神のアメリカへの贈り物でした。神の法則によればアメリカは、すべての富と土地を所有してよいことになっていたのです。アメリカが、取り扱っても良いことになっていたのです。とくに、アメリカは、共産側にどんな領域も奪われてはならなかったのです。

 アメリカは、世界において神の位置を占めるために建国されました。国連においても神は、アメリカに、神に反する共産勢力を除いた国連をつくる主導権を握ってほしかったのです。しかし第二次世界大戦後アメリカは、世界的責任をとることを辞退し続け、共産勢力の侵入を許しました。共産勢力は、参加を許され、公的な場所で宣伝活動ができるようになりました。現在国連は、共産主義者の宣伝活動のための道具以外何物でもありません。

 多くのアメリカの若き青年たちの血と汗が、流されました。その血の代価と価値をどこに見い出すことができるでしょうか。アメリカはそれを敵の手に渡してしまいました。神の手にではありません。

 アメリカは、神の目から見たら失敗したことになります。あなた方は、神の贈り物を収穫し、それをサタンの手へ渡してしまいました。どうしてそれが許されるのでしょうか。その贈り物を受け取った悪なる人々は、そこでとどまらないしょう。国連の心臓部へ侵入し、今ではその息の根をとめようとしています。経済的衰退、政治的衰退、すべての分野においてアメリカは、衰退しつつあります。家庭や道徳においても、急速に衰退しております。アメリカは、世界の指導的福音国家でした。しかしこの二、三十年にアメリカのキリスト教文化は、くずれつつあります。どうしてでしょうか。なぜならアメリカは、キリスト教国家としては失敗したからです。

 一九六〇年に、国連事務総長であるダッグハマーショルドが亡くなりました。若きケネディ大統領の暗殺事件もありました。自由諸国において今やが終焉の不吉な印がでております。それ以来アメリカは、衰退の危機にさらされております。

 ニクソンの事態と、ウォーター・ゲート事件は、アメリカを深い苦悩に陥れました。政府は、変われましたがだれかが現われて、もっと強く訴えなければなりません。だれかがその流れを変えなければなりません。何がおこるか見てみましょう。宗教指導者として、ウォーター・ゲート事件の危機に臨んで、私は、アメリカの意識をキリスト教精神へ戻すことを望みました。私がそうしたのは、ウォーター・ゲート事件が、共産主義者にとってのみ、都合のよい事件ことを知っていたからです。共産主義勢力がはびこつつあります。もしアメリカが、ウォーター・ゲート事件によって、完全に麻痺させられていたら、共産学生が勢いよく社会に流れこんだでしょう。

 たとえばコロンビア大学においては、白昼堂々と共産学生によるデモが行なわれており、看板をかかげ、ポスターを貼り、ビラをまき、盛んに宣伝活動をしていました。実際に今回初めて、アメリカの大統領選挙に、共産主義者が加わりました。彼らは、自分たちにとって通合のいい人を送り出そうと必死で努力したのです。実際、このニューヨーカー・ホテルのすぐ前でも、彼らは、デモをしていました。

 彼らはカーターのために、デモをしたのです。カーターのどこに興味を持ったのでしょうか。カーター政権は、用心深くあらねばなりません。それらのグループの輩下には、アメリカ人でない団体があり、彼らは、カーターを説得して彼らの利益となるような事態が来るように虎視たんたつと、狙っているからです。
 

◆人権問題は反共産主義から

 カーター政権における人権問題は大切です。しかしいかに運用するかが問題です。北韓では、三百万もの生命が金日成によって、絶滅させられました。中国では、毛主席が数千万の生命を奪い取りました。ニューヨーク・タイムズは、その当時、六十万の生命が消えていったと伝えております。一体、誰が人の生命を犯しているのでしょうか。

 今日、韓国問題が大きくなり韓国に関係することは、すべて試練に会っております。朴大統領政権は、独裁だとか、厳戒すぎるとか、非難されていますが、十四年間の政権中、ただ二人しか死刊を執行しなかったのです。一人は、北韓で訓練と教育を受けた、シグマン・リーというスパイであり、もう一人は、サンドォー・キムという暗黒街のボスでした。この二人の人物は、合法的に死刑の判決をくだされたのです。
 米国会議員の増収賄問題が、人の話題にのぼっています。この事件は、アメリカ議会へ働きかけようとしているの大きな国家のしている事と比べたら、本当に小さな問題なのです。イスラエル、英国、ギリシャ、ドイツ、日本のような友好国でも、何らかのかたちで国会に働きかけています。とくに、共産主義者たちの働きは、ますます活発になりつつあります。

 アメリカにおける韓国問題は、非常に大きくなり、この市は、韓国の工作員であふれているのではないかと考えている人も多いのです。実は、そんなことはありません。しかしソ連側は、現在、独自の組織KGBを持ち、数千人の工作員が活躍しています。それは目に見える活動ですが、その他に数千人の学生の背後にあって、アメリカ社会のあらゆる問題や分野に侵透しつつある工作員がいるのです。

 もし誰かが、人権について語りたいと思うならば、まずその人は、強烈な反共主義者にならなければなりません。なぜなら、歴史上共産主義ほど、人権を侵したものはないからです。共産主義は、人間の生命を否定しています。彼らにとって、人間の生命は、虫けらの生命と、全く変わりありません。虫けらのように、何百万の人々が首を切られるのです。

 人権も大切ですがそれ以上に大切なのは、共産国家の下にある人々の生きる権利を保証することです。それが私が、共産主義者の頑強な敵とし、神の敵として、先頭を切って戦っている理由なのです。私は、共産主義を人類の敵とし、神の敵として宣言しています。そこから、微動だにしないと決意しています。共産主義者は、レバレンド・ムーンが共産主義者にとって最も手強い敵であると知っています。今、人々は、共産主義者の作戦に乗せられて、全教会も政府の要人も、彼らと祝いの会などをしています。これは悲しい光景です。新聞は、レバレンド・ムーンとKCIAを結びつけようとしていますが、これは全く信じられないことです。

 私の観点は、韓国、アメリカだけでなく、全世界に向けられております。いまだかつて、ヤンキー・スタジアムでレバレンド・ムーンが語ったようなことを、語り得ることのできる大統領は現れておりません。
 

◆真実の発言

 レバレント・ムーンは、そのスピーチの中でこう語りました。「この国には火事が起っています。その火事を消すには、外部からの消防隊員が必要です。この国は病気にかかっています。医者が必要です。私はこの国に、医者として消防隊員としてやってまいりました。」と。

 ワシントン大会で私は言いました。「あなたは私に若き青年たちを与えて下さいません。だれがその流れを変えなければなりません。何がおこるか見てみましょう。宗教指導者として、ウォーター・ゲート事件の危機に臨んで、私は、アメリカの意識をキリスト教精神へ戻すことを望みました。私がそうしたのは、ウォーター・ゲート事件が、共産主義者にとってのみ、都合のよい事件であることを知っていたからです。共産主義勢力がはびこりつつあります。もしアメリカが、ウォーター・ゲート事件によって、完全に麻痺させられていたら、共産学生が勢いよく社会に流れこんだでしょう。

 たとえばコロンビア大学においては、白昼堂々と共産学生によるデモが行ながれております。さいました。」と。レバレント・ムーンは、世界へ出て世界を救うことのできるように、アメリカの青年を立派にしたいと思っています。どの宗教指導者も、どの政治指導者も、このように大担に語った人物はありませんでした。ただレバレント・ムーンだけが、それをなしたのです。私にはそれを言うだけの理由がありました。

 実際レバレント・ムーンは、アメリカから冷遇され、アメリカ国民は私に対して無知であり、ほとんど何も知りません。もし知っていれば、きっと、レバレント・ムーンが、アメリカになくてはならない、高遇な理想を持った協力者であることに気がつくでしょう。あなたたちも、このことに気がつくでしょう。あなたたちも、このことのために戦わなければなりません。

 これが、神と神の国に対する献身であり、忠誠であり、理解であり、自信なのです。だれもそれを奪いとることはできません。誰もその思想を奪うことはできません。不可能です。原子爆弾であろうと、どんな武器を持ってこようと、どんな軍隊の力でも奪いとることのできないものなのです。あなた方に敵はいません。私は、政府を喜ばせ、政治家を嬉しがらせるために来たのではありません。私は預言者であり、神のメッセンジャーであります。どんな場合でも、言わなければならないことは、訴えてきました。私は、ある意見が政府を恐らせたことを知っています。他の人は信頼できませんが、自分を頼りとしていけば良いのです。私たちは神によって定められた使命を持っています。自分のためではありません。私たちは、この国へ影響を与えていかなければなりません。それが結局、神様が私たちに願っている道なのです。私はすでに、その生命を韓国のために捧げました。自分の生命を投げ打っております。ですからアメリカも韓国も、この結びつきを断ち切ることができないのです。その関係が切れてしまうと両国に悲劇が起こります。神はよくご存知です。

 歴史の流れは自由主義へと向かっていますが、共産勢力もまだまだ強いのです。悲観的な状況にあります。ですから、神は、レバレント・ムーンをアメリカへ送りました。「行ってアメリカをしっかりと神に向けさせなさい」とおっしゃったのです。神の代身として「アメリカとアジアとの関係を保ちながら、常に前進し、キリスト教世界を解放し、共産主義を解放しなさい。」と。

 レバレント・ムーンが、次の目標を宣言したら、それは、実現可能なことであり、空しい言葉ではありません。もし共産主義が、私たちの目標を知ったら笑うでしょう。しかし二十年前、雨が降れば漏るような、ほんの数人しか入れない、小さな小部で私は、世界の将来についてまた、百二十カ国の海外宣教について語りました。その当時は、とうてい考えられないことでした。

 だれも、それは気違いじみたことだと思ったものでした。しかし今日、二十年前の、あの小さな部屋と同じような、このニュー・ヨーカー・ホテルで、共産主義とその国々を解放しようと話しているのです。他の人たちはきっと笑うでしょう。しかし、それは可能なことです。なぜなら、共産主義世界にあって、共産主義指導者の子供たちは、神側に立っているということです。彼らは、レバレント・ムーンの側なのです。霊界がそうしてくれます。霊界が彼らの前に現われ、彼らは、自分の親に対して反対するようになるでしょう。それが神の摂理であり、もうすでに神はその摂理を始められました。アメリカにおいても強烈な霊的啓示が、この国の議会の指導者たちの上に降りています。背後では、目に見えない驚くべき霊的現象が起こりつつあります。霊界の攻撃が始まりました。
 

◆すべてを経験

 さて、二時間がすぎましたね。みんなで私の誕生日を祝ってくれていますが、私はまだ朝食もとっていないのです。みなさんは、何と無慈悲な人たちなのでしょう。(笑い)

 私が、一人の人間として歴史になしましたことは、天と地の人間を代表しています。そして、神の名によって勝利を宣言しました。天と地の勝利者として立ち、歴史を通し誰も成し得なかったことを成したのです。どうして苦難を避けて通らないのでしょうか。なぜなら、原理を知っているからです。この地上の、他の誰よりも、最も多く苦しまなければならないことを知っているからです。数千年の歴史を通して、人間は、汚れた、犯してはならない罪を犯してきました。全ての罪を解放するために、私は、この罪深い世界のあらゆる職業を経験するという条件を立て、地の底まで降りて行かなければなりませんでした。

 私が経験しなかった事は軍隊生活だけです。それ以外に私が経験しなかったものは一つもありません。ある時は乞食として、寒空の下で夜を明かしました。労働者、農夫、波止場の人夫、スポーツ・マン、登山家、そして石炭を堀り出す抗夫などと、すべて味わったことのないものはありません。なんのためでしょうか。それは、生存しているすべてよ人たちへ、その救いの糸を垂れてやり、その生活からはい上がることを願ったからです。ただ韓国民族によってのみ、苦難を受けたのではありません。今、私は西洋に来て白人から迫害を受けております。またあなた方は、私のためにお金を持ってきますか、それとも、私があなた方の資金をつくりましょうか。

 私は、あなた方にも、またすべての人々にも親の立場で働きたいのです。世界でも親が子供にお金を持ってくることは、当然のことです。統一教会も同じです。私は、子供たちのために、もっと働いてお金を上げたいのです。たとえば、小さな国は、外国からの、経済的・軍事的援助を仰ごうと努力しますが、私は、これとまったく反対です。私は、どんなに貧しくとも持っているもののすべて、エネルギー、情熱、そして生命までをも、この国の上に注いでいます。それらの全てを豊かに、アメリカの上に施したいのです。私の考えは、はっきりしています。外部の人が何んといおうと、変わりません。

 世界の歴史的条件を分類するために私は、条件を立てたいと思います。世界中のすべての貧しく、さみしい人々のために、家を買いたいのです。黒人、白人、プエル・トルコ人、アフリカ人、ヨーロッパ人、アメリカ人、すべての人に買うのです。

 私は人間です。しかも最も独特な人間になりたいのです。なんでも成し遂げる人間、人間にできることはなんでもやれる人間になりたいのです。私の姿かたちはどうですか。皆さんは好ましく思いますか。ここでは、ふつう男性は、ほっそりした腰をしていますが、私は、とても大きな体をしています。

 高校生の頃、私は、岩ののようなレスリングのチャンピオンでした。だれも勝てませんでした。そして話が上手で、書くこともうまく、芸術家で、一夜で一冊の本を書き上げたこともありました。ある時は、日曜学校で教えたりしました。私は、子供たちの間で特に人気があり、私の語る物語ひは、面白く魅力的であり、その神を中心とした物語りの展開は、聞いている全員が夢中になりました。私は表状が豊かで、顔の表情で多くを語りました。偉大な文学のほとんどを知っていたし、簡単にその内容を把握することができました。

 北韓の牢獄の中でも、みんなが友達であり、後輩であり、仲間でした。彼らを理解できたのです。私と一緒にいたら、疲れや苦しみを忘れてしまい、まるで春を迎えているような気分にさせられました。農場や農家に行けば、すぐに農夫と友達になりました。それは私が農民の心をよく知っていたからです。ですから、農業をしている所へいったら、すぐにその家の主人となるのです。彼らは私招待して、入って一緒に夕食を食べるよう自家製のじゃがいもを食べてくれ、とたのみます。しかし、私は何にもまして、女性の間で一番人気がありました。それが批難の因もなりました。
 

◆歴史に生命を

 歴史において、歴史の主な流れである斡がこわれてしまいました。人体の血管のように動はあったとしても、しかし静脈と細動脈がマヒしているのです。私の使命とはその治療法を持たらすことです。川には、本流があり、支流がありますが、水が流れるように生命を取り戻させるのが、私です。私は、すべて創られたものは人間のために存在するという確信を持っています。「天の父よ私にはできません。」とは到底言えません。私は、歴史上における最高の霊的指導者として、その位置を決定し、それを成してきました。ですから実際に、すべての段階において私は過去の偉大な霊的指導者のなしたすべての失敗を復帰しているのです。

 霊界においては、循環作用がなく、すべてがふさがれていました。私は、その循環が円滑になり、霊界と地上界の両方に等しく公平に流れることを望みました。今はすべての障害物は取り去られ、一人の人間の体の循環作用のように、すべてが順調に流れるようになりました。

 歴史において、また家庭的、民族的、国家的、世界的な段階において、支流がありました。しかし私は、その一番上から始めすべての障害を取り除き、水が流れるようにしたのです。今まで全宗教は、独自の一つの流れを持っていました。ユダヤ教以外考えられないとか、キリスト教以外考えられないとか、仏教も他宗教もそうです。各々が傲慢であるために統一できないのです。

 しかし誰かがその異なったすべての流れを一つにしなければなりません。そして統一する人は、そのすべてをよく知らなければなりません。霊的には、私はすでに統一したのです。それでその川は今、四つの方向へ向かって流れています。

 この調和と美の世界は、地上界へ展開されようとしています。地上にも同じものをつくろうとしているのです。それが、この地上における使命のすべてなのです。霊界でなしたことを地上に展開し、地上で霊界が釣り合った相似形の一対となるようにするためです。どうして相似形でなければならないのでしょうか。今までは何の関係もありませんでした。ですから、このために私たちの心と体もまた、分離してしまったのです。

 霊界をおろして来なければ、心と体を一つにする方法がありません。各段階において、異なった試練、苦難、困難があります。個人的、民族的、国家的、世界的に試練があります。そのために、私はいつも前進するように励ましているのです。それは、こんなに話している様に簡単だと思いますか。話すことは簡単です。しかし、考えてみて下さい。私達が生きている間になすことは、ほとんど不可能です。

 しかし私たちは、勝利者にならなければなりません。世界に耐えられるだけの重みをつけなければなりません。そしてこの地上界があなたにのしかかってきても、自分自身の重さでそれに耐えなければなりません。
 

◆世界に耐える家庭基盤を

 イエス・キリストは、個人として霊界の重さに耐えました。すべての試練に耐えました。しかし、世界的試練に耐えうるだけの家庭を組織することができませんでした。また、三十六家庭の祝福の時は、外部からの迫害が激しく、穏やかに式典を催すことができなかったのです。

 非常な事態でしたので、私は、花嫁、花婿を、三つのグループに分けなればなりませんでした。最初は簡単に急いで、次は昼間に、そして最後は夜に行ないました。

 三十六家庭の祝福がある日、政府から取り調べを受けました。私は裁判所へ出かけ、証言し、帰ってきて、祝福をなしたのでした。このような白熱した戦いでした。私たちは立つ場所さえありませんでした。わずかな場所さえなかったのです。ですから、行動の一つ一つが、生命を賭けた冒険でした。一九六〇年、私と三家庭がつくられ、真の家庭の基準が打ち建てられました。最初の祝福は、三十六家庭に与えられました。彼らは歴史的摂理において、全世界の家庭を代表しています。人類の先祖の立場となったのです。そしね、そのその次に七十二家庭の祝福がありました。これは、世界的三十六家庭のカインとアベルを代表しています。そして百二十家庭は、イエス様の十二弟子に相当し、世界的基盤における十二種族を代表する立場になります。その基台の上で、神は土地や地域の所有を主張できる基盤を打ちたてたのです。そこで聖地を決定しました。

 次に四百三十家庭は、韓国全体を代表しています。韓国は、四千三百年以上の歴史を持っています。これは、エジプトを去ったイスラエル民族に匹敵するものです。彼らは、エジプトで四百三十年間苦しみました。そこから彼らは、カナンの地へ向かって旅を始めました。そのような旅をするためにも、天国は、世界的レベルで建設されなければなりません。ですから、四十三組のウエスタン・メンバー祝福があったのです。これは、韓国における四百三十家庭に相当します。

 この四百三十家庭と四十三家庭がつながれることによって、韓国の救いが世界の救いにつながるのです。
 

◆七十二年度からの講演

 次の七七七の祝福は、全世界が祝福されるための基台をつくるためでした。そして、私が世界的使命を果たす時がきました。それで一九七二年以降は、アメリカに来たのです。三年半の間に。私は、神のメッセージを宣言しながら、西洋世界に基盤をつくったのです。それらは全て、韓国へ帰る前の、マジソン大会において頂点に達しました。このキャンペーンは、巨大な主要八カ都市講演で始まり、ロスアンジェルスにおいて、成功裏のうちに終わりました。この講演旅行で、私は名誉市民の称号と、多くの宣言文をもらいました。これまでどんな歴史上の人物も、こんなに多くもらったことはないでしょう。これは、アメリカが最初に私を受け入れたことを示しています。韓国は私を迫害しました。しかしアメリカが最初に私を受け入れたことによって復帰されました。九百から千通ものこの国の市や町による宣言文を、私は受け取りました。それは世界的なものとなり、この勝利の基台の上に私は勝利者として帰ることができました。

 世界へ出て、世界から受け入れられ、そして今、韓国へ帰る基準を得たのです。私が韓国へ持っていくものは、指輪やお金ではありません。もっと大切なもの、それは、世界からの若者たちの精神です。私が、西洋であるアメリカで築いた勝利の基台は、今、その勝利の果実をもたらそうとしています。すなわち、それは世界からの若者たちです。

 そしてその基台に立って、自国へ戻るのです。どうして戻るのでしょうか。イエス・キリストは、二千年前に、ピラトやカヤパや民衆の手によって十字架につけられました。その悲しみと苦しみと難きを解放する基準をつくるために、私は韓国に帰らなければならなかったのです。

 二千年前のユダヤ教は、今日のキリスト教に相当すます。また二千年前のイエス様の使舎は、今日の統一教会の使命に匹敵します。わかりますね。二千年前、ローマ帝国・イスラエル国家、そしてユダヤ教団は団結して、イエス様を十字架にかけてしまいました。

 天の父現代に同じ状況をつくり出しました。この現代におけるローマ帝国の使命は、アメリカでありそのアメリカは最初の勝利をもたらしてくれたキリスト教の果実である若き青年たちを集わせました。韓国へ帰ると、私に反対するかわりに私を歓迎しました。蕩減は晴らされたのです。二千年前のユダヤ教はピラトと団結して、イエスに反対しました。しかし、今回は国は受け入れましたが、キリスト教会は反対しました。私は始めて釜山から出発し、主要都市を公的な場として認めて、韓国民に向かって講演をなしたのです。釜山、大邱、大田、ソウル。市から市へと重ねてきました。そして、それは私たちの圧倒的勝利でした。人々はまるで雲の上に乗っているかの如くに、ぞくぞくと会場へ集まってきました。会員を中へ入れることは、とても不可能でした。私の講演を聞こうと集まった何千という人が、外に立ち続けました。

 韓国の帰国キャンペーンと、西洋における実体的勝利を結論づけるものとして、私は、私は、世界救国大会を開きました。六十カ国の代表が参加しました。それは百二十万もの参加があり、私たちは国から受け入れられたということを意味します。それによって、韓国の勝利を全世界に伝える一つの接点ができたのです。
 

◆喜びの年を迎える

 一九七六年は、劇的な輝やかしい勝利の年でした。ニュー・ヨークにおけるヤンキースタジアムの勝利は、同じ年の九月十八日のワシントン大会へと発展し、その勝利は、神の摂理的勝利を最高頂へと引き上げました。ヤンキー大会とワシントン大会、とくにワシントン大会は、一番歓迎されない状況の中ですすめられました。マスコミは冷たく、レバレント・ムーンが何者であるかを調べ上げ、恐れを抱いていました。可能な限りの手段を使って、運動をくい止めようと努力しました。そのような不利の状況のもとに行なわれた大会は、そのことの故にかえって、より勝利に輝き、より価値あるものとなりました。

 四十日間のワシントン大会キャンペーンは、イエス様の四十日復活路程に相当すます。その四十日の後に、イエス様は天国へ昇ることができました。同じように、レバレント・ムーンも、ワシントン大会における四十日間の勝利をもって、この地上の実体的使命を成就しました。ワシントン大会は、人類の歴史、神の歴史において、最も意義深いできごとでした。

 これにより、天のすべての区分が破られすべてが融合し、生命の水が流れ出しました。すべての区分がなくなりました。霊界が開かれました。すべてが解かれ、生命の水が全身に満ちあふれ、流れ出しました。霊界は解放されました。障壁は破壊されや境界線は取り除かれました。霊人たちは地上へ下り、伝動活動に参加し、協力するでしょう。たとえ、私が死んだとしてもそれは続けられます。私の使命は成就されました。神の神聖なる使命も完遂されました。その勝利を基台として、私は十月四日に天勝日を宣言しました。私は歴史的戦いを勝利したのです。神の勝利の故に、これは天の喜びであり、地の喜びであります。疑う余地もありません。それは、私と霊の喜びであり、祝福家庭、統一教会のすべての家庭の喜びであります。

 新暦二月二十日は旧暦の一月三日でした。二月二十日までに、陰暦と太陽暦は完成したのです。喜びと勝利の年が公的に始まりました。七百七十七双、千八百双の中に、信仰的であり従順でありながらも、相対者の不幸に者舞われた人たちを、私は知っています。幸福になりる立場にありながら、幸福になれない状況の下にありました。ですから、神は、特別に、彼らを祝福したのです。

 それは最も記念すべき祝福となりました。このニューヨーカーホテルで、二月二十日に行なわれました。私は、すべての人が、幸福になるすべての条件をたてました。天が喜び、地が喜んでいます。神が喜び、全祝福家庭、統一教会の全食口が喜び、幸福になりました。すべての幸福と喜びが、すべての人へ分かち与えられました。三日後のきょう、陰暦の一九七七年の一月六日は私と妻の誕生日であり、全員でそれを祝いました。全宇宙も祝ってくれます。事実なのです。きょう、妻は三十四才を越えます。イエス様は、三十三才以上行くことができませんでした。イエス様は、三十四才の誕生日を神と共に祝いたかったのです。しかし、十字架の故にできませんでした。今年、妻は、三十四才を越え、イエス様の三十三才を越えていくことになります。ですから、そういう意味でも、きょうは最も記念すべき日なのです。
 

◆摂理的歴史の完成

 これから、サタンは決して神の玉座にざん訴することができません。サタムのざん訴が、神の玉座に至ることを天が許しません。なぜでしょう。アダムとエバと天使長とともに宇宙がありました。これは神が予定した一つの統一された宇宙でした。その世界では、誰もざん訴することはなかったはずです。一人の体の中に、四つの体が存在し、敵対することはありませんでした。誰も敵ではありません。もし誰かが、その調和と統一を乱すならば、その人自身同時に崩れてしまうのです。それが原理です。

 原理によって、この勝利的成就は、神をざん訴するサタンの道を防ぎました。サタンはもはや神をざん訴することはできませんでした。これは原理です。わかりますね。これを信じ、認め、百パーセント受け入れるなら、完全にサタンを屈伏できます。
 この歴史的瞬間に、私と妻と、神の名によって、サタンを屈伏させる権威と特権をあなた方に授けます。あなた方はサタンを屈伏させる力を得たのです。あなた方と統一教会のメンバーのために。(拍手全員立ち上がる立ったままでいる。)

 私は、今、宣言します。今日のメッセージの題の如くに、摂理的歴史の光の中にあって成就されました。すべての蕩減条件は完遂されました。これからは、反対を受ければ受ける程、私たちは勝利していくでしょう。損害、苦難、試練などの圧力、ざん訴を受けることもなくなるでしょう。かえって、受けたと同じだけの恵みを与えられます。

 これにより神の領域は拡大され、二千年まで続きます。その年までには、私たちは実質的勝利を勝ち得なければなりません。苦労が積み上げられ、二千年までには神の国が建設されるでしょう。このサタン世界は、もはやこれ以上発展することはありません。私たちは常に前進し発展している団体であり、力であり、運動です。サタン世界が私たちに向かって、銃弾を発するならば、かえってその故に、退却せざるをえなくなるのです。二千年までには、この地上に、神の国を完成させなければなりません。(祈り)















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