御旨と世界
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刺激と冒険

1978年4月16日 ニューヨーク ベルベディア


◆春は新生のとき

 春の季節になりましたね。春の嫌いな人はいません。すべての人が春を好みます。とくにティーン・エイジャーを含めた若い人達はそうです。春を愛し、春の訪れを待っています。人々は、自然に、春の気持ちや何か新鮮なものを感じて春を慕うのです。しかし、若い人達が春を楽しむのに反して年配の人達は、春がくると大きな責任を感じます。同じ季節の中にあっても、彼らは、異なった次元、側面から春を感じています。なぜなら彼らには、責任があるからです。彼らは、子供を育てて大きくしましたが、今は、空虚な気持ちになっています。子供たちが自分自身の道を行き、結婚し、家庭をもっているからです。

 このように、春は異なった側面を人々に与えます。とくに年配の人たちは、過去に起こった出来事を思いだします。人生の黄金の時である青春時代のこと、また、家族や子供のことを回想することを好みます。良き思い出を回想し、古き時代を新鮮に思い起こすのです。それらの人々にとっては、これが春の時なのです。彼らにとって春は、過去の時代と生活の回想と再評価、再分析の時です。

 しかし、これは動物界には、あてはまりません。けれども、春は、その動物にさえ、その良き側面を提供します。ここニューヨークは、予期しない大雪に見舞われましたが、動物、たとえば鹿や狐や昆虫のことを考えてみてください。彼らは、冬中、春を待っていました。そして今、春がきて、新たな希望、新たな復活の心情で、この春の貴重な時を楽しみながら、大きな希望を抱いているのです。厳しい冬が過ぎ去ると、鳥はうたいだし、食物を捜し始めます。春は、鳥にさえも、未来への希望とインスピレーションを与えます。春は誇らしげに、こう言うでしょう。私は、すべての生物に生命を与える活力をもっているのだと。春は、また、こうも宣言するでしょう。私は、新しい生命を蘇生させ、成長させる新鮮な要素を与えるのだと。

 この美しいベルベディアにおいても、冬の間は、木々の葉がすべて落ちてしまいます。が、今、この春のときを迎えて、木々は新しい芽を出し、葉をつけ、新しい生命を生みだしています。新生が始まったのです。

 すべての人は、新しい芽、新しい生命、また新生を好みます。動物だけでなく、植物も、また、人間も春を楽しみ愛します。とくに、季節ごとに移動する鳥は、新生を与える春の力を、彼らなりに楽しんでいます。

 では、春には、どんな季節鳥がいますか。こまどり、ガチョウ、カナダガチョウ、白鳥、つばめ、彼らは、移動の時を、決して間違えることはありません。あなた方のように大都市に住んでいる人達は、田舎でつばめがどのようにして巣をつくるのか知らないでしょう。韓国では、つばめは、玄関の軒先や屋根の下に巣をつくります。とてもおもしろいものです。そうやって移動していきます。カナダガチョウは、このように鳴きます。(鳴き方をまねてみせる)とても簡単です。

 つばめは、欧米人にとっては、見慣れない鳥です。韓国では、つばめは規則的に往来します。つばめは、東洋的香りや性格をもっています。そして、東洋の言葉をもっています。東洋の言葉で鳴いているのです。東洋人にとっては、英語で鳴いているように聞こえますが。また、つばめは、まるでネクタイをしめ、タキシードを着ているようにみえます。とても印象的な姿をしています。そして雄鳥と雌鳥は、一緒にうたを歌います。それは、とても感動的でロマンチックです。一羽では歌いません。いつも一緒に歌うのです。他の鳥を誘って、一緒に歌います。異性を呼んで歌います。これが鳥の世界の法則です。

 これは、人間も同じです。男性も女性も、一人では歌いません。ですから、男性と女性は、一緒にいなければなりません。声楽家が恋の歌を歌うときは、必ず、彼と彼女の間に、このような関係が生じます。主体と対象の授受作用があります。一緒に歌えば、そこには愛があり、春があります。
 

◆春は変化のとき

 統一教会において、ほとんどの人は、若い人ですか、年老いた人ですか。(若い人です。)けれども、あなた方の声は、まるで引退した人の声のように聞こえます。若い人は、力にあふれていなければなりません。力強い響きがあり、声は、前進的でなければなりません。しかし、あなた方の声は、使い古した車のようです。新しい車は、もっと強力で、前進的です。

 “ムーニー”は歌が好きですか。好きですね。それは、あなた方が若いからです。統一教会の運動の特徴はなんですか。それは、若さです。それが特徴です。一年には四季があります。それは、人生にもあてはまります。あたた方は、今、人生の春の時にいます。あなた方の顔は、厳しい冬の後に、新しい芽をつけた木々のように輝いています。あなた方の顔は、光り輝く新しい生命に似ています。あなた方は、怠惰や感傷を捨て、真っ直ぐで、力に満ちています。

 私は、額や顔を髪でおおっている女性は好きではありません。女性は髪をあげ、後ろに結ばなければなりません。そうすると、春のように、さわやかにみえます。顔をおおってはいけません。私は、あなた方が若いのに、余分な服を持っていないことを知っています。しかし、春になると、あなた方は黄色やピンクの美しい色で装います。リボンを髪に飾って、春にふさわしくしています。もし、あなた方が自分を飾るものを何も持っていなければ、一枚の白いハンカチでもいいのです。とても役に立ちます。それで、春の雰囲気をかもしだすことができます。自然や季節に、自分の雰囲気をあわせることを知らなければなりません。今朝、あなた方はすばらしい気分でいますね。こんなに気持ちのいい日は、ここにきて、じっと座っていたくないでしょう。

 新しい春の気持ち、力強さ。春に関する例をあげてみましょう。つばめを考えてみましょうか。カナダガチョウにしましょうか。では、動物を例にとりましょう。動物は何が好きですか。(虎、熊)虎や熊が現れたら、人はびっくりするでしょう。ですから、それは例にとりません。話の中で殺してしまってはいけませんから。春で、一番愛らしい動物は、鹿です。鹿は、新芽や柔かい葉を食べます。とても賢い動物ですね。もし、あなた方が春の動物になるとするならば、私は、鹿になってもらいたいと思います。

 春は、すべてにおいて良い時です。ベルベディアの本館の前に大きな木がありますが、私は、それがとても好きです。冬になると、その木は死んでいるのか、生きているのかわからなくなります。しかし、春になると、力強い生命力を備えていることがわかります。

 また、春は種をまく時です。四季の中で、種をまく唯一の時なのです。種をまいたら、水を注がなければなりません。苔むした所、湿った所だと、種は眠ったようになりますから、適切な場所にまかなければなりません。これは重要なことです。

 春は、変化をもたらします。すべての生物は、春になると変化していきます。変化は、消極的要因ではなく、向上するために必要なものです。それは、進歩的で、前進的で、躍進的な要素です。

 アメリカを考えてみましょう。アメリカは、今、春の時を迎えていますか、それとも、冬の前の秋の時ですか。もちろん、自然は春の時ですが、霊的には、アメリカは今、どの季節にいるでしょうか。(春です)あなた方“ムーニー”は、春といいますが、科学的な観察者は、今、霊的または精神的には、秋の時を迎えているのだと言っています。では、ムーニーはどうでしょうか。秋の時に住んでいると思いますか、それとも春ですか。(春です)すばらしいことですね。
 

◆枝や根のように

 ムーニーは、どのような特徴をもっていますか。成長しない若い芽ですか。私たちは成長しなければなりません。本当の“ムーニー”にならなければなりません。木の枝にならなければなりません。あなた方は、木の枝になりたいですか、それとも葉になりたいですか。枝は、葉をしげらせます。花は、葉からではなく、枝から咲いてきます。ですから、枝は未来へつながっています。花を咲かせるだけでなく、実も結びます。木の生命を支える栄養の通る道も、枝にあります。枝は、とても重要な役割を果たします。花から種がつくられ、その種が、新しい生命をつくります。花が咲くのは古い枝ではなく、新しい枝です。

 この世界において、今、誰が、新しい花を咲かせるすばらしい木や枝になるのでしょうか。そのような役割を果たす若い人たちは、誰でしょうか。(ムーニーです)あなた方は“ムーニー”だから、それは“ムーニー”だといいますが、クリスチャンは、“それは私たちだ”というでしょう。ヒッピーだってそういうでしょう。共産主義者もそういうでしょう。(でもそれは、ムーニーしかできません。)あなた方は、よく知っていますね。あなた方“ムーニー”が、世界の花となり、新しい枝になりたいということは、とてもすばらしいことです。これは、この世界の人類の、新しい希望となります。そのような人々は、とても輝かしいものです。すばらしいことです。探しても探しても、この世では、統一教会以外に、それができる団体や組織はないことでしょう。私は、私たちが、世界中でそれをできる唯一の団体であると、確信いたします。

 では、もう一つ話しましょう。花を見てみましょう。花が咲く前に、何かがその準備をしています。そのために葉や枝があります。花を咲かせるために、必要な要素があることを知らなければなりません。水や空気、光などがそうです。それらは、植物の成長になくてはならないものです。それがなければ、生命は生まれません。生命は、突然生まれてくるものではありません。その前に、それらの要素を調和させる準備が必要です。その作業が、ずっと続けられているのです。そうして、新しい生命が創造されます。このような準備がなければ、新しい芽や枝は生まれてきません。

 人間社会においても、そのような準備が必要です。世界には、五種類の人種が住んでいます。争いもなく、調和を保って住めたら、どれほどいいでしょう。調和とは、木の中の水のようなものです。水は、木の中を、上へ下へと自由に動きます。もし、人類間に、このような調和、統一、平和、親愛に満ちた関係がなければ、この世界に新しい枝を生みだし、見事な花を咲かせることはできません。その作業は、見えないところでなされなければなりません。

 木の中の水が、「私は、西の方の水です。ですから、東へ行く必要はありません。私は、北へ行くように言われています。南には行けません」などというでしょうか。根から吸収された栄養素が、「私は、上に行きたくありません」といいますか。言えません。それは、同じ木に属しており、同じ枝で、同じ根につながっているからです。根は、そこで授受作用を続け、栄養素を木全体に送る作業をやめません。昼も夜も活動を続け、岩があっても、それを乗り越えて根を拡げていきます。どんな障害でも飛び越えていきます。根は、そんな力をもっています。

 私たち“ムーニー”は、このような力をもたなければなりません。ある民族主義者は、統一教会の人たちはお互いに愛しあっているというでしょう。彼らは、批判することができません。この世の人々は憎しみあっているからです。この世界の新しい枝や花は、調和や統一がなければ生まれてきません。私たちは、それを実践していきましょう。この時代のどの組織も、統一教会を受け入れていませんが、そういう意味では、ムーニーは優秀で偉大な種類の人種に属します。

 ムーニーは、とても忍耐強く、岩を乗り越え、力強く拡がっていく根のようです。雨や嵐がこようと、地下で、あらゆる方向へ向かって根を拡げていきます。その忍耐強さは、ダイナミックで、理性や想像を超えていますから、普通の人には理解できません。あなた方は、忍耐強く前進しています。知識や論理では、あなた方を理解することができません。一般の人に、家庭訪問をしながら伝道することは、とても難しいことです。でもあなた方は、辛棒強くやっています。それは、とても大変な仕事です。時には基準が下がり、侮辱され、拒絶されますが、あなた方は、とにかくそれを続けています。忍耐、力強さ、前進的姿勢の根をあなた方はもっています。それは、あなた方が優秀で、頭のいいことを意味しています。

 あなた方の根や幹は、この世界全体にとって、理想的な根であり、幹であります。私たちは世界に向かって、「私たちは、世界的な理想の根となり枝となり、世界的な美しい花を咲かせる可能性をもっている」と誇らしげに宣言することができます。あなた方は、この世を救う、世界的な美しい果実なのです。

 長い冬の後で、地中から顔を出す芽は、空に向かって上を向いていますか。それとも、地に向かって下を向いていますか。(空に向いています)どうして、空を向いているのでしょうか。なぜ、下も向いていないのでしょうか。それは、空に太陽があるからです。木は自然に、太陽という大きな力に向かって伸びていくのです。新しい芽や葉も太陽に向かっています。それが自然の法則です。そこには生命力があります。光の力があるのです。あなた方は、早く成長しなければなりません。統一教会が成長するためにも、私たちは、空に向かっていなければなりません。天宙の太陽は、天のおとうさまです。上に向かいましょう。私たちは、神から、愛の力と光の力を受けるでしょう。
 

◆みんな一つに

 周りを見てごらんなさい。スペイン人や東洋人、黒人、白人など、すべての人種がここに集まっています。考えてごらんなさい。四種の違った人種が一緒にいます。新しい芸術作品が創り出されたようなものです。全部の色を混ぜあわせると、どんな色になりますか。それは、傑作です。東洋人、黒人、白人の色を一緒にするのです。神さまは色がないのですから、問題ではありません。

 すばらしい芸術家がしばしば街頭で絵を描いていますが、人間の描いた絵の最高傑作であっても、自然の一輪の花のような価値さえもつことができません。その花の価値は、天のおとうさまによって決定されるからです。最高傑作である花の絵を、花壇に置いてみましょう。どうなりますか。比較の必要はありません。絵に描いた花の美しさと、実際の花の美しさは、比較しようもありません。あなた方には、この違いがわかりますか。本物でないものと、本物の違いが。

 さて、画家がどんな色の花を創りだすかはあまり問題でありませんが、四種の人種を混ぜあわせると、どんな色が生みだされるかは、大切です。美しい現実的な色が出てきます。科学的に言えば、私たちは七つの色をもっています。それを一緒に混ぜあわせると白になります。色がありません。試してごらんなさい。循環作用が一つの色をつくります。そこには、良き授受作用が存在しています。そして、統一と調和が生まれます。平和の象徴は白です。戦争のとき、敵に包囲された場合、白い旗の意味するものは、平和と友好でした。

 それでは、白人の特徴はなんでしょうか。白人は、実際は、平和の象徴なのです。しかし、過去の歴史を振り返ってみますと、白人は平和性を示してきませんでした。反対に搾取してきました。それが問題です。白人は、肉が好きで、よく食べます。黄色人や東洋人、黒人は、野菜を好みます。そうですね。

 北極の白熊も白いですが、どうして白いのでしょうか。それは、自然界で身を守るためです。では、白の源は、どこからきたのでしょうか。その原点にもどってみましょう。白熊の先祖が、白の先祖ではありません。白熊が、もともと白である必然性はないのですから。いったい、白人はどこからきたのでしょうか。文化人類学的に言うならば、白人は、スカンジナビア、つまり、ノルウェーやフィンランドのような北欧からきました。ですから、彼らは、北極のように白いのです。北極は、寒くて食べる物が何もできません。だから、彼らは、動物を殺して肉を食べるようになりました。もし、あなた方も北極で、何も食べる物がなかったならば、動物を殺して食べたことでしょう。

 では、黒人のいるアフリカをみてみましょう。アフリカは雪がなく、一年中、野菜やココナッツ、バナナに囲まれています。黒人は、自分で耕して食べ物を作らず、自然にできているものだけを食べます。だから、動物を食べる環境ではありません。

 結論をいいましょう。今、もうすでに、黒人が、真の神を礼拝する時が来たということです。黒人であっても、あなた方と同じように、祝福を受ける機会を与えられるでしょう。黒人の兄弟姉妹が、祝福を受けるときがくるのです。しかし、それには一つ条件があります。すべての兄弟姉妹が寛大にならなければなりません。そして、善に対しては、絶対的忠誠をもたなければなりません。それが、条件です。また、怠惰であってはいけません。怠惰から脱けださねばなりません。あまりにも怠惰であるのは問題です。怠惰を捨てて、神を礼拝すると希望をもつことができます。今は、昼食や夕食など全てが用意されて、いつも、あなた方の前に差しだされますが、意欲を失ってはいけません。そして、白人たちが生き残るために動物を殺したように、あなた方は、悪に対して攻撃的で、敵意をもたなければなりません。

 私は、天のおとうさまに会って以来、復帰の摂理を歩まなければなりませんでした。ですから、天の父が、人類を神側に復帰するために、最初に白人を召命するのだという理由はどこにもありません。幸いにも、白人であった人々は、過去において世界を支配してきました。なぜならそれは、キリスト教が、白人とともにあったからです。キリスト教の故に、白人はこれまで、世界を治めることができたのです。しかし、失望する必要はありません。大きな希望があります。過去において白人は、攻撃的であり、他の国を支配していましたが、それはやめさせなければなりません。これは過去の罪悪歴史の話です。

 東洋人は、本質的に宗教的です。木から果実を取って食べるときにも、人生とはなんであろうかと瞑想します。自分とは、なんであろうかと。これは、哲学的であり、宗教的であり、そして東洋的です。

 人種には、その価値において優劣もなく、上下もありません。問題は、各々の民族が、どのような伝統、文化人類学的背景をもっているかということです。それぞれに歴史があり、伝統がありました。どちらが優れ、どちらが劣っているか、それが問題です。
 

◆母体から離れて独立する

 統一教会の運動は、全世界、全人類に、春のような新しい希望をもたらします。ムーニーは、全世界に、春の枝を繁らせることを考えなければなりません。新しい希望として、全世界に輝けるムーン・ピープルとして自覚していきましょう。

 あなた方は、成長を続ける葉や枝でしょうか、それとも、怠惰に座して成長を止めた葉や枝ですか。(成長する枝です)本当ですね。ではそれは、太陽の光や空気が与えられた時だけ成長して、夜になると成長を止めてしまうでしょうか。それは、夜でも成長し続けているのです。芽に聞いてごらんなさい。きっと、「私たちは夜も昼も成長し続けています」と答えるでしょう。毎日、成長することが好きなのか、後退することが好きなのかと聞いてごらんなさい。それは前進することだと答えるでしょう。また、こう聞いてみましょう。早く成長したいですか、それとも少しずつ成長したいですか。大きく成長したいですか。それとも、そのままでいたいですかと。

 そうするためには、葉や枝は、木と完全に一つとならなければなりません。一つになるということは、すべてを備えることです。幹、葉、枝、花、種、根の全てを包括しなければなりません。そのような木になりましょう。そのような完全に独立した木となるためには、母なる木から切り離して、完全に一つの木とならなければなりません。一つの木になるには、切りとられなければならないのです。その他に、方法はありません。病院の外科手術のように、独立するためには、霊的なナイフやのこぎりを使って、母体から切り離されなければなりません。そしてそれは、すばやく動くでしょうか、それともゆっくり動くでしょうか。春は成長する時なのですから、私は、あなた方をせきたてます。

 それは、切断するための一つの過程です。これが本部教会の体制です。本部教会というのは母体である木を意味し、そこからあなた方は、地方へ行かなければならないということです。ですから、最初の切断作業は、このニューヨーカー・ホテルのワールド・ミッションセンターから、あなた方に行ってほしいと願うことなのです。あなた方は原理をよく知っていても、そうされると少し心が痛むでしょう。私は、あなた方の心をよく知っていますが、あえて無視します。私にとっても、それは心が痛むことなのです。しかしそうすることによって、あなた方は大きな木となっていきます。もし、他の木に接ぎ木されたら、別のものになります。その木の能力、可能性が、あなた方に付加されるのです。そして移り変わる自然とともに繁殖していきます。活動的になります。

 ですから組織においても、人事は春になされるのです。もっと発展的な使命分担に移るには、春が一番良いのです。秋は、すべてが寂しく孤独です。冬は、生命の息吹が感じられません。春のような恵みの時が、人事にふさわしいのです。大学も春に新しい学期を迎えます。宇宙の現象も、その法則によって、春に変わります。人事も春の時が必要なのです。私は苦心して、あなた方に任地を与えるのです。
 

◆冒険的、刺激的な春

 春は、ただ単に、喜びのためにだけあるのでしょうか。それとも苦労や犠牲のためにあるのでしょうか。春は苦労の時でしょうか。それとも、なまける時でしょうか。それは変化の時であり、動く時です。これが希望に満ちた春です。動き、変化しているものには希望があります。個人的な冒険は、大きな欲望と刺激と希望を含んでいます。歴史は、このような冒険好きな活動的な人たちによって、発展してきました。そのような哲学や信念をもっている人たちによって創られてきました。

 では、統一教会のメンバーはどうでしょうか。私たちの未来は、希望に満ちていますか。それは、前進的な躍進的な未来です。野心的な冒険です。偉大で高邁な、希望に満ちた未来です。またそれは、冒険的でしょうか。感傷的でしょうか。(冒険的です)それは、若者を魅了します。

 一般の若い男女は、愛やロマンスの甘美さについて語っています。が、また勇気や大胆さをもって、何かを成したいと思っている若者もいます。どちらがすばらしいでしょうか。きれいな花咲く花壇で、ロマンチックな話をしている若者がいて、その隣では、ブルドーザーを使って、新しい農場をつくる作業をしている若者がいるとします。どちらがいいですか。私たちは皆、一緒に働いています。男性はブルドーザーを運転し、女性は一生懸命、雑草をむしったり穴を掘ったりしています。

 春は、女性のように甘い気分にさせますが、それでは刺激がなくなります。刺激や冒険的要素には、春が反応します。春は、ときどき眠けを誘いますが、同時に、活発な気分や刺激、興奮を与えます。春は、そうでなければなりません。刺激的な春です。
 

◆天の父の愛をとかす

 もう賢いメンバーは、私が、甘く、優しい事を語るためではなく、自分たちをプッシュするために話しているのだということに気がついているでしょう。では、天のおとうさまの真実について語りましょう。

 天の父に聞いてみましょう。「あなたは、春を味わったことがありますか」と。天の父は答えるでしょう。「私は四季をつくりました。それは何も目新しいことではありません」「あなたは、かつて、愛を味わったことがありますか。愛されたことがありますか。人間の愛を経験したことがありますか」。天の父は、かつて経験したことがないと答えるでしょう。天の父は、四季や自然を含め、天宙を創造されたにもかかわらず、かわいそうに、春の時に愛を経験したことがありません。「その通りだ」と父はいうでしょう。私たちの天の父は、哀れな神でしょうか。幸福な神でしょうか。(不幸な神です)

 もし、あなたが天の父に、「もし、あなたが、かわいそうで不幸な神ならば、幸福な神となるために、一緒に働こうではありませんか」と申し出たら、「私とともに働いてくれる者がいるとは、なんとすばらしいことだろう」と答えるでしょう。しかし、神にも事情があります。ですから、たとえ誰かが来て、「行きましょう。私は、あなたを幸福な神にしたいと思います」と言ったとしても、神を行かせることはできません。なぜなら理由があるからです。行きたくても行けない秘密があるのです。その問題が解決されるまでは、たとえ、いろいろな人が来て、ともに行こうと提案したとしても、私は行けないと神は答えるでしょう。なぜなら、天の父は、春を味わったことがないからです。神は、春にすべてを創造されましたが、人間の堕落以来ずっと、冬の時を過ごしてきました。すべてが冷たく動かず、真っ白で単調で退屈な冬をです。

 ではどうしたら、天の父の心を溶かすことができるでしょうか。ちょうど冷蔵庫の氷のように、天の父は凍りついているのです。どうしたら氷を溶かし、天の父を解放することができるでしょうか。それは力強い熱、高い温度によってのみ、氷を溶かすことができます。

 誰が、天の父の凍りついた愛を溶かすことができますか。それは、機能でなく、愛そのものが凍りついているのです。人間の堕落によって全被造物が、それと同じ状態になってしまった事が問題です。天の父によっても、その状態を変えることができません。その凍りついたものを溶かす何かが必要です。どのように溶かしますか。知識の力、科学の力、あるいは他の力ですか。どのようにして、天の父の心を溶かしていきますか。(愛でです)

 それは、どのような愛でしょうか。男女の愛ですか、それとも家族の愛ですか。それは不変の唯一の愛によってです。なぜなら、天の父の中に、その要素があるからです。絶対不変で唯一の愛が、天の父の凍りついた心を溶かすことができるのです。それでは誰が、その愛を提供しますか。人間の堕落の故に、神自身ではできません。神は、それを受動的に受けますか、それとも能動的にですか。私たちは、その方向を行くことを許された唯一の運動なのです。神は自らで幸福になることはできないのです。

 宗教は、神を喜ばせるその一端を担ってきました。その責任の一端を担ってきました。もし、愛によって統一されていたら、戦争はなかったでしょう。争いもなかったことでしょう。もし宗教が、その使命を果たしていたならば、互いに争うことを認めるはずがありません。

 それ以外に天の父の凍りついた心を溶かす道はありません。縦的な愛が、天の父の愛を溶かすために必要なのです。宇宙的な地球的な、縦的で力強い愛が、加わらなければなりません。

 また、白人だけの愛では、天の父の心を溶かすことができません。四種の人類の愛が必要なのです。ですから、私たちは一緒になって、天の父の心を溶かすためにぶつかっていかなければなりません。三世代の愛の力が、ここに含まれなければなりません。集中された愛が必要です。全民族が、この一つの目的に集まらなければなりません。それは今から始まります。六千年の氷が、今、溶け始めるのです。天の父の心を溶かすためには、どのような要素が必要でしょうか。

 きょうは、多くのことを学びました。多くの過去の運動は、その方向へと導き教えてきました。しかし、そこには希望がありませんでした。私たちには希望があります。希望をもちなさい。それは、私たちにとっては実現可能なことです。天の父は、これを少しずつ理解するようになっています。そのような人が、天の父を解放するのです。私たちが、たとえそのような人でなくても、天の父の愛について聞くだけでも、私たちは溶け、その愛に酔ってしまいます。天の父の愛の力によって刺激を受けます。そのような人が、ゴールに到着できます。あなた方は、そのような人になりたいですか。
 

◆神の愛の注射

 さて、天の父の愛の言葉は、すべての国籍を忘れさせ、前線での活動の苦しさも、そのときに受ける迫害も、なんなく乗り越えさせてくれます。この世の愛しあっている男女さえも、天の父の愛を知れば、その方を好むようになります。そのような愛なのです。あなた方は準備ができているでしょうか。統一教会のメンバーも祝福を受けたら、互いに原理的に愛し合うようになりますが、神の愛を知ると、一緒になるよりも、神のために、別々になっても前線で働いていこうとします。神の愛は、祝福の夫婦をも問題なく、別々に働かせます。あるメンバーは、将来、北極で働くかもしれません。天の父は、こう聞きます。「あなたの妻は、今、どこにいますか」。そのメンバーは、「彼女は南極にいますが、私は、少しもかまいません」というでしょう。神の愛は、祝福の夫婦さえも、問題なく別々に働かせ、それでいても二人が全然気にしないほどの力をもっているのです。なぜなら、神の愛は、それほど慈悲深く甘美だからです。

 三十歳をすぎたメンバーでも、神さまが、祝福をあきらめて神のために前線に行って活動しなさいと言えば、即座に前線に飛んで行くことでしょう。そのような愛を、ムーニーはもっているのです。それがムーニーの特徴なのです。とくに、オールド・ミスといわれている女性はそうです。ですから天の父の愛は、必ずや、溶けるに違いありません。

 私たちは、どこにでもいます。アフリカの奥地にも私たちのメンバーはいます。私は韓国から来て、ここアメリカで働いています。それは、天の父が私に、アメリカへ行ってそこで住むようにと命令されたからです。私は今、天の父の愛の注射をあなた方にしているのです。その中身は、韓国産です。それは韓国で手作りされたもので、その容器は古く、針はさびついており、注射をする時は難しくて痛いのですが、その中身は神の愛であり、生命を与えるものです。注射する時は、痛みを感じますが、それでも、神の愛を打ち続けなければなりません。注射を打つと、すべてが良くなります。私は、それを保証します。神の愛が、あなたの体の中を、血となって流れるのです。そしてすばらしいムーニーが誕生します。そのような人たちを“ムーニー”と呼ぶのです。それはすばらしいことです。そして、“サニー”や“キンギー”となります。

 困難に出遭ったときは、痛くて、神の愛の注射を拒否したくなるかもしれませんが、たとえ心が進まなくても、続けていかなければなりません。なぜなら、あなた方は、すでに神の愛を味わったからです。やめることはできません。神に影響を与えなければなりません。あなたは、神にさえ影響を与えているのです。ですから、その点において、神は受動的な神です。あなた方から、能動的な要素を受け取っているのです。あなた方は、愛を天の父に与えています。ですから、天の父の愛は、すぐに溶けてしまうでしょう。これが、レバレンド・ムーンが、国際的に天宙的に計画していることなのです。
 

◆愛の注射を打とう

 五つの民族、白人・黒人・黄色人等の五つの民族からの愛の注射を、天の父は待っています。ある者は足に、ある者は手にと、天の父の体全体に注射を打ちます。するとすぐに、天の父の体は溶けていくでしょう。天の父の大きな体を考えてごらんなさい。この方法以外に、天の父を解放する道はありません。天の父は、それを喜ぶでしょうか、それとも失望するでしょうか。凍った神の心や体は、溶けて動きだします。手から氷が溶け、砕かれ、体の機能が規則正しく動きだし、血液の循環が始まり、顔には微笑が浮かぶようになり、そして輝きだします。

 凍りついた神が、今、溶けていくのです。すべての細胞が蘇っていきます。神は、踊りだすでしょう。踊りのステップは、アジアに、そしてアメリカに、太平洋にと地球の上を踊り歩くでしょう。そのとき、はじめて天の父は、春の時を迎えるのです。

 全ての被造物を創造された神ですが、春の香り、春の時を味わうことがありませんでした。私たちの愛によって、天の父の愛が溶かされたとき、初めて天の父は、「私の春は、今やってきた」と、高らかに宣言することができるのです。そして、春を楽しむのです。天の父の春の時は、全ての被造物にとっても、春の時を意味します。神は誇らしげに笑うでしょう。ですから、あなた方は個人的に、天の父に注射をしなければなりません。腕でもどこでもいいのです。すぐに天の父の腕は、注射する余地がなくなるかもしれません。天の父には、私たちの愛の注射は必要ないと言う人がいるかもしれませんが、天の父は、私たちの愛の注射を受けたとき、喜ぶに違いありません。

 しかし、その愛の注射は、サタンの愛の要素が入っていてはいけません。清い愛が必要です。あなた方は、天の父の外科医になるのです。その愛の注射を打つために、天の父に向かって、私のいうことを聞きなさい、と言わなければなりません。

 では、その注射は、どこで打つことができるでしょうか。怠惰で安易な場所でなされますか。それとも、困難や迫害のある所でなされますか。なぜ、そのような場所が最高なのでしょうか。なぜなら、あなた方が、神に注射を打とうとする時、サタンがそれを見つけて邪魔し、代わりに自分のサタン的注射をしようとするからです。ですからサタンの侵害や妨害のある所では、注射することができません。サタンのこない所に行かなければなりません。そこは、困難、迫害、艱難のある所です。そのような場所を選ばなければなりません。サタンの侵害できないところ、つまり、人々があなた方を迫害し拒絶し、あなたの家族でさえも試練を与えるような場所です。マリアのように、一人になっても行くという決意をしなければなりません。そのような場所は、サタンさえ侵害できません。

 これで、どこが最適な場所かわかりましたね。その愛の注射は、天の父にだけでなく、アフリカの奥地や低開発国の原始人にも、打たなければなりません。そこがあなた方の行く所であり、そこは、サタンの注射に対して免疫のつく所です。あなた方は、天の父を凍った状態から解放すると宣言できますか。この世の人々は、怠惰で、ぜいたくで、安易な場所を好み、だらしなくしています。しかし、私たちは、より困難で、迫害のある場所を探して行かなければなりません。そこでこそ初めて、天の父に、注射を打つことができるのです。

 あなた方は、注射器や針を持っていますか。それはなんでしょうか。それは、あなたの体です。あなた自身が、医者であり看護婦なのです。そして神に対して、人類に対して、愛の注射をするのです。あなた方を迫害し、拒絶し、ざん訴する人たちにも、愛の注射を打ってあげなければなりません。

 子供を医者に連れていくと、医者は注射をします。それは、何か悪い所があるからです。子供がどんなに抵抗し、拒絶し、泣き叫んで憎しみ、噛みついたとしても、その子供を治療するためには注射をしなければなりません。同じことです。相手が好きでも嫌いでも、注射を打たなければなりません。統一教会の運動から、彼らは何かを感じています。しかし注射を打つと、私たちのことを嫌いになります。それでも私たちは、注射を打たなければなりません。後で彼らは、あなた方にほほえみ、感謝するでしょう。好きであろうと嫌いであろうと、あなた方は、人々に、天の大切なものを与えているのです。

 スリを、あなた方は知っていますね。もちろん、サタン的ですが、彼は毎日の目標をもっています。彼は人込みの中にまじってサイフを盗みます。それは、とても素早いのです。相手のネクタイにちょっと触れるような感じで、ポケットからサイフを巧妙に取り出すのです。あなた方の注射も、このようでなければなりません。一見、あなた方は、何か不思議なことをやっているように見えるでしょうが、そのようにしなければなりません。少し変わった分析の仕方ですが、そのようにしなければなりません。

 人々は病気ですから、天の父の愛の注射を打ってあげなければならないのです。すばらしいことです。それはおもしろいことです。最初は、肉体的迫害を受けることでしょう。しかし、彼らは後で病気から回復し、あなたのもとへ来て、感謝のことばをいうでしょう。この過程は絶対的です。彼らが二度目にムーニーに出会った時は、態度が変わっていることでしょう。あなた方は、彼らに生命を与えているのです。変化が起こってきます。年配の人は、私が拒絶したあの若者に、自分は本当にやりすぎたと、申し訳なく思うでしょう。何か違ったものを感じるはずです。年配の人も、あなたの所へ来て、申し訳なかったとわびるでしょう。「あなたを尊敬し、ほめたたえます」というでしょう。これが、私たちのやっていることです。
 

◆天宙の新しい春を迎えるために

 さて、あなた方は、春がきたことを、単純に喜びますか。それとも外へ出て、一生懸命に活動し、神の愛の注射を多くの人に打っていきますか。私たちは、神の愛を伝えているのです。食べるときも寝るときも、夢の中でさえ神のことを考え、伝道するときや家庭訪問しているときには、いつも神の心情を思います。“心情”を思うのです。

 あなた方は、今朝、私が言ったことを、充分に理解しましたか。あなた方ムーニーによって、統一教会によって、私によって、天の父の凍りついた心が、春を迎えて溶けていくのです。それは同時に、宇宙全体が新しい春を噛みしめるときなのです。なんという栄光の時でしょうか。

 私たちは、これから天の父だけにでなく、全人類に愛の注射をしていきましょう。これは冒険的であり、刺激的であります。















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