御旨と世界
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祝福を迎える一日

1978年9月22日 埼玉 神川村

◆見えない法則

 きょうは、約婚式と血統転換という、サタン世界で生まれたから、真の父母によって再び生まれたという条件を立たせる、蕩減式があるのですね。それは女性が先に堕落したのですから、復帰も女性が先に復帰されて、それから男性を再び生んでやるような過程を、内的に通過する聖酒式です。そして結婚して四十日以降に、それを外的に通過する式があります。それは全部蕩減式です。そのようにして、堕落したアダム、エバより以上の基準、いわゆる完成基準に上がらなければいけません。そうして天を中心として、絶対的自分という位置を確保してから、愛の基準を結んで、そうして結婚が成立するのです。

 この前、先生はイギリスでこういう話をしました。女性の美というものは顔だけにあるのではないと。普通の人は顔を見て、美人だとかそうでないとか言いますが、顔は身体の一部分です。全体を見るのです。顔は三番目ですね。手足、歩き方、声、前からも見るし、横からも見るし、全体から見ないといけません。人間の美というものは、顔だけにあるのではなく、四方八方にあります。立体、球と同じです。上から見ても、横から見ても、それは一つの自分なりの完成された美をもっているのです。そういう見地から見るのです。ですから自分の奥さんの顔はどうだとか言ってはいけませんよ。美人には貧乏な者が多いのです。しかし、徳とか福をもっている女性は違います。それから一生涯を生きていくのに、顔だけきれいという美人は、子供を二、三人生むともうペチャンコになってしまいます。ですから、子供を生んでも将来の美を保てるような女性というように見なければいけません。

 夫婦を組として見てもそうです。顔がみんな違うように、人の運もみんな違います。一生の運命が違います。男性の運命が悪かった場合には、女性の運命の良いので埋めるのです。逆に女性の運命が悪い場合は、男性の運命の良いので埋めるのです。ですから夫婦とは、山と谷を崩して平地をつくるようなものです。そう考えるといいのです。そうして平地にしてそこに自分なりの理想をもって、木を植えたり、畑を耕したり、いろいろな計画ができます。

 そういうことを考えて見た場合、外面的に見てみんながすぐに合うというわけにはいきません。結婚とは恐ろしいものです。顔を見てもそうです。専門的です。多くの人々を指導しながら、あるいは責任分担とか使命を任せるには重要なことです。人は鼻一つでもすべてを象徴しているのです。耳もそうです。ライオンを見ても、神様は原理にかなって創造しておられることが分かります。前足もすーっとしていて、すべてが良く釣り合っています。ですから百獣の王と言われるだけのものを備えています。人間もそうです。先生は手を見てもすぐ分かります。彫刻の素質があるか、文学の素質があるか、芸術の素質があるか、泥棒の手をしているか、特に足はよく走れるかどうかなど、すぐ分かります。普通の人には分かりませんね。

 結婚がよくなかった場合には、男性は死ぬし、女性も死ぬし、事故でも死ぬし、二人とも死ぬようなことがいくらでもあります。だから、そのような、あなたたちの見えないところの法則が働いていることをよく知ってください。そして一代を見て、あの家は栄えるとかは言えません。少なくても三代、七代以上をみましょう。こう考えた場合、君たちの目から見た場合には合わないと思っても、三年以上過ごしてみなさい。先生は歴史と伝統をもっているということを考えて、安心して、一生懸命に一つになるように努力しなさい。分かりましたね。
 

◆歴史と祝福

 堕落した人間におきまして、神を中心として祝福されるということは、夢にも思われなかった事件でした。その一日を迎えるために、神は、宗教を通して今まで摂理をなしてきました。神は、イスラエルの民に対して選民観を広めて、選民にメシヤ思想を教えて、国家的基準の勝利圏を回復しようとして計画したのですが、イスラエルの民の不信によって失敗してしまいましたね。それで、キリスト教が第二イスラエルの立場に立ちました。ユダヤ民族は滅びて、国家を失って世界に流浪の民となってしまいました。そして神によって裁かれて、血の道を開拓していきました。メシヤに侍れず、(メシヤを)十字架につけてしまい、その結果、十字架の道を人類に導き入れたその民族は、人類の前で血を流し、血と共に開拓して、今まできました。それで、地球上のいかなる国の人も、ユダヤ人を好まないのです。どこに行っても迫害されて、追いに追われつつ、今までやってきました。

 そして時が再臨の時代になったので、一九四八年、韓国と同じ年に独立して国を得るようになりました。イスラエルという話にならないほどの小さな国と、アラブ圏が戦って、周囲がみんなやられています。それは再臨期になって、そのように祝福される時代になってきたからです。ユダヤ教は、国と宗教を抱えて、世界の中心的使命を果たすべき立場に立ったのですが、キリスト教は、イエス様が十字架にかけられてしまったために、地上圏をなくしてしまいました。それで霊的天国に向けて、今まで、二〇〇〇年ずっと血を流しながら開拓してきました。イスラエルは外的に血を流し、キリスト教は内的に血を流し、肉的に霊的に血を流して共に今まで開拓してきました。

 そして再臨の一時になって、霊的基盤を肉的基盤に切り換えなければならない時になりました。キリスト教が再臨の主を信じなければならないのです。そのような摂理の、中心的な思想を受け継いで世に出発したのが、統一教会です。最初に、統一教会が出発すると同時に、一九四五年の韓国解放以降に、韓国のキリスト教を中心として、キリスト教が統一教会と一つとなって受け入れていた場合には、今の民主主義世界はこういう状態ではありませんし、共産主義は地球上から消えていたでしょう。反対したために、すべてを失ってしまいました。個人、氏族、民族、国家、世界基準まで発展してきたキリスト教の霊的基盤を、肉的基盤にまでつなぐには七年間の期間が必要でした。統一教会を中心として、そのような目的に向かって、既成教会の最高の人たちと付き合ったのです。その一点を求めて摂理をまとめようとしたのが、先生の韓国解放以降の仕事でした。

 それが反対に追われて、結局霊的基盤をなくすとともに、肉的基盤もなき立場に追われてしまいました。どん底に落ちてしまいました。六〇〇〇年の摂理歴史は、すべてが灰になってしまいました。それを霊肉共に韓国という地を中心として、一つの基準をつくらなければ、先生が地上に生まれた使命を果たし得たという条件を立たせることはできません。それで、まずもってその基盤をつくるために、一九七〇年代まで、迫害されながら何の弁明もせずに、無言の立場で開拓、拡大運動をなしてきました。統一教会だけで、霊的に肉的に勝利基準を果たし得るようにして、拡大していくのです。そのためには、私たちは統一教会の使命だけに生きるべきではありません。より国家基準を先に果たすのが、統一教会の使命です。そのため、教会自体は十字架につけられるようなことがあっても、果たさなければなりません。

 そうして一九七〇年代、七七七双の時代までずーっとやってきました。そのように、天の摂理は内的家庭基準を果たして、国家基準まで上がることだと分かっていると思います。それで六〇年代から家庭編成を始めました。三十六双、七十二双、一二四双、四三〇双、七七七双と、それらの家庭は世界的な条件家庭として勝利圏を獲得するのです。このようにして国家基準の勝利圏をなし得たのだから、先生は世界へ向けての出発をなさなければなりませんでした。韓国内において勝利基盤をつくったとしても、キリスト教基盤は世界的ですから、世界のキリスト教と出会わなければなりません。韓国のキリスト教は反対したのですが、イギリスとかアメリカのキリスト教は反対しなかったのです。反対した条件には引っかかっていたけれども、直接には反対しませんでした。

 先生がアメリカにいよいよ出かけていったのは、アメリカのキリスト教界に道を開くためでした。アメリカで先生は、七二年、七三年、七四年と三年間に全国的な勝利の基盤を築きました。その時はアメリカの市という市は先生を大々的に歓迎しました。一般の人々はこのように大々的に歓迎したのですが、キリスト教は歓迎しませんでした。昔はローマとユダヤ教が一つになってイエス様に反対したのですが、今は違います。社会全体が先生を歓迎したのです。キリスト教は、その中の一つの群れとして反対する立場なので、結局、先生は大勝利圏を獲得したのです。

 このように大勝利を果たして、それから国際伝道隊を世界から集めてきました。それで韓国に連れていきました。なぜそうしたのかというと、霊的自分の救いは得られたけれども、肉的基準をつなげなければならないからです。それが一九七五年の国際伝道隊運動です。そしてその規模を中心として、再び肉的アメリカ教会建設という歩みでしたが、サタンはそこにおいてぶつかってきました。それで全米を中心としての反対運動です。これは真正面からぶつかってきました。その闘いで、先生は砕かれて敗北者として帰ったのではなく、完全に勝利者として帰ってきました。

 歴史は延長してきているのです。結局、神の摂理というものは家庭を中心として、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的家庭編成を目標として、復帰の理想を求めているのです。それで今、統一教会は、世界的な家庭復帰建設の道を、本格的に進んでいるのです。

 このように考えてみる時、堕落した人間が祝福を得る一日を迎えるために、神御自身が長い歴史を犠牲にして、努力してこられたのです。そしてその間、個人が滅び、家庭、氏族、民族、国家と数千数百万の犠牲を払ってきたのです。それでもこのような神を中心とした祝福の位置を迎えることができませんでした。それを統一教会において闘い抜いて、日本とかアメリカとか世界的になすようになったということは、時代的に大変な勝利圏をつくったということです。分かりましたね。
 

◆三時代をかけた祝福

 君たちは祝福される前に、自分の存在はこのような歴史的な中心性をもっているということを考えなければなりません。神の摂理が今までずっと数千年の犠牲的歴史を通過してきたのは、結局自分を救うためだったのです。そこに神が動員し、数多くの預言者とか先駆者とか多くの犠牲を払ってきた各宗教とか、そのすべては自分を一人の勝利者として立たせるための、神の愛だったのです。統一教会の歴史もそうです。先生がこのように苦労したのは、先生の救いの道を開拓するとともに、万民に自分と同じような祝福の道を授けるためでした。結局、私のために、天は動いてくれたという感謝の念に打たれながら、一生を捧げても、なお神に報いることの足りない負債をしているのです。一生を捧げても、神が喜んで迎えてくれるような、そういう者ではありません。

 しかし、すべてを捧げた場合、神は勝利者として霊肉共に、永遠の世界で、勝利圏の世界で、栄光の世界で迎えてくれるということを考えた場合、恐ろしいことです。ですから君たちは歴史的中心性を背負っている自分であり、そういう過去と現在を背負っている自分であると自覚してください。現在の世界の四十億の生命を自分によって救わなければならない、全体的な関係をもっているのです。そのような価値の存在を得るために、神が犠牲を払い、各宗教が努力をしてきました。しかしこのように歴史的に犠牲を払っても、その価値の存在を迎えた場合には、すべてが報いられます。そのような中心的使命をもっているということを、はっきり知らなければなりません。ですから君たちが動けば歴史が運行し、日本はもちろん世界が動くのです。

 それからもう一つ考えなければならないことは、人類祖先のアダム、エバは堕落したために、後孫にこれだけの血を流し、苦労をさせるような悲惨な歴史を残してきました。しかし、あなたたちはそうではありません。いかなる犠牲を払っても、自分の後孫には蕩減の罪を伝えない、堕落の後孫のような立場ではなく、新しい次元においての善なる後孫を残すのです。ですから生涯いかなる犠牲を払っても、感謝して行くのです。それを不安に思ったり、不平を言いだしたりした場合には、大変なことになります。そういう立場です。ですから過去、現在、未来の三時代を解放する使命があるのです。今、後孫に蕩減の伝統を残さないために、徹底した勝利の伝統を残さなければなりません。祝福された立場とは、過去も全人類も私たちに頼っている、そういう重大な使命をもった立場です。メシヤが再臨されて、新郎新婦の立場に立つということは、口では表現できないほどの価値あることです。
 

◆勝利圏の相続

 偉大な父親の子供として生まれた者の責任は、父親のすべてを受け継ぐことです。立つ中心地は同じですが、その範囲が家庭的か、氏族的か、民族的か、あるいは国家的か世界的かの違いです。中心点は先生が立っている所と、君たちが立っている所は同じです。二つはありません。このことをはっきり覚えておいてください。先生が世界的使命をもっていたとすれば、君たちは個人的使命、あるいは氏族、民族、国家と努力によって自由にその範囲を拡大することができます。日本人だからと、限界(線)を引いていません。中心は同じです。先生の家庭生活もあなたたちの家庭生活も、先生を中心としての氏族的生活も、あなたたちの氏族的生活も、民族的、国家的、世界的、天宙的な生活様式は、先生のそれは範囲が広いだけであって、その公式内容は同じです。それをはっきり知らなければなりません。ですから先生は君たちに氏族的メシヤになれと言います。それに関連してホーム・チャーチの問題を時間をかけて話さなければなりませんが、今は時間がありません。

 善なる神からの血統を受け継ぐ、その道、方向は絶対変わりません。先生は世界的勝利圏を完全になし得た立場ではありません。闘っている立場で、中間的な作戦をやっています。ですから、まだまだやるべきことをやらずに保留したままでやっています。君たちがもしも世界的になった場合は、もっと全面的にやれる時になるから、残さずに徹底した立場に立ってください。それが将来、君たちの行くべき立場であるとはっきり自覚してください。分かりましたか?

 あなたたちの使命が、いかに重大かということを考えなければなりません。天国をつくる礎を置いて柱を立てるとすると、君たちの柱が先頭になって、標準となる柱になれるでしょうか?

 ですから、休むとか喧嘩をするとか、私の言うとおりにせよとか思う暇がありません。男性は女性のために生まれたし、女性は男性のために生まれたのです。為に生きるのです。自分という存在を持ち出せば神は逃げるし、相手を尊重するだけで神が入ってきます。そのような原則的原理的考えによって、私たちは両足となって歩くのです。一本足ではありません。

 中心性ということ、はっきり分かりましたか?

 そのような基準を考えてみる時、あなたたちと先生の立場は違うのです。今までの中心性に立っていないし、家庭的な相続を受けていません。ですから、今からそのような立場に立つために、まず何をしなければならないでしょうか。あなたたちは、サタンに打ち勝たなければなりません。サタンに打ち勝っていますか。全日本が、あなたたちの生命をとるほどに反対したら、逃げていくような者たちがたくさんいるでしょう。神の愛の前には、絶対不変です。唯一、絶対なる神、永遠なる神です。その神の心情圏をうんぬんする者は、そのような心情の立場に立たなければなりません。ですから統一教会の道に入って、出たり入ったりする者は信用できません。絶対不変なる、永遠不変なる心情圏を求めることにより、神の愛もそこに住むのであり、それ以外の所に神の愛はとどまりません。そうするには、サタンを屈服する永遠不変の自我を得なければなりません。君たちは、まだそのような立場に立っていませんね。そのような立場に立たせるために、先生の勝利基準を相続しなければなりません。

 日本に大きなビルディングがあるでしょう。それは誰が建ててもいいのです。台帳に自分の名前をサインすれば、誰が建ててもそれは自分の所有物になりますね。紙一枚で、そのビルディングの主人になれます。先生のすべてを相続するとは、これと同じことです。天宙復帰勝利圏をすべて勝利して、立派な世界的な建物を建てて、台帳を作って、譲渡するのです。これを汚す者がいる時は命懸けで闘うのです。そうすればよいのです。簡単ですね。分かりましたか。ここにいる全員が主人です。今、全員が競技場の同じスタートラインに立ったような立場です。走ってみなさい。きっと日本の中心の氏族が生まれてくることでしょう。そうなっています。私たち自身には何の価値もありません。ただ原理を唱え、主張する、そういう保証をもっているので、サタンもどうにもならないのです。そういう原理のすべての伝授式をやるのです。
 

◆約婚式と聖酒式

 祝福とは何でしょうか?

 永遠の宝物として、子孫万代に残すようにと願って、今から出発するという約束で、祝福を授けるのです。それを汚した場合には、一族が引っかかります。イスラエルは、イエス様を十字架につけることにより、一国家が引っかかりました。それと同じように一族が引っかかります。ですから、今からの私たちの行くべき道は、天から授けられた純粋な血統をいかに保持するかということです。堕落するような血統ではなくして、純粋な血統をいかに築くかです。そのために、すべての真心を尽くさなければなりません。汚れのないエデンの園でも堕落したのに、この罪悪世界においていかに清くあるかということは、非常に重要な問題として浮かんできます。いろいろな問題があります。罪悪世界で生まれた父母は苦労しても、今から祝福されて生まれてくる子供たちに、汚されないような環境をつくってあげるために、私たちは犠牲になっても、早く準備しなければならないと思うのが先生の考えです。急がなければなりません。

 純粋な血統を受け継ぐには式があります。まず約婚式です。約婚式はなぜするのでしょうか。エデンの園でのアダム、エバは約婚の期間でした。今は堕落した後孫が殖えて世界的になっていますが、そのような環境で祝福するのですから、自分以外に何人でも男性でも女性でもいるので、目が方々に回るのですが、エデンの園ではアダムとエバと天使長しかいませんでした。天使長が堕落してサタンになったのだから、サタンに勝利しなければいけません。サタンに勝利するには、サタンはどういう者かを知らなければなりません。神に近寄った者ではなく、サタンとは、自分を中心として愛をむさぼった者です。私たちは違います。神を中心として愛を立てていくのです。まるっきり違いますね。あなたたちは今から約婚をするのです。

 この世のすべての男性、女性は、堕落したアダムとエバです。堕落したエバ、アダムは、サタンの娘と息子になっています。ですから、このサタンの世界に行っていかに神の子息と娘を得るかが問題です。それは原理によってなされます。原理は何をいっているかというと、完全なるアダムが造られた場合には、完全なるエバが復帰されるというのです。完全なるプラスが現れた場合には、完全なるマイナスは自動的に生まれてくるようになっています。それは創造の原則です。完全なるマイナスになった場合には、完全なるプラスが生まれてくるようになっています。ですから、世界人類の女性と男性の比重はあまり変わりません。天地の理知によって、そうなっています。空気がいかに自分の気ままに往来しても、それは平均をとるためのものであると同じようにです。完全なる男性が生まれた場合には、完全なる女性が生まれるようになっているということを、聖書では、女はアダムによって造られたと象徴的に書いてあります。

 ですから、君たちは堕落したアダムとエバです。堕落したので、蕩減条件を逆に上ってきました。そして、蕩減圏を乗り越えるには完成したアダムでなければ上る道がありません。原理はそうなっています。そうして完成したアダムとは、愛の神の実体対象でなければなりません。そのような基準に立たなければなりません。再臨の主は、その立場を完成するために来られるのです。完成アダムです。愛を中心として、万民を引き付けるため磁石として来られます。プラスの磁石には、「慣れ慣れしく、行くな行くな」と言っても、マイナスの磁石は引っ張られていくのです。そうして、くっついたマイナスの磁石は逆にプラスの磁石を引き付ける力をもつのです。

 復帰原則もこれと同じです。約婚後、堕落したのだから、約婚後、復帰摂理をなすのです。磁石の公式と同じように、エバを中心として完全なるマイナスの磁石になった女性が、完全なる男性をつくる式をなすのです。そのような条件を世界に立たせるのが聖酒式です。霊的復帰式です。霊的に女性を生み、その女性によって、霊的にアダムを生むのです。そうして、四十日後に三日間、それは一カ月にわたっても、四十日にわたってもいいのですが、実体的な復帰式があります。四十日は歴史的な総合的な蕩減期間です。

 人間が愛を中心として復帰の権限を保つようになったのは、蘇生期でもなく長成期でもありません。完成期に入ってなされます。ですからアダム時代と次の時代は、失敗の時代です。その結果、旧約時代の蘇生的神の愛の圏を受け継げなかったし、キリスト教を中心として長成的神の愛を受け継げませんでした。その蘇生、長成の愛の圏を受け継いだのちに完成的な成約時代の圏に立つことができるのです。そのような蕩減式です。第一日は、旧約時代の復帰です。堕落したアダム、旧約圏を復帰します。第二日は新約時代を経て、イエス様を完成する時です。これを蕩減しなければいけません。第三日はイエス様の身代わりの新郎として立ち、新婦を再創造するのです。そこにおいて、初めて正式に軌道を正して出発することができます。このように複雑です。もっと具体的に蕩減条件を立てなければいけません。

 イエス様がパンとぶどう酒を「これは私の肉であり血である」と言われたと同じような内容が、聖酒にはあります。だから聖酒式は真の父母と一つになったという条件を立てるのです。真の父母と一つになったこの身は、サタンと一体とはなりません。永遠にサタンと無関係です。今からあなたたち二人は、永遠のエデンの園で、アダム、エバの新しい理想の天国をつくると出発の覚悟をするのです。

 約婚式はなぜやるかというと、アダム、エバの堕落前は約婚期間であり、その期間を何の讒訴もなしに復帰しなければなりません。そしてアダムが旦那さんになり、エバが奥さんになって愛すればそれでおしまいです。それが果たせなかったのです。逆転してしまったので、それをもとがえさなければなりません。それを血統転換式、アダムは主管転倒式と言います。堕落によってエバはアダムを失ったのですから、親の立場に立ってアダムをいかに苦労しても定めて、自分の旦那さんをもたなければ、エバは相対者を得られません。ですから今までの世界は、女性が苦労する世界なのです。女性はもう公式的にどこでも大変でした。特に日本の女性は悲惨な歴史をもっているのです。女性はみんな、堕落した天使の餌食になっていったのです。それを復帰するのです。これをはっきり分からなければいけません。
 

◆愛の戦争

 それで聖酒は何かといいますと、サタンの讒訴のない万物のすべてが入っています。その聖酒を頂き、真の父母と一つになった者が、それを永遠に汚した場合は大変です。サタンよりももっと恐ろしい立場に立つのです。サタンは長成期完成圏を汚し、蹂躙したのですが、祝福された者は、完成期完成圏を神の実体を犯した罪が残るから、永遠に許されません。恐ろしいことです。神はそのように考えます。生涯かけてこの道を開拓した先生も、そう考えます。あなたたちは分からないかもしれませんが、原理的に話を聞いてみた場合にまさしくそうです。もしも誤るような場合は大変です。第三次七年路程が終わった場合は、本当に厳しいです。私たちの戦争は愛の問題です。それは将来、許されません。その自信のない者は、こういう場に参列しないほうがいいですよ。原理的にそうなっているので、サタンはレバレンド・ムーンのために完全に打ち負かされてしまいました。歴史の秘密を探り出して、このように整然とした実体的勝利基盤の上に立った男は、サタン世界においては悔しい存在ですね。

 サタンは自分の気ままに、どんなことでも先生に向けてやってきました。いろいろなことをやりました。七六年まで先生は攻撃したことがありませんでした。七六年になって初めて、「新しい時代に入る」という宣言をして出発しました。時代が変わりました。今までは保守的でした。カインがアベルを蕩減させた時代から、アベルがカインを蕩減させる時に入りました。これからは復帰が早いです。昔は悪らつなサタンが善をむち打って地獄に連れて行きましたが、今は、反対に滅びる者を生かして天国に連れて行くのです。

 統一教会が世界をどのように開拓していくか、何が重要か、全部分かります。私たちの歩みは天国に向かって進んでいます。天国へ行く途中の駅が、個人駅と家庭駅と氏族駅と民族駅、国家駅、世界駅、天宙駅そして永遠の駅である神の心情圏に行って、すべてが完成するのです。ちゃんと公式になっているのです。個人駅を犠牲にしても家庭駅を得なければなりません。家庭駅を犠牲にしても氏族駅、氏族駅を犠牲にしても民族駅、民族駅を犠牲にしても国家駅、国家駅を犠牲にしても世界駅、世界駅を犠牲にしても天宙駅、天宙駅を犠牲にしても神様の心情駅です。

 先生は復帰がいかに難しかったかよく知っています。復帰がこんなにもつらく、こんなにも難しいことであったかと思う時、堕落せよと言われても、恐ろしくて堕落することができません。二年半、三年とあれをしてこれをして得た祝福だと、簡単なものだと思うでしょう。そんなにたやすいものではありません。

 一六一〇双が一生懸命、真剣な生活をして神にたたえられるような家庭になるように願います。
 

◆七年公式路程

 結婚、祝福されることは恐ろしいことです。摂理的歴史から見た場合に、神の中心思想はアダム、エバの家庭です。それをモデルとして、同じような家庭を型抜きして造るのです。型を造って鉄板を入れてパカッと押せば、パカパカパカと何千何万個が出てくるのです。先生はその型を造るのに今まで苦労してきました。その型がペチャンコだったら何にもなりません。神の摂理の中心思想はメシヤの家庭、アダム、エバの家庭、堕落圏を勝利した家庭です。人間の中心思想は、堕落圏を越えて、堕落しなかった勝利圏である神と共に愛を中心としての家庭編成です。それは同じことです。ですから君たちの家庭は、堕落歴史家庭に生まれて、それを果たし得たということは貴く、今まで歴史上にそういうことがありませんでした。復帰とは何かという内容を理論的に明確にしてなす、このような祝福をした例は今までありません。この時代に入って、初めて地上でなされるようになったことは、不思議な時代に入ったからです。ですから家庭ということを痛切に考えなければなりません。鈴木家だったらその鈴木一個人の家庭ではありません。歴史性を中心とした中心性の家庭です。

 アダム家庭の完成は、家庭的完成の出発であり、氏族、民族、国家すべての始まりで、天国の始まりでした。あなたたちは、家庭を中心として氏族圏の使命を果たすかどうか、民族圏の使命を果たすかどうかという基準に立っているのですが、先生は世界的使命をもっています。その立つ中心点は同じです。

 イエス様は、氏族基台を得ることができず、結婚されませんでした。そのことをはっきり知らなければなりません。ヨセフの家庭とザカリヤの家庭です。洗礼ヨハネの家庭を中心としてその使命を果たして氏族的基盤がつくられた場合には、イエス様は伝道しなくても、大工さんをしていても、天国はつくられました。騒がれながら、信じられない大衆を引きずりながら、いろいろやる必要はありませんでした。自動的にコツコツと家庭を中心として、子供を生んで四位基台をつくれば、それでおしまいです。四位基台を中心として理論的歴史の蕩減の内容を解明するのを、基台をつくりながら徐々にやっても、死ぬような悲惨な運命には遭いませんでした。家庭基盤をつくって子供がいたら、その後のキリスト教は大分違っていました。イエス様の直系の子孫を中心として、世界がのみ込まれていたことでしょう。そのような基台がみんな流れてしまいました。分かりますか。

 氏族的家庭基盤がなくて、イエス様は死んだのですから、私たちはそれを命懸けで蕩減復帰しなければなりません。それが、今後の救いの道を立てていく、統一教会と万民の行くべき道です。それは三年半以上、七年の期間公式路程として、連綿として、地上天国が完成されるまで残るようになっています。その運命をあなたたちは無視することはできません。ですから結婚前三年と、結婚して七年ですね。イエス様は三年路程で家庭を求めて、そして七年路程を果たそうとしたのですが、私たちはそれを公式的に、三年間で三弟子、十二弟子を復帰して、祝福して、そして七年路程を歩むという原理観です。イエス様が七年間でイスラエル国家、あるいはユダヤ教をして、すべて世界に向けて出発すべき基台として果たし得なかったのを、私たちの一身において、総合的にまとめて蕩減復帰しなければならないというのが、現実的歴史すべてを総合した五パーセントの私たちの使命です。

 その七年間を中心として、一カ月に一人ずつ、八十四名伝道しなさい。十二弟子と七十二門徒を中心として、それは氏族圏です。民族的な七十二長老は民族指導者です。そうなった場合には、氏族的十二弟子を立てることができます。三人の弟子は家族圏です。それを果たし得ずに死んだイエス様の身代わりに実体基台を、霊肉共に汗と涙を流し、家族的実体十字架にかかっても、それを果たすべき使命が私たちに残っているのです。

 ですから、統一教会は結婚しても、それを果たすために家庭的十字架の道を行っているのです。分かりますか?

 イエス様は十字架ののちに復活して、十二弟子と七十二門徒を中心として、再び固めて霊的出発をしたと同じように、私たちも十字架につけられる前にそれを治めなければ、天国へ行く道がなくなってしまいます。天国につながる橋がなくなってしまいます。それを再び完成するための闘いを、私たちがしなければならないということが、七年路程です。一カ月に一人ずつ伝道して八十四名を伝道しなければなりません。公式的ですね。適当に組み合わせているのではありません。

 最初は、三人の弟子です。アダム家庭復帰ですから八人が家庭編成をします。その家庭を守るには、十二人の兄弟をもたなければなりません。ヤコブの十二子息です。それが氏族の基盤になります。その氏族を拡大して民族基盤になります。その民族的基盤を指導し得る中心者が七十二長老です。それがイエス様を中心として治めたとすれば、イエス様は絶対に死にませんでした。それが蕩減路程に残っているのです。先生もその公式を行きました。三家庭祝福、十二家庭三時代、三十六家庭、七十二、一二四、四三〇、七七七、一八〇〇というように、一八〇〇は祝福の終わりです。六数の三倍の一八で、サタン圏の及ばない基準に超越したという条件の祝福です。分かりましたか?
 

◆ホーム・チャーチ

 あなたたちは絶対的にこの道を行かなければなりません。それをずっとまとめて、世界的蕩減をなさなければ、アベル圏の国家基台がなくなります。勝利したということは、アベル圏における世界的基地を得られる時代に入ったということです。それが三六〇軒を中心としての、私たちのホーム・チャーチ活動なのです。二年前からそういう計画をしていました。今から本格的です。ホーム・チャーチのない者は、蕩減復帰を中心として行く道がなくなってしまいます。いくら昔のイエス様時代に、あるいは三年前にロンドンにニューヨークにいて、先生がホーム・チャーチをつくったとしても、それはサタンが認めません。神様も認められません。

 勝利の基台を得たのだから、ホーム・チャーチを中心とした民族を編成することができるのです。ホーム・チャーチを中心として、民族を中心として世界を攻撃することができるのです。そのような基盤ができました。ホーム・チャーチをつくるにはカインを屈服させなければなりません。カイン的個人、カイン的家庭、カイン的氏族、カイン的民族、カイン的国家、世界的蕩減条件を立たせなければ、自分の故郷には帰れないのです。

 ですから、今まで宗教の道を歩む者はみんな出家して、社会に奉仕して犠牲になり、理想の極楽に行くというようにしてきましたね。あなたたちも出家してやってきたのでしょう。先生もそうです。原理は貴く素晴らしいということを知っていますから、自分の両親、兄弟に一番先に聞かせたいのです。しかし、神の摂理は、アベルを救うための摂理ではありません。アベルを祭物として、カインを救う摂理ですから、尊いものをカインに向けるのであって、アベルに向ける原則ではありません。ですから先生のお母さんに対しては一着の着物も買ってあげたこともなく、一生涯を犠牲にしました。万民に対してはいろいろなことをやりながら、子供に対しては何もやりませんでした。それを個人から氏族、民族、国家、世界までやって条件を立たせて、それから自分の故郷に帰るようになっています。今から帰るのです。

 今年になって先生は、お母様や子供たちに、着物やおもちゃを買ってあげました。買ってあげても先生は条件に引っかかりません。そういう原理原則があります。日本の責任者たちは、「教会長だからアベルであり、君たちはカインだから、カインはアベルに屈服するのが原理だから従え」と先生が教えない原理の教えをしているのではありませんか?

 そういう原理はありません。愛の力でもって、自動的に自然に頭を下げるような、そういう使命を果たさない者はアベルではありません。アベルの立つ基盤がありません。勝利し得なかったのですから、神は認めません。それは個人的、家庭的、氏族的、民族的においても同じことです。ですから統一教会が世界的なアベルの教会であるとするならば、世界的に血を流して蕩減条件を勝利して、勝利の領収書にサインをサタンにしてもらって、そこで初めて世界的なアベルになれるのです。そのようになっています。
 

◆天に届く愛

 このように考えると、復帰の瞬間においては、エバがアベルの立場です。ですから三年間は絶対服従しなさい。女性と共にあって従うよりは、離れて働いたほうがかえっていいですね。男なのに朝夕に女性に挨拶しなければならないし、いろいろな式があるのです。先生は話さないですが、直接そのような式をやってきました。ですから、かえって離れて活動して、女性に勝る実力をもって、三年後に女性の前に現れたほうがいいですね。祝福されてからの三年路程とは、そういう期間です。

 日本文明というのは、みんな世界からの模倣文明です。ですからそれを自分だけのものにしておかずに、世界のために使わなければ日本は滅びます。統一教会に入った日本人は天民になりなさい。万民のための中心性を立てていくのが天民です。

 あなたたちは祝福されても、三弟子、十二弟子、七十二門徒という歴史的蕩減条件が残っているということを考えなければなりません。祝福される何の資格もないのですが、先生がそうするのです。復帰の絡み合った糸を解いた立派な内容を、ビルディングの台帳を、無条件に今晩皆さんに寄付してあげましょう。自分の家ですから、汚した場合には命を懸けて修理しなさい。日本で一六一〇カ所でなされますから、サタンの世界は大変です。穴がポコポコと明いてしまいますね。それで資格はないのですが、台帳に自分のサインをもっている立場で、真の父母の子女として親のすべてを相続するという天倫の原理原則があるので、それが可能なのです。分かりましたか?

 そうするとあなたたちはいかにして、アダム、エバより以上の基準に立つかということですね。先生とお母様の肩によじ登ってジャンプするのです。自分に向かってではなく、神と万民に向かってジャンプするのです。下は地獄でもいいです。神と霊界の万民の親たちがサッと支えてくれます。妻とは、旦那さんとは、いったい何者でしょうか。自分のものですか?

 神のものであり、宇宙のものです。愛とは何でしょうか。自分のものではありません。神のものであり、人類のものです。ですから三年間、神のために走りなさい。愛の心情が高められて走りなさい。神にある妻を愛するのは、神様をあがめるように愛するのです。まだ愛が足りないから、神様はビクともしません。周囲が模範的家庭とまだ言わないのは、まだまだ愛が足りないからです。

 女性も同じように、神様をあがめるように愛するのです。神に向けて届くような愛の授受がなされれば、そのような家庭は自動的に四位基台ができます。すべてが自動的になります。コマの先端をまっすぐにして回せば、よく回りますが、先端をふにゃっとして回すと、フラフラとなるのです。ですから、中心性の立ったコマを作れば子供どころではなく、孫までも間違いありません。子供が欲しかった場合には、コマがまっすぐに回るようにしなさい。すべてが解決します。そのような愛を中心として、四位基台の家庭をつくらなければなりません。

 ですから男性は天を考え、万民を考え、妻を考えながら三位基台です。天、人、夫婦一体となってやっていくのです。そのような基準を立て得ずに堕落したのですから、私たちはまずその基準を立たせるために努力するのです。天を愛し、万民を愛して、自分を犠牲にしながら愛を高めるために、私たちは生きているのです。そのために祝福されたと思いなさい。そうすればアダム、エバ約婚時代堕落圏は何の讒訴条件もなく、訴えられることはありません。原理からいえばそうです。堕落とは自分を中心とする世界です。神の愛とか人類とか後孫とか万物とか宇宙とかを思わなかったのです。私たちは、それを思うようになっているのです。

 完成期完成基準を凌駕するための七年間が残っています。三年間準備してイエス様の公的路程を中心として、三人の弟子と蕩減の原則基盤をつくるのです。そして民族的なメシヤの使命を果たすのです。ですから、私たちは日本統一教会のために働いているのではなく、国家のために働いているのです。先生は世界のために働いています。あなたたちより一段階先を行って、あなたたちの将来行くべき道の土木工事をしたり、橋を置いたり、機関車を造ったりして、忙しく働いてきました。そういう立場です。

 堕落は、サタンがエバを引っ張って、アダムまで引っ張っていったのですが、反対に復帰はエバを完成基準まで引き上げるのです。そうして復帰されたエバによって次の摂理がなされます。堕落した天使長は復帰された天使長の立場に立つのですが、神の子としては血統を受け継ぐ道はどこにもありません。しかし原理的にいって、堕落前は神の子であったという立場で、養子として接ぎ木をするような作戦で真の実を結ぶような仕業をするのです。接ぎ木は女性によってなされます。どのような原理原則によってそうなるのでしょうか。エバによって天使長は堕落したのですから、それを蕩減してもとかえすには、復帰されたエバによって天使長がつくり変えられるのです。分かりましたね。ではお祈りしましょう。


 天のお父様、ここに勝利的なエバの復帰の基台をなし得ましたから、永遠なる相対者として新郎の復帰をなす霊的基台が必要でありますから、聖酒を中心として新しく生まれ得る子女の立場に立つように祝福してくださらんことを切にお願い申し上げます。

 そのことにより新しく生まれ変わり、そうして蕩減の復帰圏を勝利的に屈服させ得て、神様の愛に接するような道を、今後三年間果たすように守ってくださることを切にお願いしながら、お祈り申し上げます。どうぞお守りください。真の父母のみ名を通して感謝いたします。アーメン。













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