御旨と世界
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全体蕩減

1983年4月3日 韓国 ニュー・ソラクホテル


◆愛なくしてはすべての存在の価値がない

  きょうは、全体蕩減という内容を話しましょう。全体蕩減といったら、宗教全般に限って、それから歴史全般に限るし、そうなれば人類全般に限っての話。それに人間世界ばかりではなくして、霊界も含めるという内容になるんです。

  神の御理想といえば、理想世界は簡単だった。それはアダム、エバと、それから神様と、天使世界、この四つが一つになったら、すべてが完成すべき世界であった。神がいるからすべての理想があり、神の理想を引き継いだ真の父母がいたんだから、そこではすべてが相続されるようになる。それが一つの基点となって、横的に全体化された宇宙になるはずだったというんだね。その中心は何か?

  神の愛。神にも必要なのが愛であり、人間にも必要なのが愛であり、天使世界も愛を中心としてすべてがつながるようになっている。神の愛がもしも中心になった場合には、その出発点も、もともと理想の出発であり、行く方向も理想の方向であり、その決着点の世界、終着点も一つであった。そうなれば、神と人とそれから天使世界、これは一つの世界になったはずである。そうなったとするなら、神の愛を中心として完成された場合にはすべてに通ずるというような、そういう内容の理想世界だから、一点からすべてに通ずるという立場であるから、すべてが分かる。

  だから、人間の完成は何によってなされるかというと、知識でもなければ、それはこの世の権力とか金でもなく、愛であるというんだね、愛。その愛は今までの俗化した堕落世界の愛ではなくして、本来の愛であり、それによってすべてが完成される。我々は感覚、すなわち視覚などのいろいろな五感をもっている。その五感のすべては、愛の完成基準から出発すべきである。五感というのは、完成された愛を中心として始められる。それは耳とか、鼻とか、口とか、手とか触覚すべてが、愛を中心として完成化される。だから、そういうような愛を中心とした五感が一つになって、すべての相対世界を感ずるというその立場は、理想の立場である。それは一言で表現すれば、酔う立場である。すべてに酔ったような、愛によってすべての相対世界に同和されて、自分自体がその環境に酔ってしまうような、そういうような境地である。その境地では、自分一人ではないんだね。自分一人ではない。永遠に続くすべて、同化するそのすべての存在が違うんだね。存在が違うというのは相対のもろもろが違うし、そのもろもろが違う相対者に対して、いわゆる触覚というか、感じ方が違う、そういうような世界だというんだね。

  そう見れば、拡大すれば無限に拡大し、縮小すれば自分の一点にすべてが固まるようなそういう力をもつのが真の愛だね。天的愛だというんだね。だから、愛の目を通して見れば、小さくても大きくてもそれは一つだというんだね。小さければ価値を縮めたものであり、大きいものは拡大したものである。こういうような愛の世界を創造したかったのが神の御理想であった。神はその愛を中心として昼も夜もいつもすべてを主管できる立場である。時間を越えて、空間を越えてそれを主管し得るその基準が愛であるから、神自体も宇宙を主管するにはこの愛が絶対必要である。こう考えれば、愛なくしてはすべての存在の価値がない、そういう結論になる。
  

◆堕落の結果、主体が二つになった

 こういうような理想が堕落によって失われた。何によって堕落したか?それは愛によって堕落した。愛の基点はどこかといえば、目でもなければ口でもない。男女共に、夫婦共に愛し合う、そういうような愛の器官を中心として堕落してしまった。こういうような結果になったことを考えてみた場合に、すべてがやられてしまった。だから、愛の結合点であるその基準は、感覚のすべてを総合した部所だというんだね。そういうような基準がやられてしまったことにより、人間夫婦が全宇宙に被害を被らせてきた。

 こういうような結果になってしまったから、今後、再創造、あるいは再びもとがえさなければならない。もとがえすには、堕落した結果どうなったかというと、主人が二つになってしまった。主体が二つになってしまった。もしも主体が一つだったら、復帰とか、もとがえすのに問題はありません。帰るのに何の問題もありません。しかし主人が二つになった。言い換えれば、マイナスは一つなのに、プラスが二つになった。主体が二つになった。これが問題である。一つだけなら問題ではないのに、二つだから問題である。真なる主体である神様に対しては、すべて万物は、自動的にはまるようになっている。矛盾とか衝突する何ものもない。しかし、ここが反対の方向のプラスになっている。神と反発しながら、別のプラスの立場になったから、堕落の結果、それは元のプラスに立つよりは、愛を中心として反対のほうに立ち寄る力が強くなってくる。そういうふうにして、反対の力が強くなったということは、それは外的力と内的力とが分かれるということである。だから、サタンは外的力を中心として愛の世界を結ぶようになっている。神は内的力を中心として結ぶようになっているんだね。だから、一つのものと対応するのに、二つの主体者が立つような立場になった結果、サタンは外的主体者になったし、神様は内的主体者になった。

 そうすると、内外共にプラスになっているから反発作用をいつもきたす。それが堕落人間の肉心と良心の争いである。生涯共に一体、融合すべき両者が一体にならずして、反発する二つの体があるみたいに、方向を別にしながらそれに引きずられている人間である。あるときには外的なほうに、あるいは内的なほうに行ったり、そういうような方向を失った人間になってしまった。人間がそういうふうになったから、すべてがそういうような基準に引っ張られる。だから、アダムもそういうアダム、エバもそういうエバ。それから、そこで生まれる子供たちは、皆そういうような子供たちになって生まれてくる。十人おれば十人それぞれの方向が一致しないというんだね。バラバラになってしまう。こういうような結果の世界、すなわち) 堕落世界になってしまった。
  

◆なぜサタンを否定するのか

  こう見れば、神の本来の理想とした世界はいずこより求めるべきか。これを整理して元の方向を立たせなければならない。それはそう簡単ではない。これを整理するというのは、それはアダムだったらアダム自体を否定しなければならない。エバだったらエバ。十人の家族がいた場合に、家族十人全体が肯定の立場で一つになっても、完全なものは生まれてこないというんだね。だから十人家族があっても十人全体を否定する。神は最初に、堕落した人間世界に否定を求めざるを得ないというんだね。理想を先に求めるよりは、これは否定を求める。すべての否定。肯定という条件はない。これが神の立場である。

  そうすると、否定するその順序はどうか。外的なほうから。堕落した現状から見れば外的な世界がある。そして国があるんだね。それから民族、氏族がある。それから家庭がある。それから夫婦、男女関係すべてが……。その外的な、外から否定してくる。結局、最後にはどこまでくるかというと、自分の体と自分の良心まで自分自体を否定する。ここまで追求せざるを得ない。自己否定から全般に否定するような結果になったのは、堕落した世界だからである。神の願いを求めるには、必ず肯定の一点をこの地上に求めるには、完全に否定しなければならない。その基準によって新しい作用を成したのちに、新しい出発点がなされるというのは理論的である。

  それで、統一教会でいっている蕩減、蕩減復帰はなぜ必要か。いったい、何のために蕩減が必要か、それが問題だよ。これをはっきり知らなければならない。なぜ蕩減が必要か。蕩減しなくてもいいじゃないか。統一教会のメンバーが個人蕩減、家庭蕩減、氏族、民族、国家蕩減といっても、それをはっきり知っている者はいない。なぜそんなことをしなければならないか。それは全般にわたってなぜ蕩減が必要かという問題は重大だね。

  神が新しく出発するには、すべてを清算しなければならない。サタンがない、他のプラスがない、神は絶対的主体、ただ一人であるべきなのに、相対的な立場に立った悪のプラスがある。それを除去してしまったその基準にいかなければ、神の出発点を新たに立たせることはできない。だから、人間自体の否定は問題ないんだね。人間自体の否定は問題ないけれど、人間を主管するサタン自体の否定が問題である。だから、人間否定、人間自体を完全に否定したのちに、その次にはサタン自体が完全に否定されたその基準を立たせなければ、結局、主体者がまだ二つ残っている結果になるんだね。そうだろう。人間は否定してもサタンは残っている。そうすると、神の前、宇宙の前に偽りの愛を中心とした別の主体者が残っていることになるんだから、この主体者が、二つの基準が残っていたとするならば、完成される出発点はできない。だから人間否定はもちろん、その次は堕落の神、悪魔が残っている。サタンが残っている。サタン否定をいかにするか。これが神の立場からしても、人間の立場からしても、新しく出発点を地上に立たせるには絶対必要な要件である。分かりました?何否定?人間否定とそれから悪魔の否定。偽りの神の否定をなさなければならない。そういう否定圏に立って初めて神自体が主体の独自圏に立つことができる。主体は一つである。みんな否定されて、なくなった条件圏に立ったから、その条件圏上に初めて神が主体として、愛をもった主体として立つその足場が生じてくる。分かりました?

  それで、これをいかに立たせるか、それが問題だね。その基準はみんな堕落圏の二大主体、二重の主体が立っているその世界に立っているから、これは個人的にそういう立場、それから家庭的にそういう立場が残っているんだね。それから氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に、天宙的に残っているというような理論的な結論だね。分かりました?
  

◆絶対否定条件

  アダムは一人が堕落したけれども、それは全体の中心だから、そういうような結果から追求して新たにこれを整備していくには、一遍にパアッとできない。一つ一つ復帰していかなければ。それは個人のそういう環境、家庭の環境、氏族の環境、民族の環境、それから国家の環境、世界、天宙まで拡大しているというんだね。そうなれば個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様の八段階。理想世界を求める人間としては、これを解決しなければ、もともと愛の主体である神様に自由自在に会える道を得ることはできない。どこかふさがった場合には、その基準以下には通ずるんだけれど、それ以上の理想世界ができません。それ以上の理想世界に通じないというのは、絶対なる神と一つになる道を完全に得ることはできないということなんだね。こういうような段階を経た場合には、蘇生圏、長成圏の霊界まで勝利した霊人たちは援助し、その霊人たちは通ずることができるであろうけれども、本来の神様と通ずることは難しい。だから、これをいかに拡大して、個人から神様へ直通し得る環境拡大をするかということは、神なりの心配である。神自体としての悩みである。堕落した圏内にある人間自体としての悩みであるというんだね。この二大悩みは、誰によってふさがれているかというと、堕落したその人間によってふさがれている。堕落した人間は天使長によってやられているから、これを整備しなければならない。整備するには、肯定圏では絶対できない。分かりました? 否定!

  そうなると蕩減復帰というのは何か。絶対唯一の主体を願う者は絶対否定を通過しなければならない。絶対主体を願う、唯一の主体を願う者は、この環境に広がっているすべてのものに対して、絶対否定という条件を満たさなければならない。それ分かりました?

  絶対否定。そうすると、蕩減復帰はいかなる場所で決めるか。絶対肯定の条件が少しでも残ったらいけない。絶対否定条件の立場で、絶対否定の条件によって蕩減条件が立てられる。そうすると、そういうような基準が個人的、家庭的、氏族的という八段階で満たされれば、人類歴史の理想郷につながる。その段階ごとに、必ずそういう過程を通過しなければ、神と通ずる理想郷を結ぶことはできない。
  

◆理想完成基準を求めて

  こういうようなその実情の堕落圏の世界を眺める神様としては、これをいかにして復帰するかというと、全体復帰よりも、まず一つのモデルを造る。だから、大量生産する時、型を造るんだね。型を造ってそれを当てはめるようにして造る。個人だったら個人の型を造ればいい。そうすれば個人の型に当てはめるように造ることを考える。家庭だったら家庭のその型を造る。氏族だったら氏族、民族だったら民族、国家だったら国家、こういうようなことを考えなければならない。そういう結論になるんだね。そうすると、その型を造らなければならない。それで歴史を通して完全に個人の型を造るには、それは創造原理によって蘇生、長成、完成という三段階を通過しなければならない。環境を迎えて相対基準を結んで愛というように……。すなわち環境があれば必ず相対。相対圏の中心が人間である。人間の中心が愛というようになっている。そういうような段階になっているから、人間自体、個人の蕩減をする。個人の基準を立たせるにはそう簡単でない。周囲から、個人の周囲をね。

  だから、こういうことを考えてみた場合に、歴史上今までなぜ、愛なる神様は宗教世界に女が参席することを許さなかったか?

  今まで男ばかりだね。男を中心として摂理したんであって、女は例外ものとした。それはなぜか?個人が完成するそのモデルを造るにしても、アダムモデルを先に造ったのちに、それからエバモデルというふうになっているというんだね。それはモデル自体が人間一人ではいけない。神様が、霊界がここに加入して万物界と共につながらせて、心情的内容を中心として元を造ったんだから、神様が心情の中心であり、霊界の中心である。神様が中心になって初めて万物圏のすべてを消化し得る人間の立場に立つんだね。そうなるには、人間自体が神様のためには完全に吸収される。何も残すものなくして完全吸収される。残るものがあったらいけない。完全吸収されるような立場、それが宗教人の行く生活の態度だ。完全吸収だから、そこには自分の意志とか自分の意見を介入してはいけない。絶対的に神の意志どおり。私は存在しても存在しないような完全否定圏内。完全否定圏内ばかりではなくして、我自体は完全否定の上に完全吸収、完全に吸い込まれる。

  神様に対し、プラスの自分の主体性を主張すればこれは反発する。すぐサタンのものになるんだね。反発する主体がサタンだから、自分が反発するような逆の主張をもつというのは反対する主体圏に立った結果になるから、サタンのものになる。だから、神の理想圏につながらせることは絶対できない。ここにおいて、宗教世界には絶対服従ということが出てくる。これをヨーロッパのメンバーたちは、はっきり知らなければならない。分かりました?なぜ絶対服従を要求するかというんだね。自分を考え、自分の何かを考えて持ち出すというと、第二の主体性が生じてきたような立場に立つ。第二の主体性はサタンであり、それはサタン圏に属するから、サタンのものになってしまう。だから、これによって完全否定圏を主張する。その基盤において、自分の何かがあった場合には、それはサタンの条件物になる。こういうような闘いを堕落した人間世界を中心として、神とサタンは分け合い、清算し合うそのことをせざるを得ない。人間が存在する目的もサタン(天使長)が存在する目的も、もともとは理想完成のためというんだね。サタンもそれを知っている。

  神が我々を造られたのも、もともとはすべてが理想完成の基準において造られた。それを知っている。だから、サタン自体それを否定しない。そこで、理想基準を完成し得るこういう条件だった場合には、それは神に属する。理想基準に即さないものはサタンに属する。不完成だね。不完成品はサタンに属するし、完成品は神に属すべきである。しかし、完成品を造り出すのはそう簡単ではない。絶対否定と絶対無の境地。自分の主張をした場合にはできない。

  まあ、こういう観点から見た場合には、こういう世界の今の現状から見て、こういう思想をいかなる世界で求めることができるか。そう見れば、自由という表題のもとに立っている西洋思想ではこれはなかなか難しい。自由観念においては、最後には自分一人が残るんだね。親、夫婦共に住むというと、旦那さんの自由、奥さんの自由、二つの自由の主張が、四人になった場合に四人の主張、十人になったら十人の主張圏を求めてくる。そうなった場合には最後には別々、孤立化、みんな別れてしまう。そこには家庭もなければ、父母もなければ、国家もなければ世界もない。みんな孤立して、最後には落胆して、我すべて持ちたがる本性の願いはあるんだけれども、現実にすべてを失っているような、それは落胆の絶頂に達する。それは自己否定を神のみ旨に立って否定するのではなくして、自分個人の満足、個人理想を求めるその目的が不可能だから、自己否定してしまう。それは自己放棄をしてしまうような結果にならざるを得ない。それが今の自由世界、アメリカだ。

  こういう世界ではこういう完成基準、神が願うこういう基準を求めることはできない。そう見れば、西洋思想よりは東洋思想においてそういうことが可能である。父母に絶対!父母に絶対に服従するとともに、自分の兄さんに服従する。その服従するその観念を拡大して、それは族長だとか、あるいは氏族だったら氏族長、民族長とか、国家の代表とか、そういうふうにつなげて、完全な服従体系をもったそういう基盤を得なければならない。得なければ神の願う家庭より氏族、民族、国家、世界圏は生まれてこない。分かりました?これを、はっきりしなければならない。
  

◆迫害を通して神自体が否定圏をつくる

  それで、神様はいかにしてそういう環境をつくっていくか。自分なりにそういう環境をつくれと言ってもつくれないよ。「宗教を信ずる者たちが自分自体で否定せよ!自分が否定圏をつくれ」と。それはつくれない。自分で否定圏をつくることができないから、相対関係において否定される基準をつくればいいんだね。立場が同じだよ。誰かに否定されるような立場に追い込まれればいい。何の話か分かった?自分自体が否定圏をつくることができないから、神様自体が否定圏をつくってやる。それみんな逆に打つんだ、みんな。これが迫害の動機である。分かった?何の話か。だから、神様を信じ、宗教を信ずるというと、みんな一番近い者が、親とか愛すべきもの自体が反対する。それは何を意味するかというと、結局はサタン自体が第二の主体圏に立って第一の主体を打ったことになる。だから、不正の者が聖なる者を打った場合には弁償しなければならない。この弁償の道をたどって宗教の発展がなされる。何の話か分かったの?

  だから、なぜ迫害させるのか?神様は宗教圏内において自己否定圏を個人より家庭、氏族、民族、国家、世界圏まで拡大しなければならない。自分自体がそれをやることはできないんだね。やれない。否定するとしても人間自体が否定の限界も分からない。“このぐらいでいいだろう”と思うんだね。それは蕩減復帰において個人否定基準が“これだったら、もう個人肯定完成、蕩減完成しただろう”と考える。それではいけない。世界的な蕩減のその個人蕩減基準に向けて、否定基盤をつくらなければならない。それは人間自体も知らないんだね。しかし、サタンと神様は知っている。分かりました?

  それで人間肯定否定基準においては、その限界を人間自体は分からないから、それの分かるサタン自体がその人間を、世界的な個人否定基準に向けて、これをぶっかけてくる。だから、今まで歴史過程において、迫害を受ける時に宗教は発展した、というような結論を出した。それはなぜかと。なぜか分からないが、そうなっているというんだね。それはこの意味だ。はっきりしたね。自己否定を自体ができないからサタン自体にそれを否定させることによってそれで屈服し、それに勝利し得た場合には否定圏勝利基準に立つのだから、その者は別の主体の相対圏に立つことができる。分かりました?だから、絶対主体なる神の前に絶対否定の迫害の結果において、神の相対圏に立つんだから、神は干渉することができる。だから、迫害の絶頂点をつなげながら宗教は発展してきているという理由はここにある。はっきりしました?

  だから、こういう一点から見た場合に、世界的に宗教を通して完成したがる者は、この世の中を否定して、山に行って祈ったり修行して完成する道が生まれてくるかというと、そうではありません。世界のまっただ中に立って、神と反対の立場に立っているサタンのすべての迫害のまっただ中にあって、神と一つになって完全に突き進み、攻撃する中で成し得る。その中でへこんでしまうものはなくなるよ。浮かんでくるものだけが成し得る。だから、今まで歴史を通して神様はたくさんの人を使っては、捨てた。未練なく捨てた。これらの人を中心として摂理してきた。何十年、何百年経てそれを摂理してきたんだけれど、それが最後になって迫害圏に立つ。

  そこで、個人的に勝利した場合、個人圏の発展の段階までは残るんだね。それが家庭迫害圏を乗り越えなければ、その時にはやられる。やられて新しいものを取り継いで摂理していく。そこではもうやられてしまうんだね。そこには同情も何もない。サタンがペチャンコにしてしまう。神様は手を打つことができない。それを神様は放棄してしまわざるを得ないのが、今までの無慈悲なる宗教の歴史路程である。

  こう見れば、大概、君たちなりにも蕩減復帰はどういうふうにやるべきかが分かる。自分一人で否定できない。だから、迫害を通して否定された条件圏に立たせて、神様と共に相対圏を拡大していっているのが、宗教を中心とする摂理の行くべき道である。分かりました?

  だから、迫害は絶対必要じゃない?(必要です)。絶対必要。迫害過程を通過せずしては、神に帰る道はない。みんなそうである。仏教にしても、儒教、キリスト教にしても、ああいうような過程を通過したんだから、世界的発展の時代を迎えるようになってくるんだね。このことを宗教は分からない。この基準を今まで分からなかった。なぜ、宗教は苦行しなければならないのか、迫害を受けなければならなかったのかということが分からなかった。その基準のポイントを、君たち分かったね。はい) 。

  そうなると、今先生の言う全体完成は、全体蕩減なくしては成せないということは理論的である。全体を完成に引っ張っていくには、全体的蕩減過程を通過せざるを得ないということが、これは宗教歴史において、絶対不可欠になっている。だから、宗教を信じて自分は祝福される、この世の中において幸福に生きるということは、そもそも間違った思想である。
  

◆メシヤとは何か

  宗教圏内には、再臨思想がある。再臨思想、つまりメシヤ思想が残っている。メシヤたる者はいったい何者なのか。神様の一番愛する者がメシヤだ。では、どういう立場が神の一番愛する立場か。神様から送られるメシヤを神様は愛するのに、いかなる位置において、いかなる立場において愛すべきか。神様の前に立つ者はいろいろいる。国を代表した者もいるだろう。あるいは社会を代表した者、あるいは団体を代表した者、いろいろな代表の男がいる。メシヤたる者はいったい、神の前にどういう男か。神もそういう者が必要だね。しかし、メシヤたる者はいかなる者か。メシヤは、ただ一つ、神の内心にあったその愛があるとすれば、その愛の全体が集結したその愛、方向を固め、出発点を同じくして、一致した方向のその愛を、総合された愛を受ける最初の者である。その者とは何か。神の前に初めて生まれた長男。長男だね。分かりました?

  メシヤとは何かというと、神の愛の前に初めて生まれた、神の愛の前に立った、初めて神の長男としての愛を受けるそういう立場に立った者がメシヤだ。だから、イエス様もそういうことを言ったんだね。イエス様はひとり子、一人息子である。ひとり子、息子であるというのは、全体の愛を受けることである。始めから終わりまでね。神が絶対なる主体となれば、(メシヤは)男として、絶対なる主体圏に立つ者だ。それはどんな立場か。親子の関係だ。親子の関係。分かりました?だから神の全体の愛を、個人に向ける愛、それから家族に向ける愛、氏族、民族、国家、世界に向ける愛。神の長男の子供として、すべての圏を超越したその基準において、代表的な愛を受ける資格をもって来られる者が何?(メシヤ)。だから、神の子供。神の愛する子供が生まれてきた。

  しかし、愛する子供一人で何になるか。子供自体は、その相対者を得なければならない。相対者をどこから得るか。天上から得るんじゃない。堕落の結果地上で失ったんだから、地上で再創造しなければならない。それで地上において宗教は何をやったかというと、天がプラスと言えば、地はマイナス。だから、天に向けてメシヤを願う。愛の主体者を願うところは神様ではなくして、この地球だね、人間世界だね。主体の愛を願うんだ。その思想がメシヤ思想だ。

  メシヤを迎えるために、世界版図を拡大して、個人の環境を超えて、氏族の環境を超えて、国家環境、世界圏につながるようなそういう基台を拡大しよう。拡大して、世界全体がその主体の神の愛の男の前に一つになる。何も反対する者がない。絶対服従する。自分自体はもう存在しない。ただメシヤのために存在するというようなそういう雰囲気を世界的に準備しようとするのが、旧約時代、新約時代の使命だ。こうなれば、簡単になるんだね。旧約時代、新約時代の使命は何かというと、地上にその相対者を求めてくる。そのメシヤの前にエバをつくる。絶対服従するエバ圏の拡大を成し得て、その反対する者のない立場で、愛の主体にその一点で結ばれれば、自動的に全体が結ばれる。そのような環境、世界的環境をつくろうとするのが、旧約時代の使命であり、それから新約時代の使命であった。そうなると、今のキリスト教、ユダヤ教はメシヤに完全に服従すべきである。

  しかし、今まで、信仰してきたクリスチャン、信仰してきたユダヤ教の人たちは、メシヤが来た場合には、すべてを捧げる、完全に服従するというような信仰観念をもつべきなのに、今のクリスチャンはどうだ?今のユダヤ教はどうだ?神の願う伝統精神から見た場合に、これは一八〇度違う。まるっきり反対だね。地上に来られるメシヤはともかく、神の摂理の勝利圏はともかく、自分が地上において成功すればいいと、こういうような考えをもつ宗教は、最後になれば神にやられる。最後になった場合には、この地上に影も形もなくなるように打ってしまわなければならないのが神の立場である。

  だから、そういうキリスト教や宗教は、末の時期になったら完全にやられる。天の鉄槌に打たれる。理論的だね。こういうような、その末の時期に、世界のクリスチャンは、「ああ、メシヤ、主様……」と再臨を願う。その願う内容を分析してみると、「ああ、自分が救われたい」。神の勝利圏については何も思わない。自分が天国に行きたい。自分の家族が救われたい。自分の国。自分の国以上、それは限界である。みんな国を越えて世界の果てまで、霊界まで拡大すべきなのにその限界を縮小して、自分自身、自分の国以上拡大できない。これは、サタンの作戦においては成功した作戦だ。この基準が残っている以上は、神の世界は生まれてきません。分かりました?
  

◆統一教会運動の目指すもの

  そうすると地上に新しくこの環境を真っ二つに打ち分ける、そういう運動をなさなければならない。全部否定!万民、宗教人が願うのは世界復帰だ。世界完成の神のみ旨を完成して、世界の果て、天宙まで拡大する。そういう理想の宗教が地上に現れるべきである。現れなかったら、神様のみ旨を果たすことができない。神様がいないことになる。神様がいた場合には、そういう運動が生まれてくるし、神様がいてみ旨を果たそうとすれば、そういうような環境を地上につくらなければならない。だから、必ずそういう運動を母体とした新しい宗教が生まれてこなければならないという結論は、理論的である。

  その運動は、いかなるものか。それが、まさしく統一教会です。分かりました?統一教会運動。統一教会運動とはいったい何か。今、先生が言ったような内容に合格すべき内容をもたなければならない。まずもって、自己否定を個人から世界まで拡大する。もしも、ある人が自分で、「自分は世界万民の前に、自己をすべての段階において否定した。認めよ!」と言ったとしても、それを認めることができるか?絶対認めることができない。メシヤが来た場合に、もしもキリスト教が完全服従して、完全に一体になったとすれば、それでおしまいだよ。

  メシヤが来た場合、「私がメシヤだ」と言えば、「ああ、そうですか」と言ってみんな従わなければならない。しかし、それができない。だから神様は今まで、数十万年の歴史を延長してこざるを得ない。これを知らなければならない。こういう内容になっていることを誰が分かるか。神様がいて、迫害すること自体これは矛盾している。愛する者に対して、神はローマでの四〇〇年間、キリスト教徒をなぜ迫害させたか。原則から見た場合、世界の果てまで通ずる基準が現れるまで迫害は続く。だから四〇〇年間で世界的になった。はっきりするだろう? (はい) 。それで、キリスト教基盤を中心として、統一教会の先生が地上に現れたのは第二次大戦後だね。これを話せばずっと長くなるよ。

  先生が願っていたのは何か。こういうような天的摂理の全体観を中心として立つ時、キリスト教はメシヤの話を聞かなければならない。「それを聞くか否かにキリスト教の生死がかかっている」ということを誰が信じるか。それは、まさしくそうだね。信ずれば生きるし、信ずるには自己否定しなければならない。自分の歴史を、自分の家庭を、自分の信仰基準を、すべてを否定するような基準に立って認めることができる。しかし、今まで信じてきた聖書観の眼鏡で見た場合には、再臨はこうだというその眼鏡に合うようなメシヤだったらいいんだけど、その眼鏡には合わないや。(笑い)

  自分たちの年齢からくる欲望とか自己成功ばかりを願っている。そういう個人主義的な眼鏡をかけて見ているから分からない。メシヤは天宙主義である。天宙主義だから、自分のはかりで知ることができない。あんまりでかいからね。言っていることは、耳で聞こえるんだけれど、内容は分からない。それは二十年、三十年先、永遠のことを言っている。自動的に距離がある。それは理解できない。そういうようになれば、結局、再臨の主が来られても、再び反対せざるを得ない。再び反対した場合は、これはすぐサタン圏に回る。神の永遠なる愛の実体、平面的地上の主体者として生まれるのがメシヤであり、それを否定するのはサタンだ。別のプラスの立場に立った者だから、すぐ、サタン圏に回る。分かりました?即時にサタン圏だ。いくら(規模が)でかくても即時にサタン圏だ。

  メシヤのための基台をつくるべき者が、即座に銃をメシヤに向けて、サタンの軍の先頭になっている。銃を天の方に向けている。それで、こういう歴史的伝統の内容を抱えている人間社会にメシヤが来られた場合には、必ず歓迎よりは迫害に追われやすいというのが、堕落した歴史世界の歴史観を通して見た結論である。分かりました?キリスト自体を否定するようになる。特に第二次大戦後において、アメリカ国家を中心とした全世界のキリスト教文化圏が最大の勝利をした。この歴史以来、宗教圏に世界を完全に譲った時代はたった一回だけあった。それが第二次世界大戦後である。そうだろう?

  アメリカを中心として、ソビエトだけ少し残して、それ以外のもの全部が民主主義圏内に、キリスト教文化圏内に完全に入った。その主体なるアメリカ自体が、メシヤに完全に服従したとするならば、世界はどうなったか。神様の世界に自動的になるべきだったんだね。それが、そうならなかった場合にはどうなるか。それが、そうならなかった場合には、再びサタン世界に帰って、その神の摂理の中心者に対して、それは総攻撃する結果になる。それが、この世の中のサタン世界の伝統的歴史観である。それで今まで先生は、何をやってきたか?
  

◆蕩減復帰完成

  天から見た場合、天に対して先生は、果たしてどういう使命を果たすべきか。一方から見れば迫害ばかりだ。それは、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、すべてから反対された迫害の道である。それをたどってきた。そのものは歴史にない。そういうような人がいたとするならば、それは今の時における先生しかない。それをみんなは認めるだろう?宗教史上、一番最大の迫害を受けた者は誰か?(先生)。統一教会のメンバーだから答えるんではなくして、みんな教会に来ていない人も、レバレンド・ムーンであるに違いないとね。アメリカの主権者たちに聞いてもそうだろう。共産主義者に聞いてもそうだろう。仏教、キリスト教、すべての宗教、存在するすべての者に聞けば、「世界歴史上において、宗教指導者として、個人から世界的に一代において迫害された、そういう宗教指導者は誰か」と言えば、レバレンド・ムーンをさておいてはいない。第一の者はレバレンド・ムーンだ。分かりました?それは何年間?六十年間?集中的には四十年間の蕩減の道を行くだろう。原理原則を中心として考えればこういうふうに予想されるんだね。

  もしも、このサタン世界、外的世界、すなわち、世界から、国家から、民族、氏族から、全部総合して反対される中で迫害されるその者が神を持ち出した場合には、これは歴史的問題の男となるんだね。分かりました?こういう原則から見た場合に、こういうような立場に立った男がいたとするならば、その男がサタンとか、世界とか、神とか主張しながら自分のためでなく、世界と神のために生きるというような立場で、犠牲の道を教えて引っ張っていくような立場に立ったとするならば、これはまさしく神のみ旨にかなう摂理の路程、蕩減の路程を担当した者に違いない。そういう結論が下されるんだね。

  そうして、歴史上そういうような立場に立った先生自体は何を考えてきたか。個人蕩減完成。蕩減完成もなしには、個人完成という話はない。サタン世界においては、個人完成ということを成り立たせることはできない。成り立たせた場合には、サタンの世界の終わりだということになってしまう。だから、ここにおいて、それは決算するとか、清算したその内容の観念が必要だというんだ。ここにおいて、完成は蕩減完成というその観念がはっきり植え付けられるんだね。完成は自動完成じゃない。何の完成?蕩減完成。分かりました?だから、堕落世界の人間において人格完成をなすということはあり得ない。

  どういうふうにすれば、自己完成がなされるかというと、蕩減完成をなすと言えばなされる。蕩減を入れない者には、絶対、完成の道はない。それは、内から見れば個人完成をいうんだけど、神様から見た場合には、それを復帰というんだね。蕩減完成したその基準を復帰完成というんだね。だから、復帰は蕩減を通してなされる。だから蕩減復帰だよ。そうだろう?蕩減復帰完成をなすことだ。だから蕩減復帰は、もう、これは離すことができない。復帰するには?(蕩減)。蕩減して何するか?(復帰)。一つの形容詞になるね。蕩減、形容した場合は復帰が目的。復帰が形容詞になれば蕩減が目的である。分かりました?

  蕩減復帰を嫌がる統一教会のメンバーは、統一教会にいたとしてもサタンの王者である。君たちどうだ?今までどうだ?歴史過程をずっと通過しながら先生についてきてみると、「先生、何だ。昔も復帰、復帰、蕩減復帰、蕩減復帰。何年続くのか。もう何年もなぜ続くのか。十年も、二十年も……。二十年にもなった場合は、二十年延長だ。また、四十年になれば、また、二十年延長だ。そういうふうなやり方が文先生のやり方じゃないか」。それはそうだよ。(笑い) 完成圏を一遍にやらなければ三回延ばすよ。それ原理観じゃないの。七年でやらなければ二十一年になる。二十一年を九段階に分けてやる。なぜ分けるか。一回でやって負けた場合、みんな失ってしまうんだから、一段階、一段階成して、つなげてやった場合に失わない。それを総合して、結合して、各段階基準に勝利したものを合併して一とおり越えれば、蘇生圏を越えることができる。そういう作戦をやっているんだから、見てみればみんなめちゃくちゃのようだけれど、神の摂理は収拾の目的に向かっている。

  サタンは知恵がある。サタンは頭がいいよね。利口だから、先生のやる方法をまねて自分は中心に立つ。そういう者、たくさんいるんだね。自分の欲望を中心としてやる。それは宗教の中で最悪の者だ。その目的は何のため?自分のために。名目は日本とか神とかそういうんだけれど、自分のためである。先生がみんな出発点になっているのに、それを全部さておいて自分のものにする。他人の金を持ってきて自分のものに使うのは泥棒だね。強制的に何の許可も得ずして自分のものだと片っ端から主張するのは強盗である。そういう人を見てみなさい。自分の内部でやられてしまうだろう。これをはっきりさせるんだね。分かりました?蕩減復帰、復帰完成。復帰のための蕩減だ。復帰蕩減。完成を中心として、復帰蕩減して完成する。蕩減されたのちに復帰する。復帰されて、完成の道を行く。同じことだよ。だから蕩減復帰は一つと思えばいい。

  年取った者、統一教会にいる古いメンバーは、みんなどうだ。別の主体者をもっていないか、どうだ?先生はいつでも公的に話して、責任者を公的にたたくんだよ。「おい、ああでかい体して、みっともない格好して、何ブラブラしている!」蕩減復帰だ。そういう腹(別の主体性)をもっていたら、引っかかるからね。公的に先生が代表して、世界的に代表して攻撃した場合、絶対服従すれば越える。そうすれば間違いなく出る。出た場合には、先生は黙って見ている。先生がけっとばせば最高だよ。大概整理できたね?蕩減復帰。蕩減は何のためだ?完成のためだ。何の完成?

自己完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、国家、世界完成、天宙完成のために。天宙完成は何のため?神の解放だ。神の解放をするためだ。目的は神の解放である。そこまで我々は願っている。分かりましたね。(はい) 。

  

◆神の道を行くべき者の伝統的な道

  先生は、それが分かったんだから、文句なしに、雪が降っても、風が吹いても、季節が変わっても、春が去っても、その季節を忘れて、一心不乱、蕩減復帰の道をむさぼりつつ、開拓していった道が先生の生涯の道である。だから、その生涯を総合して一言で表現すれば、それは悲惨な惨めな生涯だ。誰も同情しないその過去を残している。しかし、神はそれだけは知っている。先生について天に向けて祈ってみた場合には、泣かせる以外にないというんだね。何度も泣かせる。先生はどういうお方かと聞いてみれば、泣かせてくれる。目から、鼻から、口から、涙が、鼻水が、よだれが流れる。三つのその水が流れてくるような痛みを、心中の痛みを感ずるような中を……。それはなぜか。もともと先生はそういう立場に立つべき男じゃないというんだね。キリスト教文化圏が歓迎すれば、七年以内に、先生は三十代に世界を統率すべき能力をもっていた。真理をもっていた。その理論をもっていた。今教えるこの理論は今始まったんじゃない。ちゃんとその元を明らかにして、先生はこの道を出たんであって、今そういう基盤を果たして、自分の一生かけて成し得たんだから、これを教えてやるというんだね。空論じゃない。成し得たんだから、教えてやる。成しえない前には話せない。話した場合には、サタンの世界にあなたたち引っ張られていく。

  こう見れば日本のメンバー、反省してみましょう。この一点から見て皆今まで、ずーっと先生に従ってやってきた。十年、二十年の月日が流れた。その過程において、自分を反省してみた場合に、先生は世界に向けての蕩減の基準を、蕩減の峠を、絶頂を、ヒマラヤよりも高い、歴史にない、誰も越えたことのないこの絶頂を越えるために、よじ登って行く。現実において、日本から世界にロープをかけて上がっている。そこで、全部が苦労しながら足場を求め、爪を石に突き込めて、そして、できれば先生と共に縄を引っ張って、その縄を緩めてやるべきなのに、逆に引っ張ったことがないか?自分を中心としてブツブツ不平を言ったり、批判してどうだこうだ、韓国の先生だからそうだとか何とかいろいろ言う。もしも先生が韓国のことだけを考えたら、どうなっただろう。先生はもう霊界に連れていかれただろう。そういう者は世の中においても無用な者である。蕩減復帰、世界復帰、拡大整理したのちに再び帰ってきて、自分の子供とか、自分の家庭とか、自分の国を考えるようになるのが摂理観から見た神の道を行くべき者の本来の伝統的道なのに、自分を中心として、自分の家庭とか、自分の国とか考える。それを考えるようになった場合には、みんな世界はペチャンコになる。それを考えてみた場合、自分はどういう自分であったか、自分のことをよく知っている。自分で説明しなくてもいいよ。

  自分は果たして、神の前に面目を立たせる自分であったか。復帰の世界的開拓の道を先生が先頭きっているのに、自分はどういう基準において先生に向かい合ってきたか。冷静に批判して、今日の位置をはっきりさせないと、あすの勝利の基準は、はっきりした勝利は迎えられません。国家的側面から見た場合に、日本の国がアダム国家に対応するエバ国家の位置にあったとするならば、先生に一瞬の疑い、一瞬のその悩み、一瞬の苦労をかけてはいけないという観念をもたなければならない。堕落したエバによって、歴史的伝統が犯されたことを考えれば、その生涯の全体をかけて、世界を代表して、心情に一点でも傷をつけるような、そういう思いを残させるようなことをしてはいけないという立場に立つのが、エバ国日本の立場である。分かりました? (はい) 。不平を言うな。そういう意味だ。文句言うな。完全否定。伝道してみ旨の最前線に立て。

  この原則があるから、今の一時において、完成できなかったとしても、未来においては完成できる。理論的保証をすることができる。そう考えてみた場合、君たちどうだ。歴史を延長して完成するのがいいか。先生が生きている時代に完成するほうがいいか。(今です)。そのためには、死に物狂いで力をつけて、それはやらなければならない。今日までの歴史過程において生まれてきた宗教を信ずる者たちは、現代に生まれ変わろうと思ってもできないし、この一時は他のいかなる時代とも、取り換えることのできない価値ある時代だとして霊界で侍っている、臨んでいるということを考えてみた場合、我々はこの時世に、この地上に先生から、正面的にこういう話をされ、教育されながら、成して行くという素晴らしさに対して感謝しなければならない。分かりました? (はい) 。それははっきりしている。
  

◆世界的迫害の絶頂期を越えて
  全世界的に最後の絶頂期は、一九七六年だね。ワシントン大会を中心として、絶頂だ。先生は、それを知っているから、七五年に全世界に宣教師を送った。宣教師を一人送ったら、みんな関心をもたないよ。日本人だったら、東洋ばかりになるんだね。アメリカだったら、西洋ばかりになる。だから、全世界を代表するようにした。東洋人と、それからヨーロッパを代表したドイツ人と、それから南北アメリカを代表したアメリカ人。それが世界的である。それから韓国の文先生。三人は、レバレンド・ムーンを中心として出てきたんだから、日本人もみんなムーニー、ムーニーと言われるんだね。イギリス人、アメリカ人もムーニー、ムーニー。ドイツ人もムーニー、ムーニー。こうだろう?みんな相対圏だ。

  君たちだけだったら、ばらばらになってみんな喧嘩をやっているよ。日本は、「日本人が先に祝福を受けた。自分が最初であって、自分がアベルだ」。アメリカは、「文化的に見たら、アメリカが世界の民主主義を指導する国だから、自分が第一だ」。ドイツは、「そんな馬鹿な、ゲルマン民族は頭がいい、組織的で分析的で、理論的だ」。自分がみんな第一だ。第一の者が集まる。それはみんな主体だ。主体。ここにおいて、主体無の政策。主体性観念無。無観念政策。そうすれば、神は必ず援助する。そうはっきり言ったよ。「君たち三人が一つになれば、絶対的に神は援助する。発展する。もしも、闘った場合は、絶対発展しない」。そのとおりになってるよ。巡回師の報告を聞けば間違いない。原理原則は間違いない。それで、みんなずっと世界に散らばって、一三〇カ国に拡大したんだから、みんな、もうアメリカで闘うし、世界でもどこでも闘う。世界全体が傘みたいに広がっている。

  そこで、レバレンド・ムーン追放、地球上追放運動だよ。それで、ワシントンの大会前に追放しようとした。そう簡単にいきません。闘って、大勝利を得た。こういう闘い。まあそう見れば、文先生を中心として歴史的迫害の最高の絶頂期の一九七六年に結局、新しい時代を迎えるというのは理論的である。保証があるんだね。それで、一九七七年二月二十三日を中心として、新しい紀元が始まるということを発表しただろう? 一九七七年二月二十三日、先生の誕生日を中心としてね。

  なぜ、そういうことが言えるかというと、これはレバレンド・ムーンがその世界的迫害の絶頂期において自分の苦難の苦しみによって回り道しながら、天のために、世界のために前進に前進する。だから共産主義世界は分裂。日本は、そこから五年以内にもう世界的になった。そこから上がった。エバを高らかに上げた場合には、アダムはエバのあとをのこのこついていっても、同じく救うことはできない? (できます) 。できる。日本を立たせて。だから神様は利口である。
  

◆エバ国日本の位置と使命

  目を見張って、四方全体、日本全国を回って、ああ、任すべき者がないかと見れば、これ任すべき者がいる。見てみれば、それはみすぼらしい、これはもう、日本人として無用な屑みたいな者がいるんだね。それがムーニーだ、ムーニー。しかし付き合ってみれば正直であり、その内容を見れば、国のため、世界のためには、すべてを捧げ、自分は協力して金なんかいらないと。あの人は尊いなと。それは摂理的にそうなったから、日本は責任をもてばいい。日本はエバだから、エバは乳を飲ませなければならない。飲ませるのに堕落したエバはその乳を一番最初に誰に飲ませたの? (カイン)。カイン。それから?(アベル)。アベル。女(娘のこと)はもういてもいなくても、それは勘定に入れないんだよ。今までは女は存在する者だけど、存在しない扱いをされても不平を言うことができない。

  だから、その乳を誰に飲ませたかというと、カインに飲ませたし、それから誰に飲ませた? (アベル)。アベルに飲ませた。飲ませて育てた者が二人喧嘩し合う。それはもともと喧嘩し合う要素があるからだ。だから、蕩減復帰において、もともとそういう要素をもっていない双子という立場に彼らは復帰できないのだから、腹の中からヤコブとエサウとは、闘うんだね。だから、母の腹に再び入れて、再びもとがえさねばならない。だから妊娠を通して、双子がはらまれても腹中で闘わない子供にならなければならない。共に抱き合う。そういうようにして生んだときに、乳を飲まそうとしたら先に飛んで行くんじゃない。君、先に行け、君、先に行け。二人で、それを抱えて乗った場合にはけっとばすのではない。それは交代を一日に何十回しても、もう不平を言わないで愛し合う、そういう子供を生まないと、そうならないと、旦那さんのところへ行くことができないんだね。それが母の運命、エバの運命である。

  だから、このエバ国家を立たせて世界的なでかいカインを立たせる。カインとしては話を聞かない。アベルとしてもでかいアベル。話をよく聞くアベルではない。話を聞かないアベルを先生が探してみれば、日本人内のカイン、アベルは話をあまりによく聞く。それで、世界的蕩減の条件として見る場合には、カインとして一番話を聞かない者、それが日本人の前にはドイツ人だ。ドイツ人は昔、主体だった。兄さんが対象になれといえば嫌がるよね。嫌がる者のナンバー・ワンがドイツ人。それからアベルとしては一番問題のある男、自由、自由だという。神を呼ぶけれど、ブランコみたいに主張がない。行ったり来たりする。それが何かというと世界的代表のアメリカだ。その双子の立場に立つドイツ人とアメリカ人が、共に親しいとしたらそれは駄目だ。みんな怨讐。全部が怨讐。母と子供も怨讐、子供同士怨讐。性格的にもそうであり、歴史的にも、そういう内容を抱えたものでなければならない。そう見た場合にはアメリカとドイツはぴったり合う。原理的にぴったり合うんだね。みんな怨讐、怨讐。

  それからもうアダム国家、エバ国家、天使長国家、みんな怨讐になる。みんな一つになるときに崩れてしまったんだから、再びそれを再編成するには、同じような立場に立ってやり直す。アダム国家の韓国とエバ国家の日本は怨讐だ。日本とそれからアメリカと怨讐。アメリカとドイツと怨讐。みんな怨讐。怨讐の者たちを集めて、愛によって生命力を中心として母の乳を飲みながらアメリカ人、ドイツ人、一つになれ!アメリカ人、ドイツ人、日本人、三人が一つにならないとアダムのところに帰ることはできない。死んでも帰ることはできません。これ原理観だ。蕩減復帰によるとそうなっている。堕落によって、神様とアダム、エバが怨讐圏に立った。すべてが怨讐だね。アダム、エバ怨讐。それから、カイン、アベル怨讐、父母、子、みんな怨讐。バラバラの怨讐圏のその種子を植えたその者が末になった場合には、そういうふうに結実する。そうなるとどうなるかというと、サタン世界のアダム国家、サタン世界のエバ国家、サタン世界の天使長国家、こういうような結果になる。それに反して、天的アダム国家、天的エバ国家、天的天使長国家、こういうふうに二つに分かれて戦ったのが、第二次世界大戦である。枢軸国家とそれから連合国家だね。それが世界的である。

  戦争は誰が先に始めたかというと、世界的なサタン側である枢軸国家が始めた。サタン的エバ国家である日本が、韓国を中心として東洋を占領。大東亜共栄圏は、神の理想を先取って、その理想を実現しようと思って出たものだね。天照大神の女の神。八百萬之神、多神教国家が日本である。それに反して、イギリスはエバ国家だね。天を中心として来る再臨の主、アダムを中心としてエバ国家。それからアメリカはエバの子供であるというんだね。アメリカはイギリスから生まれてきたというんだ。これはいつもくっついて回る。

  フォークランドのアルゼンチンとの戦いにおいて、アメリカとイギリスはいつまでもくっついていては世界は滅ぶ。分かれていかなければならない。それで天の基準を中心としたアダム国家として将来立って行かなければならない。アベルは、堕落する前の復帰されたアダムだろう、アベルはね。それが目的だよ。そのアダムの前に復帰されたエバ国家がイギリスで、復帰された天使長がフランスである。これに対し、サタン世界のアダム国家ドイツとエバ国家日本と天使長国家イタリア、これらが三つずつ組んで、神を中心として、サタンを中心としてそれぞれ四位基台という基準において、世界的に分裂して衝突したのが、第二次大戦である。その戦いは天下分け目の、地球分け目の戦いだ。それで天のほうが勝利したんだから、サタン世界のすべてを天のほうに返す。それで、サタン側の世界的な最後の舞台としての共産主義がずっとそれは共に存在していた。

  その共産主義とは何か。再臨の主のもってこられる理想を先取って出発した。神の側が、もしも失敗した場合に備え、サタンが既に準備してあるのが共産主義である。スターリンのやっているのをみるとまさしくそうだね。全世界を一つにする。しかし共産主義は、マルクス、レーニン、スターリン、マレンコフ、ブルガーニン、フルシチョフ、ブレジネフ、それからアンドロポフで八代目、だからもう終わりである。今からはもう下る一方だ。再臨の主が精神的全世界統合理想をもってくるのに対し、その反対の肉的基準において、世界統合理想をもったのが共産主義である。だから、共産主義は唯物論であり、再臨主は唯物・唯心論を世界的に統合して出る。

  だからキリスト教が神の前に再臨の主を中心として一つになったとするならば、良心とメシヤを中心として、心的基準と肉的基準を一致させた場合には、原理原則においてサタンの存在すべき基台がなくなってしまう。そうだろう? 神様が主体圏と相対圏を管轄し得るような基準に立ったんだから、サタンの管轄すべき相対、世界圏はない。だから、共産主義はそこできれいに流れてしまう。民主主義世界が再臨のメシヤに侍ったとするならば、一九四五年から七年後に世界は平和郷に移るべきなのにもかかわらず、それが一つになれず反対したんだから、完全にサタンの先頭に立って神を攻撃するような立場に立った。そのために、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的基準において、共産主義、民主主義、キリスト教、ユダヤ教、仏教、それらすべてが総合して反対した。それから、今アメリカ対文先生の裁判の闘いだね。分かりました? 原告は誰かというと原告はアメリカだ。アメリカは自由世界全体を代表して、レバレンド・ムーンは一人。誰が勝つか。最後の絶頂に立って、それは勝敗を決する一騎打ちのそういう境地に立ったのが今の期間である。
  

◆摂理的四大国家

  きょう四月三日は、原理的に見た場合には、四数は地上平面数だね。三数は、蘇生、長成、完成の垂直線で三段階だね。四月三日というのは素晴らしいというんだね。それから、一九八三年は(一、九、八、三合わせて)二十一数。三月一日を中心として、全世界の統一教会、キリスト教信者、宗教全体をみ旨のために動員すべしとしたのが三月一日である。それが何かというと二十一数と四数、それから三数と四数、合わせて七数が結合するきょうではないかというんだね。だから、この日において、全体的蕩減、全体完成の話をせざるを得ないという結論になっている。もうすべてがきれいになったら、おしまいである。これを教えた以上はもう行きたかったら行くし、行きたくなかったら行かなくてもいい。先生には責任はない。

  こう見れば第二次大戦を中心として、先生が出動する、先生の出動の足場はどこか。韓国のキリスト教? それはアメリカを中心としている。アメリカは宗教改革の時に旧教からみんな追われて逃げてきた。宗教世界で、それはみんなアベルたちだ。旧教を中心として反対される時期に、ヨーロッパ全体から引き抜いて集めたのがアメリカの国である。それはキリスト教内で見た場合にはアベル。アベルたちを集めて新教国家、独立国家をつくったのが二〇〇年前。それが今、先生の願う一九八五年まで、アメリカの独立の日から、二一〇年になる。一七七六年からして、一九八五年はちょうど、二一〇年に当たる年になる。それで四十代の大統領レーガンを中心として決戦を果たすべしとなっている。みんな原理的である。日本では明治維新一二〇年に当たるんだね。みんな、その基準を中心として集中している。こういうような歴史的世界を前にして、先生自体が摂理観的に、こういうふうに新しい出動命令をするというのは、世界の絶頂圏で新しい何か、破壊でないとすれば結束の運動に違いないんだね。そういう時期に入ってきた。破壊の運動ではなくて結束である。

  二つの意味がある。それは統一教会のやっている破壊の運動ではなくて統一の運動だ。統一の運動ね。だから、ここにおいて民族統一はもちろん、人種統一、宗教統一、西洋、東洋統一を果たさなければならない。それを今、成しているのが、現実の場である。それが統一教会だね。分かりました? こう見れば、歴史もこの基準に集中しているんだね。日本歴史も、アメリカ歴史も、西洋歴史もみんなそこに集中している。それから、韓国から見てもそうだよ。韓国から見て、今年、四三一八年。十八と言えば、サタン六数の完成数になる。六数完成、それは、いつでも二十一数、十八数以降に登場するんだね。まあ、そういう意義があるんだね。こう見れば、すべて歴史がそうだ。摂理観がそうだ。摂理の中心国家の歴史も、みんなこういう悲願を中心として最後の結末をつけるように歴史は発展してきたということを考えてみた場合に、神様は科学者で数理的な方である。だから、蕩減復帰は数理的条件を条件として復帰していく。そうだろう? 期間とそれから人と条件物。

  だから今、我々統一教会から見た場合には、四十年の期間内に、条件物は三大祭物だね。先生から見た場合には、アダム国家、エバ国家、天使長国家。先生を抜いて見た場合には、エバ国家、カイン国家、アベル国家。それが、条件物を中心として期間を中心として、アダムという存在がアベルの存在だよ。世界全体を代表すべきアベルの基準、それは、メシヤの立場であるんだね。だから、こう見た場合に、四十年前の立場に復帰される今においては、我々は聖なる捧げ物を、世界的に総合した世界的な者たちを神の前に捧げなければならない。そうしてサタンと神と、それから祭司長であるメシヤと談判して、サタン世界からすべての世界を勝利のサインをして、戻してこなければならない。サインを誰がするか。勝利のサインを誰がする? 神様がするんじゃない。メシヤがするんじゃない。サタンがする。

  だから、今どういう時期かというとすべての国家を代表して、四大国を選出した。韓国はアダム国家であり、エバ国家は日本である。なぜか。キリスト教文化圏が反対したからである。反対しなかった場合には、イギリスがエバ国家であった。第二次大戦において、アダム国家はアメリカで、エバ国家はイギリスであり、天使長国家はフランスであった。しかし、神側のキリスト教文化圏が反対した。だから、サタンが頭を持ったんだから、しっぽを天が取らなければならない。それは何かというとキリスト教文化圏をサタンが握ったんだから、天は反対の一番しっぽから。しっぽがどれかというと(第二次大戦におけるサタン側の)アダムであるドイツだよ。それからエバ(日本)だよ。それから天使長国家。そういうふうになっている。

  それから、韓国自体はキリスト教文化圏が反対したんだから、逆の立場において反対の立場をとるようになったことによって、先生の故郷である北がやられる。頭がやられる。しかし、しっぽが残っているというんだね。分かりました?それが南韓である。サタンは今誰を握っているか? アダムの頭と天使長のしっぽを握っているんだね。それが北韓と東ドイツだ。韓国は北と南。ドイツは、西ドイツ、東ドイツ。これは、それぞれ垂直と平面。サタンは北韓とそれからドイツの東部、ベルリンを中心として握っている。だから、韓国で共産主義問題を解決すれば、ドイツは自動的に消化する。こうなれば共産主義は自動的に地球上から後退し始めるんだね。分かりました?それから、金日成は北のほうで親というんだね。「自分が父だ」。南のほうの統一教会では、「真の父母だ!」。どっちが父だ。真の父が二人になってきた。主体者が二つになってきた。これをどういうふうに消化していくか。世界万民が蕩減条件を立たせればいい。世界のために犠牲になれば自動的に一つになる。世界万民が先生と一つになって犠牲的立場に立てば、自動的に解決する。共産主義も自動的に消化する。そうなれば、その世界はもうおしまいだ。

  こうなってみれば、今アメリカも末にきている。イギリスもドイツもみんな末にきている。どうにもならない。もう仏教圏、イスラム圏、キリスト教圏、みんな末になっている。民主主義も末、家庭も末、国も末、みんなめちゃくちゃになって何が何だか分からなくなってきた。愛の秩序が乱れて世界が破壊状態になったんだから、ここから新しい愛の秩序を立てなければならない。蕩減復帰条件を立たせて天に忠を尽くし、天地共につなぐ。真なる愛の中心圏を立たせることによって、一つから二つ、二つから三つと秩序を拡大して秩序が世界化された場合は、そこから新しい地上天国実現が完成される。そうなってしまうんだね。それで今統一教会は、このすべての難しいサタンの迫害圏を満たした基準から、それを総合して結合し得る核心国家を選ぶ。それを見れば、サタンが一番愛する国だ。

  今の世界情勢から見れば、韓国はアジア情勢において一番重要な位置にある。そうだろう?日本はアジアにおいて、アジアの海洋国としては、それは一番重要な立場にある。太平洋を中心として、海と関係をもって、海の権限をもった者は日本を願うんだね。なぜかというと、日本を中心に大陸につなぐには島国を中間に置かなければならない。だから西洋文明は東洋に向けて入るというんだね。西洋文明は太平洋を通して入る。そうなった場合には、西欧文明は日本を必要とする。だから今まで日本を必要とするように、日本がお世話になったり負債をしてはいけない。天的摂理にかなわないというんだね。世界からやって来るその者たちを、ちゃんと基盤をつくって教育する。何かやりながらなだめながら教育するような立場にならなければならない。

  それで、日本は緊急に、三十年間、四十年間の期間に世界的物的祝福がなされたね。それはどこに行くためだ。日本にとどまらず大陸に行くためである。島はエバ国、女と同じである。大陸を慕っている。大陸に行くのに、どこを通って行くかというと、韓半島を通って行くようになっている。こういう現実だから、韓半島を通って行くのに船で行くのは大変だ。陸続きに早くしなければならない。それがトンネル問題、ハイウェイ問題に通じてくるんだね。

  だから韓国において、いよいよ先生がもっともっと必要になってきた。統一教会が必要になってきたし、世界外交問題にしてもね、国内問題にしても統一教会がいよいよ重要になってきた。おもしろいもんだ。
  

◆男性理想完成基盤の復帰

  こう見た場合にすべてを統合して、今そういう基準から見た場合に、蕩減復帰しなければ完成はなされない。全体完成というものは、全体蕩減基準において生まれるんだから、ここにおいて我々はどういう結論を出すべきか。蕩減は反対の者たちと組み合うんだね。分かりました? 反対の者。だから、怨讐の者たちを組み合わせて、血を流すようにして捧げ物を捧げた場合に、神様がそれを受ければ、宗教自体が終わるんだね。何の話か分かった? 今まで神の愛されるものを祭壇に捧げたけれど、今の時期には、怨讐のその主体の一番愛するものをもってきて、蕩減させて、壇上に捧げて、神様がそれを受け取ったとするならば宗教圏が過ぎてしまう。宗教はいらない。宗教は分別のためだろう? 分別時期がなくなってしまうんだね。だから祭物は、平面の存在すべてをどこからもってきても、神に捧げた場合に、神が受けるという結論になるというんだね。何の話かわかった?

  そういうようなことを世界的になさなければならないから、統一教会の文先生は何をやるか。怨讐を愛して、そこから出発せざるを得ない。それが原理だ。天国は、天の基盤というものは、サタンの本郷の地のまっただ中から出発しなければならない。そうするには、サタンが一番愛するものから反対される立場でやられながら、愛の心情をもって、一番端から、ずっと自然屈服させていくんだね。正しい基準を打った場合には、損害賠償をしなければならない。それは宇宙の原則である。賠償基盤を通して蕩減復帰していく。そうするには、サタンが打つと同じく打った場合には賠償がなくなってしまうんだね。打たれる時に、素直に打たれ、打たれて復帰してくる。こういうことをしながら、外からずっと復帰しながら、サタンの内部の一番重要なものを復帰する。そうなると、植えたものは、それは収穫するんだよ。種を植えれば、必ずそのとおりの立場において収穫される。悪いものは悪い倉庫に、良いものは良い倉庫に分けるのが主人の使命である。この地上に二つの種を植えた。悪い種と良い種を植えたんだね。だから、良い種は天の倉庫に、悪い種はその火のやぶに入れて燃やしてしまうんだ。だから今の時はどういう時期か、収穫の時である。

  サタン世界の収穫を見た場合に、みんなバラバラだね。限界の立場に立っている。だから、みんな一つにする。赤も白もニグロも、四グロも八グロもみんな一つにする。そういう運動をやっているのが統一教会だよ。それから、この世界は個人主義の世界である。家庭も、親も、夫婦も、子供も、兄弟も、氏族、民族、みんなバラバラになっている。しかし、統一教会はもう世界から、国家を越えて、氏族を越えて、家庭を越えて、みんな一つだ。反対のことをやっているんだね。

  それで結婚にしても、昔は同族の中でやってきた。しかし、我々は世界の果てからみんな世界から来た。日本人が夢にも思わなかった韓国人と結婚するしね。それから、黒人と結婚するとは夢にも思わなかった。夢にも思わなかったことを平気でやるようになってきたね。誰によって?

神様によって。そういうふうにして何をするのか? みんな一つになるためである。なぜ一緒にしたがるのか。それは、サタン世界は分裂して破壊して滅亡の世界に引っ張られていくが、その分裂するさなかで統合して神の世界に引き入れるためである。

  この過程において、誰が蕩減するのか。蕩減の責任は誰がやるか。統一教会、その主流にいる者たちがそれをやる。その主流の長であるレバレンド・ムーンが、代表的に世界に向けてこういう蕩減路程を歩む。個人的蕩減をするには、男を代表した蕩減だよ。そうなれば、女性たる者、すべて、もう悪辣な女性もたくさんいるだろう?そういう女性までも自分の奥さんに迎え入れたいような、そういう心情の運動を起こさねばならない。何の話か分かった?

  そういう環境から、これを蕩減復帰しないと、これは個人としての男の理想完成基盤は生まれてこない。だから、老いた女、若き女、霊界にいる昔の何千年も前の女たち、地上に生まれ、その目を開けて、ああ男だと認識できる四、五歳の女の子供、すべての女性たる者から慕われ、愛されてこんな男を旦那さんにすればよかったなあ、と思われるようにならなければ、個人の人格、男完成基盤は生まれてきません。こういうことは初めて聞くんだね。それ、日本のあなたたちも、そうだろう?みんな日本の女性たち、結婚するまで、先生をみんな慕っていたよ。そうだろう?

  霊界が、霊的にそういうように見せるよ。ずっと、二人共に手をつないで、散歩しているのを見せるんだよ。みんな経験あるだろうね。それは、なぜかというと、一人の男が三大愛を総合しなければならない。お母さんの愛、それから妻の愛、姉さんの愛の三大愛。それを、堕落したアダム一人の結果によって失った。だから、三大愛の分別期間がなされてきた。これを統合しなければならない。アダムを主体として、個人完成、世界的な、歴史的なその蕩減条件を立てる。あらゆる層の女性たちが、誰もが慕わざるを得ない、慕うような環境に立たなければ、サタンを分離できない。いよいよそうなったという場合に勝利するには、あらゆる女性を正しく導くそういう方向をとらなければならない。何の話か分かった?

  それはもう公娼街の女性にも正しい道を教えてやる。慕っていくように教える。真なる男として迎えるようにする。そういう環境を経て誘惑のまっただ中に入ることだ。それは、引き罠だね。しかし、引き罠に引っかかるのでなくして、その引き罠を抜いて解いてしまって勝利をなさなければならない。何の話か分かった?

  いくら美人であっても、その女性が誘惑したといっても、個人の欲望のためにその道をたどっていくことはできないというんだね。正義の道を立たせるためには、善なる教育からしていかなければならない。そういうふうにして、サタンのすべての雑多な男女関係に、引っ掛けていって、堕ちるようなことをしてはいけない。そういう伝統的な基盤を立たせなければならない。そうしないというと、個人完成、男性基盤が地上に生まれてこない。
  

◆エバの再創造と家庭安息基盤の確立

  そういう個人完成した場合は、次に何をするか。エバを再創造しなければならない。エバはアダムを型どって造ったんだからね。神はアダムを造って、アダムを標本としてエバを造った。それは何を意味するかというと、再創造原理において、アダムはアダムの責任を果たせないで、エバを堕落させたんだから、アダムは再び、エバを創造しなければならない。もう体は造っているんだね。サタンがもっている。それをサタンから取ってこなければならない。そういうような地上基盤を天は準備するんだね。それで、二十歳以下じゃないといけない。だから、その年齢の何も知らないお母様を連れてきた。それは再創造だ。「君は絶対服従」。七年間の期間、それは、七〇〇〇年の歴史の蕩減復帰だ。七年の期間、服従しなければならない。あらゆる面において、どんな場においても、その旦那さんに服従しなければならない。

  こういうような過程を通じて、父母の日を決定して、子女の日を決定し、万物の日を決定して、神の日まで行くにはこれだけの内的問題、いろいろな問題を蕩減復帰して、御父母様自体がすべてに讒訴圏を乗り越えて得た勝利の条件を満たさなければ、神の日を決定することはできない。神の日は完成したアダム、エバの出発基準を意味するんだね。そこから一九六八年から、その基準によって統一教会は何をしたかというと、先生が家庭を中心として出発するんだから、その時、祝福家庭、一二〇家庭までを全部、全国的三年間迫害の道へ追い出した。蕩減生活である。その三年蕩減の基盤を中心として、先生はアメリカへ大移動するんだね。民族的家庭基盤を完成した基盤の上に、歴史をつなげて、世界の中心地であるアメリカに向かう。それは七〇年を中心に、そういう意味で、三年間の家庭出動を命令した。それは国家的家庭蕩減だ。いろいろなことがある。子供をそれはもう孤児院に入れたり、ある時には自分の親戚に子供を夜に預けたままみ旨の道を行く。

  人類の過去の歴史にあったすべての女性が、その親が、子供に対してやったと同じようなことを、この期間に家庭を中心としてやらなければならない。それで、先生はいろいろ迫害された。統一教会の家庭自体からもそうだ。「祝福家庭が生活できる基盤づくりをしたのに、やっと何とかして仮小屋を一つ造って、鍋とか匙とか箸とか、家具なんか、みすぼらしい物だけれどちゃんとそろえたのに、先生はそれをまた、みんなけとばして、ぺちゃんこにして、なぜまた追い出すのか」。いろいろ不平を言う者もあったんだね。それでも「おい、行け!」。それはなぜ?家庭完成基盤を得るには原則がある。氏族的蕩減をなさなければ、家庭安息基盤は生まれてきません。個人完成安息基盤を得るには、家庭安息基盤において勝利蕩減をしなければならない。蕩減復帰して勝利した基盤を得なければ、個人安息基盤は生まれてきません。それは鉄則である。分かりました?
  

◆アメリカ、韓国の救いのために

  それで家庭蕩減のその三年が終わり、先生はその基盤を中心として世界へつなげたのが七七七双。世界につなげて。その後に、世界の新しい主体圏に向けて、アメリカという地に飛ぶことができた。その背後をサタンはよく知っている。韓国のその空港からもう三カ国を通して、日本を通して、カナダを通して三カ国、四位基台をつくった。韓国、日本、カナダ、アメリカ、四カ国だよ。みんな原理的だよ。

  それで、着いたのが一九七一年十二月十八日だね。ちょうど、リトル・エンジェルスがカーネギーホールで公演する、その時だった。まあ、そういうふうにして、アメリカに大移動した。その時は誰も知らない。先生がアメリカに行くことは、先生と神様以外には分からない。金協会長も知らなかった。その時の先生の説教をずっと読んでみると、みんな、その内容を言っているよね。そういうふうにして三年半以内にアメリカにおいて、イエス様の苦労の道を蕩減復帰しなければならない。

  アメリカに行って何をしたかというと、キリスト教圏を中心として、大々的復興会をした。その時は、七四年の時には大歓迎を受けた。その時の先生は、いろいろな賞状をもらった。一二〇〇枚もの賞状をもらったんだね。市民権を得たり、いろいろの名前をもらって大歓迎を受けたよ。その時大歓迎を受けたというのは、韓国においてキリスト教が反対したんだけれど、世界の全体的キリスト教はアメリカだね。だから、アメリカを中心として歓迎される基盤をつくれば、韓国から反対されたキリスト教の過ちを復帰することができる。それで一九七四年の十一月二十四日までの全国的大復興会の時に、アメリカの教会すべてが歓迎した。勝利の歓迎を得てそのあとに何をした?それ以降に、七五年四月一日を中心として、IOWCを引き連れて西欧文明のキリスト教文化圏を韓国にぶっつけた。韓国に西欧的なキリスト教、西欧キリスト教中心の二世が来た。それで、釜山から統一教会の機動隊を中心として回った。

  二〇〇〇年前、ローマとイスラエルとユダヤ教と組んで、イエス様を殺し反対しただろう?

  今は反対にアメリカと韓国と組んで、それはイエス様と一つになるように統一教会と一つになるんだね。韓国でそれを蕩減復帰だ。それで、釜山、大邱\D00C\D00E11、大田、それからソウル。四段階目に完全に勝利した。どこまで行ったかというと、ヨイドのその大会まで、一二〇万の大会まで拡大して勝利した。それで、そういうような基盤をつくってアメリカで実践部隊と共に七六年のヤンキー・スタジアム大会とか、ワシントン大会で実践だ。こっちは質が違う。アメリカは先生の話聞け!それは、先生の話を聞けというんだね。それは、大会の内容がそうだ。アメリカは火事になったんだから、火事になった場合には外から消防車を呼ぶ。アメリカを救うには外から来た者が救ってあげなければならない。それがレバレンド・ムーンである。

  病気になった時には、医者を外から呼ばなければならない。それは何かというと、アメリカの病気を治すには、統一教会、レバレンド・ムーンしかいない。そういうことを、みんな正面きって言うものだから、これはもうしゃくにさわるどころではない。腹がむくれて仕方がないね。それで上から下まで総動員して、レバレンド・ムーンに対して総攻撃時代に入った。それでフレーザー委員会が旗揚げした。共産党とフレーザー委員会を中心として、七七年から本格的に闘争時代に入るんだね。その時に、朴普煕氏が先頭に立って闘った。朴さんの立場は、天使長の立場と同じである。天使長の闘いだ。なぜ天使長かというと朴さんは既成家庭だよ。(三十六家庭のうちの)アダム家庭、最初の家庭だからね。それは、アメリカを中心として誰かが勝利しなければならない。聴聞会は、もう闘争だね。フレーザーに対し真正面から攻撃する。今までの歴史において、そういう抗議をされたことがない。

  カーターと正面衝突した。それはもうカーター就任中の四年間。説教は毎日カーター攻撃だ。「民主世界を売る者である。共産主義のその手先だ」と。だから、カーター時代はもう大変だった。先生に対して、「政治的だ、怨讐だ」と言って、世界の大使館に統一教会のメンバーが通行できないように封鎖していた。それを日本もまねた。ドイツもみんなまねた。しかし、もうすぐ三年以降にみんな解放されると思うよね。それ解放しなければならない。

  思想においても、統一教会は完全に優位な立場に立っている。それは大学教授らの知識階級は先生を支持している。大学界において学生活動を中心として共産主義運動は、いよいよ大混乱に陥っている。それで、法廷闘争しながら言論界動員。それから経済問題。それから、司法協会。いろいろ最高基準の結束基準を成し終えて、今度帰った。
  

◆今は世界的出エジプト路程の三年期間

  だから、この前も言ったように投げ網をずーっと投げて数千匹の魚にかぶせて、紐を伸ばしておいて、時が来た場合には、ああ、春だ、時になった。いよいよ必要となった場合には、巻く。ウィンチで巻けばいい。神様がね。それで、引っ張る紐は何かというと、統一教会の思想である。統一思想のその縄に引きずられて巻かれていく。そうしたら、その中の魚はみんなどこの懐に行く。神様のところへ行く。すべてが神様のところに。だから、こういうようなまっただ中において、最後の決断をなして出動命令をなす時が来なければならない。それが今の時期である。もう過ぎている。三月一日、そういう命令を出してアメリカにおいて全員動員した。それはカナン復帰において、カナンの地を前にし、三年をあとにして訓練する時期である。

  エジプト時代において、三日を中心として、我々の神に侍るように期間をパロに願ったと同じような自由期間三年。そこではもう死に物狂いに活動しなければならない。自由期間三日と同じようにね。そういう神に忠誠する三日を願ったと同じように、その期間に当たるその三年が今からの三年期間である。分かりました?その荒野において、六十万人の一世はみんな、それは鷹の餌になって死んで行ったんだけど、後世、二世は、カナンに入った。今も、アメリカの地とか、日本の地とかの第一世は統一教会にみんな反対した。しかし、二世は分からないね。

  我々は二世を生育して二世を整備する。今、三年の荒野の中にある。廃れたその立場に飢え死ぬような境地に追われていても、そこにおいて国を愛し、祖国を愛する熱情によって、すべての環境を克服する熱情と信念と出動の訓練をするのが今の三年間であるというんだね。分かりました?その訓練をなさなければカナンの七部族を解放できない。だから今からそれを訓練しなければ、その共産主義を壊滅させることはできない。荒野の果てに立っておる我々統一の信徒は、決意を固めて天の心情を中心として、天の心情の兜をかぶれ。いかなる時でも、征服しなければならない。実戦場に向かう勇士をつくらなければならないのがこの三年間の使命である。分かりました?

  だから、世界の果てのどこでも、二十四時間どこに行っても、勝利の旗を揚げよ。町は町、市は市、郡は郡、村は村で、いずれの津々浦々の一軒の家だに残さずして、そこにおいて勝利の優勝者たる、優勝兵たる使命を果たさなければ、天意にかなうイスラエルの全体的使命を果たし得なかったことになる。この期間に、「統一教会は荒野の道を越えてカナンに行く群れである。統一教会をリードするレバレンド・ムーンはこの時代のモーセと同じである」ということを早く、はっきりと、絶対に宣布、通告しなければならない。分かりました?

  この期間が三年の期間であって、そういうふうにして反対するすべてを踏み越えて、我々は神と世界のためにすべてを捧げる。我々は国があっても国がない。家庭があっても家庭がない。すべてを神の一念に任せてその声に従う。神とその理想の世界万民の愛の世界のためにすべてを捧げて、絶対服従圏でもって捧げて一体化して、超国家的、超民族的に、そのエリコ城に向けて直進して行かなければならない期間がこの三年間であるということが分かりました?

  何ら躊躇することを許さない。すべてを投入する。力があれば、力を投入せい。すべてあるだけの尊いものすべてを天意に任せて投入する。そればかりでなく、命と共に神の愛の心情をそこに打ち込んで、すべが砕けてなくなっても愛の心情は永遠に残るという信念でもって進んでいかなければならない。こういうような歴史的、最終着点に立っていることを各人が知らなければならない。その場にあって我々は敗北者になってはならない。敗北者は悲惨である。勝利者にならなければならない。超民族的、西洋、東洋の統一教会のメンバーは氏族を超えて、国を超えてその一点に花を咲かせる。火をつける。そして一緒に爆発する。爆発すれば心情世界に新しく生まれてそこで再復活する。神様も復活する。神の解放圏がそこにおいて生まれる。こういうような偉大な蕩減復帰基盤を目前にして、前進する今の我々の隊列であることをはっきり知らなければならない。

  こう見た場合には宗教全体もそうだ。今年になったら、神様会議が三年目である。「ゴッド・コンファレンス」。それで、今年も全宗教を動員してその中核のメンバー、若い者をずっと結束する。そういう「ワールド・ユース・フォー・ゴッド・セミナー」をやっている。世界を含んでいる。宗教界を超え、人種を超えて、結婚を中心として組んでいる。それから知識を超えて組んでいる。あらゆる方面を組んでいる。だから、今から世界の知識者は考えている。「世界的に考え、世界的に活動する歴史的人間を数えてみれば、それはレバレンド・ムーンしかいない」というように、知識階級の人たちがもう、そういうふうに認定するようになった。

  だから、世界的問題はレバレンド・ムーンがやらなければならないという基準にまでなっている。今度この三年間で我々がその使命を果たす。天が支持する勝利の基盤をつくった場合には、完全にマスコミが新しく我々について書き始める。そう見るよ。その時は、日本で反対されるムーニーの、蕩減復帰条件を必要とする迫害の時代は、我々の目前から永遠に消えていくだろう。行く先々に歓迎の歓声が天を衝くほどに、それはとどろきあふれるであろう。

  そうなれば、我々はもう伝統をつくったね。伝統的家庭基盤をつくった。世界宣教師を中心として伝統的教会をつくっている。そして思想の目標は統一の世界、一つの国を慕っている。「私の誓い」と同じようにその国は一つの主権であり、一つの国民であり、一つの国土であり、一つの文化である。一つのその真の父母を中心とした血統でつながっている。心情圏によって犯すことのできないそういうような理想的な後継者になるというような誓いをすべて成し得る。聖書の、「怨讐を愛せ」というすべてが成し得る。聖書で教えたイエス様のその教えについて、一般のクリスチャンは、怨讐は個人と思ったのに、そうではない。統一教会は怨讐国家とか世界とか、国家を中心として愛する。怨讐国家圏に天国出発基準の目標をおいている。怨讐国家の中心点に天国の出発点をおかなければ、伝統的基盤をつくって出発をなさなければ地上天国は生まれてこない。こういうふうにして伝統を立てたならば、いかなる歴史が続いてもこれ以上の思想、これ以上の消化する主義は生まれてきません。最後だね。四大怨讐国家による世界的基盤を中心とした、勝利的天の伝統の基盤の上に天国を出発せしめる。それをなし得た場合には、そこから地上天国は始まる。分かりました?

  それで今、この三年間は全体蕩減。もし三年でできなければさらに三年、我々は延長できる特権をもっている。六年間。三年間に全体蕩減。蕩減して何をするか。復帰。復帰は何の復帰か。完成。個人復帰は、アダム個人完成は、家庭完成の基であり、氏族、民族、国家、世界の完成の基であるんだね。そういう基盤がなされる。それで、先生が全体的蕩減条件を立てて、サタンから勝利的基盤を得て、それを縮小して、君たち万民ともどもが、それを成し得るような環境的勝利圏を授けるためのものがホーム・チャーチである。それは、カナンの福地を復帰した時の遺産を譲与する基盤である。分かりました?
  

◆なぜ怨讐を愛するか

  今、我々のカナンの復帰はどこか。地球上。地球上がカナンの地である。地球上全体にもう既に勝利の条件を得て、ホーム・チャーチ基盤拡大は国境を超えて、主義主張を超えて果たしつつある。今、共産圏でもやっている。それが広がって共につなぐ時には、天国になる。だから、ホーム・チャーチはカナン復帰し、それは土地分配されたと同じような所有物になる。所有地、自分に属する所有地になる。堕落しなかった人間は宇宙を所有する権限がある。ホーム・チャーチは宇宙を所有する条件物である。分かりました?

  万物とそれから人々、それから父母、それから神様。だから、ホーム・チャーチを通さずしては、真の父母と天の神様と一体化する平面基準を果たし得ないから、その基盤を通過しない者は天国に行かれない。行くようになっていない。だから、天国はホーム・チャーチを通して行くようになる。ホーム・チャーチをもたない者は天国に行かれない。それは原理的だ。それは何の異論もない。こういうような、全体的、総合の蕩減の内容を原理を中心として、勝利的な基盤を成し得てホーム・チャーチをレバレンド・ムーンが八〇年代に発表したということは、これは福音の中でも人類の福音である。

  この中から地上天国、この中から神の解放、この中からすべての理想国家、すべての理想天国が生まれてくる。我々が直接、平面的生活圏内にこれを受け継ぐようになったということは、これ以上の福音はないというんだね。それなのに、そんな貴重なものを神から授けられたにもかかわらず、そこに行ってもみないね。毎日毎日、何十回、何百回そこへ行って走り回って、疲れて死んでしまっても感謝すべきなのに、いつになっても一回も行かない。その分配した所をもたない者もいる。それをしないというと、カイン的氏族を得なければ、アベル的氏族は復帰できない。分かりました?

  アベル的自分の家族を復帰するには、カインを先に復帰しないといけない。これが宗教世界の一番難しい点だ。それを今まで分からなかった。先生が生まれてきてみんな教えているのであって、今まで誰も分からなかった。なぜ怨讐を愛するか問題だ。なぜ神様は、それを残して今まで闘ってきているのか。サタンなんか一遍に切ってしまえばいいのに、全知全能の神がなぜそのままおいておくのか。宗教、哲学が質問する重大な問題だ。なぜか?なぜ?分からないんだね。あなたたちはそれをはっきり分からなければならない。

  サタンは今何をねらっているか? 神様をちゃーんとねらっている。「神様が神様になるためには、永遠なるその理想の基準を永遠に保つお方でなければなりません」。それを神様に言ったら神様は、「それはそうだよ」と言うんだよ。サタンは言うよ。「神様、わしをそもそも天使長として立たせた時には、一時的に愛するために立たせたか、永遠の愛のために立たせたか」。神様困るよ。どう答える? (永遠に愛するためです)。一時的に愛するためにやったとしたら一時的神様だ。永遠に愛するという基準をもたなければ、サタンの前に神様の権限を押し出すことができない。だから、神様が神様になるには、サタンがいかなる世界をかけて反対しても神は神でなければならない。神様が愛した条件基盤を強要した場合には落第だ。大変なことだね。「わし(サタン)は堕落して、こういう悪い者になったんだけれど、君(神)は、善なる者は変わったりするような、わしに似たような方法をとることはできないじゃないの。わしは喧嘩好きになっても、君は喧嘩好きになったらいけないじゃないの。ぶたれても黙っていなければならないじゃないの」と言うんだよ。無抵抗主義だね。

  それはなぜか。世界に天国理想、悲願の世界を果たすまで、いかにつらい立場においても天使を愛すべきなのが、神の理想ではありませんか。神は、サタン圏内において暴れ回るといっても、罰するとか切ってしまうことはできません。どこにおいても愛したという基準を立て、サタン自体が、「ああ、実に神様は神様である。参りました」と告白しない以上は、神様は権限を振るうことができない。それが問題だ。分かりました? その問題で神様は紐で縛られている。どうにもならない。だから、天国に行くには、サタンが試験してみる。神みたいに神の子たる者は天国に行くようになっているから、神様がそういうような立場に立って、サタンを愛によって屈服させていかなければならない基準をとっているとするならば、神の子供としては、その道を行くのが正義の道であり、伝統的親から受け継いだ子供の行く道である。ちゃんと理論的である。

  だから天国に入りたい者は、みんな神様の位置と同じような立場に立って、サタンを愛した条件の権限をもたなければなりません。愛はどのくらいか。世界的に迫害されても、世界的な怨讐圏に立っても、愛するという条件を満たさなければならない。そのことは神も引っかかっているし、神の子供になろうとする宗教界のすべての者が引っかかっているというんだね。これは大変だ。内容は簡単だけれど、神様とサタンの戦いの、天下分け目の境界線になっているということは誰も知らなかった。この峠を越えるのに、神が敵を敵として、怨讐を怨讐として、それに復讐するという思想をもったとすれば、絶対にこの峠を越えることはできない。そういう観点から、神はどういう作戦をしたかというと、「怨讐を愛せ、怨讐を愛せ」。説明は通じなくても、説明はしなくても、結論として言うのは、「怨讐を愛せ」ということである。

  だから、イエス様が神の愛をもった神の相対者、第一の子供として生まれた以上は、サタンの前に立って、自分を殺そうとする怨讐に対して祈ったということは偉大なことだ。偉大だ、それをしたんだから。イエス様は死んでも、怨讐に対して敵愾心をもったら摂理は逆転する。愛の主張でもって乗り越えたんだから、サタンはそこから屈服する。神の子供になり得る資格が立つ。サインするんだね。神の前にあって、「おお、サタン。わしは神の子供に違いないだろう?」「はい、はい、よろしゅうございます」「わしみたいについて来る者は、今から神様の愛の相対圏を拡大する。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界圏を拡大するのに意見はないだろう?」「はい、それは原理的だから仕方ありません」。

  こういうような契約の条件に従って、キリスト教文化圏を中心として摂理を進めてきた。犠牲の道、殉教のそういう境地、血だらけの境地において神を愛する主張をする運動。それは家庭運動、社会運動、国家、世界運動。反対した国家を愛するキリスト教の愛によって、その反対したローマ帝国が屈服される。カインが屈服する。そういうふうにして世界的な宗教になった。分かりました?
  

◆総進軍の三年間

  君たち、それを考えなければならない。それで先生から見れば、日本民族は怨讐だった。殺害したり、いろいろなことをしてたね。「あいつ」と言ってね。もう怨讐だったんだ。しかし敗戦後には先生は日本人を愛した。追われている敵をね。分かりました? それで、今、日本の若者がなぜ、文先生に永遠の命を懸けてやるのか? 因果原則によって報いなければならない。国を超えて神の心情的み意に従って、世界に向けて、国家的怨讐を愛して、愛して生きる道に導くような心情的基盤を植えたんだから。それはもう、かかわった警察などは先生の話次第ではみんな銃殺なのに、しかし、荷物を造って帰した。今の日本のあなたたちは、それはもう捕囚だね。自分も知らないで、それは天に従っている。それから、イギリスはキリスト教文化圏であった。日本をさておいて、神様が他の国を選んだらどうか。しかし、一番悪いその怨讐国家を中心として統一教会は出発した。分かりましたか? それは原理に合うだろう?

  また、日本人が怨讐であるアメリカを救うために、アメリカを救うために血と汗と涙をすべてを投入する。これは偉大なことだよ。これは、世界的サタンを屈服するその道を拓こうとする。その前にサタン自体が道を分ける。その運動をやっているんだね。だから、三十七年前に怨讐であったアメリカに対し、日本の若者がアメリカの地に行って命を懸けて死ぬ者がある。怨讐国家を救って天の国につなごうという運動を、今なしている。これは素晴らしい。これは歴史にないことである。それは何のためか? アメリカのためではない。世界のためである。世界のため。アメリカ人が今やっているのは、アメリカの伝統的基準をそのまま受け継いで働くことではない。この前、あのアメリカの責任者にはっきり言った。「アメリカ人は今、慣習的なその観念をみんなもっている。自由主義で教育された自動的な伝統習慣をもって、この世界的活動するのは駄目だ」と。「自分の環境を犠牲にして世界のためにやれ」と。「自分の環境を全部超越したときに、世界伝統を立たせられるということを考えれば、君たちも怨讐(日本)以上に働かなければならない。恥ずかしいことである。怨讐(日本)がアメリカのためにやっているのに、それを受け継ぐその国の者はそれ以上働く。日本に負けるな」。

  「ヨーロッパでアメリカ人と祝福受けたメンバー全部来い」。アメリカの運命は世界に通ずる。ドイツもそうだよ。ドイツ人を連れてきてアメリカを救え。アメリカは今単なるアメリカではない。世界民主主義圏を代表した、新しい文化につなぐ未来の統一教会の旗に立つべきアメリカ作戦のために世界動員をなしている。分かりました? 日本はみんな野原になっても、アメリカが生き残れば日本はたちまち生きる。神を知る者は何でもできる。だから今まで、ずっと十年間、みんなアメリカに投入だね。韓国のものをアメリカを助けるためにもっていく。この作戦を見てみた場合に、原理にふさわしいことを先生はなしてきたことになる。そう認めるの? (はい) 。異論はないだろう? そういうふうにして迫害を受けながら、統一教会は発展してきた。

  四大国家。だからエバ国家は、カインとアベルに伝統的精神を受け継がせたのちにアダム国家に入る。絶対服従なるアメリカ人とドイツ人を教育してから、そこから韓国の地に入る。それは原理観だよ。それを成し得なかった場合には、絶対帰ってこられません。

  エバ国家だから、ソビエトと中共がねらってとんでもないことになる。こういう観点から見た場合、韓国のその防衛問題は、日本の運命をかけた防衛問題である。摂理的観点から結論づけることができる。分かりました? だからそれを結合させるトンネルを掘らなければならない。早く……。日本の総力一億二〇〇〇万の総力を固めて。こういうような重大時期に入ってる。分かりましたね。

  今先生のやってるのは、最後の最後の終着点だ。歴史において、蕩減条件として四大国家を集めて、一つにまとめて祭壇に上げて蕩減復帰するというような歴史的意味をもったものはなかったね。これが始めであり、終わりである。はっきりしただろう。これを勝利した場合には天国は出発する。三年間こういうふうに一体化して、太鼓をたたいて、ラッパを吹けば我々に反対するものはないんだね。もう、レバレンド・ムーンをアメリカで支持する運動が起こっている。南米は完全に、「レバレンド・ムーンは歓迎」。こう言っている。それはもう、アフリカもそうだね。アジアもそう、アジア人もね。アメリカにおける日本人もね、「レバレンド・ムーン。レバレンド・ムーン」。東洋人はみんな気持ち悪くなって、「文先生、文先生」。中国人もみんなそうだ。だから反対されたマイノリティ(少数者)が完全に一つになって、今のマジョリティ(多数者)がマイノリティになってしまう。だから何十年の迫害の怨み、それを怨讐として復讐のためにそれをみんな消耗するんじゃなくして、敵を救うために消耗する。素晴らしい神の愛なる思想だね。我々はこういう思想で行くという決意を固めなければならないこの瞬間である。どうだ? これを成せばここにおいて完全蕩減を成し得たんだから、完全蕩減は完全復帰に通ずる。完全復帰は何に通ずる? 完全完成に通ずるのが原理的、原則的な理論である。

  きょうのタイトルは何だったかね?(全体蕩減)。全体蕩減、全体蕩減は何を目標としているかというと、全体復帰完成のためである。それが理論的すべてだ。分かりました? 全体的蕩減。四大国家を蕩減した場合、これが神様にみんないいものを捧げるよ。みんなこれ四カ国がもってる。韓国は何をもってる? (精神)。宝の思想をもってるし、日本は美。それからアメリカは力。ドイツは技術、頭。世界をみんな統合して余りあるものをもっている。全体として見れば、そこにはいろいろ入っている。女も男もみんな。個人蕩減、家庭、氏族、民族、国家蕩減まできて、こういう世界蕩減基準をサタン世界の本拠地(四カ国)であるここから、新しい天国の伝統的その出発点をなせば、そこから地上天国はもう理論的に可能である。どうだ? (そうです) 。

  こういう立場で見ても、四大国家群の怨讐国家が集まって、そのまっただ中に、その国の中に天の国の伝統的中心点を立たせて出発する。まあ、こうなれば地上天国は遠くない。地上天国は間近に来たということがはっきり分かるだろう?それで全体蕩減、全体蕩減は全体何だ? (完成)。分かりました? (はい) 。では今度帰れば、もうヨーロッパも、四グロも、八グロも、ニグロも、もう何もない。全部が一つになって、総進軍、死にながらも感謝しなければならない。だから今度、日本に帰るメンバーはアメリカの三倍以上の活動が必要である。はい) 。道端にみんなもう倒れても、枯れた木みたいに倒れても不平言うことができない。その精神で、三年間はもう断食しながら一日一食でもやっていくよね。

  それはもう歴史的だね。そういうふうにして帰れば、間違いなく三年間は、もう獄中に追われた者と同じく、もう忍び忍んでたまりきれずして、もう口開けて気違いみたいに、三年はもう津々浦々まで、どこまでも声を出して回るとかしてね。それはもう信じてもいい、信じなくてもいいというんだね。声だけ聞けばそれで完成される。分かりました? (はい) 。だからラジオ放送、それを考えている。アメリカを中心として、いかにラジオ放送で世界的放送をしようかと。人工衛星を使って一週間やったら完全に終わるんだね。統一教会の使命も三年もいりません。一週間たったら世界すべてが通ずる。かえって田舎の者がラジオなんかもう、テレビなんかよく見るよね。(笑い) そういうふうにして、三年間においてエジプトにいるイスラエル民族にいかに伝えるか、もしもそのイスラエルが山の奥に行っていたとしてもそれを通達しないと、その祭司長が引っかかる。共産党までも、ちょっと考え直さなければならないというように騒ぎを起こさせなければならない。分かりました? 日本では三年間どんなことをやっても、日本の津々浦々に、日本人たる者にみんな通報しなければ管轄の責任者たちは霊界で引っかかるよ。これは注意としての話ではない。本当にそうなる。事を成した場合には、君たちは七十代から一二〇代の先祖を動員する。解放することができる。もしもそれが可能だったとするならば、霊界は自動的に地上を援助するんだからね。七十弟子、 一二〇門徒圏を地上圏内に、自分の氏族を中心として自動的に編成可能であるというんだね。偉大なものだ。

 だから、君たちがここに入ったのは、君たちが立派な顔をしているから入ったのではない。先祖のため、君たちの先祖のために入ったんだ。何千代のその先祖がみんな犠牲的、奉仕的に神様の声に従うような一念のもとにおいて善なることを成し得て、その先祖たちの善なる、善すべてを集めて、その功労の結実体として統一教会に入っている。だから君たちが先生の時代に集まって、そうして会ってから、その命令に従わずして落第生になったらどうなるか? 霊界へ行ってみな。これは先祖たちはみんな怒るよ。「この野郎」。大変なことになる。君、統一教会に君のために入ったと思うな。背後の先祖の功労によって入教させたのに何で落第したのか。我々がもし霊界へ行ったら、それはその最初の目的を成し得た者として侍られるべきなのに何だ。霊界へ行って立つ所がないよ。君たちが偉いからではない。先生がこんな、そういう歴史的使命を果たすために来たと考えているとするならば、神は相対圏を自動的に準備するようになっている。環境を創造して、相対自体創造するのは創造原理じゃないの。だから先生は来る前にみんな霊界で準備して、その相対者として会うようにして、みんな集まって来たのに、自分の一瞬のその安楽をむさぽるようなそういう態度は許されない。

 だから、今までの観念を早く全体にきれいにして、きょう先生に会って得た基準によって、全部を固めて打ち込んで乗り越えなければならないというような決意を固める。分かりました? (はい)。今度から昔みたいな活動をしたらいけない。奥さんも先頭に出せ。子供もみな。君たちそうだろう。自分の子供を先に愛することはできません。それはサタンの諌訴条件から見た場合に、神のその子供になるには、サタン圏を全部愛した条件を達成した証明書を持って自分の家に帰って、自分の子供から、自分の家族から、自分の氏族、民族、国家を愛するようになっている。

 だから、先生がそうだ。今の今まで先生の生活はそうだ。原理どおりに生活をしている。先生の子供、みんな放りっぱなしているよ。イースト・ガーデンにいても、毎日先生が教育するのではない。アダムの教育は誰がするのか。天使長がやる。神様がその使命をやるのではない。先生の子供を誰が教育するのか。三十六家庭が教育しなければならない。その伝統的教育姿勢をつくるべき基盤が統一教会にない。だから先生の子供たちに対して、みんな三十六家庭の祝福家庭において不平を言う者がいれば大変だ。誰がそれをなだめて、平らげてやるか。それまで先生がしなければならない。だから先生がそれをする。蕩減復帰、個人的カインを愛さないと家庭的カインを愛する基盤をもつことはできない。家庭的カインを愛する基盤をもった者は、氏族的カインを愛さなければ、家庭的カイン圏を復帰できない。

 氏族的カイン圏を復帰するには、民族的カインを愛した基盤でなければならない。これは復帰の原則だよ。民族は国家、国家は世界、だから世界のためにいつも先生は全部を犠牲にしている。先生は生涯かけたすべて、統一教会の精髄をみんな打ち込んで、世界復帰のためにアメリカに向けて、今やってるんだね。それは、子供も家庭も国も統一教会もそういうふうにして世界蕩減条件を立たせたのちに、帰ってきて初めてカインを愛したより以上愛する伝統を立たせることによって、愛された者がついてきて、それを愛することによって、平面的基準において本当の天的アベル家庭とカイン的家庭が愛に結ばれる。カインとアベルと先生の子供をつなぐことによって、蘇生、長成、完成基盤によって、 一つの中核を中心として世界の母体伝統が築かれる。それは原理観だよ。

 君たちは君たちの子供を愛することはできません。日本人を愛して先生の子供を愛したのちに、日本人が認め、先生の子供が認めたのちに自分の子供を愛するようになってる。こう考えてみると三十六家庭みんな引っかかっている。蕩減は先生の家庭が受けるというんだね。責任者でなければ蕩減できない。先生の子供に何かあってもみんな蕩減条件。先生は何とも言わない。「なぜ、そのようなことをやる!」と言って打ったら三十六家庭みんな打たなければならない。切ってしまったら、みんな切ってしまわなければならない。自然屈服を願いつつ、愛でもって消化運動を目指していく。分かりました?

 だからそれには、統一教会全体の運命がかかっている。批判するとか、そういう立場ではない。サタンはそれをねらって攻撃してくる。攻撃の前に愛の心情圏をもって防備して、サタン自体もひざまずく一日を願って国家基準を超えた場合はすべてがOKだ。分かるだろう。国家基準を終えればすべてがもうおしまいである。それで法的時代が来る。天的憲法時代が来るよ。今度、先生がアメリカを立つ時、ある有名な憲法学者を呼んで宇宙憲法草案を指示してきた。そう見れば、もうすぐ門前に来ている。総合的なこのバックグラウンドのその全体的理論的な観占から見て、自分の立っているところがいかに貴重なる立場かということをはっきりわきまえて、自分の今の姿を正して、方法をわきまえるべきなのが、今の瞬間の期間であることを、分かりました? (はい)。今から三年路程においては、そんな歴史的な過ちを再び繰り返さないように各自注意して前進すべきことを先生は頼む! (はい)。そう決意する者は両手を挙げて天に誓いましょう。(はい)。じゃあ祈祷しましょう。

 天にいます尊きお父様。長い歴史を通してのあなたの恨みの道を解放するために数多くの宗教を立たせて、数多くの指導者を犠牲にしながら、 一日の勝利の的に向けて進められてきた歴史的なる課題を考えるときに、いかなる犠牲を払い、いかなる犠牲者を出したかということを思いますとき、天に向けて申し訳なく感ずるものでございます。どうか新しい時代を迎えるように神様が準備なさいまして、統一教会をこの地上に誕生させ、先生をこの地上に来たらせて、こういう膨大な内容を瞬間の期間に解読なさしめ、理解し得るような立場に立たせた偉大なこの場を我々は両腕を挙げて神に感謝するものでございます。神のみ旨のために誓い誓って、いかなる戦場でも命を懸けて進むことを決意しました。どうかこの決意を喜ばしい心でもってお受けくださることを切にお願いするものでございます。ここに国を超越して各国の代表の者たちが集まりました。この集会のすべてを神が管轄してください。天の愛を中心として一体化させ、神が怨讐を自動的に屈服させてその圏を拡大してきたその内容もはっきり分かりましたから、今いかなる環境におきましても、その伝統のみ旨に逆らうような行動をなさないという誓いをいたしましたことを感謝するとともに、今後ともいかなる迫害の内に立ちましても、突進して余りあるような各自になるように一層励ましてくださることを切にお願い申し上げます。残りの時間を守って未来の生涯とともに、未来の国家、世界の運勢を神のみ旨に引き付けるまで我々は前進に前進を続けることを誓いましたから、み旨にかなえ得る方向をもっていかれるように指導してくださらんことを切にお願いしりつ、すべての祈りを真の父母のみ名を通してあなたのみ前にお捧げ申し上げました。 アーメン。













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