御旨と世界
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真の愛を中心とした本然のエデン

1984年5月27日 ニューヨーク ベルベディア



 皆さんがエデンの園と言ったとき、聖書に出てくる善悪の実の問題を中心として、そこに神様と人間と天使たちがいるという場面を私たちは思い起こします。 「善悪の実を取って食べるな」という神様の啓示は、今日の一般のキリスト教において言われている善悪の実ではなく、愛の問題を中心として言われたみ言であるということを私たちは知っています。皆さんも御存じのように、神様のみ旨は創造理想を実現することでありました。ではその創造理想は何かといえば、それは四位基台の完成です。四位基台とはもちろん、神、父母、子女をいうのであります。では四位基台の中心は何でしょうか。その中心は神様でもなく、アダム、エバでもなく、子女でもないのです。真の愛のみが中心となることができるのです。 では、愛の出発はどこでしょうか? 誰がその愛を考えたのでしょうか? それが問題です。愛の出発は誰なのか。これは、神様が愛の理想を中心として出発したということに異議はありません。アダムでもなくエバでもなかったのです。すべての被造世界をつくられた主体なる神様がおられるとしたら、神様がその中心の愛を考えたのでしょう。 皆さんの目にも、右の目、左の目にフォーカスがあります。三点を連結できるものがあります。そのポイントに合わせれば見ることができるのであって、このポイントが少しでも違ったら狂ってくるのです。では、スタートしてから、動く主体としての神様の愛はどこへ行くでしょうか? 神様が中心となって、来なさいと言うのであります。それは神様がじっとしているのでなく、神様も動くのです。神様は万能ですが、それでも何か願いごとがあるのでしょうか。願っている何かがあるのでしょうか。もし願うことがなかったなら、ストップしてしまうのです。そうではないでしょうか? 願うことがなかったなら無の状態で停止してしまうのです。すべての存在は停止してはなりません。停止していればそれは退化していくのです。このように見る時、神様においては全知全能であるからお金が必要でもなく、知識が必要でもなく、権力が必要でもないのです。しかし何も望まないとすれば、それはストップしたことになってしまいます。そこで神様が必要とするものは何かといえば、愛なのです。神様も愛が必要なのです。神様が希望するものがあるとしたら、その希望を中心としてすべてを活用したいと思うでしょう。お金も活用したいし、知識を活用するとしたらそれはいいですが……。それで神様にお聞きします。あなたが必要なものは何ですか。知識ですか? 「さあ」。権力ですか? 「さあ」。ではお金が必要ですか? 「さあ」。では何が必要ですか? それは最も貴重なもので一つしかないのです。その一つしかないものは何かといえば、真の愛なのです。では神様、真の愛が必要ですか? 「そうだ」。(笑い) それしかないのです。 お金とか知識はすぐに作ることができます。しかし愛は直ちに作ることができません。愛は探し求めていかなければなりません。愛には行くべき道があります。分かりますか? 愛は他とは異なります。それは未来や希望を表します。そうですか? (はい) 。 したがって神様はじっとしていることができずに、そこに向かって行かなければなりません。動かなければならないのです。愛を創造するためには、未来の過程を残しておいて、自分の全体を統合した内容を整えて作用することのできる時間的、距離的内容が必要です。分かりますか、何の話か。さらに愛を探し求めたならば、そこで終わってしまってはなりません。より大きく、さらに大きいものを神様は必要とされるのです。愛は神様が探し求めていく永遠なるものです。皆さんはどちらが好きですか。最初は小さくても、だんだん大きくなって永遠に発展していくものが好きですか、それとも最初は大きくてだんだん小さくなっていくものが好きですか? (笑い) それで神様も真の愛がこれぐらいのボールだとしたら、(先生が手で表現される)このボールがだんだん大きくなっていくのを好むのであります。そういう話ですよ。このようにして(黒板を使用)、この中に必要なものは全部あるというように、限界にまで大きくなって、作用することを神様も願っておられるでしょう。そしてここにいる者たちが(黒板を使う)そのような愛の理想に向かっていくときに、すべてがこれに調子を合わせながら、呼吸を共にするのがいいでしょうか。それとも反対したらいいでしょうか。それは真なる愛にすべてをゆだね呼吸するようになるのです。何の話か分かりますか。それですべては、真の愛に歩調を合わせ存在しなければならないということになります。 アダムは男子であり、英語からの内容を見るととてもおもしろいんだね。(黒板を使う) (笑いと拍手) 女にはwomanのwo(ウ)というのが付いています。それで英語の言葉において男と女とどちらが先でしょうか。言葉から見ても明らかなように、男が先であり女が後からで、男が上であり女が下で、男がプラスであり女がマイナスで、男が主体であり女が対象であります。 しかし位置を反対にし、自然を反対にするということは、「オー! 私は太陽も必要ないし、空気も必要ないし、水も必要ない」という言葉と同じなのです。男と女を運動させるものは何か。女の力ですか、男の力ですか。女の知識ですか、男の知識ですか。女の持っているお金ですか、男の持っているお金ですか。どうですか? (真の愛です)。 では、このようなことから見て、愛とお金とは交換できますか? (いいえ) 。今日、米国の女性たちはお金のためによく結婚しているでしょう。そういう女性は本当の女性ですか。偽りの女性ですか。また、知識を中心としている人もいますね。州知事であるから結婚するとか、何々大学を卒業したので結婚するとか……。どうですか? (事実です)。 女性は何のために生まれてきたのかといえば、お金のために生まれてきたのでもなく、知識や権力のために生まれてきたのでもありません。男性一人を探し求めるために生まれたのです。では男性は何のために生まれてきたのですか? 愛のためです。それは正しい話ですか? (はい) 。 先ほど言ったように、愛の伝統を中心としてすべては作用するのです。鉱物世界においてもプラスとマイナスになって、すべてが相対的になっています。それは動物界においても、また昆虫においてすらも同じことです。すべてが作用するので、歌わないで舞わないものはないのです。すべてが芸術的です。昆虫も歌を歌うでしょう。鳥や動物すべてが歌います。人間も同様です。このようにすべてが和合するのです。それは主体、対象の関係を中心としてです。同じです。そうしながら大きくなっていくのです。だからすべてはこのような主体、対象から出来ていて、それが各段階を通って発展しています。ある意味ではダーウィンの言う進化論が当てはまっているような、そういう具合に進化し発展しています。しかし進化論というのは、そのままが真実なのではありません。より小さな段階からより価値のある段階へと発展しているのが、進化の本当の意味なのです。そして小さなものはより大きなものに対して自らを与えます。それによって小さなものがより大きなものと同じ段階へ発展し、同じ価値をもったことになるのです。このような内容をもっているのが、宇宙の発展であり、法則なのです。だから小さなものは将来に希望をもっており、より大きなもののために、自らが対象となって、より大きな主体のために役に立つという、そういう希望をもっています。それは小さなものがより大きなものに対して、自らを対象となして価値を与え、そしてより大きなものと価値を同じくするという、宇宙の方向なのです。だからそれは愛の表れであり、小さなものがさらに大きなものへと愛を示すことになるのです。このようにすべての中に愛の動きがあるということがいえます。 世界に一人しかいないというくらい、誰からも羨しがられるような高い所にいる女性に対しても、愛を中心として私の下に来なさいと言ったら、「はい」と言うのです。そうでしょう。愛のみが極大になることも極小になることもできるのです。どんなに傲慢な女性も、(愛を中心として)下がれと言ったら下がらざるを得ないのです。主体が下に下がって行こうとすれば、対象である女性も下がって行こうとします。そのようなことができるのは愛の力しかありません。どうですか? (はい、そのとおりです)。 このように愛は非常に巨大なものであり、大きなものでありますから、神御自身も一つの場所にとどまることはできません。神様が堂々と一番頂上に構えているとしたらどうしますか? 小さな谷間には行くことができないのです。しかし愛をもっていれば行くことができます。 このように主体が何をしようとも、対象である女性はありのままにそれに応じていくというのが本来の女性の在り方です。愛があれば子供を抱き締めて、どのような汚いものをも飲み込むことができます。(笑い) このように見ると、愛は何と巨大で素晴らしい不思議な力をもっているのでしょう。どうですか? それで愛が好きなのです。どうですか? 間違ってるの? 合ってるの? (合っています)。 愛の中に神様が入るでしょうか? 神様の中に愛が入るでしょうか? どうなの? (神様が愛の中に入ります)。神様はどちらが好きでしょうか? (神様が愛の中に入るほうです)。どうして、どうしてなの? 神様の希望は大きくならなければならないので、神様はもっと愛を希望しておられるのです。そのために、神様は愛の中に入らなければならないのです。それで理論にも合うのです。何の話か分かるの? 神様も希望として願う愛なので、神様よりも愛のほうが大きいのです。私が愛を懐かしく思う時には愛を引き寄せ、愛が成就すれば私のほうが引っ張られていき、このようにして求心運動で回るのです。 それでは自然はどうなっているでしょうか。夏になれば虫とか昆虫が集い合い、小鳥たちが鳴く時、すべてが愛を歌っているのだということを知らなければなりません。このような時、「ハハアー、宇宙はこのようになっているのか」と、このような宇宙的神様に人間は歩調を合わせなければなりません。(どんどんどんとたたく音) そしたら神様は何と言われるでしょうか。「うるさい!」と言うでしょうか。座っておられた神様も、立って一緒にリズムを合わせるのです。(拍手) 分かりますか? 神様はそのように思って万物を創造されたので、私もそのように考えるのです。 本来、アダムとエバが手を取り合って通り過ぎると、宇宙はそれに歩調を合わせ、喜び反応し、神様もそれに対してすべての主体的作用を起こします。どんなに素晴らしいことでしょう。それは何か、昔話とか伝説のような話ではなく、今日、私たちの生活圏内における、感情の世界と連結する本然の世界であるというのです。直接的に今日の私たちの生活環境と接することができるのです。愛は退化しません。千年万年も続いている父母の愛、先祖たちの愛の原則は変わってはならないのです。そして万物間の境界線も非常に厳格な(愛の原則がある)のです。このように厳格なので、決してダーウィンの言うような進化論は当てはまりません。ダーウィンは、宇宙の本質を見抜くことができなかった無知で異常なる人間であったと言わざるを得ません。主体と対象の出会いということは、本当に厳格なものなのです。 ダーウィンのような人は狂人なのです。彼によるなら、人間は昆虫とでも相対になることができるということになるのです。人間は人間とのみ相対を結ぶべきであって、人間と猿とでは結べません。もしそうなったならば、どのような子供が生まれるのでしょう。(笑い) このように厳格なものがいかにして関連しているというのか、ダーウィンの論理で説明されていません。 では人間が愛し合うことについて、今日の米国式の愛が本来の人間のもつべき理想的な愛でしょうか? 自分勝手に一夜の外出をして、自分勝手に愛するそのような愛なのですか。自分たちが勝手にすることのできる愛なのですか? (いいえ) 。なぜいいえですか? 私たちの先祖を見ても、アダムとエバは何人もいたのですか? それとも一人でしたか? (一人ずつです)。絶対的に一人ずつです。今日のアメリカの男女のような愛ではなかったのです。 そこで私たち統一教会は、絶対なる基準に合わせていくのです。なぜそうしなければならないのでしょうか。なぜですか? 神様が一つの方向をもって創造されたので、アダムとエバも一つの方向をもって生まれたのであり、神様の願う方向に生きるべきであります。人間は生まれた時は小さく、成長するにつれてだんだんと大きくなっていきますが、人間の方向性は全然変わりません。例えば鼻は、小さい時も、大きくなってからも常に下を向いています。(笑い) 一つの方向しかないのです。二つの方向はありません。それはいいことですか? 悪いことですか? いくつもあったらいいのに、なぜ一つしかないのですか? それは真の愛をつくるためです。真の愛というのは三つの存在、神様とアダムとエバのいる所に存在します。だからその方向に向かって行かなければ、真の愛に出会うことはできないのです。 また、神様は二性性相の存在であり、その二性性相は立体的になっています。それに対して人間の二性性相(アダム、エバ)は横的になっています。(黒板を使いながら説明) それで、人間の男性と女性が出会う時に、そこに愛の火花が飛び交うのです。火花が飛び交う地点は真の愛の地点です。愛がスパークするのです。スパークすればアダム、エバばかりでなく神様も接触するようになるのです。そうするためにはどこに行かなければならないかといえば、この三点です。 電気のマイナスが生ずれば、プラスが必要であるということは考える必要もないのです。完全にマイナスになれば、プラスが訪ねてくるようになっているのです。宇宙はそのようになっています。それが自然です。なぜ女は男を探し求め、男は女を探し求めるかといえば、二人が合わされば(神の前に)マイナスとして現れるようになっているからです。それで神様と火花を散らすのです。全宇宙がとどろきをもって火花を散らすのです。(笑い) そのような時にすべてのものが完遂します。 皆さんが愛する時においてのみ、男性と女性の細胞は一〇〇パーセント作用するということを知らなければなりません。そのように愛し合う時に作用の力が働いて、愛を通じてその男性(父親)の細胞、女性(母親)の細胞を超越したあなたたちが生まれるのです。分かりますか。愛を通してすべてを得るのです。その細胞が眠っているとしたら選ぶことができますか。愛の力は闇も克服するし、死をも克服することができるのです。分かりましたね。 それでは、皆さんは夫を必要とし妻を必要としますか? どうですか? 結婚式を宇宙に発表するのはなぜかといえば、神様が臨在し、愛が訪れてくるようになるからです。何の話か分かりますか? それは(黒板を使いながら)プラスの要素とマイナスの要素との間に授受関係が結ばれるからです。天と地に通ずる男性の愛の心、女性の愛の心がこのような場において一つとなることによって、天と地が一つとなった愛の巣、夫婦生活の場となるのです。そこに神様が臨むようになります。このような愛を中心として見るときに、女性は、宇宙とも、神様とも交換することのできない価値のある夫が横にいることを知らなければなりません。これだけは永遠に残るものなのです。それはなぜかというと、(男性は)神様の代身であるからです。何の話か分かるの? 男性も同じです。女性は神様の相対的な性相を受けたお母様の代身であり、換えることのできない価値があるのです。それが一つとなって(黒板を使用)本来はここから生命が生まれてくるのです。これが真の愛を中心とした本然のエデンの園の人であります。このようになったとき、その子女は自分の子女ではなく、神様の子女となるのです。それが本来の子女なのです。これが原則です。 堕落とは何かというと、真の愛と反対の方向に行って、男性と女性がサタンを中心として出会ったのです。これまで地上には何十億という人間が生まれてきましたけれども、そのような創造本然の本質をもった子供はこれまで生まれてきたでしょうか。誰もいません。誰も、そのような子供を生んだと言う者もいませんし、またそれを探そうともしませんでした。なぜこのことをはっきり知っておかなければならないかといえば、堕落した私たちの生命は神様と関係がないからです。ですから私たちは、本然の姿と反対の立場に来ている自分自身を発見しなければなりません。そして本然の世界に戻っていくためには、いかなる冒険をしてでもという決意をしなければならないのです。これをはっきり知らなければなりません。何の話か分かりますか。これは間違いのない事実です。この事実を正さなければ、永遠に神様との関係を結ぶことができないのです。これがはっきりしなければ、堕落人間にとって宗教が絶対に必要であるということと、今日メシヤが絶対に必要であることと、真の父母が絶対に必要であることが分からないのです。 今日、統一教会では真の父母という言葉を使っていますが、この真の父母という観念はどれほど偉大なことでしょうか。偽りの父母から生まれたので、真の父母が現れて再び新生しなければ、創造本然の世界に戻って行くことができないというのが結論です。そこで、メシヤの使命とは何かといえば、メシヤは新郎であるからプラスであり、マイナスとしての新婦を探さなければなりません。このような内容があるために宗教の中においても新郎を探し新婦の基盤を整えてきた宗教が、理想世界へと連結することができるという結論になります。 有史以来、人間として完全な真の新郎の立場で来られるのがメシヤであります。メシヤは真の愛を示すために来られるのですから、真の新郎という概念が宗教にあれば、その宗教がこれから神様のみ旨を成就することができ、世界を一つにすることができるということは理論的です。 それでは、メシヤが新郎でメシヤの相対は新婦ですが、メシヤが来られる時、相対的立場であるイスラエルの国だとか、数多くの宗教者たちはどのようになるかといえば、地上の国家的次元においてマイナスの立場が完成されれば、主体(プラス)となる新郎が現れるのです。 ユダヤ教を立てて、イスラエルの国を導き、国家的次元において新郎のための基盤をつくることがユダヤ教の歴史であったのです。ですから、旧約世界においては神のみ言のみを信じなさいと言うのです。新郎のためには生命までもすべて捧げなさい、あなたたちは零となりなさいと教えてきたのです。そしてイスラエル民族とユダヤ教は一つとなって新郎を迎えるべきでした。しかし、イエス様は来られた時に「あなたが探していた新郎として私が現れました。私を新郎として迎え入れなければなりません」と言えますか。それは言えません。なぜかというと、愛の起源は堕落した世界の新婦につながっているのではなく、ただ新郎のみに真の愛の線でつながれているので、真の愛のつながりをもとうとすれば、新郎は新婦の復帰のために最低の所に行って、公認されなければなりません。 それでは、新婦はメシヤが現れた時、どのようにすべきでしょうか。新婦はメシヤに対して、自分の生命、その他すべてのものよりも貴く思い、犠牲になっても不平を言うことなく、イエス様が自由にみ旨ができるような立場に立たせなければならないのです。サタン側に立ってはいけないのです。新婦に対して「私に従ってきなさい」と言ったらそれに従い、ある人の家に行って、「あれをしなさい、これをしなさい」と試練しても、不平を言わずに従うことによって個人路程を通過することができるのです。そして個人から家庭、氏族、民族、国家路程を通過して、すべての試験をパスしてこそ初めて世のすべての伝統と神の国の伝統を受け継いだことになり、国家基準にまで上がって、相対となることのできる特権を与えられ、相対的な特権の時代に入っていくのです。そして次に、世界的な基準にまで引き上がっていくためには、すべてのイスラエル民族がメシヤに順応し、学ばなければなりません。「私は私なりにやりますから、あなたはあなたなりにやってください」と言ったらいけないのです。そうすることはできません。どうですか。その話は正しいですか、間違っていますか? (正しいです)。 イスラエルという国とユダヤ教が新婦の代表として立ったならば、彼を中心にすべてのイスラエルは七年であろうが何年であろうが、その道に従い学ばなければならないのです。自分を主張して「私は知りません」と言うときには、誰であろうとサタン圏内に入ってしまうのです。サタンは、これは私のものであると言うのです。それは正しい話ですか、間違った話ですか? 誰か国境を好きな人がいますか? (いません) 。大きな国であっても、小さな国であっても、国境を好きな人はいません。しかし現実は仕方がないのですね。 では、新郎の国と新婦の国とが異なっているとしましょう。新郎の国の法律と新婦の国の法律とが違うときは、新郎の国の法律を学ばなければなりません。それと同じように、新郎たるメシヤが来られる天の世界においては、その法律は極めて厳格に守られなければならないのです。今、黒板に書きましたが、これが新郎の国であり、こちらが新婦の国であり、そこに国境線があります。そしてこの国境線を通してお互いが出会うのです。これはちょうどワシントン・D・Cのようなものです。はっきりとした国境線がまっすぐにできています。(笑い) その国境線を越えて来る人に対して、「あなた方は自分の国でやっていたように、自分の好きなように振る舞ってもいいのです」と言うでしょうか。そうは言えません。またこちらから境界線を越えて向こう側に行く場合にも、自分の国でやっていたとおりにして、相手の国の法律を守らないで勝手にすることはできません。ワシントン・D・Cという場所についても、そこにはそれなりの法律があるわけで、その法律を守っていかなければなりません。 それと同じように、イエス様も天の国から来られたお方ですから、新婦としてのイスラエル民族を天の国に入るにふさわしいように教育しようとなされたのです。しかしイスラエル民族はサタンに支配されていたため、“我々はもうここまで来たのだから、これ以上厳格な法律を守らなくても、ここらで妥協すればいいじゃないか”と思ったかもしれません。しかし神様は「神の法律は厳格に守らなければならない」と言って、決して妥協はしませんでした。「もうここまで来たのだから、もう一歩、もうしばらく我慢してでも天の国に入って法律を守れるように、そういう訓練と準備をしなさい」と神様は言ったことでしょう。 それで真の愛を経た真の父母の愛の圏を通過しなかった新婦であるイスラエル民族とイスラエルの国は、新婦自体としては生むことができないので、新郎を探し求めて一つとならなければなりませんでした。探し求めていって、真の愛を基にして一つとなったという決定を受けなければなりません。そして新郎と一つになり、再びサタンの支配しているイスラエルに戻って行き、サタン世界を完全に復帰してから、また新郎であるメシヤのところへ帰って来なければならないのです。自分の国へ行って復帰するということは、民族の宗教や教会を完全に一体化させて、一つにして、そして再び新郎であるメシヤにつなげるようにするということなのです。なぜそうしなければならないかというと、神様を中心とした真の愛はアダムとしてのメシヤを通してのみ表れるからです。 したがって、真の愛が新郎を通して新婦に完全に接ぎ木されたならば、今度は国家と宗教と教会をすべてメシヤに接ぎ木しなければならないのです。(黒板で説明) メシヤが来たならば、新婦がここに来て接ぎ木され、一つとなったという公認を受けてから、教会と国を一つにして、初めて真なる愛が連結された一つの国の圏をつくることができるのです。 これがなぜそれほど重要であるかといえば、本来の愛というものは生まれる時、父親のほうが種であって、母親を通して生まれてくるのです。父親は種で、母親が畑です。真なる愛を中心として、そのような過程を経て生まれるのが本然の状態なのです。しかし、そのような状態で生まれることができなかったので、接ぎ木されなければならないのです。愛する条件を中心として接ぎ木されるためには、新婦となって、愛に絶対服従しなければなりません。この世で愛する以上の愛をもってメシヤに対さなければ、父との因縁を結ぶことができません。これが原則です。父親との因縁を結ぶことができないのです。それでイエス様は、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ一〇・三七)と言われたのです。 またイエス様は、あなたたちの家族は怨讐であるとも言われました。妻が夫よりもイエス様を愛するので夫は反対し、夫が妻よりもイエス様を愛するので妻が反対し、自分の両親よりもイエス様を愛するので父母が反対したのです。そしてまた、イエス様がメシヤであるかどうか、どうしても分かりませんでした。同じ男でもぼさぼさ頭の独り者なのです。そして大工の息子が何でメシヤなのかと思ったのです。妻が、人が変わったように早朝に出かけたり、夜遅く帰ってきたりすることに対して、なぜそのようなことをしなければならないかと思ったのです。 イスラエルの教会も、イスラエルの宗教も、ユダヤ教もすべてが父としてのメシヤの中に入っている種子のような立場に入らなければならないのです。愛をもって入らなければならないのです。サタン世界で愛することのできた条件よりも、もっと愛することのできる条件をもって入らなければならないのです。堕落によるサタン世界の愛の(黒板を使う)それ以上に上ることによって、神の直接主管圏内に入って行くのです。より愛することのできる愛のみが、メシヤと一つとなることのできる道であり、これ以外にはないのです。訪ね求めて一体化したという条件は、愛でのみ果たすことができるので、メシヤを愛することによって、父の中にある、堕落しないで生まれることのできる種子の立場を経たという条件を立てることができるのです。 そのようにしてメシヤの相対の立場に立って、お互いが人類を代表して愛しながら生きる基盤をつくることによって生まれてくることができるのです。もちろん、生まれ変わるためには母親がいなくてはなりません。新婦を通して母親に……。 それは七年かかります。七年で果たせなければ二十一年かかります。 イエス様が成せなかったことを、統一教会が世界的な次元で果たすのです。統一教会において、先生を中心としてそのようなことが始まるのです。統一教会に入会したすべての男性も女性も、妻や家や子供を全部捨てて先生に侍ってきたのです。これは女だけでなく、男もそうでした。 父の中の種のようになって、母親を通して、七年過程を経なければなりません。皆さんは知らないでしょうが、先生の子女たちを中心に統一教会を一つにして「再生式」を行いました。先生の子女が一人生まれ、二人生まれ、三人生まれるそのたびに、世界的な舞台へと拡大させて、再び生まれた(新生)という条件を立てるのです。すべてを拡大し、環境的に拡大させていくのです。分かりますか。私の家庭から三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭、四三〇家庭と世界的な家庭と連結させなければならないのです。先生と先生の子女たちと韓国の統一教会を中心として、これらのことを果たしてきたのです。先生はこのような役事をしてからアメリカに来たのです。 世界的な運勢をすべて率いて、キリスト教を探すためにアメリカに来ました。また、韓国において樹立したすべての霊的基盤をもって、アメリカにキリスト教を中心として、実体的国家基準に連結しようとしてきました。そして実体的な国家基準に連結したのが、昨年の韓国での大会であります。興進様がすべての蕩減条件を背負って行かれたので、歴史的な蕩減が始まるのです。それで霊界をすべて統一し、天使長の息子、娘の立場にある地上のサタン世界に対しても霊界から統一圏をなして、今日連結されているのです。そうするために、父母がそのように抱き愛したという条件を立てたのです。先生が「愛勝日」を定めたわけは、興進様が霊界を中心として霊界の地獄撤廃運動に勝利したからです。そこで先生は地上界の地獄を撤廃するのです。私が監獄に行くとしても、監獄を監獄とは思いません。分かりますか? 興進様が霊界に行かれることによって地獄の門が開放されたのです。サタンは法廷闘争を通じて統一教会を引っ張り出そうとしたのですが、先生は地獄を解放するために監獄に入っていくのです。それ自体も天国の延長として見ています。そのような条件のもとで、父母の愛を中心として神様とサタンの前に“間違いありません”という轄を打ったのが「愛天日」です。愛天日とは、神様の愛を中心として主管することのできる時代へと越えていくということです。地上の地獄を撤廃したので、監獄までも撤廃することができるのです。(拍手) このような意味において、皆さんの「一情会」祈祷会をつくりました。一情会とはどういう意味かといえば、今話したとおり、心情圏を連結することのできる世界的時代へと入ったので、いかなるものよりも父母を中心に、愛する心情をもって一つとなるための運動であり、宣誓する時間が一情祈祷会であり、それが一情会運動の意味であり内容なのです。そのようにして、すべての人々が精誠を尽くし、神様と父母様と一つになるための運動なのです。分かりましたか。このような舞台が(黒板を使う)世界的に天と地に延長されるのです。それは愛のみが可能です。イエス様が十字架を越えていくのと同じように越えていくのです。分かりますか。先生には死とか三日路程とかはないのです。(拍手) 先生は誰よりも愛する心をもって、お母様のおなかを通して三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、八〇〇〇家庭を経て、個人から世界の頂上にまで来たので、一情会という精神を通してこのような条件を立てることによって、ここに神様が主管することのできる「愛天日」を設定することができたのです。分かりましたか。 先生を通して、三十六家庭とか七十二家庭が生まれました。皆さんもその過程を通して今は先生と共に世界的な家庭に生まれたのです。サタンと闘って、サタンを全部分別して勝利してきたので、皆さんも同じなのです。先生を中心として、先生が歩んできたその歩みを通して世界的頂上にまで来たのです。皆さんが八〇〇〇双であれば、一八〇〇双、七七七双、四三〇双すべてが皆さんの先祖であります。家庭の木に生まれた一つの新しい枝として、世界的な形態をもった統一教会の一本の木のようになるのです。分かりますか。 我々はこの家庭の木のそれぞれの枝です。この枝が全部集まって一つの大きな家庭をつくっていくのです。我々は自分を個人として見るのではありません。個人は天国においては存在しません。天国における単位は家庭です。だからその家庭という幹から出発し、そして大きな木となっていくのです。我々はどの枝に属しているのかを知らなければなりません。我々は今完全になろうとする途中であります。過程であります。今が最も良い時です。今は皆さんが一つになって、それぞれが使命を果たすために共に働くことができます。今まで、三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭のすべての家庭が先生と一つとなっていなければならなかったのに、一つとなることができず多くの問題が起こったのです。皆さんは“祝福家庭も大したことはないな”と思っているでしょう。皆さんは今回の六〇〇〇双とか、二〇〇〇双とかの八〇〇〇双はその上に一八〇〇双、七七七双、四三〇双があるということを考えていないからです。皆が離れているのです。一つの木のように考えていないのです。そのため一つになることができなかったのですが、先生の今度の事件を中心として、これが一つの契機となったのです。この事件を通じて、三十六家庭、七十二家庭、一二四家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、八〇〇〇家庭が責任を果たし、一つになることができる良いチャンスです。分かりますか。私たちは多くの過ちを犯しました。多くを誤ったのです。一つになっていなかったのです。ですから一つになることができるのが今なのです。先生が監獄に行くということを条件として、皆さんが蕩減条件を立てることによって、一つとなることのできる良いチャンスなのです。分かりますか。そのために全員で祈るのです。 もし皆さん一人一人が、これから刑務所に行って先生の三倍も長く服役しなければならないとしても、「私は行きます」と言える心情になっていますか。神様の愛が逆に皆さんの家庭を通して、八〇〇〇家庭、一八〇〇家庭、七七七家庭、四三〇家庭と、このように逆に父母のところに通じる道が全部開かれているのです。それは父母からこのように出て行く道に通じ、一情会を通して統一的心情圏が始まったのです。 このような基盤が立った今、神様が主管されるのです。そして愛が主管するという轄を打ったのです。それが「愛天日」です。神様を中心として、神様の愛と父母様の愛を中心として完全に一つとなったのちには、サタンも支配することはできないのです。神様のみが主管することのできる時代へと越えていくのです。それで愛天日を定めたのです。分かりましたか。 アダムとエバは長成期完成級で堕落しました。(黒板を使って説明)それゆえ、完成期に達するまで七年過程で行けるようになっていたのに、キリスト教が反対したので四十年過程を経て復帰してこなければならなかったのです。七年過程はサタン主管圏内となってしまいました。堕落によって、原理結果主管圏が全部サタン圏内に入っていったのです。そこで誰がこの過程を復帰するかといえば、もしキリスト教が受け入れたとしたら一挙にできたはずでした。しかし、三次七年路程を中心として四十年かかって復帰しなければなりませんでした。 今は国家を代表し、世界を代表し、父母様の家庭を中心として、世界的蕩減条件が果たされ、世界的な版図が作られました。今や、統一教会の信者たちは全世界に広がっていても、心情圏はこの基準で全部一つとなっているのです。今まで神様の直接主管圏と、地上の間接主管圏が分かれていたのですが、このようにして完全に神様の愛の圏内において統治される時代へと越えてきました。世界的な基盤の上で、直接主管圏と間接主管圏が真の父母によって完全に連結されたのです。 今度のこの事件によって、先生が十字架を背負うのですが、これを機として、一つとなることができなかった皆さんが全部連合され、統一教会とキリスト教が連合されるのです。キリスト教が連合されれば、アメリカも連合するという条件が立つのです。このようにして世界へ行く道を開くための驚くべき時代が、今度の法廷闘争として現れたのです。これからは私たちが団結して、団結して進む時、国も回るし、アメリカの国民(自由世界の国民)も、回るようになります。私たちが一つとなって進んで行く時、世界が完全に回り、回転するのです。何の話か分かりますか? (はい) 。 したがって今度の期間は、統一教会が新たに復興することのできる期間であり、新生することのできる期間であります。お互いが悔い改めて、心情的に連合して再出発する時期であるために、先生をはじめとしてすべての家庭と統一教会全体が一つに固く結ばれて、すべてこのことにおいて私たちの前には敵対する者はいないという「愛天日」を定めたのであります。これから神様の愛が支配するという信念をもって行くのです。 それが一つのエデンの園の原理なのです。一つの愛がそうなるのです。真の父母の愛の圏を世界的舞台へ連結したので、サタンが支配することはできないのです。もし支配したときには自分たちが何十倍、何百倍の損害を支払わなければなりません。完全に一つとなって、先生が指し示すことを完全に信じていく時、すべてが解かれていくのです。何の話か分かりますか。強く雄々しくあれ! その日時も不思議です。六月はサタンの六数であり、十八日というのは三掛ける六で六数の三倍です。数字もちょうどそのとおりになっています。サタンのすべての要求を清算するのです。すべて清算するのです。しかし先生はそのために自分が監獄に行くとは思いません。地獄解放に行くのだと思います。その世界に父母の愛を分け与えるために行くのです。分かりますか。 今や潮の流れが変わりつつあります。これまでアベルの位置にいるものが犠牲となりましたが、これから変わっていくのです。蕩減させるのです。そのような自信をもたなければなりません。分かりましたか。 本然のエデンは真の愛の原則を中心とした世界でしたが、今日、現実世界においてはすべてが欺かれている事実を知らなければなりません。統一教会が誤り、アメリカが誤り、共産主義者たちが誤ったことのすべてを、この期間に本然の世界における真の愛の状態と形態を立てて越えていくのだということを知らなければなりません。 一年六カ月の三倍は何カ月になりますか? 五十四カ月ですね。四年半です。私たちがこれから三年半だけ推し進めていけば世界は完全に変わります。一九八八年までです。これは韓国の解放後の四十三年目に当たります。 イスラエル民族も四三〇年かかってエジプトを出てきたのです。今や世界的なエジプトを出発する新しい時代が訪れました。三年後です。それでこの闘いを糾合しようとするのです。我々統一教会においてはアメリカ人も、ドイツ人も、黒人も、白人もみな一つであります。完全に一つなのです。真なる愛を中心として世界人が一つになるのです。一九八八年、アメリカの次の大統領の時代になると、統一教会は世界的になります。間違いなく世界的になります。そのころになると、多くの国々に先生を迎え入れようとする運動が始まります。多くの国々で先生を連れて行こうとする競争が始まるでしょう。分かりますか。一九八八年を越えれば私たちの願う国が成されるのです。(拍手、歓声) このことを理解して、皆さんも熱心に頑張ってください。なぜこのような話をするかといえば、真の愛、真なる愛がなければならないからです。先生には敵がありません。先生は敵を抱き抱えて、敵が先生を愛するようになるまで放しません。(笑い) 何の話か分かりますか? (はい) 。サタンは人間を支配する権利がないことを知っています。それで私とは何かというと、父母様から生まれ、三十六家庭を通して生まれ、七十二家庭を通して生まれ、一二四家庭を通して生まれ、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、八〇〇〇家庭を通して私が生まれたのだということを知らなければなりません。今や、世界的な頂上において生まれたのですから、私たちには敵がありません。サタンは私たちに屈服し、後退するしかありません。 先日、愛天のローソクを受けた家庭は手を挙げなさい。これは、夫と妻が完全に一つとなった基準で受けるのです。相対者と真の父母と神様と一つとなった基準であります。この夫が永遠なる夫であり、この妻が永遠なる妻であると思う人でなければローソクを受けることはできません。それを知らなければなりません。はっきり知らなければなりません。何の話か分かりますか。このローソクをもっている家庭は一つの道しか行くことができません。愛の道一つしかないのです。 先生は真の愛をもって神様について行くようになっているし、皆さんは真の愛をもって真の父母と神様に従って行くようになっているのです。それが先生と皆さんの異なる点です。だから先生の話を絶対視して歩まなければなりません。異議はありませんね。だから過去のすべてをきれいに整理するのです。 今、この世のために先生と皆さんが十字架を背負う時代に入ったのです。イエス様が十字架を負って引かれいく時、「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい」(ルカ二三・二八)と言いましたが、今はそれと同じです。私はあなたたちの代わりに蕩減条件を払うから私のために心配するのではなく、あなたたちは完全に一つにならなければなりません。完全に一つとなることが重要です。そうなればすべてが解決すると思います。 そのような統一的雰囲気は、すべてのものを溶かします。原理の見解は本然の見解であり、真の愛、神と父母の愛がすべてを支配します。その世界にはサタンはいません。先生について来ますか? (はい!)。サタンはそこにはいません。すなわち、反する者はそこに存在しないのです。すべてのものは真の愛の中心に敬礼します。たとえサタンの力がどんなに強くとも、そこでは活動できないということです。したがって愛天日を中心とした愛天のローソクを中心として、統一心情圏と完全に一つとなりなさい。そうすればすべてが整理されるのです。それゆえ、先日三年をかけて、ありったけの力を尽くして先生の監獄生活以上に決意して行こうとみんなで決意しましたが、きょうまた「決意しなさい」と言ったら、再び決意しますか。そこに連合し、一つになるように、神様までもこの場に臨まれるように誓ってください。そしてこれからは神様の世であることを宣誓してくれることを願います。分かりましたか? (はい) 。皆さん、宣誓しますか。はい) 。誓う人は手を挙げてください。神様もやはりここに同参されるのです。では祈りましょう。そのような内容のお祈りを致しましょう。 祈祷 愛するお父様! 歴史的に息詰まるほどの最後の峠を越えるこの時代の上に、お父様が祝福してください。今、愛勝日を定めたのちに愛天日を定め、一情会を定め、心情的統一圏を立てて統一教会と、韓国と、アメリカと、全世界が誤ったことを今度のこの期間を通して悔い改め、このような悲報を聞くこの瞬間から、すべての統一教会の信者は身悶えしながら、父母様のためならいかなることでも成すことを決意し、深い底から完全に心情を一つにすることのできる良い時を迎えたことを、この期間にすべてをお父様の前に全宇宙の前に重ねて発表いたします。愛天日が生まれ、一情会が生まれたので、先日の集まりの中で、すべてをお父様とお母様と子女たちを中心として、祝福家庭と統一教会全体が宣誓いたしました。もし失敗があるとしても、その失敗は神様と父母様には及ばないと宣誓いたしました。きょうは、統一教会全体と世界全体をかけて宣誓すると同時に、神様までも宣誓する瞬間ですので、手を挙げてこれから愛天日を中心とした天上世界と地上世界に、神様の名で私が主管する世界であることを宣布しますのでお受けくださることを切にお願い申し上げます。こうすることによって、統一家族が行き、統一教会が行くすべての世界に万事が一致するように……。直接指導することのできる時代となってきますので、悪の版図を退け、善の版図が朝の太陽のように高く輝くことのできる時代へと越えていくように……。万万歳の恵みと愛のみ手が共にあらんことを願いながら、真の父母のみ名を通してお祈りいたします。アーメン、アーメン、アーメン。 皆さんは信じて行かなければなりません。すべてが解決されることを信じるのです。皆さんは本然の愛の世界の人であるというのです。皆さん方すべての家庭が本然のアダムであり、エバです。神様と共に生きています。すべての世界は私の足のもとにあるのです。だから堕落以前のアダムとエバが創造本然の世界を見たように、皆さん方もこの世界を見なければなりません。そのために先生はけさこのような話をしたのです。皆さんはこれから不平を言ってはなりません。先生は興進様が亡くなる時、涙を流さなかったのです。死ぬ直前に天と地を統一させる統一式を行ったのです。そのような問題を中心として、一歩前進したのであって後退していません。 今度の事件をこの世的に見れば、葬式を出す家のように悲しみに満ちた事件でしょうが、先生の場合は一つも悲しまないのです。一歩前進し、一情会を設定し、愛天日を設定したという驚くべき事実があります。これは困難なことを前進的な基盤に消化させ、それを活用するのです。それが先生の思想なのです。そしてまた、今までそのように歩んでまいりました。分かりますか。 私が興南にいた時、神と霊界と先生が合わさって、監獄の教会と監獄の食口をつくったのと同じように、今回も同じことであると思います。監獄の食口とすべての世界が統一教会の先生のあとにつくと思うのです。地上の地獄が従うと見るのです。このような条件を立てたので、監獄生活をする必要がない時代が来るのです。なぜかといえば、サタンが蕩減条件を提示する何もないからです。すべての境界線を越えた基準をつくったのです。先生がもし監獄に入るならば、アメリカが騒ぐでしょうし、全世界が騒ぐでしょう。命令すれば何でもできるのです。何の話か分かりますか。 皆さんは自信がありますか? (はい!)。これから先生の旗のもとで世界的に動くようになるのです。アメリカも収拾することができないし、共産主義も収拾することができません。ただレバレンド・ムーンのみが収拾することができるのです。では皆さん、先生が監獄に行けば皆さんも監獄に行きたいですか? (はい) 。その心があれば何でもできます。だからこれからこのような決心をもって前進しなければなりません。そして神の、天の権威を失わず、天の子女の信義をもって前進すべきです。そういうことができますか? (はい!)。 神が共にあらんことを。アーメン。(拍手、歓声) 














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