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文鮮明師 講演文

"In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「真の“私”をさがして」

01.10.21 世界平和超宗教超国家連合ほか共催「アセンブリ2001」閉幕晩餐会 ヒルトンホテル、ニューヨーク)



 尊敬する内外貴賓、そして紳士淑女の皆様。

 この意義深い会議が早くも幕を下ろすようになったと思うと、名残惜しい気持ちを禁じ得ません。しかし、今は時間がありません。私たちすべては今こそ、神が私たちに与えた使命を胸中に刻んで、第一線に出なければなりません。私たちが躊躇し、ためらえば、人類はますます抜け出せない苦境に処するようになります。世界を一度、見渡してください。皆様のほかに誰が、本当に、今日の人類が処したこの危機を懸念し、また、解決できると思いますか?

 もう明日になれば旅立つ皆様に、私は今晩、形式的な別れのあいさつをするよりは、皆様を兄弟のように信じて、深い心情を交わすことができると信じる心から、天がこの時代に私を通して人類に与えようとされる真理の一端を伝えようと思います。

 「真の“私”をさがして」という題目のお話になります。

 皆様、神様の創造理想を完成するとは、果たして、どういうことだと思いますか? 皆さま個人を中心として、神様の真の愛と、真の生命と、真の血統の因縁を結んで真の種になり、その種が真の家庭になり、家庭の種は宗族の種になり、宗族の種は民族の種になり、民族の種が国家の種、世界の種になることです。

 しかし、人間始祖の堕落によって人類は神様の真の愛、真の生命、真の血統とは何ら関係がない、サタンの偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の子孫となり、偽りの種に転落してしまいました。これが人類の悲劇であり、いまだに私たちが解決すべき最も大きな課題であるのです。

 それで神様は救いの摂理を展開しながら、蘇生時代の旧約時代は万物を通して人間を覚醒させ、新約時代には直系の子女を通して、そして成約時代には父母を通して覚醒させてきたのです。

 それでは、何を覚醒させてきたのでしょうか? 私たちは果たして、どんな根拠で“私”だと主張し得る資格者となったのでしょうか? 聞きたくない話かもしれませんが、人類は今日まで、堕落した子孫として真の“私”の価値と位置をさがし得ませんでした。神様は人間を創造され、ともに“ウリ(私たち)”という言葉で真の家庭を立てて、その家庭を拡大発展させて、ご自身の創造理想である平和世界をこの地上に実現しようとされたのです。しかし、人間が堕落によって真の“私”の位置をさがし得なかったために、神様も“私たち”という言葉を使ってみることができなかったのです。

 そうだとすれば、人間は、“私”という主張をどこから行いましたか? 仕方なく、堕落した世界の、米国ならば米国の国民として教育を受けた自己の歴史的な伝統だとか、国家的な伝統を中心として、“私”という意識を持つようになったのです。創造理想的な意識圏内に立つことができる、神様自身が“私のもの”、“私の子”だと言える、そんな関係を結び得なかったのです。したがって、私たちが持っている“私”という概念は、神様の本来の創造理想とは、何ら関係がないものなので、私たちは自らを完全否定すべきなのです。

 私たちはまず、個人として完全な“私”の位置をさがさなければなりません。ところが、それは自分をゼロにして完全否定するしかありません。その位置であってこそ、心と体の完全統一をなし得るためです。考えてみてください。天と地が公認し得る完全な“私”をさがし立てて、完全な家庭をつくり、その上に完全な国家、世界をつくる前に、どうして神様が、不完全な輩である私たちをご自身の真の愛、真の生命、真の血統圏に立てて、“私たち”だと呼ぶことができるでしょうか?

 神様はご自身が安心して“私たち”に含めて呼ぶことができる真の男と真の女、すなわち、ご自身の真の息子と娘をさがして、復帰摂理を行ってこられたのです。したがって、私たちすべては、私たちが神様の前で果たして“私”を主張できるかどうかを、反問してみるべきです。いや、それより先に、私立ちの心と体が完全にひとつに統一されていると、自信を持って叫ぶことができるかと自問してみるべきです。そこに対して確実に答えられないとすれば、私たちはいまだに行くべき道が遠いということを自認するほかないのです。

 神様は愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体なので、永遠に不可分な一体的基準に立っている、そんな真の息子・娘をさがしてこられたのです。すなわち、神様の真の愛を中心として心と体が一つになった、神様の生命と血統に連結した絶対信仰、絶対愛、絶対服従の結果として結ばれた、そんな子供たちを待ってこられたのです。なぜなら、真の愛は自己からは探すことができないものだからです。真の愛は必ず相対とともに実現するようになっています。全知全能の神様も、ご自身だけでは真の愛の理想を実現できないのです。これこそ、神様が人間をご自身の子女であり、愛の対象として創造された理由なのです。

 私たちはまず、心と体の統一によって個人完成をなしとげ、その土台の上に神様と父子間の縦的関係を樹立しなければなりません。しかし、縦的な関係だけでは“私たち”という言葉が成立しません。そこには必ず横的な関係がともに調和しなければならないのです。したがって、男と女が真の祝福結婚を通して真の夫婦関係を結び、子女を生んで真の家庭を立てて、3代を中心として4位基台をなしとげてこそ、初めて天は家庭単位で“私たち”と呼ぶことができるようになるのです。

 それでは、私たちはどうすればそんな位置まで進むことができますか? 神様が万物を創造されたその位置をさがしていけばいいのです。神様はどんな状態で創造されたと思いますか? 絶対愛と絶対信仰を中心とした絶対投入でした。そこには自身の利益や事情を考える余裕はあり得ませんでした。完全に100パーセント与えても、また与える、為にいきる愛の始原がまさしくここにあったのです。

 私たちの家庭でも同じです。神様の立場にいる父母は真の愛を中心として完全投入、絶対投入して、正分合の論理でみれば「正」の立場で子女を生んで養育し、縦的な“私たち”の軸を立てるべきなのです。そして横的には、夫婦が「分」の立場で真の愛を中心として完全一体になって横的な軸を立てるようになれば、子女たちは「合」の立場で自動的に縦横の軸に合わせて一つになりながら、兄弟間には前後関係のもうひとつの軸が立てられるようになり、その時に初めて縦横と前後で完全な“私たち”の概念が実体的に展開されるのです。

 これがすなわち家庭圏内での4位基台の完成であり、3対象目的の完成になるのです。このように、家庭圏内での正分合の完全実体展開は、3代を中心として血統が一列に連結されなければ不可能なことです。それで家庭が重要なのです。家庭こそ、天が私たちに与えた最も尊い贈り物に他ならないのです。家庭という環境がなければ、どうして私たちがこのような絶対的基準の“私”をさがし、縦横と前後に完全な“私たち”を敢えて考えてみることができるでしょうか? 家庭こそ愛と平和と幸福の揺籃なのです。

 皆様、私たちは世俗的な名誉、知識、権力、財力に恋恋としたり、また、それらに引きずり回される愚を犯してはならないのです。この世にいくら優れて有名な者がいたとしても、彼が、心と体が完全にひとつになった位置で“私”をさがし出せず、天と縦的に連結されていなければ、何の役に立ちますか? 天が彼を胸に抱いて“私たち”だと呼んでくれなければ、神様の創造理想である平和世界の実現と何の関係がありますか?

 皆様は真の“私”をどこでさがしますか? 為に生きる真の愛を実践する生活でこそ可能です。自分を完全にゼロにして否定し、家庭のために、国家のために、世界人類のために、そして神様のために生きるようになれば、真の“私”は自動的に捜し出されるのです。これがまさしく復帰摂理、救援摂理の道を歩んでいる人間の避けられない運命の道なのです。

 私たちは自分を推し立てて“私”をむやみに語ってはならないのです。長い歴史の裏通りで、真の“私”を語り得る子供を捜して、恨(ハン)にまみれた復帰摂理を行ってこられた神様の心情を少しでも知ったなら、むやみに“私”を主張できないのです。私たちは寝ても覚めても理想家庭完成のために生きるべきなのです。神様の創造本然の世界である平和世界、神様が千年、万年、待ってこられた理想家庭だけ立てれば、そこが他ならぬ地上天国の出発地になるのです。そこで、かわいそうな神様の恨を解くことができるようになるのです。

 皆様、太陽を見ても恥ずかしくなく、海を見てもやましくなく、万物の前でも一点も隠すことがない真の“私”をさがして、神様が“私たち”と呼んでくれる家庭を立てましょう。

 もう一度、今大会のために忙しい日程を後にして、このように最後まで一緒にいてくださった世界の指導者の皆様に、心から感謝申し上げます。お帰りになられたら、皆様は今回、ここで学び悟った真理を広く知らしめてください。天の任命状を受けて、平和世界実現のための平和大使としての自負心をもって、第一線に出てくださるようお願いいたします。

 ありがとうございます。さようなら。

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