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文鮮明師 講演文

"In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙」

97.08.10 世界平和と真の家庭運動 世界活動報告会 主題講演 韓国ソウル・新羅ホテル)



 尊敬するご来賓の皆様、親愛なる文氏、韓氏宗親連合会員の皆様、特別にこの場にご光臨賜った著名なる紳士淑女の皆様。

 公私多忙であられる中にもかかわらず、この場にご来臨くださった皆様に深く感謝を申し上げます。

 このような貴き日、私が心から皆様にささげたい最も貴い返礼の贈り物があるとするならば、それは私がこれまで世界を巡回しながら教えてきた、最も代表的な二つのお話をご紹介することです。

 それは、「救援摂理史の原理観」と「宇宙の根本を探して」というお話です。現代においては男女問題と家庭問題、そして青少年問題が絶対的に解決されなければなりませんが、この二つのお話は、その根本的な解決方案を提示しているのです。
 各自帰られて、自らを振り返り、家庭を愛したい思いが生じるたびに、このお話を深く考えてくだされば、皆様が幸福で円満な家庭を築くのに大きな助けとなることでしょう。

 皆様は、この二つのお話を皆様の年の数ほど読まれるようにお願いします。年齢が八十歳を超えているなら、八十回以上読むべきです。皆様が読めば読むほど、天の祝福と天運が共にあることでしょう。読めば読むほど、その家庭に平和が自動的に臨むようになるはずですので、たくさん読まれるようにお願いいたします。

 一番目のお話の主題は、「救援摂理史の原理観」です。その内容を要約すれば、神様を中心として結婚し、真の父母になることです。第一次アダム家庭でアダムが失敗して堕落したので、第二次アダムとしてイエス様が来られて、これを国家的な次元で復帰しなければならないということです。

 ですから、第一次アダムは堕落したアダムであり、メシヤであられるイエス様は、第二次アダムとして来られたのです。しかし、真の父母の家庭を築くことができずに約束だけして亡くなられることによって、第三次アダムが再び来られ、世界的基準で真のご父母様の使命を蕩減復帰しなければならないのです。これが、第三次アダムとして来られる再臨主の使命です。したがって、旧約時代、新約時代、成約時代を完成するのです。そして、人類救援の根本問題が、血統復帰という事実も明らかにしています。

 こうして、真の父母を中心として成約時代を迎える、世界的に広がった祝福結婚式となるのです。

 二番目のお話の主題は、「宇宙の根本を探して」です。人間堕落の根本が愛によって成立したので、人類は真の愛を失ってしまいました。そのことから、この真の愛をどのように取り戻すかという問題が提起されています。

 真の愛を失ってしまったということは、淫乱によって堕落したという意味です。すなわち、生殖器を中心として過ちを犯したので、これを取り戻そうとすれば、その反対に正しく行かなければならないということです。このように、間違った愛がエデンの園で植えられたものが、終わりの日の刈り入れのときにその結果として現れる現象が青少年問題なのです。

 ですから、セックス混乱時代が来るのです。これを清算するのは、絶対純潔(絶対的「性」)でなければならないということです。このような絶対純潔(絶対的「性」)の概念でのみ、家庭破壊を防止し、青少年の淪落を防ぐことができるのです。

 今晩は、時間が限定されていますので、「真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙」という新しい主題で、今から皆様とお話を分かち合おうと思います。

 ここに集った皆様は、すべて父母を持っています。そして、師を持っており、国の主を持っています。それは、だれにとっても絶対的に必要なものです。

 しかし、たとえ父母であるといっても、真という基準を中心として見るときには、いろいろな基準があります。皆様自身は、果たしてどれくらい真なる父母になったと思われますか?

 また、「師」ということをとっても、アメリカにあるハーバード、エール、コロンビアのようなアイビー・リーグ(アメリカ東部の名門私立大学八校で結成しているリーグ)に属した大学であるとか、イギリスのオックスフォードやケンブリッジなどの大学の教授なら、それですべて真なる「師」と言えるでしょうか?

 国の主人も、「真」という基準から見るとき、皆、同じではあり得ません。皆様は、アメリカのような強大国の大統領ならば皆、真なる大統領であると思われますか?

 事実、今日の家庭では、子供が親を信じることができず、夫婦同士も互いに信じることができず、兄弟同士も不信し合うような間柄になっています。学校では先生のことを信じることができず、国では国の責任者を信じることができないというのが、今日の実情なのです。

 このように、皆様が願われるこの三つの重要な立場、すなわち父母と師、国の主人の中で、「真」という基準を中心として見た場合、一つでも合格することができるのか、ということが問題なのです。

 皆様が真なる父母になり、真なる師になり、真なる主人にならなければならないとするならば、そのような世界最高の基準と、そのすべてのモデルの中心はだれなのでしょうか? それが正に神様なのです。

 神様は、父母の中の真の父母であり、師の中の真の師であり、王の中の真の王であられます。神様は永遠の真の父母であり、永遠の真の師であり、永遠の真の主人であられます。

 私たちが神様の子女になるとするならば、まず神様のような真の父母にならなければなりません。神様のような真の師の道を行かなければならないのです。そして、神様のような真の主人になる道を行かなければなりません。これが三大主体思想です。その究極的なモデルは、神様なのです。

 旧約聖書に記録されている、イスラエル民族の前に送られるメシヤとはだれのことでしょうか? メシヤは、正に真の父母として来られるおかたであり、真の師として来られるおかたであり、真の王として来られるおかたです。

 しかし、イエス様がこの地上で家庭を持って民族を一つにすることができなかったことによって、メシヤは再び地上に来られなければならないのです。再び来られるメシヤは第三次アダムとして来られて、世界的基準で真の父母権と、真の師権と、真の王圏を教えてくださろうとするのです。これが正にメシヤ思想です。

 ですから、家庭があり、国家があり、世界があり、天がある所ならば、いつでもどこででも、この三大主体思想が正しく確立されなければならないのです。

 人が空間の世界に立つためには、必ず上下が必要であり、左右が必要であり、前後が必要です。そうでなければ、自分の存在位置が確定されません。皆様が上下を正しく備えているか、左右、前後を正しく備えているかによって、さまざまな姿になるのです。

 皆様の上下、左右、前後関係、そして、家庭の問題、国の問題、世界の問題を扱ううえにおいて、公式は一つです。個人を中心として上下、左右、前後があるように、家庭においても父母と子女がいなければならず、夫と妻がいなければならず、兄弟姉妹がいなければならないのです。

 これと同じように、国においても国の主人を中心として、すべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべてかき抱き、それから世界の万民を兄弟姉妹のようにかき抱いて、結局、一つの家庭のモデルを築くのです。モデルは全く同じです。

 そして、自分自身がそのモデルの中心となるのです。自分がいる後には、自分の家庭がなければならず、国と世界と天地、そして、神様まで進んでいかなければならないのと同じ道理です。皆様には、宇宙の中心になりたい気持ちがあるだけではなく、すべて皆、そのようになることができるのです。

 このように、宇宙において、その核に当たるものが家庭の概念です。天を父母として見れば、地は子女です。東西を見れば、東側は男性を象徴し、西側は女性を象徴するので、女性は結婚することによって、どこでも夫の位置に従っていくのです。

 西側が太陽の光を受けて輝くとき、東側と同じ価値を持つようになることと同じです。兄弟関係も同じです。長子である兄を中心として役事するとき、弟妹たちが協助するようになるのです。

 ですから、人間は父子の関係を持ち、夫婦関係を持ち、兄弟関係を持たなければなりません。つまり、この三つの関係が、一点になければなりません。その中心点は一つなのです。上下、左右、前後の中心が異なってはならないのです。この中心点が狂えば、上下、左右、前後関係の均衡が皆、崩れてしまうのです。

 ですから結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まで合わせると、全部で七数を成すようになるのです。このように七数を成すということはすなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つになって、これらすべてが完全に球形を成して、調和と統一を成す家庭になることです。私たちが、よく「ラッキー7」というのも、このような観点から見れば一理あることなのです。

 それで、これが一つに定着して回るようになれば、八数です。真の愛が永遠に変わらない限り、この中心も変わらず、永遠に回ることができたはずなのですが、堕落することによって神様を中心から追い出してしまったのです。神様の真の愛を全部追い出してしまったので、真の家庭理想がすべて崩れてしまったのです。

 西洋と東洋は、その生活習慣において、あまりにも異なる点がたくさんあります。さまざまな面で正反対です。例えば、韓国で人を呼ぶときは、手のひらを下にして手招きしますが、西洋の人たちはそのようにすると、かえってもっと遠くに行ってしまいます。「私のことが嫌いで行ってしまうのだろうか?」と、むしろ誤解してしまうようになっています。

 西洋の文字は、横的なものであり、左側から右側に進行しますが、東洋の文字は本来縦的なもので、上から下に書いて読むようになっています。ですから、西洋の本は左側から開いてみますが、東洋の本は右側から開いてみます。西洋文明は一種の横的文明なのです。

 握手であいさつするのは、横的なあいさつということです。頭を下げながら、あいさつする東洋文明は縦的です。東洋では、家庭制度の核が先祖でなければならないという伝統がありますが、西洋ではそのような核が強くありません。先祖を核とする概念がないのです。自己中心であるというのです。

 すべてのものが核から連結されるので、核が動かなければすべてが動かないのです。ですから、中心核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、すべて同等です。それを分ければ十二切れになりますが、その十二切れをどこに合わせても皆、合います。

 祖父が願えば孫は反対せず、子女もそれを願うようになり、三代が皆、一緒に願うようになるのです。祖父、祖母、父、母、夫婦、息子、娘、全部中心に合わせるようになるのです。

 この愛を中心として見るとき、父子の関係も一つであるので一体であるといい、夫婦関係も一体であり、兄弟間も一体であるといいます。一つの体です。何を中心として、このような関係を一体であるというのかと言えば、愛の中心である神様の真の愛を中心として言うのです。

 真の愛を中心として、父母と子女が一つになり、夫婦も一つの体になり、兄弟間も同様です。このようになることによって、すべてのものの価値が同等になるのです。

 では、神様がその子女に願うことは何でしょうか? お金をたくさん稼いで百万長者になることでしょうか? 国の最高の権力を手にした大統領になることでしょうか? 神様が息子と娘であるアダムとエバに願われたことは、彼らが成長して孝子、忠臣、聖人、聖子になることでした。

 では、皆様は神様が願われるように、家庭では孝子、国では忠臣、世界では聖人、天地の前に聖子になろうという思いを持ったことがあるでしょうか? 歴史的に見るとき、すべての聖人は、孝子、忠臣、聖人、そして、聖子になるようにと教えてきました。

 今晩、皆様はこのような理想的な人間、すなわち人間がその人格完成に必要とする孝子、忠臣、聖人、聖子の道理という観点から見るとき、合格したと見ることができますか? このような内容を知らずしては、家庭で真なる父母の役割を果たすことはできません。

 真なる父母であれば、孝子、忠臣、聖人、聖子のような前進的なことを教えてあげなければなりません。自分の子供たちをして、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を果たし、その後に、神様まで行かなければならないということを、教えてあげなければならないのです。そのように教える人がいるとすれば、神様がごらんになるとき、初めて真なる父母、真なる師、そして真なる主人であると考えられるのです。

 皆様に真なる父母の資格があり、真なる師の資格があるというときには、真なる主人の資格も備えるようになり、さらには真なる王になることのできる資格まで備えるようになります。

 堕落した人に、真なる孝子という概念があるでしょうか? 忠臣の概念もありません。聖人の概念もありません。聖子という概念もありません。

 ですから、滅びるのです。だれが聖子になることを願うのでしょうか? 神様が願われるのです。聖人になることをだれが願うのでしょうか? 世界が願います。国は何を願うのかと言えば、忠臣を願います。家庭は孝子を願います。これが正に、真なる真理の道です。

 愛を中心としたこのような真理は、一つの方向で永遠に持続するのです。そのことを知らなかったのです。それで、真なる父母になれなかったのです。国の真なる主人になれませんでした。聖人や真なる聖子になれなかったのです。

 イエス様がこの地上に来られたとき、家庭にそのような真の主人がおらず、国と世界にもそのような真の主人がおらず、結局、天地に真の主人がいませんでした。どのようにして、その道理の道を行かなければならないかを知らなかったというのです。しかし、もはや知らなければなりません。

 真なる父母は、「孝子になったから、忠臣になるな」とは言いません。真なる父母は、その孝子に「おまえは、家庭を犠牲にして忠臣の道を求めて国に仕えなければならず、国を犠牲にして聖人の道理を果たし、世界のために生きなければならない。また、世界を犠牲にして、天地が願う道を行かなければならず、天地を犠牲にして、神様を求めていかなければならない」と、教えてあげなければなりません。

 そのようになろうとすれば、個人は家庭のために犠牲にならなければなりません。家庭のために犠牲になってこそ、孝子になるのです。また、国の愛国者になろうとすれば、その家庭全体を犠牲にしてでも国を救わなければ、愛国者になることはできません。

 聖人というものは、自分の国を犠牲にして、世界を救わなければなりません。聖子は、世界を犠牲にして、天上天国と地上天国を築かなければならないのです。

 ですから、すべての父母たちの中で、より子供のために生きる父母が真の父母であり、いかなる師よりも、よりために生きる師が真の師であり、いかなる大統領よりも、よりために犠牲になろうという大統領が本物です。このような概念があるということを知りませんでした。投入して犠牲になるのです。そのようにしなければ、一つの平和と統一の世界は、永遠に来ないのです。

 個人主義がどこにありますか? 自己において自己だけを主張する部分は一つもありません。子供が父母の愛によって、母親のおなかの中、卵子から育って生まれるとき、その九九・九九九パーセントは母親の骨と血と肉です。

 そしてそこに〇・〇〇一パーセントの一つの父親の精子が合わさって生まれるのです。そこには、「自己」という概念はあり得ません。だれでも生まれるとき、自分自身だけという概念はなかったのです。

 いかに立派な人であっても、自分一人で立派に生まれついたと言える人は一人もいません。レバレンド・ムーンも同様です。骨や血や肉もすべて母親のおなかの中で譲り受けたものです。

 この体の重要な部分は、母親の体の延長だということを認めなければなりません。私たちの体のあらゆる要素は、精子と卵子に含まれていたのです。例外はありません。ですから、個人主義というものが存在する根拠がないのです。

 「上」という言葉が成り立つときは、「下」を認めたうえで言う言葉です。「上」ということだけで、個人主義が成り立つでしょうか? 個人だけという概念はあり得ません。「右」というのは、「左」というものをあらかじめ前提としたうえで言う言葉です。「前後」について見ても、「前」というのは「後ろ」を前もって認定して言う言葉です。

 男性という言葉も、男性一人を念頭に置いて言う言葉ではありません。女性を前提条件にして言う言葉なのです。これは、だれか一個人の言葉なのではなく、宇宙的な事実です。

 男性は、なぜ生まれたのでしょうか? 男性たちはよく、自分一人で生きていけるので、そのようなことに関心がないなどと皆言いますが、男性は女性のために生まれたのです。女性がいなければ、男性は必要ありません。絶対的に必要ないということです。結局、自分のために生まれたものは、一つもないのです。

 私たちの五官を見てください。自分の目が、自分の目を見るために生まれたのでしょうか? 鼻や耳、口、手もすべて、相対のために生まれました。五官を総動員して、集中させることのできるその力が何かと言えば、真の愛です。目、鼻、耳、口、手は、真の愛のために生まれた真の愛の道具です。

 自分のために生まれたものは一つもありません。人のものを自分のものにする人を泥棒といいます。人のものを持ってきて、自分のものとして使う人は泥棒ではないでしょうか? ですから、女性のために生まれた男性の五官と体を、自分勝手に使う人は泥棒なのです。

 男性と女性は、何が互いに異なるのでしょうか? まず、生殖器を含んだ体が異なります。では、男性の生殖器は、だれにとって絶対に必要なのでしょうか? 男性の生殖器は、女性のためにあるのです。

 人間の生殖器の一つは凹であり、一つは凸ですが、なぜそのようになったのでしょうか? 二つとも、とがらせるとか、二つとも平べったくすることができるのに、なぜそのように異なって生まれたのでしょうか? すべて、相対のためです。

 男性のものは、女性が絶対に願い、女性のものは男性が絶対に願うのです。女性のものは、絶対に男性のものであり、男性のものは絶対に女性のものだという事実を知らなかったのです。それを占領することによって、愛を知るのです。

 二つが一つになるような経験を通してのみ、最高の高い境地の愛を知ることができるのです。どこのだれであれ、このような事実を絶対に否定することができません。だれでも皆、認定しなければならないのです。二つが完全に一つになるその場で、理想的な夫婦が生まれます。正に、その場に絶対愛が存在するのです。絶対的に変わらないそのような愛の場に、神様が臨在されるのです。

 ですから、絶対純潔(絶対的「性」)は神様を中心としたものであり、フリーセックスは自分とサタンを中心としたものです。歴史的に政治家や経済人たちは、文学作品やメディアを通してフリーセックスを刺激することが多くありました。ですから今から私たちは皆、政治家や経済人、文人、作家と言論人たちと一つになって先頭に立ち、フリーセックスを防がなければなりません。フリーセックスは、完全になくならなければなりません。

 レバレンド・ムーンの話を聞けば、皆様の現在の立場とは百八十度異なる人間になり、異なる国になり、異なる世界になるのです。間違いなく変わります。この悪なる世界を完全に変化させることは、絶対に必要なことです。

 ところが、サタンを含めた悪の世界の人たちは、神側の人々を好みません。それで、世の中すべてがレバレンド・ムーンに反対してきました。国家と世界的次元でも反対しました。しかし、レバレンド・ムーンは神様に属しているので、神様がレバレンド・ムーンを保護してこられたのです。

 レバレンド・ムーンをサタンは嫌いますが、神様は好かれるのです。いくらレバレンド・ムーンを悲しませ、押さえつけて、無視するとしても、レバレンド・ムーンは意に介しませんでした。レバレンド・ムーンは、下がってはいきませんでした。むしろ、最も高い立場まで上がっていくようになりました。それで今は、どこのだれであれレバレンド・ムーンに反対できないようになったのです。

 あらゆる迫害を受けながら、どうしてこのような世界的な基盤を築くことができたのでしょうか? いかなる力でもって、世界の碩学と最高の指導者たちを教え導くこのような基盤を築くことができたのでしょうか?

 神様がそのような力をレバレンド・ムーンに下さったので可能だったのです。神様が私を保護され、私にそのような方向性を教えてくださり、今も継続して保護し教え導いてくださっているので、レバレンド・ムーンは、常に成功の道を進んでいるのです。

 歴史以来、霊界に通じることのできた多くの宗教指導者たちがいましたが、レバレンド・ムーンほど霊界を知り、かの天の国、霊界を統一して、この地上に現れたのはレバレンド・ムーン一人しかいないということを知らなければなりません。

 そうして、神様から玉璽を受けました。そうでなければ、地上の統一はできません。神様が霊界でそのように私を訓練し育てられたように、この地上においてもそのように継続して導いておられるということを知らなければなりません。

 二十余年間、レバレンド・ムーンは、新教の地アメリカに行って多くの迫害を受けました。しかし、イエス様が亡くなられて以後二千年間、すさまじい殉教の血を流したキリスト教を、この国に定着させようという神様のみ意を知ったので、アメリカを捨てることができなかったのです。旧教の地、南米も同様です。四十余年前にレバレンド・ムーンを受け入れていたならば、南米も北米もどのようになっただろうかと考えてみてくださるようにお願いします。韓国においては、なおさらそうです。

 それでは、真の愛はどこから始まるのでしょうか? 自分の生命を投じた後、また復活して、三度以上より投入しようというところから真の愛が始まるのです。私たちは、堕落した血を受け継いだので、自分の生命を懸けてでもこれを越えなければなりません。

 ですから、「死のうとする者は生き、生きようとする者は死ぬ」というのです。イエス様もこの地上に来られて、その道を行かれたのです。そのことによって、世界を支配することができたのです。

 利己的な個人主義ではありません。利他主義です。ですから、私たち夫婦は、一生の間に数百億ドルのお金を得ましたが、一銭も私たちのものはありません。皆、世界のために投入しては忘れてしまい、また苦労しお金を作っては、また投入する、そのようなことを反復するのです。

 「神様の下の一つの国」と「神様の下の一つの世界」のうち、皆様はどちらが好きですか? 一部のアメリカの人たちは、「神様の下の一つの世界」が好きではありません。

 また、一部の白人たちは、黒人が好きではありません。アングロ・サクソン系の白人の新教徒たちが、アメリカの支配的な立場を占めていますが、彼らを中心としたアメリカは、世界のために生きるという考えを持たなければなりません。もし、アメリカだけのために生きるというのなら、アメリカは存続することができないのです。

 今は、時代が変わっています。到来する時代とは、「神様の下の一つの世界」です。神様は、このような世界のために働いておられ、また、そのような摂理のために働く者を助けておられます。

 そして、これからも永遠にそのような者たちを助けていかれることでしょう。ところで問題は、すべての人たちが、このような世界で暮らすことを願いながらも、そのような摂理の同参者になることは好まない、ということです。

 一つの平和な世界をつくるために、私たち夫婦はさまざまな努力を傾けています。そのうち、いくつかの代表的な例を挙げれば、人種と宗教、国境、言語の障壁を超越して、未来世界の基盤を固める理想的な国連大学を建てることです。また、世界的な知識を交流させるために、遠隔通信大学が必要です。

 医学では、堕落によって生じた肉身の病気を治療するだけではなく、東西文化の和合を通して、東西洋の葛藤までも修復させるという次元から、統一思想と統一医学を開発しなければなりません。東西思想と医学が一つになってこそ、今後、エイズのような難病を治せるようになることでしょう。

 韓国では、医学教育を全く受けていない農村の青年たちの中で、エイズのように現代医学でも治すことが困難な病を治すことのできる特別な治療法を、霊界から教えられた人々がたくさんいます。ですから、霊的世界の事実を認めなくなれば、大きな問題が起こるのです。このすべての課題は、すでにブリッジポート大学(米国)と鮮文大学(韓国)を中心として、実践に移されつつあります。

 さらに私たち夫婦は、すでにアメリカのワシントン・タイムズだけでなく、南北米すべての国々をカバーする言論機関をつくりました。これらの言論機関は、まもなく世界百八十五か国まで拡張され、世界が一つになって学び、協力するのに大きく貢献するようになることでしょう。

 レバレンド・ムーンはアメリカに行って、アメリカ国民の前に一つも負債を負いませんでした。むしろ、アメリカが私の世話になりました。天から受けた祝福でもって、レバレンド・ムーンはアメリカを祝福しました。私たち夫婦は、天から受けた祝福を世界にすべて分け与えました。南米も韓国もレバレンド・ムーンを歓迎して、アメリカのような祝福を受けることを願っています。

 どんなに反対しても、より多く愛する人が主人になるのです。より多く愛し、より多く投入し、より多く与えて忘れる者が中心存在になるのです。これがまさしく天法なのです。

 これから皆様は、家庭において父母の前に孝行し、国の前に忠臣になり、世界の前に聖人になり、神様の前に聖子になる道を行くべきです。だれであろうと、家庭、国家、世界、天、地の前に恥ずかしくない、この宇宙自然の中で天運の保護を受ける自らとなり、神様の最高の愛を受ける家庭を築くべきなのです。

 そうして、地上天国に転換し、天上天国に入籍をして、神様を中心とした地上天上王圏時代に進入して、勝利と自由と幸福と統一の世界を求めゆく国際合同結婚式を迎えなければなりません。

 皆様もすべて、今年の三百六十万双の祝福結婚式を超えて、三千六百万双の合同結婚式に参与してくださるようにお願いします。そうして、天地が歓迎する人になって、永生の道を求めるようにお願いします。

 私たち皆が、神様と真のご父母様の血族になり、神様の真の愛を中心とした真なる家庭と真なる世界(宇宙)文化創建の主役になって、来る二十一世紀を平和と統一の世界へと建設していくことを願いながら、これで私の話を終わります。

 皆様と、皆様の家庭と、なされている事業に、神様の祝福が共にありますようにお祈りいたします。

 ありがとうございました。

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