南北統一と世界平和
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 世界平和と統一に関する文鮮明先生のビジョンと実践 2

第二章 南北統一と世界平和

一 世界紛争の縮小版韓半島

 今日、大韓民国を見ると、南北に分かれているので、いくら民族を取り戻したとしても一つの主権を取り戻すことはできないのです。南北が分かれているので、一つの主権を取り戻すためには、民族が団結して闘わなくてはいけません。この民族がそのようにして主権を取り戻したとしても、その主権だけでは「すべでが成された」と言うことはできません。主権を取り戻したなら、世界に向かっていかなくてはいけません。主権を犠牲にするということがあっても、世界を取り戻す闘いの行路を経なくては、神様が取り戻そうとされる平和統一の世界は来ないのです。(四八−三〇九、一九七一・九・二六)

 アベルを中心として、カインを屈服させるようにしなければ平和の世界は来ません。ですから、韓国問題は、世界の政治が解決される時まで統一を期することはできません。このような結論が出ます。(五〇−二五二、一九七一・一一・七)

 南北統一は、私たち民族の念願であり、宿願です。私たちは全員倍達(注一朝鮮の上古時代の名称)の民族として、五千年の悠久な歴史をもち、燦爛とした文化と美しい風俗、優れた言語を使う平和愛護の単一民族でした。このような血筋を受けた倍達民族、一幅の絵のような三千里錦繍江山(注一錦繍のように美しい国という意味での朝鮮の別称)私たちは、宿命的に離そうとしても離すことができない同一運命体であったのです。(一六四−一八六、一九八七・五・一五)

 神様がこの民族に十字架を背負わせたのは、この民族を召命されるためです。この民族は、長い間、天を敬い、道義精神と平和精神をもち、長い試練に打ち勝った受難の民族であり、善の民族であったため、召命されるに至ったのです。ですから、終わりの日に人類を救援するために摂理史的祭物になったのです。数千年の間、苦難の歴史を過ごしてきた韓国は、最後に人類の救援の祭物になり、分断という世界史的な十字架を背負ってすべての試練に打ち勝とうとしているのです。(一三五−三四五、一九八五・一二・一六)

 韓国を中心として見るとき、アベル国家とカイン国家がなくてはならないので、三十八度線を中心として南北に分かれたのです。ここでカイン国家である北朝鮮がアベル国家である韓国に屈服しなくては世界平和が来ないのです。ですから、見てください。国も二つに分かれているし、土地も二つに分かれているではないですか。世界も大きく見ると、民主世界と共産世界に分かれています。この分かれた民主世界と共産世界の接線になる所が韓国です。ですから、韓国の統一は、世界統一の一つの方案になるのです。(三四−二七五、一九七〇・九・一三)

 韓民族を「倍達民族」と言うでしょう? 倍達民族とは何ですか。配達(注:韓国語の発音では倍達と同じペダルと読む)夫という言葉があるでしょう? 倍達民族という時、「達」の字は「通じる」という意味の達でしょう? 配達夫は何をする人ですか。知らせを伝える連絡兵です。ですから、この民族は、世界に知らせを伝える連絡兵です。名前が本当に良くできています。これがすべて原理的です。また「白衣民族」とも言うでしょう? 白というのは平和を象徴するのではないですか。誰でも、夜でも昼でも、標準にすることができる色が白です。赤色や黄色は、夜には表示として使えません。夜の表示にすることができるのは白だけです。ですから、白衣民族が世界の標準になることができるのです。(一二四−二九一、一九七〇・九・一三)

 今日、この民族の前に三十八度線が横たわっているのは、それほど大きな試練ではありません。これは、私たち民族を中心とした三十八度線ですが、その次にはソ連と中国との、もっと強くて、もっとひどい三十八度線を越えなければならないのです。民族が解決すべき平和の基礎を整えるためには、もっと大きな三十八度線までも解決できる勝利的基盤を整えなければなりません。(三五−二四、一九七〇・九・二七)

 分断された国家にならずしては、み旨の基盤を成せない立場になるのです。祭物のように分立された立場でなければなりません。ですから、この世界は、民主陣営と共産陣営に分かれた国を中心として問題が起きるのです。今、世界的に見ると、そのような国は、韓国と中国とベトナムとドイツがあります。このように分断された立場にある国々を中心として民主世界を統一し、共産世界を屈服させて収拾しなければ、世界の平和はあり得ません。

 このように、霊的世界において讒訴できる因縁が地上世界に実体的に顕現された所が板門店です。したがって、ここで共産世界のすべての国家が平和の旗印をもち、内外に自分のすべての環境と権限を捨てて自ら敗者の立場に立ったと、ありのまま告げることができる時をもたずしては、この地上に平和の天国は来ない、ということを皆さんが知らなければなりません。(三七−二九七、一九七一・一・一)

 今日、マスコミや電信網がどれほど発展したでしょうか。スイッチさえ押せば、三十分以内に世界のどこにでも、望みどおりにすべてのものが伝達されるのです。このような情勢圏内で、韓国が平和的南北統一をして世界にない勝利的福祉国家を創建したという時には、世界の万民は、「見るな」と言っても見ようとするのであり、「来るな」と言っても来ようとするのであり、「ついてくるな」と言ってもついてくるのです。ですから、私たちは、団結しなければなりません。そして、すべての精誠を尽くさなければなりません。(三七−三一九、一九七一・一・一)

 人間は、誰もが平和の世界を願い、一つの世界を願いますが、この世界はただそのままで一つになることはできない、と認めているのです。民主世界は民主世界なりに、共産世界は共産世界なりに、自分が主張する立場で世界を一つにできれば、と考えているのが現状なのです。それでは、民主世界の前に共産世界が一つになることができるのでしょうか、あるいは共産世界の前に民主世界が一つになることができるのでしょうか。このような問題をおいて見るとき、これはとても難しい問題にならざるを得ないのです。

 この争いがいつ終わると思いますか。この争いが続く限り、一つの世界、あるいは平和の理想世界は来ることができません。それでは、私たちが世界を中心として統一を模索し、理想世界を模索する前に、一つの国家を中心として、「私たちの国は統一された国であり、理想世界に代わり得る国だ」と言うことのできる国がありますか。それも可能ではないのです。(五三−九、一九七二・二・四)

 今日、人工衛星よりももっと偉大な天工衛星を打ち上げることのできる基地に、この三千里半島(注:朝鮮半島)はなり得ない、と誰も否定できないのです。人類平和の基地を開き、誘導弾を打ち上げることができ、最も世界が飛躍できる基地として登場するというのに、それに反対する人がいますか。(二二−一六七、一九八二・一〇・二四)

 これから大韓民国が、世界で生き残って世界万民の前に歓迎され得る国になるためには、大韓民国の主権と大韓民国を犠牲にして世界を生かそうと十字架を先に背負う民族にならなければなりません。十字架を通して勝利の基盤ができ、平和の王国が建設される日には、十字架を背負う民族がその時に栄光の出発点に立つのです。(一二五−二四四、一九八三・三・二七)

 西ドイツと東ドイツの対峙状況よりも、北朝鮮と韓国の対峙状況のほうが民主世界と共産世界の問題が大きく絡まっているのです。ですから、韓国が共産主義に勝てるということを設定できない限り、韓国民族の統一、韓国民族の平和世界は訪れることができないのです。

 この国が平和になるためには、いずれにせよ、ソ連と民主主義が対峙するこの世界史的な根本問題を解決しなければならないと思うのです。これは、レバレンド・ムーンが見る観点ではありません。摂理から見で、神様がいらっしゃるならば、神様が地上世界に対する摂理上の一つの焦点を考えれば、そのような観点が設定されるのです。韓国は、強大国の間にあるので、どの時代にもソ連、中国、日本のような国々が、未来の世界に自分の勢力圏を拡張でき、内的な実力をもっている限り、いつでも問題になるのです。そのような観点から見て、民主世界と共産世界の対峙点というものを初めから考えていたのです。

 このように見るとき、これから民主世界と共産世界を越えたのちの一つの世界を考えながら、世界のこの根本問題を解決しなくては韓国に平和の基地がないと思うのです。国家理念において民主主義ですが、民主主義というものは、思想的な面で世界的に統一された内容がありません。共産主義の思想的体制が、世界制覇という内容を中心としてなされている、ということをはっきりと知らなければなりません。(一三〇−七三、一九八三・一二・二六)

 私と統一教会の基盤は、徹底して天のみ旨に従って「ため」に生きながら築いてきた基盤です。ユダヤ教とキリスト教の迫害をくぐり抜け、東と西の無理解を飛び越えて勝利した基盤なのです。韓民族と韓国が、私の世界的勝利基盤の上で世界のために生きる生活をするようになれば、神様がアメリカに下さった歴史的祝福以上の福を韓国に下さると思います。このようになれば、韓国は苦難を克服するだけでなく、世界の前に真と愛と平和の中心になるのです。神様が韓国を愛されるのは、韓国だけのためではありません。韓民族が世界のために生きる時、・初めて神様が韓国に下さった祝福が実を結ぶのです。(一三五−二三八、一九八五・一二・一一)

 韓国民族は、本来東夷民族として戦争を嫌い、平和を愛護する民族です。それゆえに、中国大陸を捨てて半島に群がったのです。孔子も東夷民族を賛美しました。「そこに聖人が住む」と言ったのです。「自分の願いとは何かというと、この東夷民族の所へ行くことだ」と賛美しました。(一七九−二九、一九八八・六・一五)

 韓国は、南北に分かれて四十年の間対峙していたので、完全に風土が違います。共産主義と民主主義の体制が違います。言語さえも違います。彼らが話す「平和」と「自由」の概念が違うというのです。最近、「民衆民主主義」ということをよく言いますが、根本的に違います。それは、プロレタリア独裁を中心として、そこに違反する反動分子たちをすべて除去した立場で、反対のない位置で、平和の基準を主張する民主主義です。そのような術語の偽装法を韓国が知らないでいるというのです。韓国は全く知らないのです。(一七三−二一九、一九八八・二・一八)

 皆さんが知っているように、共産主義であるソ連と中国が分かれ、ソ連自体も経済政策の対策として不可避的に平和主義を掲げて、西欧社会と自由世界に接近してきている立場にあるので、今北朝鮮は、相当に難しい立場にあります。中国についていくこともできず、ソ連についていくこともできないというのです。なぜそうなのかというと、韓国を赤化するために軍事力ばかりを拡張させてきたので、それをチェンジするということが大変難しい立場にあるからです。(一七三−一九八八・一・三)

 民主と共産に分断された韓半島は、世界の中心地として、私は、南北統一こそ世界平和統一の鍵になるということを知って、今日まで世界の至る所でこの課業のために全身全力を傾けてきたのです。私が北朝鮮を訪問して金日成と談判したのも、このことのためだったのです。(二二九−八〇、一九九二・四・一〇)

 白衣民族というのは驚くべきものです。白色は平和を表示するのです。それゆえに、中国人、日本人、韓国人、この三国の人々が中国あるいはソ連のシベリアの大地で殺し合ったりしている中でも、韓国人は、刀を持ち歩く人が一人もいません。しかし、日本人の死体を見ると、ほとんど刀を持っており、中国人も同じで刀を持っているのです。韓国人がただ一つ持っているものは、火打石だというのです。どこか道のない所でも、火をつけられる秘法をもっているのです。これは、真理の拡散を象徴するのです。

 タバコを吸うだけではありません。火打石さえあれば、寒く凍りつく所でも、いつでも火をつけることができ、いつでも生死をさまよう環境を開拓できるのです。そのような始終の核、アルファとオメガの根源をもつ民族は韓民族しかいないのです。それで東方礼儀之国というでしょう? 東洋天地のどこにも侵略してみようとした歴史がないのです。それで今まで犠牲の踏み台だったでしょう? (二二〇−一七四、一九九一・一〇・二〇)


二 摂理的国家(アダム・エバ・天使長国家)

 万一、韓国と日本と中国の三国が一つになった場合には、これはアジア的問題になります。アダム国家、エバ国家、天使長国家の基準が平面的に復帰される場合、これはアジア的問題になります。この三つの国がアジアの平和のために先頭に立って立てようとする伝統基準は、民族の基準を超越して、国家の基準を超越して新しい理念で結合しなければなりません。結合したその伝統が、どのような国から見ても、自分の一つの国家を中心とする伝統とは違うということが認定されるとすれば、アジアのすベての国家は結合されます。そのような伝統基盤をいかにつくるか、ということが問題なのです。(四〇−一三一、一九七一・一・三○)

 大韓民国は、日本の圧制下でどれほど多くの血を流したでしょうか。血をまくことによって始まったので、血をまくことによって国家を刈り取らなければなりません。これが他の民族を通して既に成されたにもかかわらず、大韓民国がみ旨を受け入れることができないことによって、第二次的により大きな怨讐に出遭って突然血を流したのが正に六・二五動乱です。六・二五動乱が終わったからといって、国の統一がもたらされたわけでもなく、平和の国権が成されたのでもありません。国家は両断され、今日、信仰者が歩むべき道は、さらに疲弊するようになったのです。(四三−二七四、一九七一・五・一)

 アジア圏で復帰基台、復帰の環境を中心として見る時に、誰が天使長でしょうか。アジア圏天使長は蒋介石です。天使長は蘇生型です。なぜ蘇生型として展開するのかというと、先生を中心として三段階で成されていくからです。その次に長成的な天使長は誰でしょうか。アメリカです。完成的な天使長は誰でしょうか。西ドイツです。

 それでは、サタン側のアダムと世界的な天使長が一つになっているでしょうか。二つとも分かれています。アメリカも左翼と右翼に分かれた立場です。韓国も分かれなければなりません。一つの国が、ぱっと二つに分かれなければならないというのです。そうでしょう? すべて左翼と右翼に分かれます。韓国も一つの国が二つに、西ドイツも一つの国が二つに分かれました。この二つの国が是非を決めるようになると、世界は、平和の天国時代に入るというのです。韓国統一、ドイツ統一、東西統一が成される日には、共産党は完全に消えるようになります。(四七−二〇五、一九七一・八・二八)

 これからアメリカが、いつどのような状態に進んでいくのかということは、多くの人々の関心を引く最も大きく重要な問題です。多くの人々が自由と平和があふれる一つの理想世界を渇望していますが、私たちは、そのような渇望を容易に理解できます。現世界の趨勢から見ると、すべての人々が願うそのような理想世界は成し遂げることができません。したがって私たちの現在の目標は、とても不明瞭で明確ではありません。

 アメリカでは、人々をして自らの国家より世界をもっと愛し得るようにする理想を見いだすことができません。したがってアメリカは、そのような理想世界を建設するにおいて、指導的な国家になることはできません。同じように、共産主義であるソ連も、やはりそのような理想世界を建設する指導的な国家になることはできません。アメリカの人々が全人類と全世界の利益のために彼ら自身を犠牲にできるようになる時までは、繁栄の世界、幸福の世界、または平和の世界というものはあり得ません。また、ソ連もやはり同じです。万一彼らが全世界の利益のために、彼ら自身の国を犠牲にすることができなければ、神様の摂理は完成できず、平和の世界または理想世界も完成できません。(五二−九、一九七一・一二・一一)

 個人と個人主義は、良いことは良いのですが、大部分のアメリカと西洋の人々は、この二つをあまりに強調しすぎています。ヽその結果、彼らは、彼らの国、民族、家庭、父母、そして、彼ら自身までも失ってしまいました。彼らは、鷹のように風が吹くままに飛んでいっています。これが正に西欧世界に平和がない理由です。(五二−一二、一九七一・一二・一一)

 アメリカは、低開発国家を指導しなければならず、そして低開発国家は、アメリカについていかなければなりません。そのように生きるとき、全世界が存続でき、永遠に回ることができます。それらが徐々に早く回れば、結局一つになります。その時、その中心に神様が来られるのです。そのようになれば、一つの平和の世界が存在できるのです。(五二−一八、一九七一・一二・一一)

 アメリカには、黒人、白人、そして黄色人など、すべての人種が集まっています。カイン、アベル、そしてセツの子孫たちです。カイン、アベル、そしてセツの争いによって、世界がこのような様相、このような姿になりました。したがって、平和な世界を成すためには、このような三つの民族が一つにならなければなりません。(五二−七七、一九七一・一二・二二)

 アメリカ国民は、平和を愛する国民だと自認しています。しかし、完全な平和は、戦争が終わったのちに来るということを知らなければならないのです。アメリカが後退したからといって、共産党も後退すると思いますか。アジアからアメリカが後退することによって、インドはソ連の計画圏内に巻き込まれていっています。今、その隣接国家全体をソ連と中国が奪い合いをする結果になりました。共産主義者たちは、思想的な面ではアメリカ、民主世界をのみ込んでしまって余りあると自負しているので、平和攻勢に出てくるのです。

 それでは、ここで言う人に対して「それはアメリカに戦争をしなさいということか。あなたは平和主義者ではなく戦争をしなさいという過激な扇動分子ではないか」、このように考える人がいるかもしれません。しかし、そうではありません。アメリカには友達がいません。これが大きな問題です。もしアメリカ国民が「世界のためにいくらでも犠牲になっていく」と言うことができる国民になれば、アメリカは絶対に滅びません。滅びないというのです。時になってきたので、それぞれの国々は、すべて兄弟国家です。(五三−七三、一九七二・二・九)

 悪は、自分が優勢な時は、いつも攻撃します。皆さん、韓国動乱が終わった一九五三年以後の、二十年間の金日成を見てください。平和ですか。とんでもないことです。蛇は舌が二つです。言葉と行動が違うことを皆さんは知らなければなりません。それでは、純真なアメリカ国民に与えた神様の特権的な権威を今、どこに行って見つけることができるでしょうか。神様の威信と権威を中心として、悪なる勢力を防ぐ防波堤をつくろうとした基盤をどこに行って見つけるのかという問題を考えるとき、神様のみ旨を知って、他の人が知らないこの道を行く私としては、悔しく胸の痛む思いをせざるを得ません。(五三―一三四、一九七二・二・一三)

 アメリカには、新しい運動に火がつき始めたのです。若者たちが世界をつかんで、国をつかんで、民族をつかんで、社会をつかんで、家庭をつかんで新しい出発をする運動が始まったのです。この動きが、今まで反対的な立場で家を離れた群れよりももっと強力に動き出す時、アメリカには新しい希望が芽を出すと見ているのです。そして、アメリカ国民を覚醒させてい時を失うかもしれない危機一髪の瞬間にある宗教人たちを覚醒させて、神様が尋ね求めてこられた自由と平和の世界、祝福の世界を相続させてあげなければならないというのです。(五三−三二二、一九七二・三・五)

 来られる主が平和の世界を成す一つの理想世界を創建するにおいて、誰から手を結ばなければならないでしょうか。共産党ではありません。イスラム教ではありません。キリスト教文化圏と手を結ばなければなりません。それが一つになって、すべての面で神様を確実に教えてあげ、理論的に共産党を屈服させなければなりません。世界的な宗教も同じです。このようにできる世界的代表国家がアメリカであればうれしいですか、韓国であればうれしいですか。神様の側から見ると、世界を動かすことができるアメリカを中心として行えば早いというのです。このような責任を担わせるために、神様がアメリカをこのように祝してあげたにもかかわらず、アメリカがその責任をすべて果たし得なくなるとき、アメリカの将来は悲惨にならざるを得ないというのです。(五四−五二、一九七二・三・一〇)

 中世のローマ教皇庁は何をしたのでしょうか。宗教が精神的な立場、心的な分野に責任をもち、ローマ帝国が外的、体的世界に責任をもち、心的宗教が体的な国を指導できる力量を備えなければなりませんが、そのようにできませんでした。宗教を主として、国家を通してすべて搾取するということをしたのです。それは反対です。原理に背くことなのです。心が犠牲になって体を引っ張っていかなければならないのと同じように、天倫を正すために、宗教指導者たちが犠牲になって政治指導者を引っ張っていき、万国の幸福と平和のためにプラスとなる原動力とならなければならなかったにもかかわらず、それと反対のことをしたのです。(八一−二三七、一九七五・一二・二八)

 天使長国家がアメリカであり、エバ国家が日本であり、アダム国家が韓国ですが、この三国が結束して誰と一つにならなければならないのでしょうか。新しい一つのみ旨をもって来られる主が韓国に現れるので、世界を一つにできる思想体系を備えて来られる再臨主と一つにならなければなりません。それで霊的なキリスト教文化圏の結実を肉的文化圏の結実の上に結び、イエス時代にアラブ圏を中心とする霊的基準とアジア圏を中心とする肉的基準を統一できなかったことを、歴史時代に再びこれを結束させ、アジア帝国を統一して、中東、すなわちアラブ圏まで統一してイスラエルの解放を終えてこそ、この地上に平和の天国が実現されます。統一世界になります。これが摂理観だということを知らなければなりません。(八一−二五〇、一九七五・一二・二八)

 個人的にもカインとアベルがあり、家庭にもカインとアベルがあり、氏族間にも、国家間にもカインとアベルがあります。先生は、このすべてのものを連結させるために闘ってきました。世界もやはりカインとアベルに分かれています。過去二十年の間、共産主義が勢力を得るようになりました。一九五〇年に中国は、国連から侵略者、平和の破壊者として非難されました。ところが二十年が過ぎた今、中国は、国連の加盟国になっただけでなく、安全保障理事会の理事国にまでなりました。(五二−七一、一九七一・一二・二二)

 天使長は、自分自身の利益のために人間の種を犠牲にしてしまったのです。そして、その種がそのような間違った動機から芽が出ることによって、世界が間違った形で発展してきたのです。天使長は、自分の欲望が間違っていたにもかかわらず、自分の欲望を達成するために、他の人々を犠牲にしてしまいました。この世の統治者たちは、自分の利益のために他の人々を犠牲にしてきた人々でした。ですから、より強い人が統治力をもってきました。個人間に始まった争いが家庭、氏族、国家、そして世界の争いとして拡大しました。したがって、そのような動機と欲望によっては、平和はあり得ず、理想世界はあり得ません。(五二−一〇、一九七一・一二・一一)

 メシヤの歴史とカインの歴史は違うのです。カインの歴史はサタン世界なので、そのままこの世の歴史であり、メシヤの歴史は、神様を中心とした歴史なのです。ですから、今まで神様とサタンが対立してきたのです。神様がプラスならばサタンはマイナスにならなければならないのに、プラスになっているので反発するというのです。したがって、これをマイナス圏にして、サタンが絶対屈服できる因縁を通さずには統一ができないのです。統一されなければ、エデンの園、平和の世界は出発することができません。このようになるのです。

 この世は、そのままカインなので、天の側がアベルになってこの世に来なければならないのです。それでカイン、アベルの歴史が問題になるのです。それは何かというと、エデンの園で堕落しなかった本然の形をもってきて、それに合わせるためにしなければならないのです。そして、一つになる所には平和、争う所には戦争、その次には破壊と滅亡が訪れるのが原則です。そのために、アベルは何をするために来る人なのでしょうか。争いに来る人ではありません。統一して平和を成すために来る人です。(五七−一六五、一九七二・五・三〇)

 世界の数多くの国々には、サタン的な親玉たちが勢いを得ています。まだチャンピオンが出ていないので、今までサタン的な親玉たちがたたいたり、引き裂いたりして自分たちの思いどおりにしたのです。それで神様は、世界のチャンピオンを送って、これらをたたき壊そうとされるのです。世界的イスラエルのチャンピオン、天地のチャンピオン、心情のチャンピオン、統一のチャンピオン、平和のチャンピオン、幸福のチャンピオン、愛のチャンピオンを立てようとされるのです。(三八−一八五、一九七一・一・三)

 今まで先生は、全世界に四カ国を連結させる仕事をしてきました。世界の国家の代わりに蕩減して、その国々と相対的関係を結ぶために、百二十カ国に宣教師が出ていきましたが、ドイツ人、アメリカ人、日本人が行ったのです。三カ国の人が一つになれというのです。このようになる日には、先生を中心として全世界に起点ができることによって、その国がそこで一つになるのと同時に、全世界に連結されて一つの平和の王国に連結されるのです。それでこの三カ国の怨讐たちを集めて、「お互いに自分の体のように愛しなさい!」と命令をしたのです。(一二二−四六、一九八二・一〇・三一)

 アメリカは、今までアメリカの国だけのためのアメリカになってきました。それではいけないのです。世界のためのアメリカとして世界を導き、世界をリードしなければならないのです。このような出発がなされなければならないのに、それができなかったのです。どこまでも世界をアメリカの支配下におくことを願ったのです。アメリカの利益を追求するために神様を見捨てたのです。弱小民族、弱小国家の被害を忘却しました。全世界人類のための平和の世界創建ということを忘却してしまい、アメリカだけのために勝利的基盤を相続しようとしたので、ここから神様の役事は離れたのです。神様が世界的に活動できる基盤ができなかったのです。それが問題だというのです。(一四八−一四四、一九八六・一〇・八)

 韓国は小さくないですか。満州、中国自体が昔は韓国の活動舞台でした。東夷族といって有名でした。万里の長城が三重になっているのは東夷族のせいです。今の中国は蛮族でした。韓国人は戦争を嫌います。平和の民族です。伝統的歴史から見ても、韓国はアダム国家です。日本は、どんなに見てもエバ国家ではないですか。島は女性の象徴ではないですか。日本は女性の陰部のようで、韓国、半島は男性の生殖器のようです。それで互いに抱き締め合って喜ばなければなりません。(一九二−三一九、一九八九・七・九)

 第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルがあります。第一イスラエルはユダヤの国です。第二イスラエルはアメリカであり、第三イスラエルは韓国です。その三つは兄弟です。三兄弟です。アダム・エバとカイン・アベルでしょう? このように見るとき、連合国であるフランス、アメリカ、イギリスと、枢軸国である日本、ドイツ、イタリアも一つにならなければならないのです。一つの家庭で血統を混ぜて平和の家庭をつくらずに、互いに敵愾心心を抱いているとどのようになるでしょうか。一つになることは不可能です。(二五一−三九、一九九三・一〇・一五)

 私は、真なる平和が持続される世界を建設しようという神様の計画において、ソ連はとても重要な役割を担うだろうと信じています。私の祖国韓国と国境を接する極東から、西欧文明の発祥地であるヨーロッパの中心部に至るこの広大なソ連は、ヨーロッパとアジアの橋の役割をする運命をもって生まれました。私たちは、私たち自身を地球という一つの家で一緒に暮らしている一つの地球家族だと考えなければなりません。(二〇一−二一三、一九九〇・四・九)

 中国の北京政府が今、文総裁をどのように思っているか知っていますか。それは、自画自賛のようなので私は語りませんが、毛沢東は後ろに退きなさいというのです。毛沢東は、民族解放をすることはしましたが、世界平和を建設できる内容がありません。毛沢東の思想は、弁証法の論理なので、今まで闘争論理を介在させて戦略戦術を取ってきたのです。しかし、文総裁は、闘争論理ではなく和合論理です。和合論理を通して戦略戦術を成就させ、既に弁証法的闘争論理を吸収した段階に入ったのです。理論的に歯が立ちません。どのような哲学家や宗教家でも、すべて私に惨敗しました。(二〇六−一九二、一九九〇・一〇・七)


三 統一の原則「平和統一」「真の愛による統一」

 大韓民国を中心として見るとき、私たちの所願とは何かというと、南北朝鮮が統一されることであり、さらに範囲を広げて世界を中心として見るときは、民主世界と共産世界が、闘争せずに一つになって平和な世界を成すことが私たちの所願なのです。(四一−九、一九七一・二・一二)

 統一方案は、大韓民国、南北で成されるものではありません。人間自体における心と体の争いをどのように終わらせ、心が主導権をつかんで平和の基準を維持させることができる体の圏をどのようにしてもつのかというのです。その体を連結させると世界になるのです。ですから、天国の拠点は心です。(四七−二七二、一九七一・八・二九)

 今日、世界で一番の膨大な軍事力をもつアメリカがベトナムで数年の間争っていますが、いまだに平和を成すことができないのを見る時、軍事力をもっては解決できないということを立証する段階に入ってきたのです。また民主世界のイデオロギーや共産世界のイデオロギーでは、一つの世界を模索できないのです。イデオロギー時代は過ぎていきつつあります。(三九―三四七、一九七一・一・一六)

 統一方案は、どこにあるのでしょうか。それは、外部にあるのではなく、内部にあります。統一方案をどのようにしなければならないのかというと、私の心と体の争いを平定させて、心が先に立つようにしなければなりません。そのようにして、心が「行こう」と言うとおりに私の肢体が行かなければならず、家庭が行かなければならず、社会が行かなければならず、国が行かなければならず、世界が行かなければなりません。このようになれば、統一は自動的に成されるのです。しかし、今日、このような結果をもってくることができるでしょうか。ソ連で「平和共存」と言っていますが、それは虚飾です。偽装戦術だというのです。(三九−二六六、一九七一・一・一五)

 南北は、銃剣で一つになることはできません。神様のために生きる心情的基盤に従っていかなければなりません。本質的な平和の路程から外れては不可能です。天運が和合してくれないので

 大韓民国をどこに引っ張っていかなくてはいけないでしょうか。愛の園に引っ張っていかなくてはいけません。権力の園ではありません。策略の園ではありません。本当の愛の園に南北を引っ張っていく時、南北はここから解決されるのです。父母を中心とした兄弟の因縁をもって消化させなければ、平和の世界は出てきません。(一六八−二二三、一九八七・九・二〇)

 今日、この世界が平和の世界になるためには、どのようにしなければいけないでしょうか。この分かれた国々を戦いによって解決しようとしてはいけないのです。戦いによって植えられた歴史を、戦いによって収拾することはできません。戦いによって植えられたので、戦いではないもので収拾し得る道が出てこなければ平和は訪れません。

 今日、皆さんがベトナム戦争や韓国の情勢から推し量るとき、平和によって解決されなくてはならない日が私たちに近づいてきているのに、平和によって解決する方案がないことが私たちにとって苦痛です。世界はここにかかっているのです。戦いをしてもうまくいくとは思えず、何をしてもうまくいくとは思えない立場でうめいているのです。そうです。武力では平和の世界を紹介することはできません。これは、神様が嫌われることです。(六二−九三、一九七二・九・一七)

 私たちが願うことは、アイディアル・ソサイエティー(理想社会)で暮らすことなのですが、このような混沌と矛盾の世の中で生きているので、どのようにしなければならないでしょうか。これが問題です。混乱し矛盾したこの世の中を何によって収拾することができるでしょうか。力ですか。力によってできますか。共産党式にするのですか。このやり方で一時はできるかもしれませんが、いつでもそのようにできるのではありません。上がれば下りなくてはいけません。仕方がないのです。最近、ソ連も三年間の凶年に入って大騒ぎしているのを見ると、誰がそのようにしたくてそうなるのでしょうか。天が「下りなさい」と言えば下りるのです。国を越えることができる権力をもっても、平和の世界は来ないということを知らなくてはいけません。そして、知識ですか。知識をもってしてもできません。では、お金ですか。お金でもできません。(一一五−三一四、一九八一・一一・二九)

 誰が戦争をさせるのでしょうか。神様がさせるのですか、自分たちでやっているのですか。人がやっているのですが、神様がすべて主管されるのです。帰っていかなければならないからです。しかし、武器を使って平和の世界をつくろうとすることは、神様のみ旨ではありません。またレバレンド・ムーンのみ旨ではありません。力を使わず、愛によってどのように消化させるかを考えていらっしゃるのです。愛によってどのように消化させるのかというのです。(一〇三−一八二、一九七九・二・二五)

 今日、この世界に平和をもたらすことは簡単です。韓国が北朝鮮に完全に「ため」に生きたとき、北朝鮮は戦わずに平和が訪れます。ならず者の親不孝息子を感動させる力は、こぶしでもなく、権力でもありません。骨髄からあふれ出る愛の力です。天地の大道から外れた堕落した人々を正すためには、信仰だけではいけません。信じれば天国に行くことができるという既成教会式ではいけないのです。(一七七−二二一、一九八八・五・二〇)

 摂理が要求する南北統一は、統一自体が目的ではありません。統一の基盤の上に永遠の自由と永遠の平和と永遠の幸福と永遠の理想を花咲かせるためのものです。ですから、力による統一や相手を不安にさせる統一はあり得ません。相手のために与えて、また与える真の愛による統一にならなければなりません。(二三四−二五八、一九九二・八・二六)

 韓半島の葛藤は、先進国と後進国の間の葛藤だけでなく、東西文化の葛藤までもよく現しています。ですから、韓半島の統一は、世界平和と不可分の関係にあるだけでなく、未来の世界の問題を解決することに重要な方向性を提示する指標になるのです。

 私は、真の父母の使命を引き継いだのち、この「神主義」を通して世界平和を実現するためにすべての受難と試練を経験してきました。この「神主義」は、人類歴史を通して人本主義に押し出され、物本主義によって忘れ去られた神様を再び探し出して、神様と人間が共に出会う一致点を教えています。(二三四−一四一、一九九二・八・二二)

 分断された南北朝鮮を一つに統一させることができる根本原則は、神様の真の愛を通して心と体が一つになった真の個人と真の家庭を成すことです。さらにこの原則は、正に世界が真の自由と平和と幸福を実現するための平和の原則にも拡大することができるのです。ですから、韓半島の統一は、未来の統一された一つの世界、さらに神様と人間までも一つにすることができる重要な契機を準備するものです。

 今日、韓国統一と世界平和を議論するこの韓半島は、人類歴史を通じて葛藤してきた神本主義であるヘブライズム(Hebraism)と人本主義であるヘレニズム(Hellenism)の二つの思想が、自由民主主義と共産主義という名のもとに先鋭に対置された理念的対立の歴史的現状です。ですから、韓半島での理念的な分断克服は、すなわち統一された一つの世界を志向する理念的指標になるでしょう。(二三四−二三九、一九九二・八・二二)

 真の愛で南北統一をしなくてはなりません。南北統一は、武力でしてはいけません。一度失敗したのに、再び武力ではいけないのです。現在、平和を主張する環境に移ってきていますが、武力ですれば世界の逆徒として追い込まれるでしょう。(二三三−二八三、一九九一二・八・二)

 共産主義の問題を解決して世界平和を成し遂げることは、単に理念的対決や教育だけでは達成されないと思います。この世界を生かすには、経済的支援も大変重要だからです。ですから、既に中国に支援してパンダ自動車工業都市を建設しています。

 私は、今回、平壌に平和の使徒として入城しました。私は、何かあっても、この韓半島で再び同族同士の戦争を自ら招いてはいけないという固い信念をもっています。このような意味から、最近アメリカ全体で言われている北朝鮮の核施設空襲論は、非常に危険な発想です。

 アメリカは、韓国民の生存権を脅かすことに至極慎重であってほしいと思います。私は、北朝鮮との核問題は平和的に解決することができると信じています。相互に尊重する真の対話を通して必ず平和的に解決しなくてはなりません。私は、その対話の道を開こうと考えて平壌に行ったのです。そして、その対話を通して平和的に解決しようとする使命感から、私は、その対話の道を大きく開いて帰ってきました。(二二四−二五三、一九九一・一二・七)


四 南北統一のための統一教会の使命

 先生が三十八度線を越えていこうとする前に、眠る時間を削りながらも、自分自ら三十八度線を出入りするための準備をする統一教会の食口(家族)たちにならなければなりません。しかし、果たしてそのような食口が何人くらいいるのかということが疑問です。それだけでなく、民族を超越して国境を越えていき、その国、その民族を生かすために自分のT生を犠牲にしようという人々がどれほどいるのかということも疑問です。そのような食口の数が東西南北にどんどん伸びていくようになる時、統一教会は、自然に世界的な勝利の基盤を整えるようになるのであり、この地球上に平和の王国を建設することができるのです。(三五−一一五、一九七〇・一〇・四)

 先生が故郷を訪ねていって祭物を整え、この国が解放されたと祝賀会をもつことができるその日まで、皆さんは総進軍しなければなりません。怨讐たちに踏まれた以北の地を、そのままほっておくことはできません。世界的な大怨讐である共産党を根本的に追放してしまわなければなりません。この世界的な共産党を追い出すまでは、北朝鮮の地に自由と平和をもたらすことができないので、このみ旨を外的に早く早く展開させ、世界の共産党を追い出すために韓国に集中攻勢を繰り広げようというのが私たちの作戦です。(三五−三〇八、一九七〇・一〇・三〇)

 今、日本では、白昼に共産党の宣伝や統一教会の宣伝をします。ところが、共産党員たちは統一教会に入ってきますが、統一教会の教徒の中には共産党に行った人が一人もいません。ある県の共産党の幹部たち、立場でいうならば共産党組織部長のような人々が束になって群がってきているというのです。そのようになると、彼らは「ああ、大変だ」と言うのです。それで金日成が朝総連第九次党大会の時にメッセージを送ったのですが、どのようなメッセージかというと、「アジアにおいて勝共連合を根絶するまでは平和はあり得ない」というメッセージを送ったのです。ですから皆さんは、気を引き締めなければなりません。(三九−一二三、一九七一・一・一〇)

 金日成を中心とする以北の群れは、生命の脅威を受けて強制で一つになりましたが、私たちは、それ以上に自由と平和があるこの環境で、自らの生命を投入して天の家庭と一つにならなければならないのです。そのようになるところにおいては、金日成を中心として一つになった共産党以上の立場を私たちが備えなければ、神様が私たちを通してサタン世界を制圧するという歴史的な使命を成し遂げることができないのです。(四〇−一八七、一九七一・二・一)

 国よりも先に民のために闘わなければなりません。民族のために闘わなければなりません。ところが民族を見るとき、南北に分かれています。民族が分かれていると、主権があるといっても、南北朝解か平和統一できる主権とはなり得ません。一方的な主権にしかならないのです。何よりも一番重要なことは、南北朝鮮を凌駕できる民族的精神基準をどのように一元化させるのかということです。これが、今後の統一運動が力を入れるべき課題だと考えるのです。(四九−九七、一九七一・一〇・九)

 皆さんの思想がすべて同じではありませんが、徹頭徹尾「統一思想」に一致して、元凶であるサタンを皆さんの手で屈服させなければなりません。仮に私の体が踏みにじられることがあっても、天の国の平和基盤をつくっておいてから死ぬというくらいの決意をして行くべきなのが、統一教会の女性たちの行くべき道です。それで、皆さんが今、三千里半島に出ていって何をするのでしょうか。韓国にいる数多くの家庭の女性たちは、統一家の女性たちが行く道を見習わなければならないのです。(五〇−二四一、一九七一・一一・七)

 今まで力をもつ人々と足をもつ人々(労働者)が勢力をもっていました。彼らが世界を動かすことができました。しかし、そこに勢力をもつことができなかった一階層がありましたが、それは良心家たちです。良心をもつ人々の中で最も高い人々が統T教会の食口たちです。共産党は、「労働者よ、団結せよ!」というモットーをもっています。私たちも一つのモットーをもっています。「すべての良心のある人々よ、一つになって団結しよう!」と言うのです。共産党は中上流階層の人々を否定しますが、私たち良心家は、三つの階層を団結させ得るでしょう。これが私たちの闘いの場です。私たちは、すべての人、すなわち黒人、白人、黄色人をみな抱くでしょう。私たちがそのような人々を動員して共産主義者たちを勝ち抜く時、その時に真なる平和の世界が来るのです。(五二−一三四、一九七一・一二・二六)

 神様が望まれる国が取り戻されれば、世界復帰は一瞬のうちにできるのではないでしょうか。一つの国から三つの国さえ越える時には、四つの国になります。そうすれば、世界に四位基台国家の形態が整えられるので、サタンが侵犯できない四方の防御城が築かれるようになります。その時に、初めて平和の世界、天国の沃土が形成されるのです。それが統一運動の求めていく本郷だということを、はっきりと知らなければなりません。そのために、私たちの情熱をかけて、私たちの若い生を役人するために集まった群れが統一の群れであることを、はっきりと知らなければなりません。生の路程をふさいでいる勢力が手強くても、それを粉砕して、解剖して、くまなく根を抜いてしまって一時に遮断するための決意を誓うべき群れが統一の群れであることを、はっきりと知らなければなりません。(五六−二八八、一九七二・五・一八)

 堕落は、人間の心から出発し、そこから破綻が起きたので、個人主義思想と物質主義思想にばらばらに分かれて互いに中傷し合っています。民主主義もそうであり、共産主義もそうではないでしょうか。

 見てください。ソ連においてフルシチョフは、自分が執権する以前の主権者だったスターリンを撃破させるために、あらゆる心血を傾けて闘争したのです。それはすさまじい闘いでした。ですから、この世の中には平和があり得ないのです。それで今、私たち統一教会は、堕落で出発したもの、堕落後にその文明の目的を願ってきたものを否定して、堕落以前のものを取り戻していこうというのです。これが統一教会の思想です。(六〇−六七、一九七二・八・六)

 サタンを屈服させようとするならば、国家を屈服させるだけではいけません。サタンは世界的な主権をもっているので、世界の主権までも追放しなければなりません。そうして初めてこの地球星に解放圏ができるようになるのです。地球星のどこに行ってもサタンが反対する影があっては、神様が自由と平和の園としてつくられたエデンの園の理想が実現されません。地球星にサタンの反対する影がなくなってこそ地上天国が完成するのです。地上でそのことが完了して初めて天上世界の解放運動を始めることができるのです。これが統一教会の食口たちが行くべき道です。(五七−一三一、一九七二・五・二九)

 統一教会は、復帰路程で蕩減という怨恨の道を行くために出てきたということを、皆さんは知らなければなりません。しかし、これまでしてきた苦労は記憶してはいけません。この苦労を記憶すれば、民族を恨まなければならず、父母を恨まなければならず、教会を恨まなければなりません。誰かを恨まなければならない哀しい蕩減の道でしたが、過去はみな流してしまおうというのです。そうして蕩減のない自由な平和世界、自由が満ちあふれる復帰天国の環境をつくり、神様の手ぶりを見つめてすべてが拍子を合わせ、神様が喜ばれれば共に喜ぶことができる自由天国を成そうというのです。ところが、その世界を成すために、血と汗を注いで夜を明かし、孝の道理、忠の道理を果たすことができない生涯を残すならば恨めしいことになる、ということを皆さんは知らなければなりません。

 最後の瞬間は、私たちの前に近づいてきました。南北に行き道違う国家的運勢を前において、今、統一教会は、困難の中で消えるのではなく、迫害の中で折れるのではありません。国家と共に世界のために解放の民族、平和の建設者、世界最高の責任の実体として、あすの世界を引き継ぐにおいて恥ずかしくない者になるよう、自らの準備をおろそかにしてはいけないということを、このように私が皆さんを訪ねてきてお願いしているのです。そうすることによって、その基盤から初めて新しい家庭であり、新しい民族であり、新しい世界であり、新しい神様の国、すなわち神様が望まれる世界が造成されるというのは当然なことです。(六五−九五、一九七二・一一・一三)

 今日、統一教会の思想は、救援の目標を個人においているのではありません。天の国と一つの世界においているのです。国が救援されて太平王国になると、その国の民は太平な民になるのです。同じように、世界が平和の世界になると、その世界圏内に属している数多くの民族や国家も平和な国家圏を成すようになるのです。(三六−一七八、一九七〇・一一・一九)

 今こそ三千万民衆が、夫と妻が、南北に分かれてこの国の平和の旗手にならなければなりません。そのようにしていけば、解放の鐘の音とともに三十八度線の境界で、父と母、あるいは夫と妻が互いに抱き合って涙の出会いをし、その三十八度線が天の前に感謝の線になる限り、この韓国は平和統一されるのであり、天の王国に設定されるでしょう。しかし、互いに反目嫉視する悲運の心情を抱いた個々人になる時は、滅びます。それを誰がするのでしょうか。統一教会しかありません。そのような意味で、今度の八月までの祈祷期間は、深刻な期間だということを知らなければなりません。(五九−一六二、一九七二・七・一六)

 他人の世話になってもよいといって眠る人の後ろには、怨讐のすれ違う銃の先が待っていますが、他人の世話をして眠る人には平和の解放がやって来るのであり、勝利の栄光の賛美の声が準備されている、ということを知らなければなりません。世の中でもそうではないですか。むちに打たれた人は足を伸ばして寝て、たたいた人は足を曲げて寝るというのです。むち打たれた統一教会は足を伸ばして寝て、たたく既成教会は足を縮めて寝るので、既成教会は徐々に落ちて、統一教会は徐々に伸びていくというのです。それで、私がどこに行っても恥ずかしくないというのです。どこに行っても、既成教会のどんな人に会っても堂々としていられるのです。(五九−二一一、一九七二・七・一六)

 北朝鮮の地に入っていって、誰がより国を愛していたかと尋ねるようになる時、彼らが涙を流しながら、「そうだ! 統一教会がそうだ」と言い得る材料を収拾できる時は、既に過ぎました。そうでしょう? 血のにじむ歴史の道、重なり合う歴史的な道を開拓してきたその生活は、悲しいといえば悲しく、悲惨だといえば悲惨でしたが、それが自己一身の幸福のためのものではなく、民族の解放と世界の平和のための天の使者としてそのようなことをしたのだとすれば、これは永遠に歴史に残るのではないでしょうか。

 その実績が燦然と輝くようになる時に、この基盤を通して南北朝鮮の解放はもちろん、アジアの新しい解放の鐘の音が響き渡り、世界の解放の運気はここからわき上がるのではないかというのです。それは、言うまでもありません。今までそれを望んできたのです。(五九−一五二、一九七二・七・一六)

 韓国を通して、神様が望まれる国をつくろうというのが統一教会の思想です。このことを皆さんは知らなければなりません。韓国から世界に連結し、霊界と肉界まで完全にこれを連結しなければな力ません。そうして、これが神様の前に結束されて初めて、「神様の愛が決定された」という平和の起点がこの天宙間に形成されるのであり、その日が来てこそ天上天下に最後の勝利点が成立するのです。

 そうすることによって、神様が初めて笑うことができ、「ああ! 成し終えた」とおっしゃることができ、「私の前には幸福だけがある。私の前には、これ以上憤懣やるかたなく悔しい消耗と犠牲の歴史的な蕩減路程と救援摂理というものはあり得ない」という印が押されなければなりません。この地球星と霊界にいる霊人たちを解放させて、彼らが完全に解放された位置で勝利を賛美し得るその日をもって、初めて最後の勝利点が決定されるのです。それを越えて初めて、天上天下に永遠の平和の王国時代、それこそ幸福が始まる、ということを皆さんが知らなければなりません。私たちは、そのために行かなければなりません。(五七−七〇、一九七二・五・二八)

 黄色人種は長男であり、黒人種は二番目の息子であり、白人種が三番目の息子ですが、闘っているこれらを、韓国が「統一思想」を通して統一できるというのです。このようになることによって、神様を中心とする理想的祖国創建ができるというのです。そこから初めて世界は、平和の世界、一つの世界、統一の世界、勝利の世界に収拾されていくのです。そして、地上に天国を形成するのと同時に、神様と一致しなければなりません。天上天国の主体たる神様を地上にお迎えして、統一された一つの天国を形成しなければならないのです。これが統一信徒たちの果たすべき使命だということを、私たちははっきりと知らなければなりません。そうした基盤のもとで、父母と子女が一つになることによって平和の天国生活が始まるのです。(七九−八三、一九七五・六・一)

 神様がいらっしゃるということさえ知れば、万事が解決されるのです。神様がいらっしゃることを私は知ったというのです。それでは、神様が主張される平和、神様が主張される愛、{神様が主張される統一、神様が主張・される保護というものは、どのようなものでしょうか。そうして始まったのが統一教会の出発です。(八〇−八一、一九七五・一〇・一四)

 統一教会は、正々堂々と権威的な内容を教えていることを理解して、皆さんが感謝していけば、間違いなく一つの世界になり得る統一の日が来るのです。そうして初めで統一世界ができます。そのようになった世界が正に平和の世界です。そのような世界は、争いの世界なのか平和の世界なのか考えてみなさいというのです。どんなに考えても、この道しかないというのです。したがって、有り難くも先生が天地の道理と、神様のみ旨を明らかにし、また人間がこのように行かなければならないということを理論的かつ事実的に明らかにしたという事実は、驚くべき発見だというのです。これが驚くべき財産です。(八一−一五三、一九七五・一二・七)

 世界は、文化も違い、生活も違い、言葉も違い、考えることも違い、行く道も違うので、どうなるでしょうか。行ってみると、互いが永遠に対決するようになるのであり、ぶつかるようになるので、戦争のない国はあり得ないのです。また人類は、必ず塗炭の苦しみの中でうめくようになるので、そのような世界は、平和の世界や幸福の世界になることはないのはもちろん、平和や幸福が訪れることもありません。ですから、この機会に私たちがブレーキをかけ、新しい体制でもって吸収する、強い消化作業をしなければならないと思うのです。これが今、統一教会がしてみようということです。(八五−三〇〇、一九七六・三・四)

 自分の父母と妻子と別れることは悲惨ですが、そのように別れることを嫌えば、それ以上に悲惨な流血劇が韓国の地、この民族で起こるのです。私の子供がかわいそうで父母が行く道が困難でも、南北を一つにすることによって、韓国の地が平和の基地になり得、神様の世界救道の活動基地になり得るというこの驚くべき事実を知っているので、私たちが凝視する視野には、南北を一つにしなければならないという観点が徹底していなければならないのです。そのような中で、金日成の一族をみなつかんで教育し、私の手で教化し、自然屈服させ、「ああ! お兄さん!」と従ってくるようにしなければならないというのです。(一一三−二八〇、一九八一・五・一〇)

 統一教会の新郎新婦たちは、正にこの神様の愛と真理を中心として結ばれた夫婦であり、これから生涯を通して、神様の愛と真理を基盤として家庭をつくりあげようという群れです。皆さんがこの信仰と決意を大切に守っていく時、神様と人間の理想である愛と幸福と平和の世界は、地上に必ず実現されるのです。(一二〇−一七三、一九八二・一〇・一四)

 世界の若者たちを代表してここに集まった「大学原理研究会」(CARP)、指導者および会員の皆さん、私たち原理人は、万人が共に願う新しい世界に向かう道の先鋒にならなければなりません。私たちは、神様の理想による平和世界を成す主役です。私の伝統を引き継いでさらに前進しなければならず、これは、世界的基盤を築いていく外的な面だけでなく、神様の心情世界と信仰の伝統を継承する内的なことまで含まれなければなりません。(一三三−二八六、一九八四・一一・三)

 主体となる思想とは何でしょうか。世界を一つにする思想であり、平和の思想です。そのようになったのは、このような思想を引き継いであげるための天の作戦だったという結論を下すことができるのです。宗教を統一しなければならず、そして内的な基準を統一したのちには、外的な基準を一つにしなければならないのです。それは平和のためです。韓国民族は、歴史時代に強大国から九百回以上侵略されたというこの事実を見るとき、平和思想を掲げていける歴史的な代表民族になれる伝統的内容を秘めていたという事実を、誰も考えないというのです。

 それでは、統一をどのようにしなければならないのでしょうか。どのように一つになって平和の世界を得るのでしょうか。神様を中心として統一しなければならず、平和を成さなければならないというのです。神様の所願は、人類を一つにすることと平和にすること、この二つだというのです。ですから、摂理のみ旨の前に、歴史的な終末時代において、このすべてに対峙し得る民族的精気をもってきた特殊民族だという結論が出てきたのです。

 それゆえに、宗教を中心として見るとき、宗教を一つにできる思想が必要だというのです。その次には、平和の世界をつくり得る愛が必要です。このように二つの結論が出てくるのです。神様がいらっしゃるならば、そのように考えられるというのです。

 このような観点から、今日の「統一原理」が、この国を背景にして出てこなければならないのは、歴史的な伝統の思想を根拠にしているという事実を、私たちは知らなければなりません。それで、キリスト教を一つにするのはもちろん、宗教界を一つにし、世界を平和の世界として一つにするために、神様の愛を主張できるこの原理が必然的な伝統に従って出てきたというのは、妥当な結論だということを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。(一六八−五四、一九八七・九・一)

 天的愛を完全に公表する交替時代になるまでは、この世の中の制度は混乱するでしょう。今がそうです。夫婦関係、父母と子女の父子関係、そして君臣関係がそうです。師弟関係も混乱します。学生が上にいます。女性が上に行ったでしょう? 子供が上にいます。すべて反対です。宗教でも神様が上にいなければならないのに、物質が上に上がりました。すべて反対です。一遍に交替させる摂理をしていこうというのが統一教会です。それが統一教会の使命です。逆さまになったものを、原型にひっくり返して統一の平和世界をつくらなけれぱなりません。交替させなければならないのです。(一八三−一六七、一九八八・一〇・三一)

 今、ソ連の軍隊はソ連のための軍隊であり、アメリカの軍隊はアメリカのための軍隊です。世界のための軍隊がなく、天の国のための軍隊がありません。この世界のための軍隊がどこにありますか。神様も軍隊が必要だと言ったでしょう? サタン側に立った日本車やヒトラーのナチ軍、それ以上に強い天の国の精兵として、変わることのない永遠の軍隊として残り得る軍隊を神様は願っていらっしゃるのです。軍隊は、不義の軍隊として前進してストップしましたが、私たちの軍隊は永遠に前進するのです。この軍隊がある限り、平和の境界線は侵犯されません。それはどれほど素晴らしいでしょうか。愛の勝利圏は侵犯されません。愛の天国は、永遠に保障されるのです。永遠の天の国の軍隊として、世界と天の国のために前進することを誓います。(一二四−二六一、一九八三・二・二〇)

 皆さんが先頭に立って一線に陣を張っていれば、その後方は、皆さんによって平和の歌を歌うでしょう。今、皆さんに心情的な基準まで教えてあげる時間はありません。私たちが一線に立たなければならないのです。時は忙しいのです。寸時を争うこの時において、いつ育てていくのでしょうか。ですから私たちは、世界舞台に向かい、青年男女たちは各自が責任感をもっていかなければなりません。

 「私の家は建てられないが、土台だけでも築いておかなければならない」、「私がもっている人格は不足でも、誠意と涙がにじんだ実績を後代の人に残していこう」という精神をもっていけば、私たちが行軍していったあとには、平和の喚声が広がっていくでしょう。先生は、今までもそのようにしてきましたし、これからもそのようにしていこうと思っていることを理解してくださるよう願います。(一五〇−七八、一九六〇・三・二七)














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