神様の摂理から見た
  南北統一

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第二節 旧約時代の歴史とメシヤ

一.カイン・アベルを中心とした分立摂理歴史

1 堕落の結果とカイン・アベルを中心とした分立摂理

 我々は、人間始祖の堕落によってサタンの血統を受け継いでいます。もしアダムとエバが堕落しなかったなら、罪のない神様の子女になったのです。しかし、アダムとエバが堕落することによってサタンの子女になってしまいました。

 元来人間は神様にだけ主管されるようになっていました。それゆえ、神様だけが人間の主管者でなければなりません。しかし、人間始祖アダムとエバがサタンと不倫の関係を結ぶことによって、サタンが人間世界の主管者になってしまったのです。サタンが、堕落した世界に対してその所有権を主張するようになったのです。

 しかし、創造原理によれば、どこまでも神様が本来の主人なので、結局神様とサタンは共に人間を所有できるようになりました。だからといって、アダムを二つに分けて神側とサタン側に立てることはできません。ですから、神様は原理的観点で人間を内的存在としての神様と外的存在としての被造物に分立する役事をされたのです。すなわち、堕落したアダムとエバから生まれた二人の息子を通して分立したのです。

 長子であるカインを天使長の立場に立て、次子であるアベルを堕落前の罪のないアダムの立場に立てました。長子であるカインは、エバが非原理的相対である天使長と関係を結んだ最初の堕落の表示体なのです。エバと天使長との関係は非原理的な関係です。しかし、エバとアダムとの関係は原理的関係です。それゆえ、二番目の堕落の表示体であるアベルを神側に立てることができるようになったのです。次子であるアベルは、アダムとエバとの間に結ばれた二番目の堕落の表示体です。

 本来の伝達系統は神様からアダム、天使長へとつながるようになっていたように、神様からアベルへ、アベルからカインへと願いが伝達されなければなりません。これが復帰摂理の公式です。神様はまずこの位置を復帰することによって、失ってしまった原理を取り戻そうとなさるのです。

 堕落することによって人類の血統が変わりました。サタンの血が人類の血統を占領したのです。そのような理由から、復帰は根源までさかのぼって成されなければならず、そうするためには、次子であるアベルがカインから長子権を復帰しなければなりません。

 堕落は、原点となる母の胎内から始まりました。それゆえ、復帰もまた、母親の胎内から成されなければなりません。そこが悪の原点になり、出発点になったので、復帰においても我々はその原点に帰らなければならないのです。ですから、神様はこれら二人の兄弟によって長子権を復帰する摂理をなさったのです。それゆえ、カインはアベルの位置に下りていかなければならず、アベルはカインの位置、すなわち、長男の位置に上がっていかなければならなかったのです。しかし、カインはアベルを殺してしまいました。この行為はアダムとエバの時の堕落行為を反復した立場になってしまいました。すなわち、復帰された立場はおろか、再びアダムを主管した立場に立ってしまったのです。(五五―一〇九)

2 分立役事に表された神様のみ旨

 息子、娘の所有権をサタンに奪われた神様は、どこからどのような方法を通して息子、娘を取り戻すことができるでしょうか。そのままでは取り戻せる道理がありません。ですから、ここから神様の分立役事が起きるようになったのです。言い換えれば、サタンとの所有権決定のための分立役事が起きるようになったのです。それがキリスト教で言う祭物の役事です。サタンと人間の血縁関係によって所有権をサタンが占領しました。ですから、再び神様が所有権を奪ってくるための条件物として提示したものが祭物でした。これが創造本然の息子、娘を取り戻すための神様の復帰摂理の事由であり、神様は今までそのような摂理を展開してこられたのです。

 言い換えれば、人間の堕落行為によって祭物の歴史が始まったのですが、たとえ堕落によってアダム・エバがサタンの所有になったとしても、原理的な立場では本来アダムとエバは神様の息子、娘となるようになっていました。それゆえ、堕落によってサタンが所有するようになったアダム・エバであって、神様は創造主の資格によって彼らを所有できる父母の立場に立つことができたのです。また、サタンも神様が人間の創造主であられることが分かるので、全面的に自分のものだと主張できないのです。

 このようになって、神様は仕方なく最初の息子をサタン側に立てる代わりに、次の息子を神側に立てておき、人間自らが条件物を立てることによって所有権を決定する分立の役事、すなわち、祭物の役事を広めてこざるを得なかったのです。

 ですから、神様は最初の息子であるカインをサタン側に、二番目の息子であるアベルを神側にお立てになったのです。これはエバの堕落の経路によって非原理的相対であった天使長と、原理的相対であったアダムとの関係を区分するものです。カインは非原理的な愛の表示体なのでサタン側に、アベルは原理的な愛の表示体なので天の側に立てて分立の摂理をなさったのです。(一九八〇・一一・一八)

3 神様はなぜカインの祭物は受け取られなかったのか

 聖書を見れば、神様はアベルの祭物は受け取り、カインの祭物は受け取られなかったのですが、なぜ神様はカインの祭物を受け取られなかったのでしょうか。今日のキリスト教はこれに対する明確な答えを出すことができずにいます。それゆえ、このように分立歴史に対する根本的な内容から、不確実な理論体系で出発したキリスト教は絶対に神様のみ旨を成就することができないのです。神様の分立役事の根本的、原則的な摂理内容と一致し得る理論を提示することができてこそ、復帰摂理をしてこられた神様のみ旨を成就してさしあげることができるのです。それでは、神様はなぜアベルの祭物だけ受け取って、カインの祭物は受け取られなかったのでしょうか。

 神様はサタンに子女の所有権を奪われて、息子のいない立場で、息子を取り戻すことのできる方法としてアベルを神側に立てたので、当然アベルの祭物は受け取らなければなりません。では、なぜカインの祭物は受け取らなかったのでしょうか。カインの祭物を受け取らないというのが神様のみ旨ではありませんでした。受け取ることは受け取るのですが、しかしお前はアベルを通して祭物を捧げなさい、というのが神様のみ旨でした。それではなぜこのようになったのでしょうか。

 本来アダムは神様の息子として、僕である天使長の主人にならなければなりませんでした。ところが堕落によって、主人であるアダムと、僕である天使長の立場が転倒してしまいました。逆さまになってしまったのです。そのようになったので、アダムがその本然の位置と権威を取り戻さなければならないのですが、そうするためには何らかの条件なくしては本来の位置と状態に復帰できないのです。

 統一教会には蕩減復帰という術語があります。本然の位置と状態に復帰しようとすれば必ずそこに必要な条件を立てなければならないのですが、このような条件を立てることを蕩減といい、このように堕落した人間が蕩減条件を立てて創造本然の位置と状態、すなわち、堕落する前の立場へと帰ることを蕩減復帰といいます。

 ですから、本来主人だったアダムが、僕である天使長の僕の立場に落ちてしまったことが堕落だったので、堕落する前の本然の状態と位置に帰るためにはみ旨に適った蕩減条件を立てなければならないのです。

 すなわち、蕩減復帰するためには、天使長側に立てられたカインが神側に立てられたアベルを中心として侍り、神様のところに出ていかなければならなかったのです。ですから、カインはアベルを通して祭物を捧げなければならないというのです。もし当時、カインが本当にアベルを通して神様の前にみ旨に適うように祭物を捧げていたなら、神様の復帰摂理は再び延長されなくてもよく、今日のような悲惨な歴史は拡大されなかったのです。カインがアベルを中心として祭物を捧げて、三代以内に家庭的な蕩減条件を立てていったなら、神様の復帰摂理はその当時に完成したのです。(一九八〇・一一・一八)

4 長子の権威を回復させなければならなかったアベルの立場

 アダムとエバが堕落したので、父母である彼ら自身が復帰することはできません。それゆえ、子供たちが一つになって父母であるアダムとエバを救うことのできる基盤を準備しておかなければならなかったのですが、そうすることができませんでした。子供である長子と次子が一つにならなければならないということは、アダム家庭を中心とした復帰摂理で最初の条件でした。

 なぜ一つにならなければならないのでしょうか。エバの堕落の経路から見るとき、カインは非原理的な愛の表示体であり、アベルは原理的愛の表示体であって、生まれるときから長子であるカインはサタン側に、次子であるアベルは天の側にと決められていました。原理的な立場では長子が次子を主管できるようになっていました。ところが堕落することによって長子が天使長の立場に立つようになったので、カインが神様の前に帰るためには、アベルを通していかなければなりません。カインがアベルに主管されなければならないというのです。すなわち、サタン側に立っている長子の立場を天の側に取り戻すのは、次子を立てて長子を屈服させることによって可能なのです。そうしてカインとアベルが一つになった後で、初めてその一つになったものを基盤として、父母であるアダムとエバが一つになって神様の前に帰ることができたのです。

 まさしくこのような摂理からメシヤ思想が起源するのです。神様の救援摂理がそのような分立歴史を基本として展開されてきたことによって、神様の救援摂理は言い表すことのできない曲折と事由がもつれた恨の道であり、キリスト教が歩んできた道も悲しい曲折の道だったのです。

 このように、長子の嗣業を次子が強制ではなく神様の愛を通して自然屈服させて、本来の長子の権威を回復できる立場が成立しなくては天の道に行くことができず、復帰摂理を完成できないという天の隠された秘密を、今まで誰も分かりませんでした。

 ところが、神様はアダム家庭を復帰するために神側であるアベルを立ててサタン側であるカインを自然屈服させ、サタンに奪われた長子の権威を回復させようとしましたが、カインがアベルを殺害することによって神様の天的な復帰歴史が延長されるようになったのです。そうしてノア家庭ではセムとハム、イサク家庭ではエサウとヤコブを通した分立役事を広めてこられたのです。(一九八〇・一一・一八)




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