神様の摂理から見た
  南北統一

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二.エサウとヤコブを中心とした摂理

1 経典の中に隠された神様の摂理的な秘密

 エバは自分の夫アダムを否定し、だましました。そして、後には神様までも否定しました。したがって復帰歴史は蕩減復帰歴史なので、このように堕落の過程で生まれた否定的事実を歴史上で再び蕩減しなければならないようになっていました。ですから、神様の復帰摂理の過程では、我々の単純な人倫道徳的観点では到底理解できない内容がたくさん起こるようになっているのであり、また、そのような事由が経典である旧約・新約聖書の中に宿るようになったのです。しかし、誰も今まで経典の中に隠されている神様の摂理的な秘密を解くことができませんでした。

 我々が新約と旧約を比べてみれば、ある面で内容が全く異なって表現されていたり、旧約と新約との聖書の内容に距離があったり、旧約として新約を引き立てることのできる歴史性が欠如していたりもします。それにもかかわらず、旧約と新約が一つに連結されているというのです。これがまさしく神様の摂理的な秘密でした。完成の時になって初めて、この摂理的な秘密が解かれるようになっています。それゆえ、いまだに誰も経典の中に隠されている神様の摂理的な秘密、すなわち、旧約と新約がなぜ一つに連結されるのかという天倫の秘密を解くことができなかったのです。

 マタイによる福音書第一章を見れば、四人のふしだらな女性が出てきます。バテシバ、タマル、ルツ、ラハブがまさにその人たちです。なぜ聖書にこのような女性たちの名前が出てくるのでしょうか。何の理由もなくただ現れるのではありません。それだけの事由があるのです。新約聖書のマタイによる福音書第一章は旧約聖書の創世記第一章に該当するものであり、記された歴史的悲運の事情が、再びマタイによる福音書と関係をもって現れるのです。いわば、新しい歴史の道は、創世記の歴史的な悲運の内容から始まったということを暗示するために、創世記のような悲運の内容が聖書にしばしば記録されているのです。(一九八〇・一一・一八)

2 エサウから長子の嗣業を奪ったヤコブ

 神様はアダム家庭でみ旨を成し遂げることができないと見ると、再びアブラハム家庭を中心として復帰摂理を広げられます。そのようになって、アブラハムの二人の息子、イシマエルとイサクの間で、次子であるイサクが神側に立つようになります。このようになることによって、イサクを中心として分立役事が展開されるのですが、イサクの夫人であるリベカは、エバが夫と天をだましたように、夫であるイサクをだまし、長子であるエサウをだましてヤコブの側につくようになります。リベカが夫とエサウをだまし、ヤコブを助けるようになったこの摂理的な事由もやはり、キリスト教歴史で解くことのできない謎なのです。

 なぜリベカがそのようなことを行ったのでしょうか。神様の継代をサタンから奪ってくるためでした。摂理歴史路程で神様の恨を解怨成就してさしあげるために、神様の代を引き継ぎ得る基台を築くようにと選ばれた立場がまさにリベカの立場でした。リベカはそのような自分の立場をよく知っていました。神側のヤコブがサタン側のエサウを自然屈服させることによって、ヤコブをして神様の長子として代を引き継がせなければならない立場が自分の立場だということを知っていたリベカでした。

 では、ヤコブはどのようにしましたか。エサウが狩りに出掛けて腹が減って帰ってきたとき、ヤコブは兄にパンとレンズ豆を与えながら、長子の嗣業を引き継ぎました。パンとレンズ豆を与えた条件によって長子の嗣業を買ったのです。そのようにして、ヤコブは「私が兄になった」という立場に立つことができたのです。絶対的に変わることのない神様の永遠無窮な伝統を引き継ぎ、それを千秋万代に相続させるべき立場がまさに長子の位置であり、長子の嗣業でした。そのような長子の立場をエサウは腹が減ったといって弟に売り渡しましたが、ヤコブは兄とは違って長子の嗣業がどれくらい貴く、価値のあるものであるかをよく知っており、神様の祝福と愛を受けたアブラハム家庭の血統がどれくらい貴重なのかをあまりにもよく知っていたので、執拗に命までも懸けて兄から長子の嗣業を引き継ぐようになります。

 次子の立場から長子の立場へと転換させなくては、サタンを屈服することができず、堕落した世界を復帰することができないという必然的な天の摂理の要求によって、ヤコブは知恵深く兄エサウを自然屈服させ、堕落したエバの立場を蕩減しなければならなかったリベカも夫と息子をだましたのでした。神様もこのようなヤコブとリベカの側につきました。なぜそうしたのでしょうか。今までキリスト教では神様がなぜ兄と父をだましたヤコブの側について愛し、彼を祝福してくださったのか、その理由が全く分かりませんでした。それは解くことのできない謎でした。

 ところが事実は、誰も解くことのできなかった未知の内容をつくった基盤を通して、キリスト教の理想完成を追求してきたのです。それが神様の復帰摂理でした。(一九八〇・一一・一八)

3 神様の代を継いだヤコブの二十一年路程

 ヤコブは、神様から祝福を受けてから神様の代を継がなければなりませんでした。しかし、それだけは神様が強制的にしてあげられるものではなく、ヤコブ自らが基盤を築かなければならなかったのです。

 こうして、エサウがヤコブを殺そうとしたとき、ヤコブは故郷を離れてハランの地へと避難し、伯父であるラバンの家で二十一年間受難の僕の生活をしながら苦役を経験するようになります。ヤコブは二十一年間、苦難を克服しながらレアを娶り、ラケルを娶り、財物を得て、祝福された一族を編成しました。ヤコブは甚だしい受難を被りながらも、本郷の地を神様のものに復帰してみせるという一つの思いだけは決して変わらずにもっていたのです。むしろ、自分を殺そうとする兄を自然屈服させ得る一日を待ちわびながら、エサウ以上に自分の実力を養い、基盤を築くことにすべての精誠を傾けました。

 そして、故郷の地へと帰ってくるとき、ヤコブは兄エサウにすべてのものを捧げました。「私には女性が必要なのでもなく、財物が必要なのでもなく、ひとえにお兄さんが私を歓迎して、昔長子の嗣業を祝福によって売った事実を公認してくれることだけです」というのがヤコブの祈祷であり、ヤコブの立場でした。

 こうしてヤコブはすべての財物をエサウに捧げ、またエサウがそのようなヤコブを歓迎することによって、結局はヤコブを中心として兄エサウも祝福されたイスラエル選民圏に入ることができるようになりました。

 神様の摂理歴史はこのようにして再び代を引き継ぐようになり、復帰の一時、永遠な解怨と解放の一日を願いながら来ることができたのです。(一九八〇・一一・一八)




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