神様の摂理から見た
  南北統一

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第三節 神様の摂理の流れ

一.イスラエルからローマへ

1 イエス様と一つにならなければならなかったイスラエル民族

 イエス様が異端者の汚名を着て亡くなられるのが神様のみ旨ではありませんでした。神様は、メシヤを十字架にくぎ付けにして処刑するという使命のためにイスラエル民族をお選びになって、四千年間信仰と苦難によって育ててこられたのでしょうか。本当に神様がそのような使命のためにイスラエル民族を選民として選ばれたと信じる人がいたなら、気の狂った人に間違いありません。イエス様を捕らえて殺すために四千年間ユダヤ教を準備し、イスラエル民族を準備したのではありません。イエス様を捕まえて殺す、そのような悪漢をつくるためにイスラエル民族を準備したのではなかったのです。

 イエス様は人類の長子として生まれましたが、長子の権勢をもつことができず、アベル的な立場をもったお方でした。長子の権勢、すなわち長子の権威を否認されたのです。イエス様がアベル的な立場にいたので、外的なカイン圏(イスラエル民族)がアベル圏(イエス様)に食いついて離れなければ、アベル圏も仕方なく引き込まれるしかないようになっていました。ですから、そのような悲運の歴史が演出されたのです。

 イエス様は、イスラエル民族が反対することによってアベル的な疎外された立場に立つこととなりました。それゆえ、イエス様はご自分の母親であるマリヤに対してさえも、「女よ、あなたは私と何の関係があるのか」と言いながら骨身にしみる話をしたのです。イエス様がなぜそのような言葉を語ったのか分かりますか。誰もそのような内容を明らかに知ることができませんでした。

 イスラエル民族がカイン側になったことによって、アベル的なイエス様はユダヤ教の怨讐となり、ユダヤ教徒と民たちの非難の対象となり、ローマに対しては革命家の立場に立ったのです。それゆえ、結局み旨を成し遂げることができなかったのです。カイン圏であるイスラエル民族を一つにできませんでした。

 ですから、イエス様が十字架で息を引き取るとき、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれたのです。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と祈祷を捧げたイエス様でした。イエス様がみ旨をすべて成し遂げたなら、このような祈祷をしたでしょうか。イエス様はみ旨をすべて成し遂げることができなかったのです。

 イエス様がイスラエル民族と一つになることをどれくらい渇望しましたか。イエス様は神様の愛を中心とした一つの民族と世界を形成するために、この地に来られたお方でした。神様を中心としてご自分と一つになった民族の形成を懇切に願っていらっしゃった神様でしたが、イスラエル民族がイエス様を信じられないことから第一イスラエルは滅び、キリスト教が第二イスラエルとしてその相続権を引き継ぐようになったのです。言い換えれば、イスラエルの国家がイエス様のみ旨を受け入れなかったので、神様は第二イスラエルである全世界のキリスト教信者を通して二千年間の摂理を導いてこられたのです。(一九八〇・一一・一八)

2 イスラエル民族がイエス様を迎えていたならば

 イエス様がもし死ななかったなら、どのようになったでしょうか。イエス様の願いである統一を成し遂げたはずです。神様のみ旨を成し遂げたはずです。

 第一にユダヤ教を一つに統一し、ユダの氏族と民族を統一し、それと同時に昔カナン福地で編成された十二支派の後孫たちが暮らしていたアラブ圏を統一したはずです。イエス様の行く道は、統一された一つの宗教を中心として氏族と民族と、ひいては世界人類を一つに統一させることでした。これがイエス様が成し遂げるべき使命であるのに、この仕事を始めるや否や、三年で死んでしまいました。

 イエス様は三十三歳で死ぬべきお方ではなく、長く生きて神様の国を建て、神様のみ旨どおりにすべての人間を救い、世界を救って王の中の王にならなければならなかったお方でした。

 聖書では、神様がこの世の中を愛してひとり子イエス様を下さったとはっきりと宣言しました。当時、もしユダヤ民族がイエス様と一つになってさえいれば、神様のみ旨はその時十分に実現され得る環境でした。

 イエス様当時の周辺の情勢を調べてみると、世界的に大国家であるローマ帝国は疲弊して、内的に次第に崩壊していきつつあり、革命や反乱が起こり得る情勢でした。そのような時にイエス様がお生まれになったのです。また、当時の東洋には仏教を中心としたインド文明圏があり、中国には儒教を基盤とした中華文化圏がありました。

 それではこの時、宗教の道に従っていくべきイエス様がユダヤ教を一つに統一したなら、その後どこに行ったでしょうか。仏教文化圏と儒教文化圏へと行ったはずです。もしイエス様をイスラエルで歓迎していたなら、イエス様の思想がたやすく中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播し、一方で、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握してイエス様の当代に一つの世界を成し遂げたはずです。

 いわば、イエス様が行く道は宗教に従っていく道だったので、その時イエス様を中心として十二の支派が団結さえしていたなら、ユダヤ教とユダヤ民族を中心としてアラブ圏がたやすく統一され得るはずです。そうして統一されたアラブ圏を基盤として、ローマ帝国を手中にし、西欧ヨーロッパとアジアの全域を昇華して、名実共にイエス様を中心とした新しい宗教文化圏を定立させたはずです。そのようにイエス様が王の中の王になることのできた時代が、まさにその時代でした。仮にローマ帝国が反対して敵対するようになったとしても、インド、中国などの仏教、儒教の宗教文化圏を中心とした東洋の強国からの協助が可能だったので、イエス様の当代に世界統一は可能だったのです。

 ところが、不幸にもユダヤ民族がイエス様を不信して殺したので、統一された一つの世界を築くことができませんでした。(一九八〇・一一・一八)

 イエス様がユダヤ民族に迎えられていたなら、何が成されたのか考えてみることにしましょう。もしそのようになったなら、イエス様はその国の王となって弟子たちを一つにまとめ、ヤコブとアラブ一族の十二支派を含むすべてのアブラハムの子孫を統合したはずであり、彼らすべてが神様の息子の家庭になったのです。

 イエス・キリストは選ばれたイスラエルの国を中心として天の主権を確立されたはずであり、その当代に天の国の法度が準備されたはずです。その時に神様の主権が実体を成して、相手になるもののない国家が樹立されたはずであり、最初のアダムを通して成し遂げようとされた神様が統治するその国は、後のアダム、イエス・キリスト、すなわち王を通して築かれたはずです。そして、ローマ帝国も神様の国に屈服したはずです。イザヤ書第九章七節に次のように記録されています。

 「そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである」

 イエス様がこの世を離れられた後、彼の弟子たちはあらゆる苦難を受け、血を流しながら素手でローマに向かって行進しました。結局四百年もたたずに、ローマ帝国はこの素手の群れの前に倒れてしまったのです。もし、イエス様が亡くなられずに生きてこの神聖な群れを率いていたなら、その時、すなわちイエス様の当代に、全ローマ帝国は神様の主権の前に現れたのです。

 当時の大ローマ帝国は全世界の中心でした。神様の救援計画は全体の世界の復帰にあったので、神様がローマを万邦の中心としてお立てになったのです。それゆえ、いったんローマに天国が到来しさえすれば、それは容易に全世界へと広がるのです。

 イエス様がローマ帝国に彼の天国を成し遂げることができたなら、ローマの力と影響によって、世界の至る所でイエス様の福音を、イエス様の生きていらっしゃる間に聞いたはずです。

 そのようになったなら、イエス様は全世界にわたって実体的な天国を建設されたはずであり、今日のローマ・カトリック教会も、メソジスト派も、キリスト教会も、長老派教会というものも存在しなかったのです。

 このような教派はどれ一つ必要ないのです。目的地に既に到達した皆さんに、車は必要ないのです。

 既に我々は天国市民になっていたはずであり、キリスト教史は血を見なかったはずであり、したがって、殉教者もいなかったはずであり、礼拝堂に十字架もなかったはずです。イエス・キリストが裏切られたのは悲しい事件でした。アダムとエバの不従順によって、神様はエデンの園の理想を成すことができず、選ばれた民たちの非協調によって、イエス様は地上天国を築くことができなかったのです。(七三―二一九)

3 神様とメシヤのみ旨を知らなかったユダヤ民族

 イスラエル民族が待ちわびたメシヤは来ましたが、イスラエル民族はそのメシヤが分かりませんでした。なぜ仕えることができなかったのでしょうか。簡単なのです。メシヤのみ旨は世界を救い、人類を救うところにあります。そして、そのイスラエル民族を選んで立てたのは、イスラエル民族のゆえに選んで立てたのではありませんでした。皆さんはこのことを知らなければなりません。統一教会を選ばれたのも統一教会のために選ばれたのではないのです。文先生が統一教会の責任者であっても、統一教会を立てた文先生のために選ばれたのではないのです。神様と世界のためにお選びになったのです。

 それゆえ、ヨハネによる福音書第三章十六節を見れば、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」とおっしゃったのです。神様がキリスト教を愛され、ひとり子を与えたのではありません。滅びるキリスト教は覚醒しなければならないのです。イエス様がキリスト教のために来たのではないのです。万民のために来たことを知らずにいるのです。イエス様がキリスト教だけのメシヤになるための方ではないのです。万民のメシヤであることを知らずにいるキリスト教は滅びます。イエス様に足でけ飛ばされるのです。

 イスラエル民族はこのことを知りませんでした。メシヤが来る際には自分の国一国の王として現れてローマ帝国を滅亡させ、東洋を制覇して自分の国が栄光の中で天下の福を受けると思いましたが、違います。神様のみ旨は違ったというのです。メシヤが来たとしても、イスラエル民族を祭物とし、メシヤ自体も人類の僕の立場に立って神様の心情を植えてあげて、すべて同化させたのちに初めて、人類のために生きた後で初めて、栄光の日が来るということを考えることができませんでした。何の話か分かりますか。(はい)。

 こうして、イスラエル民族の願いと神様とメシヤの願い、み旨の方向が食い違いました。神様とメシヤのみ旨は、世界を救い、人類を救い、歴史を正すためのものであるにもかかわらず、イスラエル民族は自分の国のために生き、選民の歴史のためのものであると思いました。しかし、メシヤを見ると、そのように見えないのです。ですから、ここで衝突が起こりました。ユダヤ教の歓迎を受けなければならないのに、反対されるのです。ローマの支持を受け、ローマを統治しなければならないはずなのですが、どんなに見ても自分たちが願ったメシヤの姿ではないのです。ですからイエス様は、メシヤとして受け入れられませんでした。

 イスラエル民族は選民として世界を支配できる祝福を受けたにもかかわらず、神様とメシヤの目的観で衝突することによって、み旨に従って行くべき目的のところは残り、み旨を奉じて目的を受け継ぐべきイスラエル民族はここで堕落して世界にない罰を受けるようになったのです。それゆえ、二千年間国のない民族として流浪の孤客となったのです。(八一―二三六)

4 イタリア半島に移された神様の祝福

 神様が何のためにユダヤ教を苦労してつくり、また東洋に仏教と儒教をつくったのでしょうか。メシヤが降臨したのちに、傍系的な立場でメシヤに協助することのできる間接的な基盤を築いておくために、世界の全域に宗教文化圏をお立てになったのです。ところが、ユダヤ教がそのような時代的な配慮までした神様の摂理を無視し、イエス様を不信したので、ユダヤ民族は歴史上例のない、二千年間血を流す民族となったのです。そしてまた、キリスト教は四百年間ローマの迫害を受けながら犠牲の代価を支払う蕩減歴史を通して、ローマ帝国を中心としたキリスト教文化圏を形成せざるを得なかったのです。

 このようになって、イスラエルに下された神様の祝福はどこに行ったのでしょうか。イタリア半島に移されていったのです。

 イエス様が死ぬことによってイエス様の心と体が分かれました。そのようになって、それ以後の文化圏も肉身の文化圏である人本主義のヘレニズムと、心の文化圏である神本主義のヘブライズムとして分立されたのです。イエス様の肉身をサタンが取るようになり、文化の発展が逆さまに出発するようになることによって、当時イエス様の体のような役割を果たしていたローマがまずヘレニズムを受け入れて、サタン主管圏に立つようになったのです。ですから、キリスト教はローマから四百年間迫害を受けるようになります。四百年間イタリア半島を中心としてキリスト教文化圏を形成して、ここから世界をまとめる道を築くというのが神様のみ旨でした。しかし、キリスト教が責任を果たせないことによって、世界を一つのキリスト教文化圏としてまとめることができませんでした。

 神様は当初、ローマで四百年間の迫害と殉教の血を流す代価を支払わせ、苦難を克服してローマ人たちに感化と感動を与えた基盤の上に初めて、キリスト教が故郷として公認されるようにしました。ところが、キリスト教が公認されて以後、キリスト教の封建社会が来るようになるのですが、その当時教区長たちはどのようにしましたか。キリスト教の使命は世界を救うことであるにもかかわらず、教派主義と教権主義にとどまって民族と国家さえも超越できませんでした。(一九八〇・一一・一八)

5 ユダヤ教とローマ教皇庁が滅亡した理由

 ユダヤ教がイエス様を歓迎できなかった理由は、どこにあったか分かりますか。彼らは、「メシヤが来ればすぐさまローマ帝国を征服し、さらにはユダヤの国が世界を制覇してしまうだろう」と考えていました。しかし、神様のみ旨はそうではないのです。神様のみ旨は、彼らが考えたようにローマ帝国とその周辺国家をすべて制覇してしまい、イスラエル国家を世界を支配する国家にすることではありませんでした。ユダヤ教とイスラエルをその犠牲として立てて、ローマと周辺国家、ひいては世界を救おうとしたのがまさに神様のみ旨でした。「国家」が神様のみ旨のすべてではありません。国家理念を超越するのが神様のみ旨です。教派の中に神様のみ旨があるのではなく、教派を超越するのが神様のみ旨です。

 それにもかかわらず、ユダヤ国家自体の利益と権威だけを考える思考方式ゆえに、世界主義を叫ぶイエス様を不信するようになり、ついには許されざる悲劇の歴史を自ら招いたのがユダヤ教とイスラエル民族でした。

 ローマ帝国を中心とした神様のみ旨も、ユダヤの国のときのように一つの国家の中にあるのではありませんでした。全世界の人類を救うところにありました。しかし、ローマがそのような使命を果たしましたか。使命を果たせませんでした。ローマ教皇庁が腐敗することによって、世界をキリスト教文化圏にまとめることができなかったのです。その時に、もしローマ帝国が世界を救うために神様のみ旨を中心として教皇庁と完全に一つになり、どのような犠牲の十字架を負うようになったとしても屈せず、ひたすら世界の救いだけのためにその使命を果たしたなら、ローマは一時に世界を一つに統一し、世界を救ってあまりあったのです。

 ところが、その時の教皇庁はどうだったでしょうか。そのような神様のみ旨に背き、教皇庁を中心としてさまざまな国家を動かしてその下に隷属させる機関としながら、権威だけを主張したではありませんか。

 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じるものがひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ三・16)。このみ言の意味は、個人だけを救いなさいという内容ですか。世界を救いなさいという意味です。個人だけを愛するというみ言ではありません。キリスト教だけを愛するという言葉ではありません。「この世を愛する」と言いました。その「この世」にはローマ帝国も入り、東方のすべての国も入ります。ユダヤ民族をしてメシヤを迎えさせ、何をしようというのですか。世界を救ってから万民がほめたたえるその日に、初めて世界制覇の中心国家として登場できるにもかからず、来るや否や世界の中心国家圏を要求したのです。そのように考えるので、教権主義だけが膨大にならざるを得ないのです。ユダヤ民族がイエス様を殺した動機や、ローマ教皇庁が神様の真のみ旨を引き継ぐことができずに全世界を一つのキリスト教文化圏に完全にまとめることができなかったのは、まさにそのような神様のみ旨を知らなかったからです。(一九八〇・一一・一八)




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