神様の摂理から見た
  南北統一

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二.イタリアから英国へ

1 イタリアから英国へ移った神様の祝福

 ローマの教皇庁が責任を果たせなかったことによって、神様の祝福は必然的に他の所へと移って行かざるを得ませんでした。ローマから神様が祝福を刈り入れていくことによって、中世の暗黒時代が招来され、その堂々たる気勢の教皇庁の権威と威信は人本主義思潮に覆われて地に落ちてしまいました。

 このような局面で神様は、新教運動を起こして再び世界の救いの道を築かざるを得なくなったのですが、これがまさに旧教に反旗を掲げ、議会を動かして法を改定し、ついに聖公会を立てた英国のヘンリー八世を通した英国の新教運動に対する祝福でした。すなわち、神様のみ旨はローマを離れて英国へと移されて、英国を中心として新しい世界救援の摂理を展開したのです。

 こうして、英国という小さな島国が海洋政策を強化して急進的にその版図を広げ、「五大洋六大州(世界)で日が落ちることがない」というくらい、世界を制覇できる世界的な強国の版図をつくりました。

 ところが、神様が英国をしてこのように文明の極致を享受しながら、世界を制覇できるように祝福を下したのは英国だけのものではなく、世界を救おうという深いみ旨からでした。いわば、英国に対する神様の祝福は、英国の世界的基盤を中心として全世界を神様の前に救おうとされた祝福でした。当時、もし英国がこのような神様のみ旨を受け入れて、内的には、神様のみ旨を成し遂げようと理想的国家を夢見て立ち上がった清教徒運動者たちと、新教運動者たちが神様のみ旨の中で一つになって救援の礎石を築き、外には数多くの植民地をもつようになった基盤を通して神様のみ言を伝播し、神様のみ旨を広めていたなら、英国は間違いなく世界を一つに統一し、世界を神様のみ旨の前に救援することができたのです。

 ところが、どのようにしましたか。英国はそのような使命を悟ることができず、英国自体だけの利益のために植民地を搾取しました。神様のみ旨によって世界を救おうとする英国になることができず、英国だけのために世界を利用する一方、英国の教会も世界の救援をしようとせずに、教権主義に染まって、国家を擁護する立場から信仰の自由を極度に抑圧し、清教徒たちを迫害したのです。

 これによって、英国を中心として世界を救おうとされる神様のみ旨は、壁にぶつからざるを得なくなったのです。

 ここに王権の専制主義と信仰の自由を拘束する監督から自由と独立を叫び、信仰の純潔を主張していたピューリタンが英国と闘って、命を懸けてアメリカ新大陸へと渡っていきます。宗派と国家の理念を超越した彼らピューリタンは、神主義の新教を中心としてアメリカを開拓します。彼らは神様の理想国家を追求しました。信仰さえ抑圧され、拘束される祖国での生活よりも、思いどおりに神様の国を追求し、さらには、世界を救うことのできる理想国家をつくろうとする立場で、ヨーロッパの至る所から信仰運動を叫んでいた彼らが、力を合わせてアメリカを開拓し、英国に劣らない宗教的な基盤を築くようになりました。ここでキリスト教の新教を中心として世界的なアベル圏を糾合することによって、世界のキリスト教カイン圏(旧教)に対抗して、世界のキリスト教アベル圏(新教)が形成されるに至ります。このようにして、アベル的な新教を通して長子であるカトリックを復帰しなければならない摂理が繰り広げられるようになります。(一九八〇・一一・一八)

2 英国の聖公会と清教徒運動

 皆さんはヘンリー八世を中心として起きたアン・ブーリンの事件を知っているでしょう? アン事件。息子がないので息子を生むために離婚をしようとしたのですが、そこにありとあらゆる反対が起こったのです。旧教で反対するので、離婚を正当化させるために憲法を改定して法的処置をし、旧教から脱退してアングリカン・チャーチ(聖公会)をつくったのです。それは歴史的なことなのです。

 このようにして、ローマがヘンリー八世を中心として罪状を……。それはだめなのです。ローマは悔い改めなければならないのです。その時、新教の風潮の中で英国が新しい舞台となって国家的な基盤の上に新教を包摂することのできるよいチャンスだったのです。エリザベス女王はカルビン主義を歓迎できる新教の支持者だったのです。ウェストミンスター条約三十三箇条によって、エリザベス女王がカルビン主義の思想を吸収することのできる基盤を築き、海洋圏を中心とした制覇という政策を立てて、スペインが海洋圏に介入できない基盤を築くようになったのは、すべて神様のみ旨だったのです。

 それゆえ英国は、大きな新しいキリスト教歴史のすべての福を受け継ぐことができたのです。その時ヘンリー八世を中心としておよそ三代を経て西ヨーロッパにある新教をすべて包摂していたなら、信仰の自由の王国として兄の国となり、母親の国となって、信仰の自由を求めるヨーロッパ人たちをすべて消化、包摂することができたなら、超民族的な、神様の名前を中心とした王国を築いて世界制覇国となったのです。それこそ英国の名前どおりのザ・ユナイテッド・キングダム(The Unitied Kingdom)、統一王国です、統一王国。数百年間、五大洋六大州(世界)に日の落ちることのない大英帝国をつくったのは、神様のみ旨なのです。島国英国、海賊の親玉だったその民族が優れているのでそのようになったのではないのです。ローマ帝国が責任を果たせないことによって世界的な制覇をして、新しい伝統的な思想の行路を正すために、神様が英国の民族を立てて、祝福してくれたのでそのようになったのです。

 そのようにしてそこで一つになったなら、今日のアメリカは現れなかったのです。全世界が統一されるのです。アジア諸国まですべて連結させ得る見事な版図をつくっておいたのです。英国が神様のみ旨を知り、新教と一つになって、新しい国と一つになって、世界を救うための神様のみ旨を成し遂げるためにキリスト教思想を奉じて万国の救援のために総進軍していたなら、英国は世界的な文化を創建したはずです。しかし、英国がインドのような国を三百年間搾取し、自分の隷属国家としてあのようにしたのは、神様のみ旨とは背馳するのです。

 ここで新教徒、清教徒たちが会議を改造して、国王の不純な行動を正当化しようとするアングリカン・チャーチに反対して覚醒運動を起こし、新しい、神様の理想とする国を築くためにその教派を越えて理想的な神様の教会と神様の国を追求するために起こした運動が清教徒運動なのです。

 彼らが弾圧されることによって行くべき道がないので、信仰の自由を求めて、自由の天地を求めていった所がアメリカ大陸です。彼らに反対するので、ヨーロッパにいるすべての信仰の自由を求めようとするプロテスタント、すなわち、新教運動者たちはみな反発して結束するようになったのです。英国で結束させることのできるものを果たせなかったので、この人たちを取り出して移し、新しい天地、アメリカ大陸で結束せざるを得なかったのです。(八一―二三九)




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