神様の摂理から見た
  南北統一

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二.春をお迎えになれなかった神様

 今我々は春節気を迎えようとしています。春が好きなものは何かといえば、まず草木を挙げることができます。その次に昆虫たちが春が好きであり、その次に鳥や動物たちが好きです。

 動物の中で最高だと言えるのが人間です。人間も春が好きであり、ほかの動物よりも早く春を迎えるようになります。早春の日の朝に鳥たちがさえずるのを見れば、彼らも春が来ることを敏感に感じているのを知ることができます。

 もしも神様がいらっしゃるのなら、いつ春を迎えられるのでしょうか。神様が春節気に現れるすべての万物を造ったのなら、それらが春を迎えるのを見るようになるとき、神様はそこにおいて春を迎え始められると見ることができます。もし草木が一番初めに春を迎えるとすれば、神様はそこで最初の段階の春を迎えることになるのです。その次に昆虫や鳥のような動物たちが春を迎えるようになる度ごとに、神様におかれても春を迎えられるようになります。そのようなすべての過程を経ながら、最後の願いとなっている第一の迎春はどのような位置かということなのです。

 皆さんは春にどのような現象が起こるのかということを知る必要があります。春になれば植物は新しい芽を出すことから出発しますが、動物たちはまず雛を繁殖させるということです。鳥たちはさえずる声を通して対を探します。愛をささやくための出発をしているということが分かります。春の日に鳥たちがさえずるのは、結局新しい出発、新しい繁殖をしようとしているのです。

 それでは神様が一番楽しまれる時がいつかということを考えてみる必要があります。間違いなく神様も好きな対象と共に交わり歌う位置を願われたことでしょう。昆虫も歌い、草木も歌い、人間も春の歌を歌います。それなら神様ご自身も春の歌を歌いたいのは事実ですが、春の歌を歌われる神様になったのかというとき、深刻な問題とならざるを得ません。神様は本来ご自身が願われていた正常な春を迎えることができませんでした。人間の堕落によって神様は春を迎えることができなかったのです。過去の歴史を取り上げてみても、春が来て夏が来ましたが、みな悲しい時期でした。それで再び春を迎えなければならないというのです。我々人類の歴史を見てみれば、歴史の出発から悲しい春を迎えました。歌によって始まったのではなくて、涙から始まりました。それは人類の祖先アダム・エバが堕落によってエデンの園から追放されたことを意味します。(八六―三一六)




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