神様の摂理から見た
  南北統一

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四.人情の豊かな民族

 先生はイスラエルに行ったときに多くのことを感じました。そこに行ってみれば半分は砂漠地帯です。ラクダのようなものを見るとき、あの大きな体格で腹いっぱい食べることができるのかと思うほどに、草がない砂漠地帯でした。それを見るとき、韓国は福地中の福地であるということを悟りました。

 そこのぶどうの蔓は、ひと抱えにもなりません。昼には太陽熱に三分の一が枯れてしまいます。この葉があまりにもしおれているので、ぶどうの蔓なのか、何の蔓なのか分からないほどです。みな他の蔓のようです。ところが、昼に暑いほど、晩と夕方には露が多く降りるというのです。この露によって植物たちは再び生気を取り戻すようになります。このようにイスラエルの地、ユダヤの地で育っている植物のように、ユダヤの民たちも夕方を待ち、その静かな夕方の中で神様の前に絶叫の祈祷をした民族であるということを切々と感じました。

 また、彼らの目を静かにのぞき見ると、何かがあります。感動のようなものが……。感動して歌う歌が最高の絶叫であり、心霊が込められた祈祷だということです。そして、ああ、ここから新しい歴史が始まったのだのだなあということを感じました。

 また、韓国には国民がお互いに同情し合う人情が残っています。世界のいかなる民族にも見いだすことのできない人情があります。アメリカのような所を見れば、父子の間においても、父の物が別にあり、息子の物が別にあります。すなわち、父と息子が食事をしたとしても、父の昼食代は父が出し、息子の昼食代は息子が出すというのです。しかし韓国人たちはやくざ者たちの間でも、距離のある間柄であっても、食堂に行けば大きな声を出しながら自分が出すと言うのです。やくざ者だとしても、そのようにすることのできる民族です。これを見て先生は、韓民族は品位があり余裕がある民族だと感じました。(一七―二一)

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