神様の摂理から見た
  南北統一

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四.時代的十字架の道を開拓すべき韓民族

 今日、我が民族は骸骨の所のような谷間に来ています。我々は今ここに生命の油と生命の水を注いで復活圏をつくるために行っているのです。皆さん、これを感じますか。

 韓国がどうして歴史的な渦中に処しているのでしょうか。どうしてこのように悲惨なのでしょうか。古びた服を脱ぐ前には、新しい服を着ることはできません。脱ぐときには、天の国で脱ぐのではありません。悪なる世界で着た服なので、悪なる世界で新しいものに着替えて、新しい天地へと行軍しなければなりません。そうして民族的な道を修めて現れるようになれば、この民族は世界に輝く時があるでしょう。分かりますか。

 我々は黙って戦争をしている人です。黙って未来の都城を開拓している人です。今日、我々がこの位置を避けるようになれば、我々の先祖は嘆息するようになり、この三千万民族と我々の後孫は何十倍、何百倍も苦労するようになります。何の話か分かりますか。ですから皆さんは、泣いたとしても絶対に一人では泣かないでください。

 イエス様はこの地上に来て多くの涙を流しました。家庭が恋しくて涙を流し、民族が恋しくて涙を流し、世界が恋しくて涙を流しました。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ八・20)と言われたイエス様であられたのですから、どれほど悲惨な身の上だったでしょうか。どうしてメシヤの身の上がそのようになったのですか。神様が四千年間苦労した基盤の上でイエス様がなすべきことは何だったのでしょうか。悲惨な生活をしながらも、このようなイエス様の心情を訴え、失った天国を見いだすために訴え、み旨のために忠誠を尽くす食口がいたならば、皆さんはそのような食口をアベルとして侍っていかなければなりません。

 神様は時代的十字架の道を開拓しながら行かなければならない一つの選民に対して行かれるので、その選民からは絶対に離れることができません。したがって選民である我々は黙々とこの道を行かなければなりません。我々にどんなに恋しい故郷があったとしても、この道を行かなければならない不可避的な事情に置かれているので、行かなければならないというのです。それではこの道を行って何をしなければならないのでしょうか。うんざりする悲惨相をみな清算して、罪悪に染まった十字架の試練路程を、永遠にこの民族の前から消え失せさせなければなりません。そうすることのできる日のために、我々は最後まで進んでいかなければならないのです。(一三―二七〇)




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