神様の摂理から見た
  南北統一

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二.一心統一は我々の人生において絶対に必要

 「一心統一」、すなわち「一つの心で一つの統一を成し遂げよう」ということです。これはある国家の主権者がいればその主権者も願うことであり、ある団体があればその団体も願うことです。

 また、これはある制度を実行しようとする人がいればその人も願うことです。心が統一されなくては、その制度を通して成そうとすることが成されないというのです。この一心統一は我々の人生において、一日の生活から一年の路程、さらに進んでは一生の路程、全歴史路程をおいて見ても、必ずある目的に向かって進行する過程に、絶対的に必要だという事実を我々は否認することができません。

 個人個人が一日の生活を営むところにおいても、朝家を出る時は一つの心であったのに、夕方帰ってくる時は二つに変わっているならば、一つの目的を成すことができないのです。このように見る時、今日我々が生きているこの社会、今皆さん自身が接している生活環境が、一心となった環境を備えているのでしょうか。そうでないことを我々は知っています。皆さん自身も、一日にも心が彷徨し、いろいろな方向に変わるのを感じるのです。

 心が変わるために行く方向が変わるのであり、行く方向が変わるために目的が変わるというのです。心が変わって一つの目的を達成するということはあり得ないことです。心が一つになっても目的を成し遂げるのが難しいのに、二つの心をもって一つの目的を成就するということは、ますますあり得ないことです。

 このようにすべてのことを見る時、一つの心が必要なのです。朝の心と昼の心と夕方の心が一つにならなければならず、初年時代の心と中年時代の心と末年時代の心が一つにならなければなりません。

 このように誰でも一つの心をもって始めて、一つの心をもってその過程を開拓して、一つの心を中心として結束された結果を追求するその期間が長ければ長いほど、その人の願う目的も大きいのです。

 我々は一つの心をもたなければなりません。ある目的を追求するところにおいても、一つの心をもたなければなりません。一つの心を離れてはその目的を成し遂げることができないのです。こういうことを見る時、神様は二つの心をもって天地を創造されなかったことを知ることができます。一つの心から始まって一つの目的を達成するためには、一つの方向を備えた過程を経なければならないようになっているにもかかわらず、今日の人間は一つの心の形態を備えることができずにいます。(二八―一五四)




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