神様の摂理から見た
  南北統一

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四.体と心の統一の基準は愛

 統一の基準とは何でしょうか。何が統一の基準になるかということを皆さんが知らなければならないのです。それは愛を中心としてなるのです。人は二重構造になっているというならば、愛を中心として一つは上のもの、一つは下のものです。そのように見るならば、霊的な心は上のものであり、体は下のものになって、一つになって共鳴するのが愛だというのです。

 それゆえ、皆さんの体と心の中には誰が入っているかというならば、神様が入っているのです。皆さんの体と心が一つになれば、神様が臨在されるというのが原理の教えなのです。それでは神様がなぜそこに臨在されるかというのです。人の体と心が一つになれば、必ずそこには、一つになる原則は愛から始まるために、相対的愛があるために臨むという論理が成立されるのです。

 「人の体は神様の聖殿である」とこのように言います。聖殿はどのような所ですか。仕事をする所ですか。どのような所ですか。聖殿というならば安息所という言葉と通じます。それでは休むには何の中で休みますか。愛の中で安息するのです。聖殿とは何でしょうか。神様の愛の中で休むことができる所です。我々人間が願う理想があるならば、そのような内心的基準が最高の理想の基準ではないですか。これを知っているのです。そうした心の愛をもった所を心情の世界というのです。それはわき出る泉の水と同じであって、くみ出してもくみ出しても終わりがありません、終わりが。なぜでしょうか。神様がそこにいらっしゃるから終わりがないという、このような論理を我々は立てることができるというのです。皆さんもそのような人になれたらいいでしょう? (はい)。

 そのような人を見れば、泣いていた人も口を開けて喜びますか、ああと言ってもっと泣きますか。(喜びます)。泣いていた人も、近くに行けば行くほどその懐に抱かれようとして泣きやみ、恐ろしい顔つきの人も笑おうとします。じっとしていた人も手を動かそうとする、自然にそうになるというのです。それがいいですか。(はい)。それゆえ、愛がなくては体と心が一つになる道がないというのです。これを我々は知らなければならないのです。(九一―七七)

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