神様の摂理から見た
  南北統一

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三.理想的統一の起源

 統一がどこで起こるのでしょうか。統一は自分のために生きるところで起こるのではありません。自分を中心として自分のために生きるところで起こるのでなく、全体のために生きるところで起こります。これが統一の方法です。

 会社において今後主人の位置を引き継ぐことができる人とはどのような人でしょうか。人より十分でも先に出勤し、八時間仕事をするようになれば、仕事をする時私が会社に借りを受けないという心で精誠を込めて仕事をし、退勤するにも人より一分でもよりたくさん、より熱心に仕事をして退勤するというようになれば、彼は間もなくその会社の中心になるというのです。簡単です。そうした基準で生活するようになれば中心になるのです。

 このような原則を中心として、皆さんが自分の生活舞台において公僕にならなければなりません。公僕にならなければなりません。私的な立場で、自分のために生きる人になってはなりません。公的な立場に立つ人にならなければならないというのです。統一教会がそのように出ていくようになれば、統一教会の発展は誰も阻むことができません。いくら誰が何といっても、国が何といっても阻むことができないというのです。

 善はぶつかる時ごとに発展するのであり、行く所ごとに百勝するのです。難しいことのようですが、この原則に立脚するようになる時は、この原則が違わない限り必ず勝利をもたらすのです。この原則によって生き、この原則に立脚して犠牲になる人は必ず勝利するのです。私が得た利益を私の利益と思うのでなく、国家のより大きい利益と思い、勝利をすればその勝利した価値を私のものでなく国のもの、世界のものとして帰する、このような思想を広げていく団体があるならば、世界が滅びに至るともその団体は滅びないのです。このような内容をもった統一思想は、滅びないということを皆さんは知らなければなりません。(四一―九六)
 
 統一の方案がどこにあるのでしょうか。「ため」にしてあげるところにあります。では、南北が統一するのに金日成がしようというとおりにするのでしょうか。金日成がしようというとおりにするのではありません。愛が宿ったものは何でももらいたいよいものであるゆえに、その愛することのできる位置で、永遠に与えることができる位置に立つようになれば、北も統一されるのです。現在北の民たちが暮らす以上の立場で、永遠に与えることができる基盤さえつかむようになれば、共産党の宣伝ごときには食われないというのです。大韓民国が経済分野、生活分野、知識水準などすべての分野で並外れ、永遠に与えることができる位置に立つようになれば、完全に一つになるなといっても一つになるのです。(三六―七六)
 
 負債を負うところでは統一できません。分かりますか。負債を負うところには統一がありません。負債を負って天国が成されることはありません。負債を負って復興される法がありません。負債を負ったものを数倍にして利子をつけて、完全に返すことのできる余裕があるようになる時、そこに富国が設定されるのです。天国というものは富国中の富国であるゆえに、負債を負う位置では不可能だということを知らなければなりません。(八二―三三三)
 
 善と悪とは何でしょうか。私的なものは悪に属するものであり、公的なものは善に属するものです。簡単なのです。皆さんがこれを確実に知らなければなりません。宗教が扱う分野はどこまででしょうか。宗教は公的な分野を扱います。ところで公的な生活内容は人間世界だけでなく霊界にまで、主体的な絶対者の神様にまで立体的に関係されているというのです。

 私的に国を利用し、自分個人や家庭のために国家の財産をむやみに搾取するようになれば、国が滅びるようになりますか、なりませんか。そのようになれば国が腐敗したと言うでしょう? そうでしょう? 公的な責任を負った公僕なのに、国家の公務員なのに、公的なものを自分が所有すれば滅びるのです。それは毒薬を自分の子供たちに飲ませることよりもっと怖いのです。滅びなければ今後滅びるようになるのです。天が滅びるようにするのです。

 体と心を置いて見る時に、どのようなものが公的かというならば、体より心が公的です。それゆえ、心を中心として体を屈服させる勝利的基盤を立てなさい。負債を負わず、負債を負わせる生活をしなさいというのです。負債を負わせるには平面的な負債を負わせるのでなく、神様の愛でもって負債を負わせろというのです。そのような人になるならば、その人は絶対に滅びないのです。もし負債を負わせてもそれを受けることができないようなれば、必ずその人の後孫が天から受けて、この地上に来て福を享受するようになるというのです。(四一―九七)




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