神様の摂理から見た
  南北統一

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二.イエス様の十字架と今日の世界

1 イエス様の十字架を再現した今日の世界

 イエス様は真理の本体です。すなわち真理の種です。ところで、この種は十字架にかかることによって植えられました。その時に右側の強盗と左側の強盗がいたことを皆さんは知っています。死ぬ立場でありながら、イエス様のおかげで釈放されたバラバは福を受けた人です。イエス様は十字架で死んで、「また来る」と言いました。十字架で逝かれたので、十字架で降りてこなければならないのです。イエス様が亡くなられたその時の環境がそのまま世界的な現象として実を結ぶ時になれば、主が来られる時になったことを皆さんは知らなければなりません。(六九―一一〇)

 イスラエル時代にイエス様が来て成就できなかったために、キリスト教文化圏を中心に主が再び来られることを約束しました。キリスト教は新しい歴史時代の出発です。イエス様を植えたのです。イエス様は真の人なので、真の人を植えたのと同じです。ところで植える時、一人では完全にきれいなものとして植えることができませんでした。サタンが讒訴する条件に引っ掛かったまま植えたのです。植えたものが世界的に実を結ぶ時になったならば、終わりの時であることを知りなさいというのです。

 イエス様が十字架上で亡くなる時に右側の強盗と左側の強盗がいました。その次に、イエス様の前にバラバがいました。右翼とか左翼とかいう言葉は、今日出てきたのではありません。イエス様の時代に植えたものが実を結ぶ時になって現れるのです。左側の強盗はイエス様に対して「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」(ルカ二三・39)と言いながら、イエス様を否定しました。右側の強盗は左側の強盗に「お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」(同二三・41)とイエス様の側に立って苦しみを克服し、左側の強盗をしかったのです。それで、右側にいた強盗はイエス様と共に楽園にいることを、我々は聖書を通して知っています。

 バラバはどのような人かと言えば、イエス様のおかげで助かりましたがイエス様に反対した人です。ですから、そのような文化圏が生じなければならないのです。それが、イスラム圏なのです。イスラム教は片手にはコーランを、もう一つの手には剣を持っています。これは純粋な宗教の立場に違背します。旧約聖書を信じながらも、そのようなことをしているのです。

 体的人にも、心と体があり、心的人にも心と体があります。これと同じように、外的世界と内的世界を見るとき、イエス様は内的立場にいました。内的な立場はイエス様と右側の強盗が一つに組んでおり、外的な立場は左側の強盗とバラバが一つの組になっています。(五三―一八八)

 イエス様を中心にして見る時、右側の強盗と左側の強盗、イエス様とバラバ、このように種を蒔きました。歴史がこのように蒔かれ、蒔かれたとおりに刈り取られるのです。まず最初に現れたのが右側の強盗型と左側の強盗型である右翼世界と左翼世界、すなわち民主圏と共産圏であり、その次に現れたのがイエス様の十字架を中心として登場したバラバ型であるイスラム圏です。イエス様のおかげで福を受けることができるようになったバラバ型のイスラム教は、キリスト教の旧約聖書を中心として出発しました。

 このように蒔かれた歴史は、世界の形態が三大陣営として結束する結果的な時代の運勢へと入っていくようになりました。アラブ圏のナセルは、イスラム教圏を統一してアラブ統一国家を夢見ました。そこに対備して、キリスト教は今、「すべての宗教を統合しよう」という世界的な新しい趨勢に入っていっています。このような世界的な傾向を眺めてみる時、悲運で蒔かれた歴史が、初めて神様を中心とした善の結果として現れているということを知ることができます。

 歴史の終末時代になればこれが露骨化し、始めに蒔いたものをこの時に結んだ模様そのままで収めるようになるのです。これは、摂理の法度によって現れないではいられない、不可避の傾向です。

 それでは、今現れなければならないものは何ですか。イエス様は人類を代身して死にました。その時、左側の強盗は十字架を背負ったイエス様を眺めて誹謗しました。「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」(ルカ二三・39)と言って誹謗したのです。そのような左側の強盗型として現れたのが、「神なんかどこにいるのか」と言って神様を誹謗し否認する左翼、すなわち共産圏です。それに反して、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」(同二三・40〜41)と言って、イエス様を認定し、天を擁護し、天の側を証した右側の強盗型として現れたのが右翼、すなわち民主世界です。

 また、イエス様によって死ぬ立場から解放されたバラバ型のイスラム教圏のナセルという人は、このような左右の闘争の間で利益を上げようとするのです。それが、ナセルの政策です。

 民主世界が内的ならば、共産世界は外的です。右翼が内的ならば、左翼は外的です。ですから、将来メシヤは神様を尊重する民主世界の内的基盤の上に来られ、外的な環境を吸収して、キリスト教文明圏を中心として統合する運動をしなければなりません。最後には、このような運動が起こるのです。このようなことをただの偶然であると言うことはできません。そのような動機が蒔かれたために、そのような結果がもたらされるのです。(二〇―一七一)

2 終わりの日における地球上の四つの組

 この世界において、神様とサタンが世界的に大きく戦って蒔いた時がいつかといえばイエス様の時です。イエス様が十字架について死んだその位置は、この人類世界に神様とサタンが蒔いた位置なのです。それが収穫期、すなわち終わりの日になったので、世界的に現れなければならないのです。
 イエス様一人を中心に見るとき、四組になります。イエス様がいて、右側の強盗がいて、左側の強盗がいて、バラバがいました。これら四人が、生死の問題を中心として関係した人です。ここで肉的に復活したのがバラバで、霊的に復活したのがイエス様です。(五三―一三二)

 皆さんが今の時代をソ連と中共と米国の三国時代だと言いますが、そうではないのです。米国と共産圏とアラブ圏です。アラブ圏はイスラム教圏です。このように三組なのです。何を言っているのか分かりますか。民主世界と共産世界、そしてアラブ圏、このように残るようになるのです。

 その次にもう一つ現れなければならないのですが、それがどのような圏かといえば天国圏です。天国圏が現れてこそイエス様が勝利できる復活圏が開くのです。どうしてそうなのでしょうか。真は、蒔けばそのままたくさん収めるようになるのです。粟一粒を蒔けば秋に粟がたくさん取り込まれるのと同じです。そうでしょう? 植えたとおりに取り入れるのです。(五七―三三二)

 神様は国も分け、主義や思想もみんな分け、共産主義もみんな分けるのです。全部分けるのです。そうして四組になるのです。四組になればすべて終わりなのです。今、その時になってきたのです。四つの組にならなければいけないのです。世界的にもそうです。イエス様が真理の王子ならば、イエス様が蒔いたとおりに実る時になったのです。(四九―一九六)

 将来、残された問題がどのようになるのでしょうか。死ぬこと以外にありません。イエス様が死んだので右側の強盗、左側の強盗も死ぬこと以外にありません。キリスト教も終わりであり、民主世界も終わりであり、共産世界も終わりです。全部このようになるでしょう? イスラム教圏もみんな終わりです。天地の主人がいなくなったために、全部悲惨な運命になるのです。そのような運勢が今来ているのです。ここにおいて復活の権限をもって、この地上に再臨思潮が来るであろうというのが統一教会の歴史観です。

 ですから、家庭がばらばらになったなら天の家庭が糾合できる時が来たことを知れ、お父さんとお母さんがお互いに刀で刺し合うならばサタン世界が互いに争い滅びる時が来たことを知れ、教団で牧師と長老たちが刃傷ざたを起こしたならばその教団から既に神様が離れたことを知れ、信者が牧師をナイフで切り、牧師が信者をナイフで切るその時になれば終わりであることを知れというのです。これから、世界にそのようなことが現れるのです。その中で一番めちゃくちゃで、世界で代表的に誤った場がイエス様が血を流した場であり、その場がイエス様が復活できた場ではないですか。

 そのような立場に置かれている国がまさに韓国です。そのような意味で、韓国に再臨主が来られるのです。左右がぶつかる境界線である南北を中心として共産圏と民主圏の交差路が生じたのです。そこで民族的に家庭がこっぱみじんに割れるのです。皆さんがそれを知るようになればあきれ返るのです。(五〇―七二)




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