神様の摂理から見た
  南北統一

(全面表示) 戻る


三.統一理念としての頭翼思想

1 序言

 皆さんは、複雑な環境と事情に絡み合ったこの世界がどうやって善の世界になるのかということを、心配する必要がないのです。左右が対立している緊迫した世界において、今日、皆さんの右足は右翼を踏み、左足は左翼を踏んでいます。右手は右翼をつかみ、左手は左翼をつかんでいます。これらが互いに戦うようになります。戦うようになる時には、胸を打つのではなく頭を打ちます。このような時に理念もなく、神様もなく戦ってはいけないのです。

 このような世の中を眺める我々は、その戦いの目的を解明しなければなりません。それは、人間が戦いたくて戦うのではありません。誰が回すのかも分からずに、コンパスの脚は回っていきます。コンパスの頭は別の所にあるのです。人間は、線が引かれるところを眺めているだけなのです。

 どのような人でも、滅びたい人は一人もいません。皆さん、明洞通りに行ってみてください。油断のない目つきをして、ただの十ウォンも損害を受けないようにします。みんなが十ウォンでも利益を得ようとします。それは、誰がそのようにさせるのでしょうか。自己が、そのようにするのではありません。私が願っても、願うとおりになりません。意図するとおりにならない理由は、第一原因が自己ではないためです。すべての事柄は、天地の運勢によって、その時代の四方性によって複雑に起こるのです。

 今日、国連総会を中心として非同盟国家の巨頭たちが集まり、会議を騒乱の場にしています。しかし、すべての重大事は、人間だけでやって何とかなるものではありません。人間だけでやるようになれば、結論を下す時もぶつかって結論を出さなければならず、互いに合わせる時もぶつかって合わせるようになるのです。ですから終わりの日には、そのようなことが絶えず起こります。しかし、ここに神様がいらっしゃるならば、我々は安心することができます。反対に、神様がいらっしゃらないならば不安です。もし、すべてのことを調停する神様がいらっしゃるならば、何かの目的を成すために、何かの解決点をつくるために、そこに合うように導いていかなければなりません。そうでなければ、安心しようとしても安心できないのです。神様がいないならば心配になりますが、神様がいらっしゃるならば少し考える余裕があります。

 ここで神様が解決してくださると言うのですが、必ず人を通して解決されます。神様お一人でみ旨を立て、神様お一人で解決するならば、人間を造る必要がないということになります。神様のみ旨は必ず相対的な関係、すなわち、相対的な立場にある人間を通してこの地と連結するようになっており、神様お一人ではできません。神様が直接できるようにはなっていません。法が、そうなのです。ですから神様がいらっしゃる限り、世界的な終末時代では、神様と密接な関係をもった人間を必要とするようになるでしょうが、その人はどのような人でなければなりませんか。至善である神様がいらっしゃって、罪悪のサタンがいますが、これをどうやって解決するかが問題です。(一〇―一九七)

2 頭翼思想が必要な理由

 左翼もだめで、右翼もだめになりました。左翼世界にもカインとアベルが生じ、右翼世界にもカインとアベルが生じました。これを、誰が統合することができるでしょうか。左翼自体ではできず、右翼自体でもできません。右翼は左翼の協助を受け入れる新しい右翼面の前進的な右翼型、また、左翼は新しい左翼面の前進的な左翼型、このようにして一つにできる運動が必要であるという結論が出ます。ですから、この若者たちには、昔の神秘的な面が必要なのです。ですから、この物質主義とか人本主義だけではだめだ、そこに神様がいるならどれほどよいだろう、このようなことを興味をもって考えることのできる時代になっていくのです。

 歴史を総合して見れば、ローマ教皇庁を中心とした神本主義も失敗し、人本主義である民主主義も失敗し、物本主義である共産主義も失敗しました。ですから、神本主義と人本主義と物本主義を全部合わせることのできる超国家的な、超理想主義的な世界があるとすればどのようなものか、このような考えをするようになるのです。そのようなものを総合できる思想的体系が必要であるのと同時に、宗教的体系が融合した一つの道が必要だということです。それが絶対に要求される時代圏になっていっているのです。ですから思想も必要ですが、宗教主義も必要なのです。神様を中心とした、人間以上のものが必要なのです。人間をもってしてはだめなのです。人間同士は戦うのです。世界歴史のすべての政治的趣向がこのような方向になっていくために、ここに統一教会がそれを統合するための方便的な道を模索して、発表するのです。それが頭翼思想です。

 人には、精神と体と物質が必要です。それは、歴史において縦的に、霊的指導圏による神本主義時代、体的時代である人本主義時代、物質的な物本主義時代となって、すべて終わりにきました。では、これを何によって合わせるようにするのかというのです。体が精神を合わせることはできず、物質が体を通して精神を合わせることはできません。ですから、精神がしなければならないのです。心がしなければならないのです。では、心の中のどのような心ですか。最高の心、最高の精神基準が完全でなければなりません。その心はやはり、私の心ではなく、歴史圏を超越して作用できる心的思想体制でなければなりません。人間の歴史を超越した神様の摂理時代と連結して、限界的思想圏ではなく超限界的思想圏、言い換えれば、時限的な思想ではなく超時限的思想、一生を中心とした理想を追求するのではなく永遠を中心とした理想を追求する、このような内容が提示されなければなりません。そうすることによって、我々考える人間において初めて、考えを中心として安着でき、定着できる世界の基準が生じることができるのです。それが、やはり理論的な論理です。

 このように見る時、今一番の問題が何かと言えば、人種をどうやって連合させるかという問題と、体を代表した人本主義と精神を代表した神本主義宗教圏とをどうやって連合させるかという問題です。人種主義と人本主義と宗教圏を連結しなければなりませんが、どうやって連結させるかというのです。世俗的な人本主義、自己一カ国主義、つまりアメリカならばアメリカ第一主義、フランスならばフランス第一主義では越えていくことができません。

 それで、どのような結論が出てくるかと言えば、共産主義も精神を抱合した理想主義を吸収しなければならず、人本主義も国家を超越して世界主義をあるいはそれ以上の主義を追求しなければならず、宗教も自己の教団を中心とした教派を超越した全体の代表宗教として、全人類のための宗教圏として和合しなければならないという結論が出てきます。そのような内容をもたなくては、世界を収拾できないのです。将来、このようなことを収拾できる主義、この最高の精神と連結できる、すなわち言うならば、頭翼が必要であるという言葉が出てくるのです。(一六二―一〇〇)

3 左翼、右翼、頭翼の解説

 最近は先生が話をすれば、頭翼と言って、頭に対する話をたくさんします。頭翼であると言えば、それは神様を中心として、すなわち頭を中心として、神経器官、脊椎神経を通して、四肢五体が全部連結されているのです。組織が連結されています。

 右翼とか左翼とかが、どこから起こったかと言えば、イエス様を中心として、右側の強盗と左側の強盗から起こりました。我々の原理で言えば、カイン・アベルの歴史的分立を中心とした復帰摂理の基盤のもとで、それが始まるようになったのです。それを我々は知っています。右翼によって民主世界を全部抱いたとしても、左手がこれを覆ってくれるとか、相対になって一つにならなければ、これを抱いていくことはできないのです。また、左翼が全部抱いたとしても、右手が抱いてあげなければなりません。このことを知らなければならないのです。(一六二―九七)

 左右がみんな疲労困憊しても、頭が正しく、脊椎神経が正しいときには、正常な力と方向だけ提示しておけば、手足が動き始めるのです。みんなそうです。ですから最近では、先生が新しい頭翼という言葉を使うのです。頭翼、ヘッドウィング(head wing:頭翼)という言葉を使うのです。これは、イエス様を中心にして考えてみれば分かります。左翼、右翼ということは、イエス様の時代から現れたのです。世界的な国家基準で世界的な分立歴史をしようとして、そこから左翼と右翼が生じたのです。これが、世界的に実を結んだのです。必ず、左右に分かれて戦うのです。そこに誰が現れるのでしょうか。主が来られます。(一六三―一六八)

 統一教会は、思想的統一を中心として頭翼運動をするのです。左翼、右翼と言えば何かというと、羽のことです。そうですが、頭翼の頭は何かの羽ですか。それは違います。左と言えば左側、左のほうを意味するように、「頭翼」と言えば頭のほう、頭側、このように考えればよいのです。それは、イエス様の十字架を中心として始まったのです。イエス様が、この地上で新しい世界的な分立歴史をどこからしたのかと言えば、十字架上からです。イエス様を中心として、左右に右側の強盗と左側の強盗、そしてバラバ圏、このように三世界圏に分立したのです。その次にサタン圏、このように四大分立圏になっていったのです。

 終わりの日に至っては、このように左右にきっちりとなって、イエス様のように頭が現れ、バラバがいるのです。バラバは何かと言えば、共産世界でもなく、民主世界でもない、アラブ陣営のような世界です。宗教を中心とした宗教団体でもなく、政治団体でもない、このようなアラブ圏文明があるのです。それが、バラバ文明圏なのです。分かりますか。これは、この二つ(左翼と右翼)が戦えば戦うほど、利となるのです。ですから今、中東問題は収拾することができませんが、これをイエス様が再び現れて収拾しなければならないのです。

 そのような終わりの日になっているために左右に分かれ、バラバ、そして第三世界が生じて、第三世界圏内のこれを統治できる……。第三世界は何かと言えば、足翼です。足が一番汚いと言うでしょう。どんなふうにでも暮らすでしょう。これが黒人世界です。これを収拾できるのは人間ではありません。人間の男性でもなく女性でもありません。では、神様ができるでしょうか。神様をもってしてもできないのです。では、何をもってできるのですか。愛、神様の理想とする愛の実現だけが、それを可能にするのです。左翼、右翼を一つにして、足という文字の足翼、この第三世界を一つにして、神様のみ旨の世界、理想世界として一つにすることができ、東西南北四方を糾合できる、そのような内的力は右側でもなく、左側でもなく、頭の側です。足でもありません。これが何かと言えば、これをすべて調和できる真の愛です。そうではないですか。

 神様がいらっしゃるならば、そのような思想を代表した愛、左翼を代表した愛、右翼を代表して第三世界を代表した愛、歴史世界の超越的な愛の理念をもって現れる、そのような宗教によって全宗教を統合できると同時に、今日の思想を統一することができ、すべての科学世界まで統合できる運動が、愛の理想実現のために起こらなければなりません。そのように決着をつけることができてこそ終末時代に希望があるのであり、そうでなければ、すべての存在世界と人類には絶望と破滅のほかないのです。(一六六―五五)

4 頭翼思想とは、すなわち父母の思想

 今、共産主義や民主主義は左右思想です。左右思想とは何かと言えばカイン・アベルの思想ですが、東洋から現れる新しい思想は、父母の思想なのです。父母を中心として、アジアを中心として、左右が統一されなければならないのです。これを、頭翼思想と言うのです。ですから二つが、「これが間違っている」と言えば、「そうです」と言い、「私の言葉を聞け」と言えば、「はい」と言うのです。そうすれば、みんなできるのです。簡単なのです。「あなた方が主張することよりも、父母様が主張することがもっとよいので従わなければならない」と言う時には、「イエス」と言うのです。

 さあその次には、父母が出てきたために南北格差問題を解決しなければなりません。全部兄弟なのです。四兄弟と同じであると見るのです。白人と有色人種が兄弟ですが、父母がやって来て、これを全部調停するのです。東西の民主世界と共産世界が言葉を聞くようになるならば、南北格差問題は瞬く間に解決することができます。父母様が呼んで話をすれば、「父母様の心のままにしてください」と言うのが宇宙の理知ですから、解決するのです。(一六八―六一)

 皆さんが知っているように、今日の西欧文明は、どのような民族を中心とした文明であるかと言えば、ノアの三番目の息子であるヤペテの民族を中心とした文明です。ノアの息子セム、ハム、ヤペテの中で、三番目の息子ヤペテの文明が西欧文明圏であることを知らなければなりません。なぜ三番目の息子が祝福を受けたのでしょうか。セムが使命を果たせず、ハムが使命を果たせなかったために、祝福を受けたのです。それで西欧文明が世界を支配するのです。これは間違いない事実です。三番目が世界を支配してきました。三番目の息子は、アジアで奪っていって、アフリカ黒人世界で奪っていきました。統一できなかったのです。

 しかし、摂理史的な立場から見る時、韓国には三番目の総合文明圏を形成して、統一を可能にできる使命が残っているのです。兄弟同士では一つになれません。誰が統一できますか。父母が来てこそ統一できます。父母の愛によって兄弟の愛を凌駕できてこそ、統一が可能です。ですから、我が統一教会は、真の父母の愛と真の父母の子女であることを誇るのです。(拍手)兄弟の愛まで……。
 そのようにすることによって、人種問題も解決するのです。黄色人種は一番目の息子であり、黒人種は二番目の息子であり、白人種が三番目の息子ですが、これらが戦うのを、韓国が統一思想を通して統一できるのです。このようになることによって、神様を主とした理想的祖国創建がなるのです。そこから初めて、平和の世界、一つの世界、統一の世界、勝利の世界へと、世界は収拾されていくのです。そうして、地上に天国を形成すると同時に、神様と一致しなければなりません。天上天国の主体であられる神様を地上に迎えて、統一された一つの天国を形成しなければならないのです。これが統一信徒たちがしなければならない使命であることを、我々ははっきりと知らなければなりません。そのような基盤のもとで初めて、父母と一つになることによって平和の天国生活が始まるのです。(七九―八三)

5 頭翼と神主義と統一主義

 今、主張するのは頭翼(ヘッド・ウィング:head wing)です。左翼、右翼よりも、頭翼であるというのです。では、頭翼とは何ですか。神主義(ゴッディズム:Goodism)です。それを知らなければなりません。神主義の下に頭翼があるのです。頭翼の上に神主義を添付したために、これを霊的世界の編成と地上世界の頭翼を通して完全に連結させるようになるのです。ですから、頭翼という言葉は、物本主義者、人本主義者にとって必要です。これが対峙するところにおいて、頭翼を出しておけば、どうすることもできないのです。

 その次に、神主義とは何ですか。宗教人たちに対して、神主義とはどのようなものか分かりますかと問えば、どうすることもできません。一般に通用するところにおいては、この二つの単語をもつならば完全に……。世俗的な人間においては、頭翼という言葉がずばっと入っていき、宗教人においては、神主義という言葉がずばっと入っていくのです。皆さんは、これを知らなければなりません。

 今から我々が社会に宣布できる、表象的で理想的な一つの単語は、頭翼という言葉であるというのが適切です。頭翼とは、完全な体を構成するための主義です。これは体主義であり、この世の中に住む時、人間に必要な主義です。神主義とは何ですか。精神主義です。これを一つにするのです。統一主義とは何かと問えば、このような二つが一つになって、完全な人を成すことをいうのだと言って、それを区別して話さなければなりません。ですから、統一教会の人たちは、生きて神様の前に行っても歓迎され、また、生きてどこへ行っても、どのような理念に出合っても、世界の最高の位置に行っても、それらをみんなカバーできるのです。

 統合する時は、どうやって統合しますか。今は、頭翼ということが分かりました。神主義が分かったでしょう? (はい)。統一主義が分かりました。では、統合する時はどうやって統合するのかというのです。神様からの真なる精神を通して一つにならなければなりません。それは理論的です。なぜですか。人間が根本から生まれたために、生まれるようになった根本主体から動機となって、過程的人間の肉体まで動かすことのできる基準を連結させてくれば、完全な統合がなります。もしそうでなければ、不完全な統合であるという結論が出ます。(一六二―一〇四)

 頭翼思想は神様の思想を言います。神主義(Godism)が頭翼思想です。共産主義を左側に置き、民主主義を右側に置くという時に、頭に該当するのが頭翼思想です。頭翼思想を中心として左右の思想が回るようにしなければなりません。共産主義がサタン側ですが、今まではサタン側が長子権を中心として民主世界を侵害してきたのです。左翼が右翼を打って、悪が善を打って、共産世界が民主世界を打ったのです。今は二つが互いに反対にならなければなりません。入れ替えなければならないのです。(一九八八・六・一)

6 統一教会の役割と使命

 統一教会とは、いったい何ですか。右翼を抱え、左翼を抱え、これを互いにくっつけてどこに行くのですか。ここで集まって戦う闘争の世界を越えて、天の引導する幸福の世界に、ユートピアの世界に引導するのです。これを抱えて、平面的に行ってはいけません。縦的にもって下げても、これが全部くっついて行かなければなりません。これをこのようにしても、みんな下がって行かなければなりません。それはどういうことでしょうか。思想的に、体制によって没落して失敗したものを、統一教会が全部収拾できる論理体系を備えつつ、これを抱いて横的に動くことができると同時に、宗教を中心として縦的な基準で動くことができる霊的体験の基盤を中心とした、超越的実体を追求することのできる内容をもたなければならないということなのです。統一思想は、人間的な面での人本主義や物本主義、今まで過去のすべての神本主義も体系的に理論化させて、それを統合できる内容をもつと同時に、縦的な面での宗派を超越して連結していくことのできる、超自然的体験的な宗教思想とならなければならないのです。そういう事実を知らなければなりません。

 それはどういう意味かと言えば、すべての物質主義者、共産主義者たちが見る時、「統一教会教員であるあの人は、我々共産党よりも徹底しており、人格的に、良心的に、内外すべての面において徹底している。共産党自体が、あのような人を必要とする」と言うことができ、また、世俗的な人本主義者たちが見る時にも、「ああ、我々の世界にあのような人がいるならよいなあ」と言うことができ、今までの既成教団の人たちが見る時にも、「ああ! 統一教会教員は、我々宗団を越えて素晴らしい人である。あのような人が我々の宗団の人であればよいのに」と言うことができ、神様が見れば、「ああ! この人は、私が絶対必要である」と言うことのできる、この四大面で必要とすることができる資格を備えた人がいるならば問題は解決します。

 そのような人は、共産世界に行っても誇ることができ、世俗的な人本主義世界に行っても誇ることができ、教派主義者からも誇ることができ、天の国へ行っても、この地に生きて逝ったすべての人たちはこのような過程を経た人がいないために、霊界に行っても誇ることができるのです。それは、どういうことですか。頭が完全であり、足が完全であり、両腕が完全であり、内臓が完全な人であるというのです。人類歴史の中で標本的な男性と女性を選抜し、人類歴史学の博物館があるならば、そこに展示することができるタイプの人間が誰かと言えば、それはムーニー(Moonie)の男性と女性のほかにはいないのです。

 ムーニーたちは共産主義も消化することができます。世俗的人本主義も、既成教会も消化でき、神様までも消化することができます。何をもってですか。真の愛! 真の愛をもってです。(一六二―一〇二)

 統一教会は頭翼なので、左翼、右翼をコントロールすることができます。この世の中には頭翼がなく、二つが戦っているのです。(一六一―二四六)

 右側は右翼であり、左側は何ですか。(左翼です)。左翼です。これが互いに戦いをしたでしょう? これが先生を中心として、今一つになるのです。アメリカもそうであり、ソ連も……。頭翼という思想がここから出てきます。頭という文字、頭になろうとすれば、神様を中心として、ここに来て連結しなければならないのです。この二つの世界、心と体が愛を中心として連結すれば、終わるのです。(一六四―二九一)




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送