神様の摂理から見た
  南北統一

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四.本当に共に生きたい心があってこそ

 人間はどのように生きるのか、あるいは我々の人生航路をどのように歩まなければならないのかということを念頭において見る時、その骨子を要約するなら、孝子の歩む道、聖人の歩む道、聖子の歩む道における根本があるはずなのです。すなわち、いつまでもずうっと生きていたいと思う心です。上下を問わず、共にありたいと感じ、前後左右、昼夜を超越し、生涯を越えて、共に暮らしたいという心に徹した生き方ではないでしょうか。このような結論が出てくるのです。(一九八六・一〇・一一)

 「一緒に暮らしたいなあ」と言う時、その内幕の共通分母は何だと思いますか。それは権力ではありません。権力は一時的であって歴史を超越することができません。知識はどうですか。知識の世界は発展しますが、知識の世界において、この学問といつまでも暮らしたいという心がありますか。我々が一緒に暮らすことのできるものは知識ではなく、また金銭でもないということははっきりしています。

 このように見る時、上下、前後、左右を問わず、過去、現在、未来といった時間性を超越した立場において、共通に認めることのできる一つの分母が何ですか。これがまさに愛というものなのです。孝子とは家庭において父母をこの上なく愛して生きる人です。また愛国者とは国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は世界の万民をこの上なく愛する人であり、聖子は神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。

 したがって、いかに山の中に一人で座っていても、愛国者の心のごとく民族と共に生きたいと願い、民族が困難に遭遇している時には、その困難がまさに自分の痛みであり、喜びがある時にはそれが移ろいいく喜びではなく、我々すべての永遠の喜びとして残り得るものでなければと誓うことのできる真の心情の土台が問題なのです。(一九八七・一〇・一一)

 愛と心情の因縁をもつ人は統一圏に同参する特権があります。皆さん、何も知らない無知な女性でも博士と結婚して愛の因縁を結べば、一夜にして博士夫人になるでしょう? 共に暮らそうという情の因縁をたくさんもった人は、今日統一圏に堂々と参席する特権があります。神様ご自身がそのような方であるので、そこに一つとなることのできる生活内容を備えるなら、同参できる資格が自動的に付与されるのです。(一九八六・一〇・一一)

 統一はどこから行うかということが問題です。南北統一はどこから、どうやって行うのですか。こぶしや力でですか。力で屈服させれば、後で相手の力がより大きくなった時に再び争いが起こります。そのような方式では統一を成し遂げることができません。たとえ以南の地に暮らしてはいても、以北に暮らす彼らと本当に一緒に暮らしたいと願う心、一つにならなければならないという心があって初めて統一の道が開かれます。以北が困難なのは、金日成が独裁政治によって閉鎖社会をつくったからなのですが、その事情を知れば知るほど、その統治下にいる人々がどれほど悲惨であるか分かりません。共産主義が怨讐なのであって、彼らが怨讐なのではありません。北韓を見つめながら胸がいっぱいになり、哀れに暮らしている我が同胞のために涙を流し、あなた方の困難とともに私は生きているのだと、解放の一日を準備して皆さんの前に現れるのだと誓い、統一のための実践運動がこの地において起こるなら、以北に行く日は遠くありません。(一九八六・一〇・一一)

 この前韓国において郷土学校を始めたでしょう? 皆さん、大学の教授たちが郷土のためにどれほど心を砕いたでしょうか。郷土と共にどのように生きていくのかということを考えてみなければなりません。自分の父母と一緒に暮らしたいと思わず、郷土と共に暮らしたいと思わない人は国を愛することができません。そのような人が国を愛するというのはうそです。国と共に暮らしてから、その次に世界と共に暮らすようになっています。そして世界と共に暮らしてから、その次に神様と共に暮らすようになっています。ですから郷土を愛し、その地域社会を愛して初めて、国を愛することが可能なのです。

 そう、我が国において政治を行う指導者たちが本当に国を愛していますか。国がどのようになりつつあるかということも知らないで、最近も、民政党と新政党が互いに大統領をやってみたいと争ったでしょう? やってみなさいというのです。彼らに国民と共に暮らしたいという心がなければ、それはみな跡形もなく流れて去ってしまうのです。国民を愛することができない指導者であるならば、国民から、そして後日歴史からの審判を免れることができないのです。(一九八六・一〇・一一)

 分断された南と北が何もしないでそのまま一つになることはありません。国を愛する同志たちが闘争するその過程においては、夜も寝ずに時間を超越し、困難な環境を克服することのできる心の決意と実践が必要なのです。本当に一緒に暮らしたい、死ぬ時も一緒に死に、生きるのも一緒に、我々の先祖、霊界の霊人たちとも一緒に暮らしたい、皆さんがそのような教授と学生になることによって、南北統一が今、この場から始まるのです。

 南北統一を成し遂げれば、民主世界と共産世界の統一もそこから起こるのです。そして世界を代表した立場に立って、五十億の人類を代表し、三十億のアジア人を代表し、自分たちの学校を代表し、自分が教えたあらゆる弟子たちを代表した立場に立って、民族の将来、世界の将来を見通さなければなりません。そして、「私はあなた方と一緒に、心から一緒に暮らす運動を展開する」と誓わなければなりません。それが聖人の道理と通じれば聖人に似るでしょうし、聖子の忠節を神様に対して実践するなら、「神様の相続者」「み旨の後継者」となるということを、私は生涯を通じて確認したので、きょう皆さんにこのような話を伝えているのです。(一九八六・一〇・一一)




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