神様の摂理から見た
  南北統一

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六.国のない悲しみとは

 国のない民になってはいけないのです。先生は国がない時代を生きてきました。その時、私が怨讐の国の日本に旅立ちながら、大韓民国を眺めて涙を流した事実を忘れません。漢江の橋を渡りながら、目がぶくぶくに腫れて、鼻と唇が痛くなるほど泣きました。関釜連絡船に乗って、日本に到着した日が三月二十一日でした。その時から日本で、国を中心としてさまざまな仕事をしました。国がなければ生きていくことができません。皆さんには、国がありますか。怨讐の国で妻を愛することができますか。妻を愛しているうちに、その道をだめにしてしまうのです。(四九―一六二)

 イスラエル国はユダヤ教を中心として、メシヤを迎えるために現れましたが、我々はもうその段階を越えたのです。我々はそのような民族ですが、いまだに主権がありません。教会はありますが、主権がないというのです。国がないのです。

 国がない時は、どのような国でも首を切ることができるのです。しかし、我々がみ旨を中心とした国を備えているならば、我々に反対する時には、これは国家的な問題になるので、国連の協力を受けて戦うことができるのです。しかし、国がなければ大変なことになるのです。キリスト教も国がなかったので、今まで犠牲になったのです。ですから、我々は国を探さなければならないということを知らなければなりません。(五四―二〇二)

 国がなければ、どれほど幸福で善良な家庭でも盗賊たちが現れて首を切られることにもなりかねないのです。ですから、一つの国を探さなければなりません。このことを宗教人たちは分からずにいるのです。宗教人たちは、さっぱり分かりません。善なる国を探さなければなりません。これが宗教の目的です。(五七―二六〇)

 国がなくなる時には、どんなに信仰的な家庭でも首がなくなるのです。どんなによく信仰する氏族でも首が飛ぶのです。そうでしょう? どんなによく信仰する氏族、民族があっても、犠牲になることもあるのです。もし、共産党が全世界の主権を握ったなら、キリスト教徒たちの首を切るでしょうか、切らないでしょうか。首が飛びますか、飛びませんか。(飛びます)。全世界のキリスト教徒たちの首が飛ぶことを、キリスト教徒たちは知らないのです。

 それでは、神様の願いは何ですか。神様の願いは愛する息子、娘と会うことです。堕落したこの世の中での願いは、愛する息子、娘が讒訴されない世界的な国家をもつことです。分かりますか。神様が愛する息子、娘をこの地上に送ったとしても、神様は個人だけを望むのではありません。サタン世界の国よりもさらに、上に立つことができる基盤をもつことを望まれます。神様の息子がそのような基盤をもてなければ、神様の息子として振る舞うことができません。イエス様もその基盤をもつことができなかったので、国に追われて死ぬしかない運命の道を行ったことを、皆さんは知らなければなりません。

 統一教会の信徒たちにも国がないのです。今の民主主義世界も神様が六千年間、苦労してつくっておかれたのです。もしも皆さんが昔のイエス様時代のイスラエルに生まれていたなら、皆さんの首はとっくに落ちていたというのです。先生のような人は、既にこの地上に痕跡もなかったことでしょう。国家的に不義なサタンの大役者がいるかと思えば、今、世界的な不義の代弁者である共産主義が宗教を抹殺するための最後の背水の陣を敷いているという事実を、我々はしっかりと知らなければなりません。分かりますか。では、我々統一教会の人たちに国がありますか。(ありません)。だから冷遇され、邪魔物扱いをされるのです。行き先のない、邪魔物扱いを受けているのではありませんか。それは誰よりも悔しいこととして忘れてはいけないというのです。(五五―二〇九)




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