神様の摂理から見た
  南北統一

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八.お互いに信じ、愛し、共に生きていこう

 皆さんの願いは何ですか。他の人が私を信じてくれたらよい、というのですね。他の人が私を愛してくれたらいいな、ということでしょう。そして、他の人が自分と一緒に暮らしてくれたらよいということですね。その願いが成就すれば、幸福になれます。これは間違いなく皆さんの願いでしょう。

 神様が自分を信じてくださり、愛してくださり、共にいてくださるなら、世の中に、これ以上の大きな幸福がどこにあるというのですか。皆さん全員が幸福になることを願っています。幸福になるには、まず、自分を信じてくれる同伴者が必要です。信じることができる人と与えたり受けたりすれば、永遠に暮らさなければなりません。この三つを備えて一生を生きていく者が、本当に幸福な人です。

 女性たちに、どのような夫が良い夫かと聞けば、永遠に変わらずに信じてくれる、そのような夫が良い夫だと答えます。本当にそうです。男性もまたそうです。神様もそうです。神様もそのような人を願われます。神様が願われる相対者として信頼を受け、愛を受けて生きていくことができる人なら、それ以上に純粋な人間はいないのです。このように純粋な人たちになって、すべて神様を信じるようになれば、神様も「本当に私を信じてくれて、ありがとう」と言うでしょう。

 そして人間たちが互いに信じて愛しながら幸福に暮らせば、神様も共に暮らすことを願われるでしょう。このような立場に立つことのできる者だけが、責任ある人間になれるのです。

 幸福な個人とは、どのような人だと言いましたか。お互いが信じて、お互いが愛し、お互いが共に暮らす、そのような人だと言いました。夫婦がそのように暮らせば、神様が共にいて、幸福な家庭を成すようになります。氏族が幸福になろうとするなら、氏族間でお互いに信じて、お互いに愛し、お互いに共に暮らしたいと望まなければなりません。民族も、国家も、世界もすべて同じなのです。

 一つの国の大統領はどうですか。全国民が彼を信じ、彼を愛し、彼と共に暮らしたいと思うとき、彼はまさに理想的な大統領になるのです。神様を中心として、世界を考えた時も同じです。全世界の人々が神様を信じ、愛し、共に暮らそうとする時、神様も初めて幸福を感じられるのです。

 結論的に言えば、正しい人、純粋な人であると決定できる基準は何ですか。間違いなく、信頼できる人、変わらない人、愛してくれる人、共に暮らしたいと願う人、このような人が基準となるのです。誰によって、そのような人になりますか。それは結局、神様によって、そうなっていくのです。(一九七五・七・一三)

 神様は人間を創造されて、変わらずに信じてくださいました。人間がいくら変わっても歴史を超越して、その基準を維持して来られた方が神様であられるのです。堕落したこの世の父母たちも、信じることができない我が子を信じて生きます。いつもごまかされながらも信じてあげます。これが、正に神様の心情です。

 皆さん、神様のような人を私の夫として、私の妻として迎えることができればと願うでしょう。人間の考えは誰もが同じです。

 信じられない人を信じてあげ、愛せない人を愛してあげ、共に暮らせない人でも捨てなければどうなりますか。落ちていっても、それを確認すれば、感動して再び帰ってくるでしょう。神様は今まで、そのような心情で復帰摂理の道を歩んでこられたのです。

 イエス様が聖人と呼ばれるようになったのは、怨讐までも祝福され、愛されたからです。まさにその点が全世界の人々を感動させ、歴史を動かすことができる原動力になりました。聖書六十六巻の中には数多くの内容が記録されていますが、そのすべてのことを総合してみれば、「信じて、愛して、共に生きよ」という内容に集約されます。

 我々統一教会では、どのような人が最も純粋で、最も信頼できる人として見ますか。それは、神様のように、信じられない立場にいても信じてあげ、愛せない立場にいても愛してあげ、共に暮らせない立場にいても暮らしてあげる、そのことを続けられる人です。そのような人は必ず、その環境において勝利者になるのです。(一九七五・七・一三)




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