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第一章 神様の創造のみ業

P.18
第一節 神様の実存

一 神様の実存を知る

今日、先生が世界的に提唱している思想的内容を見ると、一番目は何ですか? 世界の宗教を統一する原理です。では、宗教をどうやって統一するのでしょうか。神様についてだれよりもはっきりと教えてあげるのです。「このようにすれば、間違いなく体験的宗教を実現することができる。理論的体系に基づいて、科学的データに基づいて、体験させることができる。そうしなければ宗教を一つにすることはできない」というのが宗教に対して提唱している原理です。

二番目は何ですか? 思想に対して提唱している原理です。世界が混乱し、人々が右往左往しながら方向を見いだせずにいる中で、確固たる思想を中心として進んで行く道、その道が二通りあると先生は見ています。

その思想というのは何かというと、人生問題、個人の問題に対する思想です。人間は一体どのようにして生まれたのでしょうか。人間自体を論ずるとき、人間はあくまでも結果的な存在であって、根源的な存在ではありません。自分自身が第一原因的存在だと主張する人は一人もいません。原因は分かりませんが、結果的な存在だから結果的な存在として生まれたのです。人間とは何かという問題を考えるとき、結果的な存在として生まれた人間には、人間に生まれるようになった原因があるに違いないため、第一原因的存在として提示すべき何者かが存在しなくてはならないのです。ですから、神様についての問題を中心にした上で、自分自身にについての答を出さなければなりません。

神様を知った土台の上でのみ、自分個人の人生観というものが設定され、家庭がどのように進み、社会がどのように進んでいき、国家がどのように進み、世界がどのように進み、将来、世界の終末はどのようになる、という方向を設定できるのです。それは自分だけの方向ではありません。自分だけの方向ではないのです。ですから、人間についての問題と、原因的な存在である神様がいるかどうかの問題を知らなければなりません。

今日、哲学の追求する道は何ですか? 哲学は理論を通して神様を究明するために、すべての知性人を投入しましたが、失敗の烙印を押されてしまいました。神様を発見できなかったのです。

世界が一つになれなかったのは、中世のローマ教皇庁が本当の神様を教えてあげられなかったからです。そこから、世界が人本主義に転落してしまったのです。神様はいない、というわけです。妄想だ、虚構だ、というわけです。それはなぜですか? 神様をはっきりと教えることができなかったからです。神様をはっきりと知るには、体験を通さなければだめです。理論だけではだめです。直感を通した体験が必要なのです。しかし、そのような神様を教えることができませんでした。

哲学は神様を探して求めてきましたが失敗しました。今日、世界が民主主義と共産主義に分かれて争っていますが、これは失敗に終わるのです。なぜなら、神様を見つけることができなかったからです。

では、宗教は何なのでしょうか。宗教には神様の究明が必要ありません。宗教というのは、神様を見いだし、神様とともに生きようとするものです。それも理想的に生きようとする生活理念になっています。人生の幸福を神様とともに追求するのです。ですから真の宗教は神様とともに生きる宗教です。

では、ここで問題になるのは何でしょうか。思想の問題も、神様を知らなければ解決できないのです。また、共産主義、共産主義は唯物論を主張し、物質主義ですが、これを解決するにおいても神様を知らなければだめなのです。「神様はいない」というその主義を完全に滅ぼし、「神様はいるのだ」ということをはっきりと百二十パーセント認識させなければなりません。神様を知らずしては、何事も解決できないのです。違いますか? 思想も神様を徹頭徹尾知った上で、神様と相対的位置なり対等の位置に立たなければ、正しい思想理念を世界に提示したとしても、変動する環境に巻き込まれてしまいます。それは、絶対的な思想になりえないからなのです。(一四一\二三四)














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